超党派で中国と北朝鮮の人権弾圧を糾弾する。
ステージ風
まったく不思議だ。
前回の朝日でもそうだが、どうも中国や南北朝鮮の右翼の霊が取り憑いているようなリベラルが日本にいて、中国、南北朝鮮の悪行に関しては眼をつむる、という奇妙な傾向がリベラルの一部にはある。
他方、米国の右翼の霊が取り憑いているような日本の右翼がいて、米国の悪行には目をつむる保守がいる。おかしな傾向である。
例えば、慰安婦問題ならそれと類似の問題は加害者がどの国でも被害者がどこの国民でも非難されるべきものは非難されるべきなのである。
中国や南北朝鮮に対する思い入れから、あるいは米国に対する思い入れからそれができないとすればやはり、それは間違っている。
国家と国民、国家の一部の政策・行為と国家の全体は区別すべきだ。
中国、南北朝鮮、あるいは米国に対してひとかたならぬ思い入れがあり、友好関係を保ちたいのはいい。
しかし、その国家の一部の行為を非難したからといって、その国民に憎悪をもったりするのは間違っているし、あるいは、その国家全体と友好関係を保てないわけではない。
韓国欧米から慰安婦問題で非難されても、日本は韓国欧米と友好関係をたもっているではないか?
なお、ここでも関係を重視して、正当な主張を譲歩してしまっている点に注意。
中国の尖閣侵略行為を非難したからといって、中国と友好関係を保てないわけでもないし、そうした事件にもかかわらず友好関係を保つべきであるし、そうした事件があるからこそ国民同士は友好の絆を深めるべきなのである。
韓国の慰安婦問題を取り上げたらといって、日本の慰安婦問題が帳消しになるわけでもなく、韓国と友好関係がたもてなくなるものでもない。
関係を重視し過ぎて顔色を窺い、幼稚な癇癪をおそれるのは卒業しましょう。
ちょっと関連して、
尖閣で問われているのは、歴史認識ではないのか?
2010年09月27日
国際社会と共に批判する側に回る、というところは賛成である。
ただ、連続と不連続で択一問題で割り切れるか、というとそうもいかないだろう、と思う。連続面も不連続面もある。
憲法も変わり、先の大戦に主体的に係わった国民もほとんどいなくなった、などという点では不連続がある。 この意味で、日本人もアメリカ人もイギリス人もそれぞれの国が過去に犯した罪について同様な立場に立てる、その立場にたって、同様な基準でそれぞれの国家の過去の行状について批判をしていくべきである。
他方、国土・地域の連続性がある。また、変様・消滅もあるものの、先祖代々、バトンタッチしてきた信念や価値観の連続性もある。現代の日本人と日本人の先祖との連続性関係性は現代日本人と例えば、スコットランド人の先祖との連続性・関係性より圧倒的に濃い。だから、日本の過去の行状に対して日本人として全く無縁です、とも言えない。
その意味で、歴史をもつ地域の共同体、共同体の(過去・現在・未来の)成員との関係性を個人が深く感じれば感じるほど、自分が犯したわけではないにも係わらず、自国の過去の行状に対する非難と被害者に対する謝罪はある程度セットになってくる面もある。
中国南北朝鮮などの謝罪要求に関していえば、当然、という人もいる。
だが、私は、広島の原爆投下が巨大な市民虐殺であると思っているが、しかし、あのような市民大量殺害がどこでもだれによっても起きないようにすることが重要だと思うだけで、謝罪要求に意味があるか疑問に思っている。だから、戦後生まれの中国人や南北朝鮮人が謝罪要求するのは何か他の政治的な意図があるのではないか、とも思う。
例えば、韓国の場合謝罪すれば和解するというより、歴史を曲げて、竹島は韓国のものだ、とか、親日朝鮮人は少なく、反日朝鮮人ばかりだった、というようなことを認めないかぎり和解とみなさいのではないか、とも思う。
ただ、論者の意見とは違い、私は、国家として謝罪する、というのが国際的な潮流になりつつある、とみている。
また、日本に対する謝罪要求というのは、かなり国際的には説得力をもつカードになっている、とも見ている。
ならば、連続面もあることであるし、過去の批判とセットになっている面もあるから原則、謝罪はすべきだと思っている。
もっとも、無限に謝罪を要求されるいわれもないし、中国南北朝鮮の政治的思惑を遮断する必要がある。
そこで、過去の大戦に係わらなかった者同士、中国人も韓国人も朝鮮人も日本人もアメリカ人もイギリス人も・・・同じ基準で各国の行状について批判する作業にとりこんでいくことが必要だと思うのである。
事件の後数十年経ってから生まれた者同士、不連続面からすれば、日本人も韓国人も中国人も日本による慰安婦搾取に対して、韓国による慰安婦搾取に対して、南京虐殺に対して、チベット人虐殺に対して、ベトナム人虐殺に対して、ほぼ同距離にあり、同じように取り組んでいける問題であろう。おまえも同じようなことやっているからおれは悪くない、というのではなく、おまえの国もおれの国も過去に同じように悪いことをした、そうしたことが起きないように共に協働しよう、というほうが建設的だと思う。
先頭に述べた類のリベラルや保守は各国のナショナリズムに寄与しているだけで、なんら生産性がない。
【代表質問】尖閣で「中国に誤った教訓与えていない」と菅首相
2010.10.6 14:39
首相、小沢氏本人の判断見守る姿勢に終始 (2010年10月7日00時02分 読売新聞)
【菅ぶらさがり】小沢氏処分の有無「党幹事長が検討」(6日夜) (1/2ページ)
2010.10.6
この男のこうした下駄を預ける態度が、「何がしたいのかわからない、日本をどうしたいのかわからない」という論評につながる。
期待はずれだった。
朝鮮学校への補助金、5都道府県で見直し検討 高校無償化
2010.10.6 21:12
無償化以前に補助金がすでにでているところにも注目
ステージ風
北朝鮮女性たちが中国領内で人身売買の犠牲となっていることを取り上げたアメリカ議会の動きの続きです。
日本の政治家、とくに女性の権利の擁護を売り物にしている岡崎トミ子、千葉景子といった民主党の女性たちはなぜ北朝鮮の女性の人権蹂躙を問題にしないのでしょうか。
まったく不思議だ。
前回の朝日でもそうだが、どうも中国や南北朝鮮の右翼の霊が取り憑いているようなリベラルが日本にいて、中国、南北朝鮮の悪行に関しては眼をつむる、という奇妙な傾向がリベラルの一部にはある。
他方、米国の右翼の霊が取り憑いているような日本の右翼がいて、米国の悪行には目をつむる保守がいる。おかしな傾向である。
例えば、慰安婦問題ならそれと類似の問題は加害者がどの国でも被害者がどこの国民でも非難されるべきものは非難されるべきなのである。
中国や南北朝鮮に対する思い入れから、あるいは米国に対する思い入れからそれができないとすればやはり、それは間違っている。
国家と国民、国家の一部の政策・行為と国家の全体は区別すべきだ。
中国、南北朝鮮、あるいは米国に対してひとかたならぬ思い入れがあり、友好関係を保ちたいのはいい。
しかし、その国家の一部の行為を非難したからといって、その国民に憎悪をもったりするのは間違っているし、あるいは、その国家全体と友好関係を保てないわけではない。
韓国欧米から慰安婦問題で非難されても、日本は韓国欧米と友好関係をたもっているではないか?
なお、ここでも関係を重視して、正当な主張を譲歩してしまっている点に注意。
中国の尖閣侵略行為を非難したからといって、中国と友好関係を保てないわけでもないし、そうした事件にもかかわらず友好関係を保つべきであるし、そうした事件があるからこそ国民同士は友好の絆を深めるべきなのである。
韓国の慰安婦問題を取り上げたらといって、日本の慰安婦問題が帳消しになるわけでもなく、韓国と友好関係がたもてなくなるものでもない。
関係を重視し過ぎて顔色を窺い、幼稚な癇癪をおそれるのは卒業しましょう。
ちょっと関連して、
尖閣で問われているのは、歴史認識ではないのか?
2010年09月27日
私論ですが、戦前戦後を通じて「国体が連続している」から戦前の歴史認識の自己弁護をすべきという立場も、「国体が連続している」から現在の政府や国民が謝罪の主体となることで倫理的正当性を確保しようという立場も、もはや無効なのではないでしょうか? 高度な心理戦や外交戦はそんなことでは戦えないのであって、「戦後の平和国家としての実績により国体は浄化され」戦前との間には不連続があるのであるから、戦前の日本が起こした様々な事件に関して、現代の価値観に照らして許されない点は「国際社会と共に批判する側に回る」という立場に立つべきではないでしょうか? 例えば法治や近代的な人権という価値観から、国際世論を味方にしてゆくためには、その方法しかないのではないか? 改めてそう思い始めた次第です。
国際社会と共に批判する側に回る、というところは賛成である。
ただ、連続と不連続で択一問題で割り切れるか、というとそうもいかないだろう、と思う。連続面も不連続面もある。
憲法も変わり、先の大戦に主体的に係わった国民もほとんどいなくなった、などという点では不連続がある。 この意味で、日本人もアメリカ人もイギリス人もそれぞれの国が過去に犯した罪について同様な立場に立てる、その立場にたって、同様な基準でそれぞれの国家の過去の行状について批判をしていくべきである。
他方、国土・地域の連続性がある。また、変様・消滅もあるものの、先祖代々、バトンタッチしてきた信念や価値観の連続性もある。現代の日本人と日本人の先祖との連続性関係性は現代日本人と例えば、スコットランド人の先祖との連続性・関係性より圧倒的に濃い。だから、日本の過去の行状に対して日本人として全く無縁です、とも言えない。
その意味で、歴史をもつ地域の共同体、共同体の(過去・現在・未来の)成員との関係性を個人が深く感じれば感じるほど、自分が犯したわけではないにも係わらず、自国の過去の行状に対する非難と被害者に対する謝罪はある程度セットになってくる面もある。
現代においても謝罪の主体になるような姿勢を続けていても、日中の世論の和解には何ら貢献しないのではないでしょうか?
最終戦争のはずの第二次大戦に敗北しつつも国体を護持した結果、現在の国体もまた汚れを背負っており、永遠の謝罪者であることが倫理的な満足感になるという人生観、価値観に関しては今なお世論や現政権に強い考え方であることは間違いないと思います。それはまた、日本国内の多様性を担保する効果も担っているのも事実です。ですが、国境を一歩出た途端に、この発想法は国益にも寄与しないばかりか、精神的な尊敬を勝ち得ることもほとんどないことを直視するべきだと思います。
中国南北朝鮮などの謝罪要求に関していえば、当然、という人もいる。
だが、私は、広島の原爆投下が巨大な市民虐殺であると思っているが、しかし、あのような市民大量殺害がどこでもだれによっても起きないようにすることが重要だと思うだけで、謝罪要求に意味があるか疑問に思っている。だから、戦後生まれの中国人や南北朝鮮人が謝罪要求するのは何か他の政治的な意図があるのではないか、とも思う。
例えば、韓国の場合謝罪すれば和解するというより、歴史を曲げて、竹島は韓国のものだ、とか、親日朝鮮人は少なく、反日朝鮮人ばかりだった、というようなことを認めないかぎり和解とみなさいのではないか、とも思う。
ただ、論者の意見とは違い、私は、国家として謝罪する、というのが国際的な潮流になりつつある、とみている。
また、日本に対する謝罪要求というのは、かなり国際的には説得力をもつカードになっている、とも見ている。
ならば、連続面もあることであるし、過去の批判とセットになっている面もあるから原則、謝罪はすべきだと思っている。
もっとも、無限に謝罪を要求されるいわれもないし、中国南北朝鮮の政治的思惑を遮断する必要がある。
そこで、過去の大戦に係わらなかった者同士、中国人も韓国人も朝鮮人も日本人もアメリカ人もイギリス人も・・・同じ基準で各国の行状について批判する作業にとりこんでいくことが必要だと思うのである。
事件の後数十年経ってから生まれた者同士、不連続面からすれば、日本人も韓国人も中国人も日本による慰安婦搾取に対して、韓国による慰安婦搾取に対して、南京虐殺に対して、チベット人虐殺に対して、ベトナム人虐殺に対して、ほぼ同距離にあり、同じように取り組んでいける問題であろう。おまえも同じようなことやっているからおれは悪くない、というのではなく、おまえの国もおれの国も過去に同じように悪いことをした、そうしたことが起きないように共に協働しよう、というほうが建設的だと思う。
先頭に述べた類のリベラルや保守は各国のナショナリズムに寄与しているだけで、なんら生産性がない。
【代表質問】尖閣で「中国に誤った教訓与えていない」と菅首相
2010.10.6 14:39
菅直人首相は6日午後の衆院本会議での各党代表質問で、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件における政府対応に関し、「国内法に基づいて適切に対応した。中国に間違った教訓を与えたとの指摘は全く当たらない」と述べた。衝突時の様子を収めたビデオ映像の公開については「捜査状況や国会の要望を踏まえ、捜査当局において適切な判断がなされると思う」と述べた。
首相、小沢氏本人の判断見守る姿勢に終始 (2010年10月7日00時02分 読売新聞)
【菅ぶらさがり】小沢氏処分の有無「党幹事長が検討」(6日夜) (1/2ページ)
2010.10.6
この男のこうした下駄を預ける態度が、「何がしたいのかわからない、日本をどうしたいのかわからない」という論評につながる。
期待はずれだった。
朝鮮学校への補助金、5都道府県で見直し検討 高校無償化
2010.10.6 21:12
北朝鮮影響下の思想教育や反日教育が行われている朝鮮学校に対して、教育内容のチェックなしに27都道府県で計8億円の補助金が支出されていた問題で、このうち5都道府県が補助金見直しを検討していることが6日、産経新聞の調査で分かった
無償化以前に補助金がすでにでているところにも注目