Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

あくび

2009年08月09日 15時26分09秒 | Weblog


August 8, 2009
‘We don’t count the women’ ― gender inequality in Japanese companies


 好きだよねえ。こういう記事。一種の日本論といっていいだろう。これ書いた次の日の記事だから、なおさら妙な気もする。
当たっているところもあるが、へんなところもある、そして、全体としては、あくびがでるほど型にはまった記事である。

まず、掲載された写真は、清掃業のおばさんらしい。
欧米では清掃業というのは外人がやる仕事として蔑視されている。(掃除当番参照)
日本のおばさんがその清掃業をしている写真を掲載する。
なんとなく、記事の傾向と偏向が予測できる。
日本では評価はいろいろあろうが、おじさんもおばさんもやる。職業に貴賎なし、という倫理も一部残っている。学校では生徒が掃除をし、場所によっては校長が進んで生徒と一緒に掃除をするところもある。



The new chief executive of one of Japan’s larger companies sat up late into the night recently puzzling over the accounts. He simply could not work out why there seemed to be so many more people working in the office than appeared on the books.

An assistant explained it to him the next day: we don’t count the women.

ある大会社の新しい主任が、名簿の数より実際に働いている人のほうが多いので訝しがっていた。
次の日、補佐が言うには、「おんなは数にいれてません」
ーーーーーーーーほんまかいなああ?
補佐が知っていたなら主任も知ってただろう?それ以前にそんなこと言うかいな?


Gender equality advocates and women’s groups say that, for as long as anyone can remember, the Japanese political world has done much the same ― ignored the interests of half the population, discounted their talents and squandered an economic goldmine.

日本の政治は女性の才能を無駄にしてきた。
ーーーそういった面があることは否めない。

Those same groups believe that the August 30 general election, for which unofficial campaigning begins today, may represent the single biggest opportunity to subvert a system that feels structurally and emotionally pitted against women・・・・

今度の選挙で自民党のじいさんたちが落選して、民主党になればそれも変わる期待が大きい、と。
ーーーどうかな?


Particularly in need of revolution is corporate Japan, which she condemned as a serial waster of female talent. Toyomi Fujii, the secretary general of the Tokyo Women’s Union, spends her days battling workplace discrimination that she says “is so bad there are no words to describe it”.

特にひどいのは、会社での女性の待遇で、そのひどさは「言葉にしようがないほど」と女性ユニオン東京の藤井豊味氏

 活動家としての気持ちはわかるが、そうした言い回しで、また、バックラッシュを受けないか、どうか?
 
Second-class citizens

 あとは、海外特派員が大好きな石原慎太郎氏の言葉などを引用しながら、日本では女性は一段と劣った市民とされている、という例があげている。

 こうした記事に相当するものを書くとすれば、例えば、「英米における人種不平等、有色人は数にいれない」とかタイトルで、黒人のホームレスの写真を掲載。
嘘か本当かわからんような体験談を載せて、
黒人活動家の話を二,三紹介。
そして、いかに英米が白人支配社会であるかの指標を示す統計やら、具体例、政治家の発言を書いて、いっちょあがり。
 まあ、悪くはない。悪くはないが、英米の記事といえば、こうした型にはまった視点ばかり、というのもあくびものだろう。

 それはともかく、

  日本では古くから女流作家など社会で高い評価をうけてきたし、欧米からの女性解放運動も紹介され、また、ある程度実践されてきた。

 男女ともに、表現の自由もあるし、政治の自由もある。

 にも係わらず、結果として、社会に与える影響力の指標などで、欧米と格差があるのも事実である。

 これを日本のフェミニストの怠慢とみるのも、日本の男性支配の強固さとみるのも一面的すぎよう。

 また、伝統的な役割を選択する女性たちを一概に非難することもできないし、社会的洗脳の被害者としてのみ把握するのも皮相であろう。伝統的な役割を果たす中で、貧しいながらもちっぽけな愛のために、懸命に生きてきた家族も多く、そこに人生の意義を見いだし、また、それなりに充実した人生を送ってきている男女のことも忘れてはなるまい。
 
 社会のどの分野においても女性の才能が活かされるべきであるし、女性だからといって差別されるべきもないし、そうした傾向を是正すべき方策も採るべきではあるのは当然である。そうした面で活動されている人々には最大限の敬意を払いたい。

そして、今後は、イデオロギーよりもむしろ、経済的な必要性からも、働く女性がもっと、もっと増加するだろう。そのさいに、子供を持った人でも、持たない人でも、男性も女性も働きやすい公平な職場環境を整備していくことは必須であろう。

 ただ、結果の平等まで目指して、男女の人口比に比例した社会的地位を配分していく、というのも行きすぎだろう

 伝統的な役割を選ぶ人、新しい役割を選ぶ人、双方あってよいし、その双方の選択を不当に妨げないような社会が望ましい。ただ、その結果、欧米の傾向と合致していなかったからといって、当該社会では、正義が歪められている、ともいえまい。また、こうした面で、各国を単純に欧米の傾向に同化させよう、同化すべきだという視点もいかがなものか、という思いもないわけではないのだ。

なおJapanese company makes Harvard graduates serve tea (Japan Probe)も参照

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被爆国だから

2009年08月09日 07時09分30秒 | Weblog
首相の「核の傘」必要発言、撤回要求へ 長崎の被爆者

 麻生首相が「核の傘」が必要との認識を6日に示したことに対し、長崎原爆被災者協議会(谷口稜曄(すみてる)会長)は「被爆国の首相としてあるまじき発言」だとして、撤回を求める方針を決めた。長崎原爆の日の9日、被爆者団体の要望を首相に伝える場で、谷口会長が要求する。

 首相は広島原爆の日の記者会見で、日本が米国の「核の傘」に守られている現実について「核で攻撃しようという国が隣にある。抑止力を持つ米国と同盟を結んでいる現実を踏まえないと。一方的に誰かがやめたら相手もやめてくれるという世界ではないと思う」などと述べた。


これは麻生首相のいうとおりだろう。

 被爆国だから、被爆の凄惨さや狂気を知っているとして、そして、だから、持たない、持たせない、という活動をするのはいいとして、それだけでは、、持たせない、という部分にこれまで、全く実効性がなく、極端にいえば、再び被爆される可能性を増長させてしまったわけだ。

 被爆国だから、被爆するとこんなに悲惨だから、といった呪文を唱えていれば、周囲が感服して、銃を置いてくれる、といった世界でもない。原爆の凄惨さを訴えようものなら、かえってファックユー Japan started the warとわけのわからない返答がくることも多い。

 少なくとも国民が再び被爆されないような、実効的な方策を提案・実行していくのが、責任ある政治家の役割であろう。

 また、核の傘に入ったからと言って、あるいは、核武装したからといって、核を使用したいわけでは全くない、のは言うまでもない。

 

1) 原爆はこんなに悲惨な兵器である
2) 我々は被爆国として、それを知っている。
3) にも係わらず、核兵器を保有して威嚇している国々がある。


で、1)2)から、当然には、、わが国は核武装すべきでない、核の傘にはいるべきではない、などという結論にはならない。

 現実から目をそむけていれば、こわいものがなくなってくれるだろう、と言った態度はあまりにも幼い反応である。