こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

うわ、すごい人出。

2020年05月31日 | 日々思うこと、考えること
母方の祖母の命日。妻と娘で、久しぶりに墓参り。曇りでたすかった。

墓参後、近くの園芸店を訪ねた。初めて行くところだったが、結構有名な店で、入場制限などが行なわれていて結構混んでいた。子ども連れも多かった。解除後の店舗の混雑というのを、中国からの報道で知っていたが、これかと。
自分の机の上に置く多肉植物を探したら、手ごろなリトプスがあったので買うことにした。レジに並んだら、けっこうな列でびっくり。フィジカルディスタンスをとる線が引いてあるが、私たちの後ろに並んでいた人は気がつかないのか線を越えて迫って来て参った。そうはいっても私たちも3人で並んでいたわけで。
買い物してから親父の顔を見に行った。調子はあまり変わらない。その帰り、ショッピングセンターに寄ったら込んでいて駐車場が満車で入れない。ああ、中はさぞ密なのだろうと、あきらめて帰った。
自分たちもこういう混雑を形成しているうちのひとりだと強く認識した1日となった。
明日からは電車もずいぶん混むだろう。
学校も再開

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マスクで頭痛、先が思いやられる

2020年05月30日 | 鎌倉暮らし
昼前に駅の近くまで妻と買い物に出かけた。とてもいい天気で、気分が良かった。
でも、人とすれ違うたびにマスクをしていなくてはならず、ちょっと面倒。
それでも、周りに人がいない間はマスクをはずして大きく息をする。若宮大路に出たら、すれ違う人も増え、マスクはつけっぱなし。
段葛の桜の葉はずいぶん繁ってきていて、丁度いい木陰ができていた。
買い物をすませ、駅の横を通ったら、NEX(成田エクスプレス)2編成が停まっていた。すこし前に、娘がそのことに気がついて教えてくれていたが、朝は停まっていないので私は知らなかった。日中の運行本数が減らされたため、大船の車庫に入り切らなくなったのだろうか。
それにしても苦しい、頭痛がしてくる。酸欠のようだが、メカニズムはよくわからない。春先まではこんなことはなかったのに、気温が高くなったことも原因の一つなのは間違いない。
考えてみると、私たちも行くときは比較的しっかりマスクをして、街中から帰ってくる人がアゴマスク、鼻マスクをしているのを呆れた目で見ていたが、いざ、こちらが帰る段となったらはずしたい。マスクをはずして帰ってきた人の気持ちがやっとわかった。

NEXをみた後に小町通りを横切ったら人がごった返していた。ここではすでに立派な密が形成されていた。じろじろ見るのも嫌だったし、密も怖かったのですぐに通り過ぎたが、どれだけの人がマスクをきちんとつけていただろう。そしてこの先気温が高くなったら、どれだけの人がマスクをちゃんとつけるだろうか。さきが思いやられる。
なるべく外に出ない

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朝のみずやり

2020年05月29日 | ガーデニング・菜園・花・緑
ここ数年の私の出勤前の朝食メニューは牛乳を入れたコーヒーとシリアルとヨーグルト。一昨日はシリアルをきらしたので久しぶりに卵かけご飯を食べた。ここのところバナナが加わって1本を1つのボウルに入れてかきこんでいる。妻が弁当を作ってくれている間にゴミ集めをやることが多いが、家庭菜園(といってもプランターor大きめの素焼き鉢だが)をやるようになってからは野菜と花たちへの水やりもしている。

ベビーリーフとかレタスなどはあっという間に育って、週末に摘んだときには、切りすぎたかと思ったぐらいでも、もうずいぶん立派に成長している。水やりを終えて、野菜をみると”ありがとう”と言ってくれているのがいる一方で、”もうちょっとちょうだい”と言っているようなのもいる。ホースを丸めてしまった後だと、ジョーロに水を満たして物欲しそうにしているところに水をやると、心なしか余計に元気に見える。植物への水やりはナスなどを除くと朝1回が基本だから、朝のうちにたっぷりやっておかなくてはいけない。

葉物野菜はほぼ毎日どれかを食べさせてもらっている、というか命をいただいている。植物というのがあの小さな種から育つなんて当たり前のことを考えてこなかったが、つくづく不思議な存在だということ、植物もまた生き物で変化するものだと、実感している。生きとし生けるものすべては一連の存在で、それぞれの存在意義、存在目的を理解すれば、お互いの意志も通じるし、自分の生きることの意味も見えてくる。
みんながんばって生きている

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CPC無事開催

2020年05月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨日、CPC(Clinico-pathological conference ;臨床-病理カンファレンス)を開いた。私が去年異動してきたこの病院ではこれまで開催された記録がなく、事実上第1回ということで、去年のうちから会議室の予約、コメンテーターの人選などを行なって準備を進めていた。

CPCは病院全体として行うカンファレンスであって、院内に広く開かれているから、直接の関係がない科の医師でも勉強したければ参加できる。このため、大きな会議室を使って行う。これは、どこの施設でも同じで、大学病院にいたころは200人ぐらい入ることのできる会議室が会場だった。残念ながら、今回は三密とならないように会場参加者は制限し、これとは別に院内LANに接続できるPCによるWeb参加を可能とした。おおよその人数だが、全部で50人ぐらい参加してくれ、有意義な勉強会となった。感染対策があり、開催するかどうかについてはどうしようかと悩むところもあったが、Web開催を併用して行うことで、会場参加者を半分程度に抑えることができてホッとしている。

医者の仕事は患者さんを診て、治療する、というのが基本であるけれど、それだけでは無い。患者さんに接している時間は少しでも、その何倍もの時間をかけて勉強している。さまざまな勉強方法があるが、科ごとの勉強会から、今回のようなCPC、さらには規模の大きい研究会、学会などと広がっていく。それぞれをどのように有効利用するかはそれぞれの医者の姿勢にもよるが、参加者の9割ぐらいは何らかの新知見を持ち帰っていると思う。医者にとってこのような機会をとらえて勉強するのは当然のことだし、教えてくれる人のいる環境というのは恵まれているとも言える。

私としては、次は病理学会での発表。残念ながら今回の病理学会はWeb開催となり、先輩、後輩、かつての同僚と旧交を温める機会は失われてしまったが、それはそれで仕方ない。もともと演説発表だったので、話術で一部カバーできると思っていたところもきっちりスライドを作らなくてはならなくなった。気を引き締めて取り掛かろうと思う。世の中は、徐々に元の生活にというような言い方がされている。まったくその通りで、たったの2日や3日で元通りにはならな。緊急事態宣言が解除され、環境は元の生活のようになったけど、行動はまだ控えめにしているべきだ。今やらなくてはいけないのは、COVID-19を受け入れていく中で、以前のような社会システム、生活を見直すことであり、第2波に備えて準備・点検をすることだ。
そなえよつねに

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布マスク配布を一刻も早く全世帯に!

2020年05月27日 | 自然災害・事故・感染症
緊急事態宣言が解除されたからだろう、特に帰宅時には電車、駅にノーマスクの人が目立って増えた。男性が多いような気がするが、車内でマスクなしでべちゃくちゃしゃべっている女性もいたので、なんとも言えない。この先、学校が再開されたらそういう学生が増えるのだろうと思うと気が重くなる。

厚労省が公表した、新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」の一つに、”外出時、屋内にいる時や会話をする時は、症状がなくてもマスクを着用”というのがある。これは、国として国民全員に要請していることであって、この国で生活している以上は従う”べき”行動といえるが、大人しく従う人は8割ぐらいで、残りの2割ぐらいの人は無視するだろう。そういう人に何か言ったところで、聞く耳を持たないだろうし、逆ギレされておわりだ。自粛警察なんてまったく割に合わない。それに、そういう人に限って「マスクが手に入らない」と開き直るから、それまでだ。でも、布マスクの全戸配布が終わっていたら、1枚はあるはずだろうと言い返せるかもしれないので、配布終了時点で政府としてはそのことを宣言して、国民全員に成果を周知して欲しい。あわせてマスクの着用を推進してもらいたい。

日本がどうして新型コロナウイルス感染の第1波をしのいだのかが、世界中からの注目を浴びている。HLAとかBCGとかの影響があるのかもしれないが、一番は感染機会が圧倒的に少ないからだろうと思う。元々ハグどころか、握手をする習慣も少ない文化だったのだから、濃密な接触さえ自粛すればそれで感染拡大を抑えることは容易だったのだろう。首都圏など、緊急事態宣言が出されるまであれほど混んだ通勤電車内で感染爆発が起きなかったのがそのことを証明している。どういう場所、状況で感染拡大が起こるのかはもうわかっているのだから、そこを抑えたら次も大丈夫だろう。当初より行なっていたクラスター対策は正解だったと思える。ただ、行動はある程度ガラス張りにせざるを得なかった。

「ラインコロナお知らせシステム」というのが始まったらしい。お店に入るときに、QRコードを読んでおけば、そこで感染者が出たとわかったときには連絡が来るという仕組みらしいが、県庁を介して行われるそうだ。どれほどの人が、堂々とそういった行動把握を受け入れることができるだろうか。スポーツ観戦、観劇、映画などはいいだろうが、おおっぴらに言いたくはない場所も少なくないし、そういったところの方が三密となっている可能性は高い。

1ヶ月後には、正常性バイアスにとらわれた人が今よりずっと増え、暑さも手伝ってマスク着用率はどんどん下がるだろう。マスクによる感染防止効果がそれほど高くないという意見がある。たしかにマスクをつけていても院内感染は起きてしまうし、他人にどれだけ感染させる可能性があるかなどわかったものではない。だが、マスクに効果は無いというのは屁理屈で、マスクのもつ本質的な意味は”感染拡大防止”のアイコンだと私は考えている。マスクをしていない人は感染拡大防止に非協力的な人ということになってしまうが、社会が集団免疫をつけるまでの数年間はそれに従っていくしかない。マスクをしているグループとしていないグループが棲み分けるようになるといいと思っている。
残り8割って

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自分だけは大丈夫?・・・正常性バイアスにとらわれてはいけない

2020年05月26日 | 生き方について考える
新型コロナウイルス(COVID−19)感染拡大防止のための緊急事態宣言が解除された。通勤電車には混雑が戻りつつあり、6月はじめからは宣言前の8割ぐらいに戻るのではないかと思っている。宣言解除の時期が早いという人、遅かったという人それぞれいるが、医学的、もしくは公衆衛生学的にはやや早いような気がする。だが、商売をしている人からしたら、人・物の動きがこのまま止まっていては死活問題だ、1日も早い解除が必要だったのだろう。

今の医学は、病気の患者に対しては、病巣、病原を完全に取り除くまでは、安静にさせて治療する。それは、入院という名の拘束だ。治りたい人は、医者の言うことに従って大人しくしている。今回は社会全体がCOVID-19という感染症に罹患している状態で、寛解とまでいかないが、この先何度かぶり返すでしょうが、仕事をしなくてはいけないから少しずつ治していきましょう、という感じだろうか。

近未来をモチーフにした小説、映画、アニメでは、いくつもの人類が滅亡、破滅の危機から立ち直っているのに、それがいざ自分のことになると大変な慌てようだというのは滑稽でもある。多くの人が病に斃れるという悲劇があったのちの世界の主人公たちに自分だけはなれると思っているから、彼らに自分たちの思いを投影することができるのだろう。だが、そうなれる確率はほぼゼロに近い。

こういう、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価することを正常性バイアスという。私自身の考え方もそういうバイアスがかかっているかもしれない。医者だから、感染症に対する知識はそこそこあるから大丈夫、というような思いなんてそうかもしれない。だが、そんなこと何の足しにもならない。この感染症は人類が力を合わせて立ち向かわなくてはいけない災禍であり、私一人が感染しようがしまいが大勢に影響はない。そのことをどうコントロールして自覚し、生きていくかを模索している。
痛い人にはならないように

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仕事の効率化、省力化を考える

2020年05月25日 | 電脳化社会
今日中にも新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大防止のための緊急事態宣言が全面解除されるそうだ。これが早いのか遅いのかは誰にもわからない。結果が全てだが、半年後、この国、世界がどうなっているかということは誰にもわからない。明日からの社会は宣言前に比べてどの程度に戻るだろう。いずれにしても、電車は混み始めるだろうし、街には人出が戻ってくるに違いない。

電車内でも、道を歩いていてもイライラすることが多くなると思うが、イライラしないように気をつけたい。私自身が他の人にとってのイライラの元になっているということを自覚しなくてはいけない。電車も道路も街もすべて、色々な立場の人が同じ公共財を利用している、何事もお互い様と考え、被害者意識を持つことなく、冷静に行動したい。

わずか数カ月の間に、社会は大きく変わり、新しい生活様式にいち早く適応した人もいれば、それができない人もいる。”来るべき”ICT(Information and Communication Technology)社会に備えていたら、いきなりそれが目の前にやってきて大忙しの人がいる一方で、ICT化の遅れが致命的な人もいる。政府が推進していたキャッシュレス化は大当たりの施策だった。私の仕事にもICT化をどうやって導入することができるかを真剣に考えている。在宅勤務を週に1日取り入れることで、半日分の時間が稼げる。

仕事の省力化、効率化ということを、なんとなく”努力””根性”の欠如、サボるための行動、のような感じで捉えていたかもしれない。もちろん、失敗が許されるわけでもないが、ICT化は過程が記録される分、失敗への過程も残る。それが次の成功への足がかりになるかもしれない。この時代の大転換機を逃さず波乗る人というのが次の成功者となるのだろう。IT長者でも成功する人、失敗する人というのが分かれているのも興味深い。
時代遅れか先端か

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久しぶりの晴天

2020年05月24日 | 鎌倉暮らし
朝、新聞を取りに玄関ドアを開けたら昨日のアオダイショウがクレマチスの上でねそべっていたが、次に見たときには何処かに行ってしまっていた。新聞配達の人は気が付いただろうか?アオダイショウはいなかったが、今日はトカゲを2匹見た。子育ての時期、みんな忙しそうだ。
久しぶりにいい天気。朝のうちに、ベビーリーフとブロッコリーを摘んで、朝食にした。
幸いまだ蚊が出ていないので裏山(お隣さんのこちら側の崖)の手入れを。先日植えたアジサイがみえなくなってきたので、周りの下草を取り除いた。
買ってきたアジサイをすぐに地植えにしたのでよくなかったかと心配していたが、案の定、一部花や葉が痛んでいた。来週あたりは蚊がたくさんになるだろうからやってよかった。
夕方になって、妻と近所を散歩。相変わらず道路は空いている。昼間すいている道路を狙って暴走族がやってくるのが困る。今日も昼も夜も爆音が市内に響きわたっている。せっかく家に巣篭もりしているというのにいい迷惑だ。
緊急事態宣言が解除される見通しだそうだ。急いてはことをし損じるというが、大丈夫だろうか。とはいっても、経済的にもう限界ということか。明日からまた電車が混むだろうと思うと、少し悲しく、怖い。
地区の掲示板にあった鎌倉市のポスター

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次はアオダイショウ

2020年05月23日 | 日々思うこと、考えること
わが家にトンビまでやってくるようになったということを昨日書いたが、今日はヘビが出た。
玄関前のアプローチの木を見たらアオダイショウがゆっくりと降りてきた。1.5メートルぐらい。驚いたが、ぐぐって調べたらアオダイショウということがわかってホッとした。どこかいかないかと待っていたら、やがて道路に出た。
また、この後戻ってきて、裏山の方にいってしまった。
夕方、妻と買い物に出たら、意外と人が出ていた。マスクをしていない人もおおかった。
明日は晴れ

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コロナショックは鳥たちにも

2020年05月22日 | 鎌倉暮らし
鎌倉といっても私は山のほうの住民なので、海岸線の国道の渋滞とか、自粛を無視して繰り出すサーファーのこととのかかわりは実はあまりないし影響を受けることもない。SNSにはそのことに苦言を呈する自粛警察のような方がいて、色々発言しているが、それぞれの方の名前までは憶えていない。自粛しない人にしても、自粛警察の人にしてもそれなりの確固たる信念があるので、考えを変えることはないだろうから、読むだけにして意見を挟むことはしていない。

神奈川県からの情報だと鎌倉駅周囲の人では自粛前に比べて3,4割ほど減っているらしい。減少した人の多くは観光客だろうから、観光業界は大変なことになっているのだろう。できることといえば地元支援ぐらいなので、行きつけのレストランのテイクアウトメニューを食べているが、残念ながらそうそう続けられるものでもない。観光客が減っても、私にはそれほど関係ないし、歩きやすくていいぐらいに思っていた。ところが、観光客減少の余波は意外なところにも現れていた。

以前からベランダに餌皿を置いて、小鳥にエサをやっている。以前はシジュウカラとスズメが半々ぐらいで、最近はガビチョウもやってくる。メジロはごくたまに、ウグイスは声だけで見ることはない。最近ではスズメがのしてきていて、子供を連れて一家でやってくる。本当はシジュウカラに来てほしいのだが、スズメでもいいかと見守っていた。ところが、困ったことに、最近エサを狙って、リスがやってくるようになった。リスは皿に顔をつけてあっという間に平らげてしまう。このリス、初めはつがいの2羽だったのだが、子供が生まれたようで、今では大小3羽でやってくる。見かけると追い払っているが、四六時中餌皿を見張っているわけにもいかない。そして気がついた時にはきれいに平らげられている。
最近では、リスも生活があって仕方ないと思っている。だが昨日、トンビがこの餌皿の上にまできていると、娘から写真が送られてきた。トンビも子育てでエサが必要な時期なのだろう。この前にも来ていたから、よほどおなかが減っているのか。観光客が残して捨てるゴミが減っていて、足りないのかもしれない。かわいそうなことにこのエサを食べることはあきらめて飛び去ったらしい。私たちの仮定が間違っていなければ、コロナショックがトンビにまで及んでいるということになる。
新型コロナウイルス感染症は人間だけの問題だと思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。
バタフライ効果

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活動再開で仕事は倍になる

2020年05月21日 | 日々思うこと、考えること
関西地区の緊急事態宣言が今日、解除された。北海道と首都圏はまだ継続されるが、今月いっぱいぐらいでこれも終わるだろう。ただ、先行して解除された他の県での状況も関係したりするだろうから、予断を許さない状況ではある。

感染状況がコントロールされるようになれば社会も落ち着き、元どおりの活動が再開するところも増えてくる。まだまだネット上ではあるけれど、私の周りでもすでに色々動き出している。ここで、問題、というかちょっと慌てなくてはいけないことが出てきた。

というのも、この先元々予定されていた学会・研究会といった学術研究活動はそのまま日延べされずに行われる。Web開催もあったりして、これ以上の延期はない。それらはもちろん結構大変な仕事で、ときどき私はこの場で根を上げているが、どれも十分準備して臨まなくてはいけない。さらに、自粛期間中、というか、自粛は1月ごろから始まっていたので、それから今までの約半年近くの間で延期されてしまった学会・研究会も行われるようになるので、それらのことにも対応しなくてはいけない。

これって、通常の倍になるということだと気がつき、急に身の回りがあわただしくなった。コロナコロナでうつっぽくなっていたが、やる人はやっていて成果を出している人も少なくない。私も仕事の捗らないことを、歳やコロナのせいにしているわけにもいかないのだ。
うかうかしていたら、あっという間に期日が来てしまう。先延ばしは許されないわけで、私に求められていることを全うするため、気合を入れて、活動を再開しないといけないようだ。
のんびりなんかしてられない

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国家100年の計を持とう

2020年05月20日 | 日本のこと、世界のこと
 元気の出ない朝だった。覚えていないがなんだか嫌な夢を見て夜中に目が覚めてしまった。戦争は終わればその後には銃弾や爆弾の飛んでこない平和がやってくる。でも、COVID-19という新規の感染症に終わりは容易にやってこない。そんなことを考えると余計に目が冴えてしまう。この戦いに終わりはない。新型ウイルスの出現を戦いだと思うからそう感じるのかもしれないが、現実に起こっていることはそれに近い。でも、建物が破壊されることを目撃するわけではないし、1つの弾痕すら見当たらない。

 長い目で見たら、この新型コロナウイルス感染禍も人類滅亡とまでは至らずにやがては、人類が集団免疫を獲得し、平衡状態へと収束するだろう。でもそれは、何年も先のことだろうし、インフルエンザのように毎年ある一定数の人の命を奪いながら存続する感染症の一つになるだけだろう。それでも人類はそれまで、人類は戦い続けなくてないけない。でも、人類には”医学”という叡智がある。医学がこの新たな感染症に立ち向かう力をつけたら被害は最小限にとどめていくことができるに違いない。医学は人類最大の保険と言える。

 私が関わっている病理学は基礎医学と臨床医学を結びつける医学の根幹をなす領域だったが、今や古典的ないわゆる医学だけで行うものではなく、物理、化学、数学など多くの基礎研究の集積によって発展している。このことは、病理学だけではなく、すべての学問に共通したものであり、学問に垣根は不要となっている。多くの人材が縦横に活躍していく時代となっているが、この国の学問は果たしてボーダーレス化しているかという疑問を持つ。
 さらには、学問を支える人材の育成も十分とは言えない。歴代のノーベル賞学者が基礎研究への資金増を訴えるほど、日本の公的研究領域への資本投資は少ない。お金は出していると言っても、研究者の身分保障が不安定なままでは、優秀な人材は集まってこない。「この人なにやってるんだろう?」みたいな人の”なに”が大きな発見だったりするが、この国にはその余裕もなく、目先の結果ばかりが優先されている。

 国家100年の計、という言葉がある。もともと、人を育てるという思想を表した言葉で、似たような四字熟語に一樹百獲という言葉がある。一本の木を植えることで、将来多くの実りを得ることができるということだ。多くの優れた人材を育成することを私たち大人は考えなくてはいけない。いつの間に私たち大人は次の世代、人類の未来を考えなくなってしまったのだろうか。
 自分のことを棚に上げて、と言われてしまうかもしれないが、今はダメな大人が多すぎる。その見本が政治家だという、きわめて悲惨な状態にあるのがこの国の現状だ。
 こんなことばかり考えているから、元気が出ないのだろうが、考えることをやめてしまってはいけない。
頑張っている人はたくさんいるのに

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情報過多、情報錯綜

2020年05月19日 | 自然災害・事故・感染症
日曜日(2020年5月17日放送)のNHKスペシャル(『新型コロナウイルス ビッグデータで闘う』)では新型コロナウイルス(COVID-19)に関する1万以上にのぼる学術論文をビッグデータとしてAIにより解析した結果を放送していた。1月からこれまででこれほど多くの論文が出されているということに驚いた。英語論文だけでこれほどの数なのだろうから、各国語で書かれたものを加えたらもっと多い。これらの論文が正しい結果で、正しく考察されていたら問題はないし、ほとんどはそうなのだろう。それに、こうして解析したら、おかしな論文は弾かれてしまうだろう。

とはいえ、この数は個人レベルで対応できるものではない。そのためのビッグデータ解析だけど、SNSレベルで根拠のないデマを拡散されるとたまったものではない。COVID-19にはナントカが効く、とか、こうしたら免疫力アップ、とか、そういった情報が”一人歩き”してしまうと大変困る。一部の薬剤にしても、治験段階であるにも関わらず必ず効く特効薬であるかのように言われているが、正しい手順を踏んで認められたものではない以上、使用の適否の判断は難しい。

情報が錯綜してしまうと、人は疑心暗鬼となる。その結果の一つがトイレットペーパー不足であり、延長上にあるのは自粛警察だと思う。自粛の目的を、皆が正しく理解していたらいいのだが、では何が正しいのかということはそれぞれの人の判断に頼っている。これは、おそらく国や各自治体の長の多くがその意味を理解していないからではないかと思う。だから、外出自粛、移動自粛の真の目的が伝わらず、”自分のことなんだから放っておいてくれ”のようなことを言って、勝手気ままに動き回る人が出てくる。そして、そういう人と、家でじっとしている人との間に対立が生じる。さらには、同じように出歩いて監視摘発する自粛警察にまでなってしまう。

番組の中で紹介されていたので一番信頼できて、役立つ情報は、感染からしばらくは無症状で、症状がでてから5日前後が分水嶺となり、回復する人と重篤化する人がいる。重篤化の原因はサイトカインストームという免疫系の暴走だということだ。COVID-19による重篤化の機序がわかれば、それに応じた治療ができる。日本は最初の段階での医療崩壊を免れつつある。この先緊急事態宣言が解除されて、第2波第3波がやってくるだろうが、それまでの数ヶ月の間に態勢を整え備えたら、それらへも落ち着いて対応できるだろう。そのためにも今後一層の情報の整理、解析、対応が求められていくことになる。そしてそれは、学者とか医者とかそういう人たちだけの問題ではなく、一人一人の自覚と行動が求められることとなる。もちろんわれわれ医療従事者も仕事を離れたら一市民であるという自覚を持って行動しなくてはいけない。

アマビエの予言は?

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生きとし生けるもの

2020年05月18日 | 生き方について考える
昨日とは打って変わっての曇天。夜には雨になった。
野菜を育てていると大量の芋虫を退治しないといけない。日々、肉や魚を食べているのに、いざ自分が食べる野菜のために虫を殺さなくてはならなくなると罪悪感のようなものを感じてしまう。豚や牛、鶏を育てるために大量の飼料を与える。そうして得られる私たち人間の命とはどれほどの価値のあるものだろうかという疑問に至る。

生きることに必死なのは虫とて、植物とて一緒だ。それは”半”生命体のようなウイルスですらそれは同じだ。今、全世界を恐怖恐慌に陥れているCOVID-19がどこでどうやって生まれてきたかはわからないが、”半”生命体であっても一旦この世に生を受けた存在として”生き続けること”は存在命題となる。ウイルスだって生き残るのに必死だ。そして今のところ、戦況はCOVID-19の圧倒的勝利となっている。症状が重篤となるのは、糖尿病などの基礎疾患、喫煙者、そして高齢者だ。ウイルスにとって、こういう人よりも若く元気な人間に次々取り付いていけば生きながらえることができる。そういう人間を宿主にしている限りは問題ないのだ。

庭いじりをして、大小の命のことを考えるようになった。鳥に餌付けしているのだが、それをリスが食べに来る。いや、ドバトも来るし、カラスも来る。昨日のトンビももしかしたらスズメの餌を食べに来たのかもしれない。生きるのに必死なのは人間だけではない。
これまで生きてきて、こんなことに気がつかなかったということがたくさんある。医者というのは人間が生きること、人間が生き延びることだけを考えていればよかった。科学の進歩は多くの実験動物の命の上にある。ファージ、大腸菌、マウス、猿、その他諸々の命が人間のために費やされてきている。そして、私はそれらの命の上にある医学という学問の一翼を担い、人の命のことを考え、助けることをしている。
私の人生とは、いや、人間の存在というのは一体何なのだろう。
私は必死に生きてきたか

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蛍狩りとキボウ

2020年05月17日 | ガーデニング・菜園・花・緑
トンビが耳元で鳴いているので外を見たら、ベランダの手すりにとまっていた。何も知らない観光客が海岸で食べているものをさらっていくのはよくみるが、間近で見ることはあまりなく、改めて大きさにおどろく。
FBで友人から振られた”医療従事者プッシュアップ(腕立て伏せ)チャレンジ”。スルーするわけにもいかず、腕立て10回をスマホで自撮りして投稿した。
ゼラニウムに手を入れたり、家庭菜園の芋虫取りとか、あれこれ手入れをしていたらあっという間に1日がすぎた。何をやったということでもなかったと言ったら、妻に「みんなに声をかけたのだから大変だったわよ」と労われた。
夜になって、蛍狩り。やけに早くないかと妻に尋ねたら、「この前、スーパーで、小耳に挟んだのよ。今年は早いって言っていたわ。」ということで、娘と三人でいつものところに見に行った。いつもナイトを連れて行っていたのだが、今年はいなくて寂しい。
いったら、もう飛んでいた。しばらく見ていたら、あとから小さな子供を連れた家族がやってきたので、場所を譲った。

家に戻る途中でISS(きぼう)を見ることができた(JAXA | 日本実験棟「きぼう」/国際宇宙ステーション(ISS))。あちこちの家から、子供づれの家族が道路に出て来て空を眺めていた。

色々な意味で、自然に触れることのできた1日だった。
そういえば、蚊も増えてきた。
夏の足音が

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