こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ピーカン、でも大雨のち虹

2016年07月31日 | 鎌倉暮らし

連日のポケGOラッシュで混雑する鎌倉も、さすがに朝のうちはまだ人は少ない。ぶらぶらと、鎌倉駅まで歩いて写真を撮る。午後から天気は下り坂というが、そんなことが嘘のように晴れている。でも、あっという間に日は高くなって、黒犬のナイトの散歩にはつらい時間帯に入ってきた。

 家に帰り着いたのは7時過ぎ。もうすっかり陽は高い。

 ぽこぽこ浮いている雲が楽しげだ。

暑くなっても、日差しは嬉しい。青空に浮かぶ真っ白な雲。ああ、夏だ。

午後になって、もう一度町まで出て行ったら、海岸へ行く人の波。ずいぶんな数だ。

いつもの夏は、鎌倉は海を目指す人がほとんどなのだが、今年はポケモンGOのせいか、段葛、鶴岡八幡宮への出足も多い。

用事を済ませて帰ろうと思ったら、土砂降りの通り雨にあった。雨がやんでしばらくしてから、薄い虹が東の空にかかった。

 さあ、明日からまたがんばろう

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梅雨明け、青空。でも気がつけば夕暮れ。

2016年07月30日 | 日々思うこと、考えること

梅雨が明けた。まっ青な空に浮かぶ雲のラインがくっきりと見え、目の前に飛び出してくるようだ。

仕事にでるのがもったいなくなるほどの晴天。横須賀線からは富士山が見えた。前にも書いたことがある(2012年7月17日「7月の富士山」)が、7月に富士山が見えるのは珍しい。



今日は梅雨明け後最初の週末。通勤電車に乗る人のほとんどが、遊びに行く準備をしている。

病理診断科の部屋の窓からみえる空は建物の壁に切りとられたようになっていて、とても小さい。3月までいた郊外の病院とは大違いだ。

とはいっても、ちらっと横を見れば空が見えるというのはうれしい。

せっかくの晴天の土曜日だったけど、切り出し、診断、来週のCPCの準備と、論文の査読をしていたらあっという間に日が暮れていた。

病院を出たらまだまだ暑い。昼間はさぞ暑かったのだろう。今夜は隅田川の花火大会。浴衣を着たカップル、親子が東行きの電車に乗っていく。仕事でヘトヘトになった私は西へと帰る。

明日もいい天気になるといいのだけど。

査読のコメント、イマイチだった

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病理医と臨床医の違い・・・友人をみて思うこと・・・病理医に興味のある君へ(6/10-3)

2016年07月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

私は中堅私立大医学部の出身なので、大学の同級生には医者の師弟が多い。同級生の三割ぐらい、いやもっとがそうだったのではなかろうか。どうしても子供に“家業”をつがせたいと思う医者がそれだけ多いのだろう。勤務医だった私の父ですらそうだったのだから、開業医さんなど設備投資のことを思えばなおさらのことだろう。医業が家業というのも、生まれてきたほうにとっては迷惑な話だ。それでも真面目で気の弱い医者の子供は黙々と勉強して、なんとか私立医大ぐらいには滑り込む。医者という“立派”な仕事をしている親を見て、その親に説得されたりしたら断る理由はなかなか見つからない。

私のまわりを見廻しても、私立大医学部出身の病理医というのは国公立大医学部出身者より遙かに少ないように感じる。これは、家業としての医者を継ぐ人間が私立大学に集まる傾向が強いからだろうと思っている。だからといってはなんだが、このような中堅私立大医学部の卒業生で病理医になる医者はとても少ない。私は臨床医とはいっても勤務医の子供だが、それでも珍しがられた。私立大学出身の病理医で親が臨床医、とくに開業医という人は果たしてどのぐらいいるのだろう、知りたいものだ。

私が通っていた中高一貫進学校は、医学部への進学率が高かった。学年の二、三割が医者になった。この年になって、友人たちを見ていると、理三に進んだ奴も、旧帝大に進んだのも、地方国立に進んだのも、私立に進んだのも、みんなそれぞれ適当にやっているようにみえる。開業医の子供は多くが家業を継いでいて、そのまた子供を医学部に入れてかんばらせている。いくら家業といっても、医学部入試というハードルがあり、その先には国家試験もあるので、子供もなかなか大変だ。

高校の同級生で病理医が一人いる。地方国立に進んで、そのままそこにとどまって病理医として活躍している。数年前、講演会に呼んでいただき、少ししゃべらせてもらった。その時に話をしたら、病理医不足は地方も同じとこぼしていた。それはさておき、友人をみても、会えば学生時代の感覚に戻ってしまうので、病理医と臨床医との違いというのをそれほど感じることはない。

違いを作ろうと思えば違いになるし、そうしなければ何も違わない

 結局は個人レベル

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差別される立場に思いを

2016年07月28日 | 日々思うこと、考えること

差別される立場になって物事を考えてみたい。肌の色、性差、体格。ポイントは次から次へと出てくるだろう。
民族浄化などという言葉は歴史上繰り返し出てくる忌まわしい言葉だ。

私は日本人なので、欧米人からみると、肌の色が明らかに違う人間だ。でも、そんな私がその社会に入りたいと思ったとき、人種が違うということで拒絶されたらどんな気持がするだろうか。こういうことを考えるのが、想像力というものだ。

だから、障害があるということで、迫害されたり、ましてや殺されたりすることはあってはならない。不治の病にあるとか、年老いたとかということであっても同じだ。

 

そんなことになった世の中を想像したらどうだろう?自分が病気になったら、家族に障害者がいたら、両親がそして自分が年老いたら。そういうことを考えないということが、 自分本位ということだ。他者の気持に気がつかない、気づこうとしない。だが、そこまでなら仕方のないこともあるかも知れない。けれども、傷つけたり、命を奪ったりするようなことは、許されないことだ。

明日は我が身とも言う

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病理医と臨床医の違い・・・学会に参加して思うこと・・・病理医に興味のある君へ(6/10-2)

2016年07月27日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

臨床医と病理医が同じ学会とか研究会に参加することがたまにある。ほかにもそのような学会、研究会はいくつもある。以前は、そういった学会では病理医の方がなんとなくえらいのではないかなどと、とんでもない思い違いをしていた。思い違いの最大の理由は、病理医が顔を出す学会とか研究会では、話すテーマが病理の話になるからだった。そうすると、どうしても病理医がいろいろしゃべって、それを臨床医が聴くということになりがちだ。

ただ単に、勉強熱心な臨床医が知見を広げるために病理医の話を聴きに来ているのだとは考えていなかった。勉強熱心な臨床医は、臨床能力に加えて病理の勉強をやりに来ているのに、私は病理医でしかなかった。

 

だから、そういった学会や研究会に病理医として呼んでいただいて話をすることがあっても、聴衆への尊敬の念はどれほどあったのだろうかと心配になる。病理医として話すとき、「私の知っていりことはこれこれです、あとはあなたたちで決めなさい」と、臨床的な判断は彼らに下駄を預けていたし、臨床的にどうしたらいいのかを提案するときになって、おかしなプライドが急に頭をもたげて、知らない領域に踏み込むということに対して、急に卑屈になっていた。

 

一つの疾患、病態について、病理も臨床もあったものではない。立場によって、見方、考え方が違うというだけだ。ドクターズドクターであると同時に、同僚であり尊敬すべき医師である臨床医から、私はこれまでほとんど吸収しないで来たように思う。今回のタイトル、“学会(研究会)に出て思うこと”という、あくまでも学問としての医学という観点からは、病理医と臨床医との違いは無い、と断言できる。

 でも、病理医だけだと協賛がつかない

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福祉というもの

2016年07月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

神奈川県相模原市の障害者施設で、多くの入所者が殺されるという痛ましい事件が起きた。思いもかねない不運に巻き込まれた方々のご冥福をお祈り申し上げる。犯人の人物像や動機は今後明らかにされていくだろうが、どんな理由を作ったとしても、生きたいと考え、生きている人の命を勝手な考えで奪うことは決してして許されることはない。

日本は、医療、福祉を大事にしている国だ。そのせいで、財政は逼迫しているが、それでも何とかならないかと多くの人が頭をひねっている。

もう、破綻寸前という国の借金だって、社会保障費が予算の何割かをしめているほどだ。枝葉末節をみたら、いろいろな問題があるだろうが、助け合いの精神は保たれている。医療亡国論などというひどいことをいう役人もいたが、それはそれで悩んだ末の言葉だったのだろうと今では思っている。

私たち日本人は病気の人、年老いた人、そして障害を持った人皆を仲間として、救おうとして力を合わせて生きている。それが、日本人という優しい民族の国民性であり、いいところだと思う。だから、こういう事件が起こって、社会的弱者に対する変な、危険な考えがうかんだり、蔓延してほしくない。何故なら誰もが、いつでも弱い立場になりうるのだから。そして、そういった人たちが生きていくことを否定してはいけないのだ。

優生思想というのは危険だ。自分のいるレベルの世界を唯一無二のものとして、優劣をつけるということに、全く意味はない。オリンピックに出たはいいが予選落ちで帰ってくる選手は山ほどいる。だが、おそらくその誰もが、国家レベルの優れた能力を持っている。美人コンテストも100人集まって、順位をつけたらビリはいる。それが人間というものだ。だが、それらの尺度はほんの一部を見てつけたものにすぎない。誰もが、素晴らしい一面を持って生きているのだし、生きている価値がある。

 決して奪ってはならない

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病理医と臨床医の違い・・・医局にいて思うこと・・・病理医に興味のある君へ(6/10-1)

2016年07月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

このテーマを一言で話すのは難しい。

まず、問題となるのが”隣の芝生”現象。自分がいくら好きで選んで、好きでやっている仕事であっても、不満を感じることはある。そんな時、別の部署、職種の人のやっていることが羨ましく思えるということは、当然起こる。

そういうことが高じると、しまいには今やっている仕事がつまらなくなってやめたくなってしまうことまで追い込まれかねない。というわけで、このテーマは何をポイントにするか、とても難しい。

医局にいて感じる臨床医との違いといえば、医局の前に居並ぶ製薬会社のMRさんに無視されるということぐらいで、あとはそれぞれ一長一短だと思う。

考えてみれば、臨床医の間でも科によってそれぞれ違いを感じているし、同じ科の中でも違いを感じるものだ。

 みんな同じ医者ではある

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ポケモンGOをやってみた

2016年07月24日 | 鎌倉暮らし

NHKのトップニュースで流されたほどだった、ポケモンGO。ググったら、いきなりアプリとして出てきたので、ついダウンロードしてしまった。

息子と妻に次いで、我が家では3人目。まだ、試験期間中の娘は、終わるまではダウンロードしないようだ。

Facebookでは、まわりになかなか居ないなどとこぼしている投稿があったが、鎌倉はポケストップが比較的多いらしい。さすがは大きなテーマパークだけのことはある。少し周りを歩いたら、すぐにボールを補充することができる。

どうせすぐ飽きるだろうと思っているけれど、いざやってみると案外面白かった。

鎌倉を歩いている人の2割ぐらいは歩きスマホだった。このうちどのくらいの人がやっていたのだろうか。外国人も、日本人も手元をみるとポケモンの画面が映っている。そして、いい年をした、といっても私たちと同じぐらいの年の中年夫婦がそろってボールをぶつけている。

うーん、若干気持ち悪さを感じいつつ、自分もついつい、スマホの画面を覗き込んでしまう。

いい大人があまり夢中になるのはまずいと思いながらも、犬の散歩にかこつけて結構な距離を歩いてしまった。でも、家に引きこもっていた人を外に引っ張り出したのは凄いことだ。今年の夏休みは多くの若者たちがよく歩くことになるだろう。

 夜歩きする子どもたちがたくさん!!

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ダブルヘッダー

2016年07月23日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

カサブランカが五輪咲いた。花嫁さんのブーケのようだとは妻の表現。ひと月前頃は、ひょろひょろと伸びているだけでどうなることかと心配していたけど、ここ1週間ですべてが咲いた。この花を一日中、ずっと見ていたかったのだけど、今日はダブルヘッダー。

一つ目は朝から、某研究会。今年は当番世話人ということで、ワークショップを担当した。行きの横須賀線の中でなんとか仕上げて、スライドは60枚。発表は20分のはずだったのだが、ちょっと多すぎたか25分かかってしまった。さっさと終わるかと思ったら、ディスカッションが盛り上がってしい、40分の長丁場となってしまった.楽しく、ためになるディスカッションだったので、よかったのだが、いろいろあると緊張する、結構汗をかいてしまい、終わった時には脇も背中もびっしょりとなってしまった。おかげさまで、会はその領域の専門家75人を集めて盛会のうち無事終了した。

と、ここで帰りにどこかでビールでも飲めたらいいのだけど、その後は某疾患の診療ガイドライン作成の会議。こちらは、それこそ某疾患のコアなメンバーばかりが集まる(こちらはおよそ25人)。3年目の最後の年となり、いよいよ大詰め。病理診断のところはもう出来上がっているから、いるだけでいいと高をくくっていたら、病理もプレゼンをするということになっていたらしく、本日2度目のステージ(演台)へ。半年前に完成しておわったつもりになっていた原稿について、臨床からダメだしが出た。って、その原稿を書いた時と準備なしで臨んだ今日とでは、気合いが違う。ずいぶん押し込まれてしまったが、なんとかかわし、足りないところは宿題として抱えて帰ることとなった。

充実した一日だったが、やっとこさ長い一日が終わった。人前で話すのは、何度やっても緊張する。

その都度テンション上げたり下げたり

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祖父母のお出迎え

2016年07月22日 | あの頃のこと…思い出話

お盆でお墓参りに行った。ずいぶん暑い日だった。着いたときには何も聞こえないでいたのだけど、掃除をしているうちに、シジュウカラが機嫌良さそうにさえずり始めた。そのことに気がついた妻が「(コロ)健ちゃんがお墓参りに来たのが嬉しくてさえずっているようね」と言った。ホトトギスの声も聞こえる。

山のほうをみると、そのさえずり声がひときわ高くなったような気がする。

私は祖父母にずいぶんかわいがって育ててもらった覚えがある。私に物心が付いた頃から、東京に出てきた父の家で一緒に暮らしていたけれど、いろいと面白い人たちだった。祖父はその地方では大きな会社を曾祖父から引き継いでいた。先の大戦で、祖父は南方に行かされたり、終戦の年の春まで広島にいたりとかいろいろあったそうだが、一家全員生き延びて故郷に帰ることができた。終戦後、仕事を再開したが、ある知人の保証人となったことで、財産のほとんどを失うことになった。そのことで父もずいぶん苦労をしたようだったが、幸い屋号だけは残って商売を続けたらしい。そこで人のよい祖父に代わって商売をしたのが祖母だった。明治生まれの女性としては珍しく、女子大を出ていた祖母は、水を得た魚のごとく仕事に精を出して、父と叔父の2人を大学まで、卒業させた。

 

その後は比較的早くにリタイアして、あとは店をついだ叔父の店の店番ぐらいをして暮らしていた。その後、東京で医者としてそれなりに成功した父のところで年の大部分を暮らすようになった。2人とも明るく、他人に優しかった。少しつまずいたことのあった私に対しても、「ケセラセラ」と、生きることを言ってくれ、二十歳を過ぎた孫の頭を優しく撫でてくれた。人生、些細なことを気にしてもしかたないということだったのだろうか。戦争とその後の混乱期を生き延びてきた人にしてみたら、命の安全がある程度保証されている現代社会で起きていることなど、たいしたことではなかったのかも知れない。

お花を供えて、お線香を焚き、お墓にをあわせた。そのあと、お墓の向こうの山を見ると、まだ鳥のさえずりが聞こえてくる。そちらの方に向かって「ありがとう、じゃあ、またね」と言ってから、お墓をあとにした。

鳥のさえずりはまだ続いていた.

 いつまでたっても孫は孫

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年老いてからのガンという宿痾

2016年07月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

ガンの病理診断を毎日行っていると、この疾患の位置づけが近年急速に変貌していることを実感する。私はガンについてあれこれ語ることができるほどの専門家ではない。それにガンに対する考え方は色々な立場があり、私はここで多くを語りたくはない。でも、一つ神様を恨めしく思うことがある。それはほとんどのガンが高齢者に起こる病気であるということ。特に超高齢化社会の到来によって、そのことがより強調されてきたのだ。

 

死ぬということは誰ひとり避けて通ることはできないが、寿命が延びたことで発症するガンが増えている。80才を過ぎてからガンを発症して、そのための治療を受ける人は少なくない。一昔前なら、ガン以外の病気で天寿を全うしているような人が、生きながらえてしまったがためにガンに罹患する。



もう、十分頑張って生きてきた人が静かに人生の幕を下ろそうというときに、ガンを発症して、生検、手術、化学療法に放射線治療ときつい治療を受ける。肉体的にも精神的にもつらいだろうと思うのだ。この年になってどうしてこんな苦労をしなくちゃいけないんだと思っても、自分の命に関わることだから、どうしようもない。

 

治療をうけるかどうかについてはいろいろ議論があるけれど、ガンはあまりほうっておくわけにもいかない。体の中でできる部位によっては、都合の悪いことも起こるからだ。だから、多少なりとも治療しなくてはいけない。長生きするのが当たり前となった現代で、人間はずいぶん大変なことを背負い込んでしまったし、それを人間に課する神様のことが恨めしい。

 長寿=ガン死というわけではない

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笑顔でいよう

2016年07月20日 | 日々思うこと、考えること

今朝起きたとき、なんだか気分がすぐれなかった。別に職場が嫌なわけではない、仕事が嫌なわけでもない。強いて言えば道半ばな自分の姿を見たくないと思った。

今日だって、一日もいろいろあるだろうけど、気にしないで、考えすぎないで、あわてないでやっていこうと思う。

そして、作り笑いでいいから、一日笑顔を絶やさずいようと心に決めた。

ついでに、舌打ちもしないこと

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プラス思考の人と私の違い(3/3)

2016年07月19日 | 生き方について考える

朝起きたとき、機嫌が悪いことがわかる。前の日の疲れが残っているのか、今日の仕事が嫌なのか、理由はわからない。とにかく、気分はすぐれず、仏頂面が自分でもわかる。

あれ?これってダメじゃない、と思う。そして、そう思って、笑顔を作ってみようとした。だけどなかなか笑顔が作れない。おかしな笑顔を無理やり作って、家族と朝の挨拶をかわした。

これは人として生きていく上でのプラス思考につながるものではないかと思った。辛いときこそ笑顔になったらそれだけで楽しくなる、そうしたら、良い考え方も浮かんでくる。考えはプラスへプラスへと向かうのだ。そうすることで色々なことがよい方向に回っていく。なぜそう思うかというと、私のまわりのプラス思考の人は皆さんニコニコしている。顔を見ることができなくても、私がプラス思考の人だと思っている人の文章は楽しい。

“天然”にプラス思考でいることは難しいだろうけど、ちょっとだけ生き方、考え方を変えてみることで、“自然”にプラス思考でいることができるようになるだろうと思う。

 考え過ぎはよくないだろう

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久しぶりの土いじり

2016年07月18日 | ガーデニング・菜園・花・緑

この前出した本の著者紹介に、趣味『ガーデニング』と書いたわりに、ここのところやっているのはミニバラの寄せ植えの手入れだけ。これはこれで手がかかることだけど、土を実際にいじるのとはずいぶん違う。わが家は傾斜のある土地に建てたので、庭らしい庭というのはなくて通路の横の出っ張りや引っ込みにあれこれ植え込んでいる。そしてその作業も最近では妻に任せっぱなしとなっている。

これでは羊頭狗肉と、猛暑もものかは、花壇の手入れをすることにした。まずは、ヒマワリ3株を西側のアプローチの横に。安売りになっていたとはいえ、これはもちろん金運アップの願いも込めている。


次に南側の花壇。ここは花の根付きがあまりよくなく苦戦している。こちらも風水を意識してオフホワイト(エキナセア、ペンタス)とグリーン(ホスタ)のものを植えつけた。

やっぱり暑かったけど、熱中症になることもなく無事植え付け終えることができた。が、ここでホッとしてビール休憩したのがちょっと失敗だった。

疲れもあって、少しうたた寝したあと、気がついたらもう夕方。午後五時は明るいとはいえ、気温が少し下がって蚊が動き出す時間。

抜いた雑草だのの後片付けは蚊と戦いながらのこととなってしまった。それでも蚊取り線香をしっかり焚いてなんとか済ませた。

 

プラス思考の話は明日に

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プラス思考の人と私の違い(2/3)

2016年07月17日 | 生き方について考える

プラス思考の人が私と決定的に違うのは、「そんなふう(マイナス)に考えたって、仕方ないからそう考えない。」と自然に考えていること。とても簡単なことなのに私はこれまでそうしてこなかった。プラスとマイナス、まさしく磁石のプラス極とマイナス極のように一つながりのものなのに、なぜか私はいつも青いほう(マイナス極)へと流れて行ってしまうのはなぜなのだろう。考えれば考えるほどわからなくなる。

なんだか、難しい話になりそうだが、難しく考える必要はない。

ただ単に、物事をマイナスに考えなければいいだけの話だ。

そのことに気がつかせてくれたのは、私の尊敬する上司だ。

私が新しい職場に移って、病理医の数が二人となった。病理医の数が二人いるということが関係しているのかどうかわからないが、診断件数が今年度に入ってぐっと増えた。新しい職場にまだ不慣れな上に、件数も増えてちょっと不安な顔をしたら、上司も「去年よりは一割ぐらい増えそうだな。先生、大変だよ。」と言う。でも、そのあとの一言で私の目が覚めた。

「まあ、それだけ多くの症例に接することができるね」

ああ、そうか、これがプラス思考なのだ。

私は、病理医の仕事が大好きだ。顕微鏡を覗いていることは大好きだ。実際、今、毎日朝から晩まで顕微鏡にかじりついている。

好きこそ物の上手なれと言っても、油断大敵だ。

仕事が多いといって、そのことを大変なこと、めんどくさいこと、しんどいことと思ったとたん、それらのことは苦痛となっていく。

そんな時、必要なのは、そのことをありがたいこと、工夫することが楽しいこと、というように考える。一人でも多くの症例に接することが、自らの病理医の力を高めることにつながっていくことと思えば、仕事は苦にならない。

何となく、プラス思考というものを実感することができた瞬間だった。(明日、この話最終回)

 生きていく上で必要なこと

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