こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

困難を困難と思うから

2015年07月16日 | 生き方について考える

人生に困難はつきものである。というか、困難のない人生などない。

ではその困難とは何か。

すべての人生につきものであるというならば、困難とは誰かに限った不運ではなく普遍的な出来事に過ぎない。

 

例えば今日、台風11号が北上している。今夜には西日本に上陸しそうで、東日本にもずいぶんな雨を降らせている。で、この雨。私の頭上だけでなく、みんなのところに降っている。

悪天候はどこに居ても避けようがないものだが、誰もが受け入れなくてはいけない。

だが、やまない雨はない。雨がやむまでなんとかしのげば晴れの日が来る。

天気が気まぐれとすれば、人生もまたしかり。まっすぐの平坦な人生はない、というかあり得ない。

困難を困難と思うからつまらなくなる。

少しばかり雨が続くからといってくさったり、投げやりになったりしないで、そんな時もいつもと変わらずにいたいと思う。

それに晴れなくてもいい、雲の切れ間ぐらいはいつでもある。

困難を困難と思わない 
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今日はおやすみ

2015年07月15日 | ガーデニング・菜園・花・緑

あれやこれやと忙しいのと、暑さで頭がまわらないのとで、今日はお休み。

百合が咲き始めたので、今日はその写真だけ。

百合は連作を嫌うというけど、いちいち植え替えなくてもよく咲いてくれて、嬉しいです。

 

明日は台風? 

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SNSでの、人との‘つながり’

2015年07月14日 | 生き方について考える

「フェイスブック依存で、毎日投稿しないでいられない。」ということから、SNSを介した人とのつながりに言及している話をネットで読んだ。

不肖コロ健もこのブログに記事を投稿している。何のためかについては、この間考えたばかりなので、いまさら書く必要はないだろう。

私は“人とのつながり”を求めてブログを書いているわけではないが、人にむけて発信している、というなんだか矛盾したことをやっている。このブログを読んでくれている人の中には、私のことを直接知っている人も何人かいるだろうが、知り合いだけが毎日数百人の人が見に来てくれているということもないだろう。第一、私に知り合いはそんなにいない。

こういうつながりは、昔からある。代表的なのは小説家。小説家は、特定の“誰か”のために作品をものしているわけではなく、自分の好きなこと、心に浮かんだことを作品にしている。そう考えると、自分の思いを発信するというのは別にネット時代になったから新たに出現した現象というわけではない。

 

上記の記事の中で、「人が知りたいのは他人の不幸」というコメントがあった。私のことを呪い殺さんばかりに恨んでいる人も世の中には少なからずいるだろうから、そういう人にとっては日々私が落ち込んでいるのを愉しんでいるかもしれない。だが、私が不幸になることだけを心待ちにして日々このブログを読んでいる人が、数百人単位でいるとも思えない。

誰にでもつらいことはあるし、それをいろいろ悩み、なんとか折り合いを付けて生きていく。このブログはそんなことを伝えたいのだし、共感してくれる人も少なくないと思っている。世の中、他人の不幸を待ち望んでいる人ばかりではない。

 

とはいえ、人の幸、不幸に興味を持つことに良し悪しはない。小説なんて、不幸のオンパレードである。

ハッピーエンドがいいのだが
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暑かった。

2015年07月13日 | 日々思うこと、考えること

今日は暑かった。昨日は炎天下に30分ぐらい立っていたら少し頭がクラクラした。軽い熱中症にでもなったのだろう。両親や叔父叔母たちは大丈夫だったか心配になる。

夜になって少し涼しくなったのでよかったが、今朝起きたらまだだるかった。昨日の続きのようだ。

今朝は電車が遅れ、さらにはいつも以上に混雑して、気持ちも悪くなってしまって参った。目の前のおじさんなど真っ青な顔でぶっ倒れそうになっている。

私以外の人のまじめさに感心する。 スマホがおかしな色のランプを点滅させている。 何かと思ったら「今日は熱中症の危険性が高いのでご注意を」との警告。 確かに気をつけて一日を過ごそうと思い、駅前のコンビニでペットボトルを買ってから歩き出した。 ついこの間まで恋しかった青空がうらめしく思える。

少し遠回りになるが小川沿いの涼しい道、建物の影を探しながら歩いて病院の近くまでたどり着いた。 病院に着いたら、下着はびっしょり、ペットボトル一本分入れ替わったように思える。

結局今日の気温は35度を上回ったようだ。日が沈んでから病院を出たが気温はまだ30度近くあり、熱風のような南風が吹いていた。 明日も同じような天気らしい。着替えを持っていこうと思う。

あまり無理しないでおこう 
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生きる理由

2015年07月12日 | 生き方について考える

祖母の納骨式。

お墓の中には祖父の骨壺などもある。人はみな小さな骨だけとなる。

なぜ、生きるのか。価値観は人それぞれなので、一言で言い表すことはできない。

私はなぜ生きているのか。おそらく、自分自身のために生きているのではないと思う。

家族のため、仲間のため、医療を必要とする人のため。

 

だが、本当にそうだろうか。自分が生きていくのに何の理由が必要だろうか。

人は理由のために生きるのか、それとも理由などなくても生きていけるのか。たぶん、理由などなくてもいいだろう。

生まれるのは皆一緒だが、死ぬのは皆違う。老衰、自然死、殺人、自殺、戦争。

生きることは様々な形で終わる。

祖母は九十九年の人生、どんなことを考えながら生きたのだろう。

生きることに理由が必要なのかわからないが、理由がなくとも死ぬまで生きるしかない。

 

生まれてきた理由は?
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価値観の置きどころ

2015年07月11日 | 生き方について考える

人間にとっての幸せは一体何か。それはそれぞれの人の価値観によると思うが、まずは衣食住が安定していることが普遍的な幸せということになるだろう。だが、それらがある程度満たされたからといって幸せとは限らない。

価値観は人それぞれ、共通したものなどないのに、満足することができずに、あれこれもっと欲しくなって、かえって不幸になる人もいるだろう。

 

その幸せをねたまれることもよくある。人間社会、こちらのほうが多いように思う。こうなるともう、衣食住もへったくれも無い。

世間は無常ということを肝に銘じて、すべてのことを耐えながらやり過ごしていくしかない。

ここのところ、そんなことばかり考えている。

私は私 
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せっかく晴れたのだから

2015年07月10日 | 生き方について考える

かれこれ、10日ぶりぐらいに晴れた。せっかく晴れたので、世の中に日々流れるくらいニュースにとらわれず、明るいことを考えたい。

といっても、いつのまにか私もけっこうなスランプに入っていて簡単に明るいことを考えるなんてできなくなっている。

はためからみると元気そうな人も、実は悩みを抱えている、なんてこともあるので社会は難しい。やることなすことすべて充実している人というのはそもそもいない。

それでも、雨がやんでうれしい気持ちを大切にしたい。

いくら晴れたからといって、水たまりがすぐに消えてしまうわけではないわけだし。

 

 

上を向いて歩こう 
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ここのところのあれこれ

2015年07月09日 | 日々思うこと、考えること

雨続きで気分も落ち込んで、何も浮かんでこない。ここ数日におこった社会の出来事を書き留めておく。

新国立競技場の建設予算が2520億円:メンテナンス費用も1000億円を超えるらしい。国費(税金)と宝くじの売上であてがうとか。子供たちに借金は残したくないが、どうにもならないのか。せめて、経済の活性化につながるといいのだが。

ギリシャ債務不履行:IMFからの債務は2200億円。欧州中央銀行に4700億円、日本から調達した資金(国債:サムライ債)464億円。たくさんありすぎて、よくわからない。

中国株価下落:中国バブル崩壊となると、日本の小売業も大打撃となるだろう。これは困る。

子供の貧困:子どもの貧困を巡っては、厚生労働省の2012年調査で、世帯の可処分所得が122万円を下回り、「貧困層」とされる子どもが6人に1人 (16・3%)い ることが判明。母子家庭など保護者が1人の世帯では、更に割合が高い2人に1人以上(54・6%)に上ることが分かった(毎日新聞6月30日)。全国でこ のような子がどれほどいるのだろう。

新幹線内で放火:6月30日午前11時に男が新大阪行き新幹線のぞみ255号、新横浜小田原間で焼身自殺を図り、巻き添えで女性1人も亡くなった。サミット、ワールドカップそしてオリンピック。テロ対策をしっかりしないとならなくなるだろう。

 

ど根性ひまわり倒れる:きのうの風で倒れてしまっただろうか。今朝見たらひまわりが倒れていた。なんとも悲しい。

 

次から次へと
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闇夜の散歩

2015年07月08日 | 犬との暮らし

ここのところの雨続きにはうんざりする。

昼間の雨が多いようで、犬の散歩になかなか出られないらしい。たしかに、朝からシトシト降っていて出勤前の散歩ができないでいる。

ところが、ここ3、4日、夜雨がやんでいるということが続いた。

というわけで夕食後、11時ぐらいにフラットコーテッドレトリバーのナイトを散歩に連れ出している。

ひとけのない霧にかすむ住宅街、闇夜といっても街灯がついているので結構明るい。

とくに最近はLEDの街灯が増えていて、その下に入るとまぶしいぐらいだ。

10分ほど歩くと、夕食の時に飲んだビールが少し回って来て眠くなる。タクシーが時々走っているぐらいで、交通事故に遭うことは無さそうだが、側溝に落ちないようには気をつけないといけない。

眠くなると、ナイトがリードをくわえて引っ張ってくれる。そっとみると、私の方をチラチラ見ている。

可愛いものだ。

あまり心配させてもいけないので、最後はしっかり急坂を昇って家まで帰り着く。

それにしても、雨続き。今朝、雲の向こうにお日様の輪郭を見たが、ここ数日ほとんど拝んでいない。

いよいよ今日は一日雨続き、帰って来たら土砂降り。散歩どころではなかった。

 

地盤がゆるんで、裏山が崩れてこなければいいがと、真剣に心配している。

多少涼しいのが救い
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ど根性ひまわり 2015

2015年07月07日 | 通勤・交通・旅行

今日は二十四節気の小暑。いよいよ暑さも本格的になる。

そしていよいよひまわりの季節だ。ひまわりといえば、ど根性ひまわりなのだか、残念ながら、今年はど根性ひまわりはいない。

ここ数年、上の畑から落ちたとおもわれる種が力強く育っていたのだが、ついに今年はダメだったようだ。

そんなわけでここ数日、少々残念な気持ちで通勤していた。

ところが今日、この写真の手前、畑の壁越しに道路標識と同じ高さにヒマワリの花が見えた。

なんだかおかしな案配だと思って見にいったら、ど根性ひまわりだった。それもいつものよりも大きくて立派だ。

しっかりと電柱の横のほんの少しの土に根を生やして立っている。まさか、こんなところに種を蒔く人はいないだろうから、やっぱりど根性ひまわりだ。

後ろにみえる畑のひまわりたちと花の高さはほぼ同じだ。いくつか蕾もついていて、これからが楽しみだ。

ほんの少し、横道にそれてしまうが今年はこのひまわりを見守って、元気をもらうことにする。

 

七夕
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研究を続けるということ

2015年07月06日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

日々の業務におわれていながら研究を行うというのは、なかなか難しいことだと感じる。

一日の業務が終わった後、さあもう一踏ん張りというのには気力も体力も必要だ。同世代の先生で研究成果を出し続けている人を見るとすごいと尊敬する。

といっても、大抵は教授として若手に仕事をさせているわけで、自分でシコシコと手を動かしているようではだめだろう。

さらに、テーマをみつけて研究を行うというのも難しい。

大学院生の頃のように教授か、その下の誰かが指示してくれるというようであればいいが、いったんそれが終わってしまったら誰も面倒を見てくれない。自分で、何かテーマを探して、データを集めて、最低学会報告、うまくいけば論文にして世に問う必要がある。

世界中の人が血眼でテーマを探している中、日常業務を行いながらそういったものを探していくのは大変だ。データを集めるシステムを作る人もいるが、どうかと思う。それに、最近はお互いに牽制して、そういうことがそう簡単にできなくなっている。

研究活動なんて、やってもやらなくてもだれも何も言わないが、やらなければ、そのコミュニティーから追い出されかねない。

頑張れる人はより頑張り、頑張れない人は頑張らない道を選ぶしかない。

不詳コロ健、研究者のはしくれでもありたいと踏ん張ってもいるが、これ以上は無理かと弱気になることもある。

体を壊してもしょうがない
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恩師を訪ねて

2015年07月05日 | 日々思うこと、考えること

定年後、神奈川県内の山奥で第二の人生を送っている恩師を訪ねた。

晴耕雨読の生き方は現役時代の延長線上で、相変わらずひょうひょうとした生き方は私の人生の手本。

恩師の真似をすればいいという訳ではないが、こういった生き方もあるのだなあと山の深い緑、谷底の清流を見るとつくづく思う。

いろいろな生き方があるとすれば幸せだが、その中からどれをどう選び取っていくかは難しい。

結局はすべて自分で決めていかなくてはならない。

あっという間に霧がおりて、また晴れた。

 山奥で暮らす
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笑顔をもう少し

2015年07月04日 | 生き方について考える

朝、小雨のうちに犬の散歩。鶴岡八幡宮まで足を伸ばす。

風にそよぐ七夕飾りが美しい。

 

犬の散歩中、すれ違う人にはなるべく挨拶をする。大抵の人は挨拶を返してくれる。

で、その時が問題なのだが、すれ違ったあとどうも自分が笑っていないことに気がつく。

「無愛想」という言葉が頭をよぎる。

愛想のいい人は笑顔で応じるし、いつもにこやかでいて周囲の人の笑顔を誘う人も少なくない。

そうかんがえると、”スマイル”を0円で売っていたマクドナルドはたいしたものだ。今でもそうしているのだろうか。

いつも笑顔でいたいのだけど、なかなかそうできない。

気がついてから笑顔を作ってみるが、これもずいぶん間抜けな話だ。

 

家の前に続く坂道を上っていたら大きなカタツムリが道を横切っているのに出くわした。

カタツムリ自身はすごいスピードで進んでいるのだろうが、それでも横切り終わるまでにあと4、5分かかるだろう。いくら山の奥のほうとはいえ、車がいつ通るかなどわからない。

つまみ上げて横のフェンスの上に載せておいた。これなら大丈夫だろう。

でんでん虫 
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梅雨も後半戦にさしかかり

2015年07月03日 | 通勤・交通・旅行

朝から大雨。梅雨もいよいよ後半戦に入り、台風発生の知らせも聞く。

出がけにスマホを忘れ、いったん家に取りに戻るなどということをしてしまったので、いつもより二本遅い横須賀線に乗ることになった。

 

いつもと違う時間だと、都内のターミナル駅での勝手が違う。1本前の乗り換え電車に追いつこうとしても、通路は人でいっぱい、誰も追い越すことができない。

乗り換える電車ではすいている車両を探すが、どこもいっぱい。少しすいていると思って乗った車両は弱冷房車で、雨と相まって蒸し風呂のように暑い。

結局はぎゅうぎゅう詰めで、気持ち悪くなったところに、リュックを背負った学生が荷物を押しつけてくる。倒れそうになりながらもなんとか耐える。

 

電車をおりたら、涼しくてほっとひと息。だが、駅を出たら再び滝のような大雨。

こんな大雨の中を三十分以上歩くのもどうかと悩んだものの、ぎゅうぎゅう詰めの蒸し風呂のようなバスの車内を想像しただけで気持ち悪くなり、いざ歩き出す。

病院までの途中にある学校の学生が二三人横に並んで歩き、道をふさぐ。普段なら何とかなるが、今日は傘があってどうしようもない。それでもなんとか追い越すと、今度は前から小学生の大群。この子達だけは雨がうれしいようではしゃぎながら歩いている。

住宅街にさしかかると道路はどこも大きな水たまり。裏道を通り抜ける車の水はねよけながら歩く。

病院にたどり着く手前で、これではさすがに歩けなかっただろうと思えるほどの土砂降りになった。

 

帰り

雨足が弱いことを確認してから病院を出た。

出た時は降っていなかったが、念のため傘を持っていてよかった。近くの公園を通り抜ける時、木立からのしずくと思ったら、抜けても降っている。というか抜けたら、どんどん降ってきて、ついには土砂降り。場所によって強くなったり弱まったり。

駅に着いたら汗びっしょり。ズボンがべたついて気持ち悪い。

 だが、電車は比較的空いていて、じきズボンも乾いた。鎌倉駅に着いたときには雨は小降りだったが、遅くなってから土砂降りになった。

明日は持ち直してほしいがどうだろう。

予報はもちろん雨 
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スマホいじりにはご注意を・・・2015年6月の読書記録

2015年07月02日 | 読書、映画、音楽、美術

6月は一冊も本を読まなかった。

考えてみると通勤電車でスマホをいじっている時間が長かった。ブログの推敲をしたり、ニュース、ツイッター、フェイスブックを”なんとなく”読んでいたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。

ブログを書くといっても、書いてばかりでは文章力が枯渇する。独りよがりは発想を狭める。推敲もスマホの小さな画面でやるのは前後がよくわからなくなってよくない。

本を読んでいないのはわかっていたのだが、読もう読もうと思っているうちあっという間にひと月が過ぎた。早いものだ。

歩きスマホには注意しているが、そもそもスマホのいじり過ぎに注意しないと。

 

2015年6月の読書メーター
読んだ本の数:0冊
読んだページ数:0ページ
ナイス数:15ナイス


読書メーター

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