こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

時々立ち止まりながら生きる

2018年02月05日 | 生き方について考える

東の空が明るくなるのと、起床時間が同じになってきた。窓を開けると凍りつくように寒いけど、顔出すと少し先のお屋敷のケヤキが影絵のようで美しい。

先週末はゆっくり休むことができなくて残念だったけど、仕方ない。一緒に仕事(研究)をしようといってくれる仲間がいたらそれは快く引き受けるしかない。班会議が終わってからは都内の両親のところに顔を出し、迎えにきてくれた妻と一緒にあれこれ世間話をした。二人とも緩やかに体は衰えているし、話しているとちょっと噛み合わないこともあるけれど、まだまだ元気で嬉しい。

こうして毎日毎日は慌ただしく流れていくけど、このことをどう捉えたらいいのかわからなくなる時がある。昨日のように発表前にテンションが上がっている時は、自分の人生における立ち位置なんて考える余裕もないけれど、その準備とか、前後の過程で気がついたこと、誰かと話したことのいくつかは結構重要な問題をはらんでいて、まだ解決できていないことが多いと終わってから気がつく。さらには、自分の存在とは何か、なんのために存在しているのか、そして自分がそれらのことを解決できていないまま存在していていいのか、そういったことを考えることに意義はあるのか、それともそういったことを考える必要などないのか。喧騒の時間をすぎて立ち止まってみると静寂の中で我に返る。

今では、様々な手段で多くの人が考えを発信しているけど、それらをどう自分の中で消化していけばいいのか、それらの”思考”の嵐にどう立ち向かっていけばいいのか。誰も答えを持っていないに違いない。一昔前までは、高尚な哲学者が高尚な思索の結果をわかりにくい言葉で語っていたけれど、どうも最近の多くの人の考えというのはそれほど高尚でもないし、高尚である必要もない気がしてきている。そういう人々を”大衆”として片付けていることはできなくなってきている。全ての人の思考は平準化されつつあり、誰の考えは正しくて、誰の考えは間違っているというようなことはすでにあり得ない。コロ健が、自分の考えを開陳しているこのブログだって、一つの思考の塊で、思想といえるものだけど、一人の人間が日々これだけ様々な考えをして、妥協を含めそれなりに結論を出し続けながら生きているということ自体、説明がつかない。

自分のあり方、ありよう、とかいったものを考えた時、それをポジティブに捉えていくか、深く考えすぎて悲観的になってしまうかどうすべきかは難しい。一体なんのために生きているんだ、なんてことを考えて、絶対的に正しい答えを持っている人などいないから悩むわけど、考えること、悩むこと自体を避けてはいけない。日々仕事が忙しいからといって、考えることを回避していては、終わった時、自分は一体何をしてきたのだということになる。仕事の成果も大切だが、それ以上に目的、プロセスはもっと大事だ。それこそが自分が自分の中にだけ持つことのできる人生の成果だ。何かをしようとする時、熟慮するまでの時間を取る余裕なんてないかもしれないけれど、多少なりとも目的とか大義といったものを自分の中に持つ努力をした上で、取りかかるようにしたいと思う。そうすれば、誰かかわりがいたかもしれないけれど、そのことは自分でなくてはできなかったことと、自分に言ってあげることはできる。

大事なのは自分で納得すること

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
松本市 (美咲)
2018-02-06 10:43:03
コメントありがとうございます
長野のおすすめは
車山高原と松本市です。
冬は、寒すぎます。
松本市は、わき水があり、きれいな街です。
松本からきれいなアルプスが、みられます。
上高地もいいです。混雑してます。
ところで
素敵に年を重ねる
どういきたら、いいのかなあ。
野際洋子さんの真似をする。
どういきたら、いいのかなあ。
私は、明るくせい一杯、いきていく。
返信する
素敵に生きる (コロ健 to 美咲さん)
2018-02-06 19:38:25
ありがとうございます。
素敵に生きる、っていい言葉ですね。私は、自分に正直に生きていこうと思っています。
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