こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

時間とは誰のもの?

2012年09月12日 | 日々思うこと、考えること

あまりの忙しさに、昨日はキレそうになってしまった。

キレるといっても誰かに当たるということではない。

自分自身で、「ああ、もう自分の限界!」と、一人わびしく呻いてしまった。

まあ、それにしても無事家に帰り、夜中の大雨で目を覚まし、また寝て、結局のところ気持ちのいい朝を迎えることができた(あれ?昨日日本代表がイラクに1-0で勝ったから?)。

 

 

それにしても、時間がない。

 

ないといっても、誰の時間がないのだろう?

 

そもそも時間とは一体誰のものなのだろう?

 

「私の時間をとらないで!」などという言い草があるが、昨日などは朝から晩までずっとそんなだった。

物静かな病理医コロ健としては、標本をゆっくり落ち着いた気持ちで眺め、判らない所見があれば、教科書、論文を紐解いて調べ、また顕微鏡を覗いて、病気の成り立ちを考えながら、診断書を書いていきたい。

決して、キーボードに手をかけ、顕微鏡を覗きながら、教科書を膝の上に抱えて、診断書を打つ、などと言う、いったい何をやっているかのようなことはしたくない。さらに、追い打ちをかけるかのように、アポなしでやってくる臨床医、院内PHSで時間を寸断する臨床医などの相手をしていると、あたかも、私の時間が食いつぶされているような気になる。

 

 

だが、そうした時間は、本当に私の時間なのか。

 

私の時間も、私に用があってやってくる人の時間も、共通ではないのか。

 

すなわち、「私の時間」などというものは本質的には存在していない。

 

私たちが認識しているこの世界というものが、この世界に存在している物質の総和として存在しているのであれば、私も、私に用がある人も、等価の存在であり、そこに存在する時間というものも、すべての人のものである。

 

しかしながら、物質というものの観点からいけば、世界征服は可能であるが、時間を支配することはできない。

 

ドラえもんを生んだ未来に生きる人々は時間を行き来するまでは可能にしたが、生きている限り、結局のところある一点の時間にとどまることはできない。

未来であろうが、過去であろうが、そこに存在してひとたび活動すれば、老化、劣化は進行する。

 

時間というものが、所有するとかそういった類いのものではないなどということ、これまで考えたことが無かった。あらためて、なんだかびっくりしてしまう。

 

時間というものは誰のものでもない。

 

 

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2 コメント

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おはようございます! (リディア)
2012-09-13 06:37:11
コロ健先生も、限界って思う時あるんですね!

日本代表とイラクって何の試合ですかぁ?大阪では、昨日のテレビで何も試合が無かったんで…

アボなし……で思い出しました!
先日、親族に会ったので、ブログの事は言ってませんが、アボの事を、それとなく話をしておきました。
あまり直接的な接点がないみたいですが、マナーは守る様にお願いしておきました!
あの~、聞きにくい質問ですが、怒らないで下さい。

病理の検査で診断書の結果が、ハッキリしない場合、あるんですか?

また私事で話がそれちゃいました…戻します!

相手の人の時間でもあるから、私だけの時間ではないんですね。

つい、私の時間を…って思ってしまう時があります…
今回のブログで、勉強になりました!
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ワールドカップ予選 (colocolokenta)
2012-09-13 13:58:34
9月11日(火)埼玉スタジアムで開催された、2014年ワールドカップ アジア最終予選 第4戦のことです。日本が前田のゴールでイラクに勝利しました。日本代表が勝つと翌朝の鎌倉では綺麗な朝焼けが見える。ホントのような気がしてきました。
だけど、試合の前に勝ち負けがわかるようになるといいのですが、未来を予測することはできませんね。

病理診断のことについては、状況がわからないのでノーコメントとします。ごめんなさい。
でも、私が診断が難しくていつもうんうん唸っているのは記事にしていますよね。
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