報道を勘違いしてないか?というエントリーより
「こういう放送こそ、視聴率の縛りにとらわれないNHKの役割であろう。」
NHKの特異な性格を表現するのによく使われる言い回しだが、視聴率に囚われず放送することがNHKの存在意義だという言い方には違和感がある。というのも、視聴率が低いということは誰にも見られていないということ・・・つまりその放送自体が存在していないに等しい。つまり、視聴率を上げるということは皆が必要としているまたは必要と報道機関が思う情報を多くの人に伝えるという努力なのだと思う。しかし、視聴率が低くても必要だから放送するという開き直りはその努力を怠っていることに対する反省がないとしかいえない。
例えば、文化や伝承を後世に残すために番組作成をして放送するということであれば、記録映像として作成してアーカイブに保存しておけば良い。それでも放送する必要があるというのであれば必要と思う人から視聴料を貰って放送するべきだろう。地上波デジタルに移行すればペイパービューは簡単に出来る。必要と思う人がその番組を見て視聴料を支払うようにすれば良い。興味がない人にいくら映像を浴びせかけても無駄である。
もっと、NHKは視聴率を上げるための工夫をするべきだろう。紙媒体やHPなどとリンクした企画など民放がやっている工夫はドンドン真似すればよい。報道はそれを視聴したり読んだりする側に責任があるのではなく送り手側に興味を引いて見させる、聞かせる、読ませる責任があるのだ。
それでも、リアルタイムに放送する事に意味があるのではないでしょうか?
視聴率がたとえ低くても、少数派の人が見ている番組だとしても、その人達に見てもらう価値のある番組を作って伝えていく必要があるのではないか、という意味だと思います。
そして、専門家とか、意識の高い人々というのは、得てして少数派であることが多く、少数派だとしても大事な人達です。たとえば、国会中継を必要としている少数派は、政治に関わる何らかの専門性を持っているか、意識が高いという点で、「公共において」大事な人達です。
視聴率は0.1%だとしても13万人です。決して少なくありません。
視聴率は「見ている人の量」しか計れませんが、その放送がどれだけ役になっているかというのは「見ている人の量」だけでは計れません。ここが「視聴率に囚われない番組も必要である」ことの重要なポイントだと思います。
まぁ必要なくてもテレビを持ってれば
払わなくちゃいけないんですが。
民放はどうしても資金提供してくれるスポンサーの意向や
資金にみあった見返りが必要だったりと、
『縛り』というものがあるから。
ということをコデラ氏は言いたいのではないかと。
外国語学番組なんか民放ではなかなか見かけないし
月謝はらって時間割いてという余裕がない人にとっては
有難いし。
能、狂言なんかも自宅で茶菓子食べながら見れるってのもよいですしね。
それなりなのかどうかわかりませんが、
受信料払ってるからには
面白いモン見たいのは当たり前ですが。
>視聴率は0.1%だとしても13万人
→人口が1億3千万だとして、です。
最終段落、
>役になっているか
→役に立っているか
の誤りです。
通りすがりに書きました。
失礼しました。
背景として、今はインターネット等により情報が得られるし、放送サービスも多数出ている。
もう、NHKに公共性を求める事が、無理だと思う。
見たい人だけ、見れる様にして、その人だけから料金を徴収するしくみに直すべき。
それで潰れるなら、要らないという事。
国営放送が必要なら、税金で徴収すればよいと思う。
また、多人数で見る大衆放送に、少数の人しか見ないような番組の必要性を訴えるという理屈に大きな矛盾がある事に気付いて欲しい。
今は、個人でも情報を配信出来る環境があるから、NHKにそれを求める必要もないと思う。
製作されたNHKのニュース番組の内容の違いが判らない人には、小寺氏の記事の意味は理解出来ないでしょうね。
金だけ出して、製品(番組)の内容に文句付けない企業が有りますか?
例えば電力系企業がスポンサーのニュース番組で原発に否定的な報道が出来るわけないでしょう?