賢太郎の物書き修行

IT系と政治関連の事件を中心にコラム風に書いています。趣味は舞台、だけど最近は殆ど観てないな~。

学級崩壊ではなく、家庭崩壊

2006-12-06 20:24:59 | メモ

日経新聞の朝刊で「ニッポンの教育」という特集が組まれている。

今日はその一部の3回目。

モラルについての記事。

子供に「キレイ」とか「汚い」という価値判断の軸がなくなっている。常識が欠如しているのか。

授業をさぼりトイレで化粧中の女子生徒を注意した(中略)生徒の足元には化粧品がずらり

トイレの床の話だ。トイレは「ご不浄」などといって、忌避する場所の一つだ。そこに化粧品をいくら容器に入っているからといって直接置くだろうか?しかも、その化粧品を自分の顔や唇、目の周りに塗るのだ。

道端で道路の上に直接座り込む姿は今では当たり前。その上、そこで手づかみでハンバーガーなんかを食べるのだ。衛生観念を疑う話だ。しかも、それが恥ずかしくもないらしい。

親は親で

「義務教育だから払う必要がない」と給食費の支払いを拒否する親も急増している。

のだそうだ。
良く分からない。義務教育は子供の親に課せられた「義務」なのだ。社会が子供に教育を与える「義務」ではない。恐らくこの親は「誰が頼んだのか」というのだろう。小学生の親ということだから、年頃としては30歳前後だろうか。

参った。この記事では若槻秀夫教育長の言葉を借りてこう主張している。

「もはや子供のしつけは学校と家庭のどちらが中心となってやるのかを議論している段階ではない。家庭にしつけや教育力が望めないなら、学校がやるしか道はないと考えた。目の前の子供をきちんと育てることが先決」

家庭には何がしかのルールがあったものだ。僕の家庭では父が絶対だった。感情的で子供っぽいところのある父だったが、しつけには煩かった。箸の使い方なんかどうでもいいじゃないか、親子で挨拶もないだろう、などと思っていたが、今になってそれがとても貴重な経験だと思い知る。「親」にすら敬意をもって接することが出来ない人間が社会で通用するわけもない。しかも、そんな人間が親になるなんて。

ひところ、友達親子なんていうのが流行った。しかし、親子は親子だ。友達ではない。友達にしかはなせないことは親には言わないべきだし、逆に親にしかはなせないことも沢山あるだろう。それによって、人間は「家庭」「学校」「会社」と様々な社会を形成して人間的に成長していくのだ。それぞれの社会で人間は別の役割を担う。「子供」「親」「夫/妻」「部下」「上司」「同僚」「客」「奉仕者」etc. だが、友達家族、友達会社だと役割を変える必要がなくなる。それは人格的な成長を止めるということだ。それは人生の楽しみを-大きな楽しみを失うことに他ならないと思うのだが。


気になった記事(06/Dec/06)

2006-12-06 08:48:54 | メモ