不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

パリ美術巡り ルーヴル美術館1

2007-01-21 | 美術
 ルーヴルのような西欧の大きな美術館に来ると最初どれから見ようか、どこから歩こうかとわくわくした気持ちでいっぱいになる。しかし次の瞬間、こんなに沢山見られるわけがない、どれも十分に見るなんてできっこないと絶望にも似た気持ちに苛まされる。おそらくルーヴルはそういった気持ちにさせる最たる美術館だろう。7年ぶりに訪れた今回、デゥノン翼の入り口を入ったところでギリシアの彫刻群を眼前にして感じたのはやはりこの期待と絶望である。

 1日目はデゥノン翼とシュリー翼を少し歩いたが、デゥノン翼の2階中央に移された「モナリザ」はオフシーズンでも大きな人だかりで、その前にあるヴェロネーゼの「カナの婚宴」も十分見とれる作品であるが、多くの人は「モナリザ」に釘付けである。この部屋は撮影禁止となっているが結構フラッシュを光らせる人までいて係員に注意されていた。「モナリザ」は不思議な絵画である。ダ・ヴィンチ・コードの人気から取り上げられることも多いが、ルネサンスの時代、宗教画が圧倒的に多い中で描かれたにしてはあまりにも完成度が高い、などということは私が言うまでもないだろう。それにしても「モナリザ」を見ていると、この人はどちらを見ているのだろう? いくつなのだろう? どのような感情を抱いているのだろう?といろいろな疑問が沸き起こるとともに、これは値段なんてつけられないなと俗なことも思ってしまう。一度盗まれ奇跡的に無傷で戻った「モナリザ」はもう人類の至宝の一つだろう。と言うのは、「モナリザ」は宗教画ではないからである。もちろん偶像崇拝禁止の観点からは肖像画も許されないだろうが、肖像画というのがもともとはキリスト教絵画(あるいは壁画)に寄進者が描かれ、それが後に大きく、そして独立して描かれるようになったという背景を思えば、「モナリザ」はそういった背景さえも感じさせない風俗画でもあるからである。

 「モナリザ」からシュリー翼に至る順路(でもないが)、デゥノン翼から移動する途中にサモトラケのニケやアフロディテ(ミロのビーナス)があり、これも大勢の人だかりである。西欧の美術館、特にルーヴルやオルセーが太っ腹ななのは先の「モナリザ」室やいくつかの部屋以外は撮影自由であるということだ。まあ、美術作品はその眼で見てこそそのすばらしさを感じることができると思うので、撮影しても自己満足にすぎないのだが、ニケやビーナスを撮る人は多い。そしてニケやビーナスはある種の間さ、それはもちろん神話の世界のものであるからであるが、生硬さが心地よい。だから撮影しようが、間近に見ようがあまり変わらないと思う気持ちもわからないではない。もちろん、物見遊山の記念写真を撮る人が多いのだが。

 デゥノン翼と反対側にあるリシュリュウ翼のマルリーの中庭にはロダン以前の近代彫刻が立ち並び、最初に感じた絶望感より期待感が大きくなり、1日目のルーヴル散策は終わりにした。
(カノーバ「アモールとプシケー」)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「愛国心」の本質が見えてく... | トップ | グローバリズムの罪と私たち... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

美術」カテゴリの最新記事