kenroのミニコミ

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スイス美術館紀行2 グリューネヴァルト「イーセンハイム祭壇画」

2008-09-15 | 美術
コルマールはスイスではないので正確には「スイス美術館紀行」には入らない。が、バーゼルから1時間ほどというのがわかったので、足を伸ばすことにした。パリからは5時間以上かかるらしいので今回のイクスカージョンは正しかったと思うが、ウンターリンデン美術館はたとえ5時間かかってもパリから訪れたいと思ったかもしれないところである。
イエスの磔刑は絵画題材としてはありふれたものだが、たいがいイエスはそれほど傷ついているわけではない。きれいな姿をしているが、グリューネヴァルトの「イ-ゼンハイム祭壇画」だけは傷ついたぼろぼろのイエス像は珍しいらしい(西岡文彦『名画でみる聖書の世界』)。それで見たい、ルネサンス期美術というとイタリアの華やかなそれしか知らなかったので、そうではないものこの眼で確かめたかった。
西岡前掲書によれば十字架刑というのはすこぶる残酷な刑であったらしい。拷問としての性格も有していてよっぽどの重罪でなければ適用されなかった刑であると。そして肩の骨が裏返らない限り(?)あのような十字架の形に人間がさらされるのは不自然である。
十字架磔刑図の多くが、イエスと共に磔にされる他の2人の罪人を描いている。しかしグリューネヴァルトの本作は、イエスだけを描いているし、後に復活する神々しさや力強さ、どこか現実離れした雰囲気もなく、これは完全に違っている。本当に十字架に架けられた瀕死のイエスを描いているのだ。そして、瀕死のイエスは復活しそうにないくらい傷つき、病んでいる。これが新鮮なのだ、惹かれるのだ。
イエスの磔刑が事実としても、新約聖書の物語のうちには現実では考えられない、ありえないと思われることも多い。それが絵画など美術作品になるとその非現実性が増幅されて、美術作品本来の現実性を超えた魅力を減じさせることもあると思う。しかし、どれほど現実を離れた宗教的魅力があろうとも美術的価値を感じることができるなら心洗われることはある(ヤン・ファン・エイク「神秘の子羊」はその最たるもの)。グリューネヴァルトの本作は宗教的見地から届けようとして(16世紀であるから当然だ)、かつ、イエスの苦難を現実的表現によって伝えようとしている。
祭壇画であるから、聖ヨハネやマリアなど主要人物は登場し、キリストの物語をいろいろ描いているが、磔刑の迫力はそれらを超える。イタリア以外のルネサンス美術にもっと触れたくなる。イーゼンハイム祭壇画はその好奇心を満たしてくれる一里塚である。
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