that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

塩野七生卒論を読んでおります

2009年12月08日 | 本・映画・音楽レビュー
そういえば最近本について書いていないなと思い、ちょっと書いてみる。
アテも無く書くので、例によってグダグダにはなるとは思うのだけれども、まぁ、そこはアレということで。

最近は、塩野七生ばかり読んでいる。正確にはたまに東野圭吾なんかをたまに挟みながら読んでいるのだけれども、「レイクサイド」などのハズレ作品ばかり掴んでいるので、そこらへんの東野圭吾的なアレはここでは書かないことにする。

塩野七生は、チェーザレボルジアを最初に読み、続いて、コンスタンティノープルの陥落・ロードス島攻防記・レパントの海戦、このヴェネツィア対トルコ三部作を読み、そして今は「海の都の物語」を読んでいる。ようやく4巻まで読み終えたので、残るは2巻。近々、ヴェネツィアに旅行をしようと思っているので、それまでには読み終わらせたいところ。



さて、塩野七生作品の特徴は、膨大な歴史資料をバックグラウンドにしながら「正確な事実」を積上げているという点。ものすごく淡々と事実を羅列してくる。だから「小説」ではなく、あたかも「卒論」を読んでいるような気になってくる。そういうこともあってか、例えばダビンチコードのような三文小説にありがちな、ハリウッド映画的な大味な演出や技法は出てこない。あるのは、歴史上の事実が紡ぎ出す壮大なロマン。そして、これが面白い。「事実は小説より奇なり」を地でいっている。



ちなみに、一瞬話は逸れるが、この卒論内では「○○な感じだ」という表現が目立つ。これが思いの外気になる。何と言うか、「そこはしっかり書いてくれ」と思わずツッコミを入れたくなる。ただ、このブログ上で「アレ」とか「コレ」とかを乱用するお前が何を言う!と言われれば返す言葉も無いので、もうソレで良いです。アレな感じですごく良いと思います。

そういえば、この前、気晴らしに池波正太郎を読もうかと思って数ページ読んだところで断念をしたことがあった。池波正太郎でも司馬遼太郎でも誰でも良いのだけれども、日本の歴史小説というのは、日本人ならではの機微が伝わってきたりだとか、哀しさや儚さを作中に散りばめることで物語に彩りが付け加えられていったりするわけで、これはこれでとても良い。というか、それが良い。この美しさを理解出来る感性を持ち合わせた国民は日本ぐらいのものじゃないかと思う。

ただ、スケールが違う。

信長、秀吉の礎を家康が奪い取って幕府を開いて、300年後に攘夷だ、尊王だ、大政奉還だ、と激動の時代を経て・・・という話がある一方で、西方では1000年も前から大陸規模でのドラマが繰り広げられていた。ヴェネツィアだけの話をしても、イタリア国内でミラノ公国、ジェノヴァ、フィレンツェなどの強国が存在していて、加えてノルマンやトルコの侵攻があり、政治的な話で言えば、ローマ法王、フランス、スペイン、東ローマ帝国、神聖ローマ帝国あたりも多分に絡んできて、そういうただでさえ複雑な状況に、キリスト教、ギリシャ正教、回教、プロテスタントなどの宗教的な事情が加わってくる。わけがわからん。



ヴェネツィアに限らずなのだけれども、そういう歴史的背景に裏打ちされた「スケールの大きさ」というのはヨーロッパ大陸全般に浸透していることなんじゃないかと思う。ヨーロッパで(というかイギリスだけれども)生活、特に仕事をしていると思うことなのだけれども、やっぱり大陸思考というのはスケールがデカイ。そこには、変な例えだけれども、そこにはフェラーリかカローラぐらいの違いがあるのだと思う。そういう意味で、日産GT-Rを開発した水野和敏が、ヨーロッパでのGT-Rの評価が気になったというのは、なんとなく分からないでもない。スケールの異なるヨーロッパ市場でどういう反応が返ってくるのかというのは、日本のそれとは全く違った意味合いがある。



そうやって「物事のスケール」というものを考えたときに、我々日本人が言う「グローバル」っていうのは、ホントに小さな世界というか、ある種、局所的な話しかしていないのではないかと思うことがある。

ヨーロッパの国々は常に刺激と変化に晒され続けてきた。周りの軍事的・経済的・宗教的な外圧に1000年強もの間、対応をし続けてきたのだ。グローバルであることがサバイバル手段であり、否が応でもグローバル的感覚を身に着けざるを得なかったのだ。だから、彼らには「スケールの大きな舞台で培われた感覚 ≒ グローバル」がごく自然と、生まれながらの素地として備わっているのではないかと思うことがある。

そういうアレを色々と鑑みると、ヨーロッパ人が考える「グローバル」と、我々日本人が求める「グローバル」には格段の差があるんだろうなぁ、と。

そういうことをふと思いました。



まぁ、そういうわけで、特にオチは無いんですがね、ヴェネツィア旅行という名の卒論検証旅行に行く前に「海の都の物語」だけは読み終えておかないといかないなという話です。それを言いたかったんです。違うけど。

以上、アレがナニな感じでよろしくお願いします。

コメント (4)
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