昨日のブログでも書いたが、いかに私が天狗の鼻をへし折られたかを書いてみたいと思う。
現在、私は様々なアジア諸国のマネージャクラスと一緒に仕事をしている。
今回の出張の目的は、日本を含めた各国における下半期の実績を紹介し合い、各国が単独で実績を出していくのではなく、お互いに補完し合いながらさらなる飛躍を達成しようというものであった。
手前味噌ではあるが、日本は下半期に実に素晴らしい実績を上げる事が出来た。
数字的にも大幅に改善が行われた。
「付加価値」とひと括りにまとめると安っぽくなるが、実に独創的な様々なアウトプットが出せ、お客にも喜んでもらえた。
そして何よりも、この素晴らしい結果を出すにあたってメンバー全員が身を粉にして頑張ってくれた。
そういう全員の想いが詰まった結果だったからこそ、ボクはこの日本の実績に対しては絶対の自信を持っていたし、逆に自信を持たない事は、自分、ひいては自分を信じて付いてきてくれたメンバーを否定する事になると思った。だから、今回のプレゼンは「情報共有」ではなく「日本の実績披露会」だと思い込んでいたし、どこかで「相手に自分を認めさせよう」という驕りもあったのかもしれない。
いや、その驕りはまず間違いなくあった。
結果として自分の井の中の蛙っぷりを痛感したのだから。
プレゼン当日、私は淡々と、冷静を装いながらプレゼンを進めた。
心の中では「どうだ!すごいだろ!」と思いながら。
そして日本のプレゼンは実に好評だった。
「それはどうやって進めたのか」
「うちの国でも導入したい、是非詳しく話を聞かせてくれ」
プレゼン直後に各国がこぞって話をしにきてくれた。
(勝った!)
競争でもないのに、そう思ってしまった。
ところが他の国のプレゼンを聞いてビックリしたというか、愕然としたというか、もう言葉にならないようなショックを受けた。日本が考えもしなかったような切り口からズバッと問題を斬り付け、大胆に進めて結果を出していたのだ。
(こんな考え方があったのか!)
(この実行力とスピード・・・すごいな!)
プレゼンが終わるや否や、今度はボクが各国マネージャの元へと駆け寄りアレヤコレヤを聞き出していたのだ。
しかし何故こんなにも斬新な結果出たのか。
何故自分たちにはその考えが思い浮かばなかったのか。
よくよく考えてみれば当たり前の事だ。
それぞれ国も違えば文化も違う。
考え方も違うし感受性や閃きも異なる。
全く同じ人間が同じような考えの元に仕事をするのであれば、違いを生むのは努力や時間といった「変数」だけだ。そこの変数が多いもん勝ちなのだから「勝ち負け」は成り立つ。
だけれども全く違う人間が異なった考えの元に仕事をするのであれば、そこに「勝ち負け」は成り立たない。比較をすること自体意味がない。むしろ「比較」はその「異質なモノ」を排除しようとする試みであり、自分の自信の無さの表れでもあるのかもしれない。
ところが、素直にその「異質なモノ」を理解し、受け入れ、消化して、自分なりに経験してみる事で、その「異質なモノ」が自分の血となり肉となる。その「異質なモノ」が自分の一部になる事で、さらに次の「異質なモノ」を受け入れられるようになる。
それが「成長」なんじゃないか、って。
そういうわけで、いかに自分が狭い世界でお山の大将になっていたかを痛感した。
もう恥ずかしいやら悲しいやら。
ただ、幸いにも、他国の素晴らしい活動を自分も試してみたいというワクワク感が強すぎて、落ち込むどころではなかった。そういう純粋な好奇心というか欲求がボコボコとマグマのように吹き出てくるのだ。何というか、例えが変だが、ある種の恋愛感情みたいなものに近いような気がする。
・・・うん。その例えは何か変だ。
仕事に恋するなんてただの気の毒な人だ。
普通に人間に恋して彼女でも作れ、俺。
あ、いや、でも彼女いたんだよな、本当は。
「疲れる」って言われて別れちゃったけど。
っていうか何なんだこれ。
すごく良い事書いてたのに結局最後はこんなオチか。
むー。
まぁ、そんな感じです。
アレを色々とよろしくお願いします。
現在、私は様々なアジア諸国のマネージャクラスと一緒に仕事をしている。
今回の出張の目的は、日本を含めた各国における下半期の実績を紹介し合い、各国が単独で実績を出していくのではなく、お互いに補完し合いながらさらなる飛躍を達成しようというものであった。
手前味噌ではあるが、日本は下半期に実に素晴らしい実績を上げる事が出来た。
数字的にも大幅に改善が行われた。
「付加価値」とひと括りにまとめると安っぽくなるが、実に独創的な様々なアウトプットが出せ、お客にも喜んでもらえた。
そして何よりも、この素晴らしい結果を出すにあたってメンバー全員が身を粉にして頑張ってくれた。
そういう全員の想いが詰まった結果だったからこそ、ボクはこの日本の実績に対しては絶対の自信を持っていたし、逆に自信を持たない事は、自分、ひいては自分を信じて付いてきてくれたメンバーを否定する事になると思った。だから、今回のプレゼンは「情報共有」ではなく「日本の実績披露会」だと思い込んでいたし、どこかで「相手に自分を認めさせよう」という驕りもあったのかもしれない。
いや、その驕りはまず間違いなくあった。
結果として自分の井の中の蛙っぷりを痛感したのだから。
プレゼン当日、私は淡々と、冷静を装いながらプレゼンを進めた。
心の中では「どうだ!すごいだろ!」と思いながら。
そして日本のプレゼンは実に好評だった。
「それはどうやって進めたのか」
「うちの国でも導入したい、是非詳しく話を聞かせてくれ」
プレゼン直後に各国がこぞって話をしにきてくれた。
(勝った!)
競争でもないのに、そう思ってしまった。
ところが他の国のプレゼンを聞いてビックリしたというか、愕然としたというか、もう言葉にならないようなショックを受けた。日本が考えもしなかったような切り口からズバッと問題を斬り付け、大胆に進めて結果を出していたのだ。
(こんな考え方があったのか!)
(この実行力とスピード・・・すごいな!)
プレゼンが終わるや否や、今度はボクが各国マネージャの元へと駆け寄りアレヤコレヤを聞き出していたのだ。
しかし何故こんなにも斬新な結果出たのか。
何故自分たちにはその考えが思い浮かばなかったのか。
よくよく考えてみれば当たり前の事だ。
それぞれ国も違えば文化も違う。
考え方も違うし感受性や閃きも異なる。
全く同じ人間が同じような考えの元に仕事をするのであれば、違いを生むのは努力や時間といった「変数」だけだ。そこの変数が多いもん勝ちなのだから「勝ち負け」は成り立つ。
だけれども全く違う人間が異なった考えの元に仕事をするのであれば、そこに「勝ち負け」は成り立たない。比較をすること自体意味がない。むしろ「比較」はその「異質なモノ」を排除しようとする試みであり、自分の自信の無さの表れでもあるのかもしれない。
ところが、素直にその「異質なモノ」を理解し、受け入れ、消化して、自分なりに経験してみる事で、その「異質なモノ」が自分の血となり肉となる。その「異質なモノ」が自分の一部になる事で、さらに次の「異質なモノ」を受け入れられるようになる。
それが「成長」なんじゃないか、って。
そういうわけで、いかに自分が狭い世界でお山の大将になっていたかを痛感した。
もう恥ずかしいやら悲しいやら。
ただ、幸いにも、他国の素晴らしい活動を自分も試してみたいというワクワク感が強すぎて、落ち込むどころではなかった。そういう純粋な好奇心というか欲求がボコボコとマグマのように吹き出てくるのだ。何というか、例えが変だが、ある種の恋愛感情みたいなものに近いような気がする。
・・・うん。その例えは何か変だ。
仕事に恋するなんてただの気の毒な人だ。
普通に人間に恋して彼女でも作れ、俺。
あ、いや、でも彼女いたんだよな、本当は。
「疲れる」って言われて別れちゃったけど。
っていうか何なんだこれ。
すごく良い事書いてたのに結局最後はこんなオチか。
むー。
まぁ、そんな感じです。
アレを色々とよろしくお願いします。