く~にゃん雑記帳

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<奈良市埋蔵文化財センター> 発掘調査速報展「赤田横穴墓群の陶棺」

2014年08月06日 | 考古・歴史

【復元作業が完了した陶棺5基と副葬品を公開】

 奈良市埋蔵文化財調査センターで平成26年度夏季発掘調査速報展「赤田横穴墓(おうけつぼ)群の陶棺」が開かれている。赤田横穴墓群は奈良市西大寺赤田町で見つかった6世紀後半~7世紀中頃の墓群。これまでに16基が確認されており、1~9号墓の発掘調査で7つの横穴墓から素焼きの陶棺やその破片が出土した。同展では既に復元ずみだった1号墓の陶棺に加え、このほど復元作業が完了した3・5・7号墓の陶棺や副葬品を展示している。8月29日まで。 

 赤田横穴墓群は医療法人平和会吉田病院の敷地内の丘陵南斜面にあり、5・7号墓は未盗掘だった。陶棺は「土師(はじ)質亀甲形陶棺」と呼ばれる赤い焼き物で、丸みを帯びた「蓋」と「身」から成る。外側は「突帯(とったい)」と呼ばれる粘土紐で格子状や山形に装飾されたものが多く、身の下には円筒形の複数の脚が付いていた。この種類の陶棺は近畿地方中央部と岡山県東部でよく見つかっているという。

  

 

 6世紀後半に造られたとみられる5号墓の陶棺2基(上段の写真㊧は出土時、上段㊨と下段㊧の2基は復元した陶棺)はいずれも長さ2.4m、幅0.7m、高さ1.2mという大きさ。一方、7世紀中頃の7号墓の2基は5号墓より小さく、墓室中央に納められていた初葬時の陶棺(下段㊨)は長さ1.8m、幅0.6m、高さ0.8mだった。

 その隣に納められた追葬時の陶棺(下の写真㊧)はさらに小さく、長さ1.2m、幅0.6m、高さ0.7mで、突帯による装飾もなく簡素な造りだった。6世紀後半の3号墓の陶棺(下の写真㊨)は盗掘で大きく破壊されていたため、全体の半分の復元にとどまった。その大きさから子供用とみられ、陶棺の外側は赤と緑の顔料で彩色されていた。こうした陶棺の出土は珍しく奈良県内で2件目という。

 

 陶棺内や墓室内から見つかった副葬品は大半が土器類で、中でも須恵器が多くを占めた。ただ、5号墓の陶棺からは土器のほか耳環(じかん)やガラス玉・管玉・臼玉といった装身具、鉄刀・鉄鏃などの武具も見つかった。また小型の7号墓の陶棺内からは長さ1.6cmほどの棗玉(なつめだま)が1つ出土した。両親が幼くして逝ってしまった亡き子を偲びながら、子どもが身に付けていたお気に入りを棺に納めたのだろうか。

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<ルリマツリ(瑠璃茉莉)> 南アフリカ原産、涼しげな青紫の花

2014年08月05日 | 花の四季

【名前は花色とマツリカ(ジャスミン)に似た花姿から】

 南アフリカ原産の半つる性の低木。初夏から秋口にかけて、径2cmほどの青紫色の花を房状に付ける。花は筒状で先が5枚に分かれる。その花色とマツリカ(茉莉花)に似た花姿から「ルリマツリ」という優美な名前が付いた。マツリカはジャスミンティーに使われるジャスミンの1種「アラビア・ジャスミン」の和名。ただルリマツリにはジャスミンのような香りはしない。

 イソマツ科ルリマツリ属(プルンバーゴ属)で、学名は「プルンバーゴ・アウリクラータ」。そこから「プルンバーゴ」や花色から「アオマツリ(青茉莉)」と呼ばれることも。「プルンバーゴ」はラテン語で「鉛」を意味する「プルンバム」に由来する。この植物の1種が鉛中毒の解毒に効果があったことによるという。他に根の色から来ているという説もある。

 同じルリマツリ属の仲間に白い小さな花を付ける「セイロンマツリ」がある。インドやスリランカの原産で「インドマツリ」という別名を持つ。ルリマツリ属には赤花のものもある。「ルリマツリモドキ」は中国原産で中国名「藍雪花」。秋になると鮮やかに紅葉する。ルリマツリモドキの近縁種にヒマラヤ地方原産の「ブータンルリマツリ」がある。いずれもルリマツリとは別属のルリマツリモドキ属(ケラトスティグマ属)に分類されている

 「〇〇マツリ」と付く植物には他に「ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)」がある。これはナス科の植物で、モクセイ科のジャスミンとは関係がないが、ジャスミンに似た芳香を放つことからその名が付いた。「匂蕃」の「蕃」は外国のこと。ニオイバンマツリの原産地は熱帯アメリカだが、その香りと白から紫への花色の変化で人気が高い。

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<京都府立植物園> 開園90周年記念「変化朝顔」をテーマに講演会

2014年08月04日 | メモ

【九大の仁田坂氏「世界的にも特異な変化朝顔は生きた文化財」】

 「第55回朝顔展」を開催中の京都府立植物園で3日、「江戸園芸の粋を集めた変化朝顔」をテーマに講演会が開かれた。開園90周年記念事業の1つ。講師の仁田坂英二氏(九州大学大学院理学研究院生物科学部門染色体機能学研究室)は「アサガオの品種群はいくつもの偶然と日本人の美意識によって生み出された稀有な存在。特に1年草であるにも関わらず、不稔の変異を種子で保存してきた変化朝顔は世界的にも特異なもの。生きた文化財ともいえるアサガオの品種群の保存に今後も力を注いでいきたい」などと話した。

 

 「変化朝顔」は花や葉の形がとてもアサガオに見えないようなもので「変わり咲き朝顔」とも呼ばれる。江戸時代の文化文政期(1804~29)に第1次ブームが起き、江戸末期の嘉永安政期(1848~60)の第2次ブームには多くの図譜が出版された。さらに明治後期にもブームとなり、最近では「大輪朝顔」の愛好家の増加もあって「第4次とも呼べる栽培ブームを迎えている」。仁田坂研究室では現在1000を超える変化朝顔の系統を保存しており、この7月には仁田坂氏著の『変化朝顔図鑑 アサガオとは思えない珍花奇葉の世界』(化学同人発行)が出版されたばかり(写真㊧はその宣伝用うちわ)。

 変化朝顔出現のきっかけは18世紀中ごろ、備中松山(今の岡山県高梁市)で生まれた「松山朝顔」または「黒白江南花」と呼ばれた珍しい絞り咲きのアサガオだろうと推測する。この花は伊藤若冲の「向日葵雄鶏図」の背景にも描かれているそうだ。「このアサガオの出現は変異体を生み出すトランスポゾン(動く遺伝子)が動き始めたことを示す。トランスポゾンは転移し、挿入した遺伝子の機能を壊すことで劣勢変異を誘発する。この子孫からたくさんの変わりものが生じたと考えられる」。

    

 変化朝顔の系統は「正木(まさき)」と「出物(でもの)」に分かれる。正木は種子ができ、毎年同じ花を咲かせるため、初心者でも栽培が簡単。一方、出物は「種子を結ばない不稔の劣勢変異を含むため、系統の維持にはある程度の知識が必要」。出物系統の種子をまくと、メンデルの法則に従って4分の1の確率で出物が生まれる。残り4分の3は見かけが正常で種子を結び「親木」と呼ばれる。「出物や出物を隠し持つ親木を鑑別する仕訳(しわけ)が変化朝顔の系統保存では最も大切な作業」。出物の多くは子葉も変わった形をしているため最初の段階で区別できるという。

 では変化朝顔の花の形などが奇妙なのはなぜ? 仁田坂氏はその原因を探るため遺伝子を取り出し、その働きを調べてきた。その結果「変化朝顔ではいずれも器官の位置情報(座標軸)を支配する遺伝子に異常があり、本来とは違う場所に花や葉などの器官を作るため変わった形になることが分かってきた」。例えば、細い葉や花弁を付けるアサガオでは、横幅方向の器官の幅を決める遺伝子が壊れているため幅が広がらないそうだ。

  

 植物園で開催中の朝顔展(1~5日午前7時~正午)では期間中、毎日鉢を入れ替え、延べ1500鉢を展示する。大輪朝顔には直径が20cm以上のものも。仕立て方にはつるを伸ばして支柱に絡ませる「行灯作り」と、摘心しつるを伸ばさない「大輪切り込み作り」があるという。花姿がユニークな変化朝顔も展示されている。 

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<京都・白川> 「子供まつり」で金魚放流 その数なんと2万匹!、

2014年08月03日 | 祭り

【今年で5回目、川の中は網を持った親子で大にぎわい】

 3日午前、京都の岡崎公園に向かっていると、三条通に面して白川の橋の上に「白川子供まつり」という大きな横断幕。車が通行止めになっている川べりを進むと、川の中も岸辺も親子連れで大にぎわいだった。まさに家族総出という感じで、網で金魚をすくっては次々に持参のバケツへ。主催は粟田自治連合会で今年で5回目。毎年8月第1日曜に開くこのイベント、今や夏休み恒例の人気行事になっているという。

 白川は琵琶湖疎水(岡崎疎水)から京都国立近代美術館の南側で分かれて南下し、祇園新橋などを通って鴨川に注ぐ。夏の猛暑の中、その清らかなせせらぎが心地いい。子供まつりは午前9時半にスタート、金魚の放流は10時を皮切りに15分おきに12時15分まで計10回行われた。「5・4・3……」のカウントダウンに合わせ係員が放流すると、子供たちはジャブジャブと猛ダッシュ。中には水着の女の子や上半身裸の男の子もいた。

 

 係の方によると、放流した金魚は合わせて約2万匹。大半が小赤と呼ばれる小さなものだが、10cm前後のものも含まれていた。中には上の写真㊨のように30~40匹もすくった人も。バケツを覗き込みながら歩いていると、1人の男性が「ブラックバスがいた」と男の子に網を差し出した。体長20cmほど。琵琶湖から流れてきたのだろうか。柳並木の川辺では小さな子供たちが金魚すくいに興じていた。子供たちにはカキ氷やポップコーンなどの無料プレゼントもあった。

 

 三条通を越え北に進むと、岡崎疎水との分岐に近い白川でも「タナゴ釣り大会」などが行われていた。これも夏恒例の行事とか。麦藁帽の男性によると「昨年は全然だめだったが、今年は(魚が)湧いている」という。食パンを小さく丸めて針に付け投げ込むと、しばらくして6~7cmほどのタナゴが掛かった。猛暑の中、白川でしばし涼をいただいた。

 

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<大和文華館> 特別企画展「連続・反復の美 文様に込められた想い」

2014年08月01日 | 美術

【唐草文様は「生命力・再生とともに吉祥の意味合いも」】

 大和文華館(奈良市学園南)で特別企画展「連続・反復の美 文様に込められた想い」(17日まで)が開かれている。「連続する文様」として渦巻や唐草模様をあしらった東アジアの工芸品など、「反復する図像」として仏教版画の千体仏や摺り仏・印仏など、合わせて82点を展示している。

 

 展示物で最も古いのは中国の新石器時代(紀元前2500~2300年)の遺跡から出土した2つの「彩陶双耳壷」。高さはいずれも40cm弱で、太い胴の上半分にシンプルな曲線や格子状の文様が描かれている。中国・唐時代の「銅製貼銀鎏金(りゅうきん)双鳳狻猊文(さんげいもん)八稜鏡」(重要文化財、上の写真)は径15.2cmで、銀板に文様を打ち出し鍍金を施して背面に貼り付けたもの。獣形の鈕(ちゅう)を中心に、ザクロの植物文を背景にして鳳凰と狻猊(=獅子)が交互に反時計回りに旋回する。

 「螺鈿菊唐草文小箱」(下の写真)は朝鮮・高麗末期から朝鮮王朝時代初期(14~15世紀)の作品で、丸みを帯びた長方形の小箱(高さ11.5cm×17.0cm×9.0cm)。蓋や側面に菊や牡丹の唐草文が規則的にびっしり描かれており、リズミカルで上品な美しさを醸し出している。箱書に「唐物茶箱」とあり、茶道具の1つとして日本にもたらされたとみられる。

 

 「連続する文様」として他に青磁象嵌唐草文瓶(朝鮮・高麗時代)、青白磁貼花牡丹唐草文壷(中国・元時代、伝大分・宇佐八幡宮境内出土)、鎌倉彫屈輪香合(日本・室町時代)、箔絵唐草文合子(タイ・19~20世紀)なども出品されている。唐草文の起源は古代ギリシャ。解説文に「唐草文は生命力や再生の象徴。連続する文様には良いことが続くという吉祥の意味合いも込められている」とあった。

 「反復する図像」の主な出展は金銅板仏(中国・遼時代)、印花文骨壷(朝鮮・統一新羅時代)、一字一仏瓦経(日本・平安時代)、如意輪観音印仏(日本・南北朝時代)など。「印仏や摺い仏、千体仏など繰り返して仏像を表す行為の背景には数多く造像する〝作善〟の意図など篤い信仰心がある。形を反復することで原像に備わる霊性や聖性をも写すことが可能と考えたのだろう」。

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