く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<フクジュソウ(福寿草)> 春の到来告げる吉祥植物 「元日草」「賀正草」とも

2013年02月16日 | 花の四季

【旧暦正月に開花、今も正月の床飾りに】

 キンポウゲ科の耐寒性宿根草。旧暦正月ごろに花が咲くため、古くから盆栽として正月の床の間を飾ってきた。その風習が新暦になっても続き、正月の床飾りとして欠かせないものになっている。そのため「元日草」「賀正草」「報春草」「福神草」「朔日(ついたち)草」など多くのめでたい別名を持つ。

 江戸時代初期の園芸書「花壇綱目」(1681年)にも掲載されている古典園芸植物。その頃から盛んに栽培され、多い時には200品種もあったそうだ。明るい黄花が一般的だが、紅色や緑色、八重や三段咲き、花びらの先端に切れ込みが入るナデシコ咲きなど多彩な品種がある。花期は2~4月。日光を好み花は日が出ると開き、陰ると閉じる(下の写真)。花には蜜がないが、日を浴びたお椀形の花びらの中は暖かい。その暖を求め早春から活動するアブが集まって花粉を運んでくれる。

 

 めでたい花だけに町や村の花に指定している自治体は多い。北海道陸別町、青森県深浦町、秋田県羽後町、埼玉県小川町、長野県辰野町、木曽福島町、奈良県河合町……。高知県大豊町の「福寿草の里」では今月10日から福寿草まつりを開催中(3月10日まで)。長野県辰野町では今月23、24日に「沢底福寿草まつり」が行われる。今年で21回目を迎える長野県松本市の「四賀福寿草まつり」は3月2~20日。土手の傾斜地に50万株が自生する。福島県喜多方市沼ノ平の福寿草まつりは3月17日~4月6日。集落内5ヘクタールに100万株が咲き誇り「日本最大級の群生地」を売り物にしている。

 雪解けとともに芽を出し、ふくよかな黄花を開くフクジュソウは健気でかわいい。だが、同じキンポウゲ科のトリカブト同様、根や茎など全草に有毒成分を含むから要注意。誤って食べると、嘔吐や下痢、呼吸困難などの中毒症状を起こす恐れもある。6年ほど前、ある地方テレビが「食べる花」としてフクジュソウをフキノトウなどの野草とともに紹介し、視聴者からクレームが殺到したことがあった。俳句では新年の季語。「福寿草家族のごとくかたまれり」(福田蓼汀)。

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<長谷寺・だだおし> 大和路に春を呼ぶ 1000年続く勇壮な火祭り

2013年02月15日 | 祭り

【赤・青・緑の鬼が大暴れ、巨大な松明に追われて退散!】

 東大寺二月堂の「お水取り」と並ぶ古都奈良の2大火祭り、長谷寺(桜井市)の「だだおし」が14日、本尊の十一面観世音菩薩を祀った国宝の本堂で行われた。8日から7日間続いた「修二会」を締めくくる結願法要で1000年以上続く。太鼓や法螺貝が鳴り響く中、3匹の鬼が大暴れ。その鬼を追う巨大な松明から火の粉が舞うたびに、参拝客から歓声が湧き起こった。

  

 「だだおし」の「だだ」については諸説あるが、有力なのが「閻浮壇金宝印(えんぶだごんほういん)=壇だ印」由来説。大導師のお話によると、長谷寺を開山した徳道上人が養老2年(717年)、病で仮死状態になって一時冥土に行った。そこで閻魔大王から「まだ死んではならぬ。西国三十三カ所観音霊場を開基せよ」と命じられ、〝お土産〟に「壇だ印」を頂いた。その宝印を参詣者の額に押し当てて悪魔退散・無病息災を加持祈祷したのが始まりという。

 

 法要が始まったのは午後3時ごろ。本尊を前に護摩を焚いて悔過(けか)法要などが厳かに営まれた。声明、散華、鬼面の加持……。そして突然、太鼓や法螺貝が鳴り響くと、3匹の鬼たちが堂内で大暴れ。僧侶が牛玉札の威力で鬼たちを追い出す。この後、信者や参拝客が手にする牛玉札に宝印を授与した。この間、約2時間。クライマックスは本堂の外に追い出された鬼たちが回廊に登場するこの後だ。

 

 まず緑の鬼が登場。それに燃え盛る大松明が続く。松明は長さが4.5m、重さは100kgを超えるという。火の粉が舞う。「もう一歩下がって」「服が焦げても自己責任ですよ」。マイクで繰り返すお坊さん。続いて青鬼。大声で観客を威嚇する。回廊を蛇行するように進む松明。近づいてくると熱い。後ずさりする観客たち。怖い鬼の姿に泣き叫ぶ女の子。最後に赤鬼が登場した。面の大きさが緑鬼・青鬼に比べると2倍ほどもあるビッグサイズだ。

 鬼、松明の後にはバケツを持ったお坊さんが続き、水をまいて消していた。本堂の脇には消防車も待機。祭りの舞台、本堂はなにせ国宝だ。この本堂、落雷で何度か焼失したが、この火祭りで燃えたことはないという。松明の燃えかすは厄除けのお守りになるとか。赤鬼が退散すると、その燃えかすを手に入れようと一目散に駆け寄って、大切そうに持ち帰る参拝客の姿も目立った。

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<満足稲荷神社のクロガネモチ> 1本の大幹から8本が枝分かれして直立!

2013年02月13日 | アンビリバボー

【樹齢400年の御神木、縁起のいい末広がり?】

 クロガネモチは赤い実が美しい常緑高木。1本の幹が素直にまっすぐ伸びる落ち着いた樹形から、庭木のほか街路樹や公園樹としても人気がある。ところが、この木の樹形はなんとも「アンビリバボー!」。高さ2mほどのところから8本に枝分かれ、しかも8本とも直立しているのだ。

 この木があるのは京都市左京区の東大路通りに面した「満足稲荷神社」の境内。樹齢は推定約400年で御神木になっている。「苦労して金持ちになる」の語呂合わせから、クロガネモチはもともと縁起がいい木といわれる。が、この木はさらに末広がりになっており、もっと目出度い。説明書きによると「京阪神沿線の百銘木の1つ」。2005年に京都市指定保存樹になっている。根元のそばには黒い岩の「岩神さん」。この岩をさすって頭をなでると頭が良くなり、体の痛いところなどをさすると治るそうだ。

 この神社、ちょっと変わった社名だが、実は豊臣秀吉の崇敬が篤かったという由緒ある神社。「満足」の2文字は太閤秀吉が「大神のご加護を蒙りすこぶる満足した」ところに由来するという。もともと伏見桃山城に守護神として鎮座していたが、元禄6年(1694年)に徳川綱吉が今の地に移した。出世や戦勝祈願など秀吉の願いをなんでもかなえてくれたことから、霊験あらたかであらゆるご利益があるそうだ。看板にも商売繁盛から厄除け、家内安全、良縁、合格、交通安全、病気治癒まで、考えられるもの全てが書き連ねられていた。

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<奈良の舞と奈良の唄> 舞妓さんに、新内の人間国宝・鶴賀若狭掾氏も出演!

2013年02月12日 | 音楽

【冬のならまちナイトカルチャー】

 奈良の花街、元林院は昭和初期200人を超える芸妓がいて、舞踊や三味線の芸を競っていたという。日本舞踊坂本流家元、坂本晴江さんはその元林院検番の専属師匠として長く指導し続けてきた。その舞を鑑賞する公演会「奈良の舞と奈良の唄」が、このほど「冬のならまちナイトカルチャー」(奈良市主催)の一環としてならまちセンターで開かれた。

 

 

 出演したのは立方が舞妓の菊弥さん(写真上段㊧)と坂本社中の名取の方々。地方には新内節の人間国宝(重要無形文化財保持者)、鶴賀若狭掾(わかさのじょう)氏と社中の方々(写真下段㊧)が東京から駆けつけた。鶴賀氏は1938年生まれで、2000年に新内界の大名跡を襲名し、02年には新内協会理事長に就任。05年には邦楽界史上初という天皇皇后両陛下を前に天覧リサイタルを開催している。

 

 菊弥さんは「地唄 大仏」で舞を披露。滋賀県出身で09年秋に舞妓としてデビューした。続いて「新作長唄 大和名物(扇供養より)」。さらに坂本晴江さんが作詞し、鶴賀若狭掾氏が作曲した新内「奈良めぐり」と「吉野静」が鶴賀氏自身の語りで披露された。最後は出演者全員による「新民謡 奈良ばやし」。観客の中には三味線に合わせくちずさむ人も多かった。「♪ほんに奈良なら奈良七重 七堂伽藍八重桜チョイトネ」 

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<江包・大西のお綱祭り> 大和の奇祭! 巨大な雄綱と雌綱が神前で夫婦の契り

2013年02月11日 | 祭り

【五穀豊穣と子孫繁栄を願う田遊び、1年前に国の重要無形文化財に】

 奈良県桜井市に古くから伝わる「江包(えっつみ)・大西のお綱祭り」が11日行われ、多くの観光客やカメラマンでにぎわった。素盞鳴(すさのお)神社の神前で、両地区から運び込まれた巨大な雌綱と雄綱が〝合体〟するという天下の奇祭。「お綱はんの結婚式」とも呼ばれる。昨年1月、国の重要無形民俗文化財に指定された。

  

 その昔、大洪水で上流から流されてきた神様のうち素盞鳴命を江包が、稲田姫を大西が助けて祀った。だが別々に祀ったせいか、その後、災いが続く。そのため年に1回、旧暦正月十日に夫婦の契りを結ぶ神事を行うようになったという。雄綱づくりは毎年、祭り前々日の9日、江包地区にある春日神社内で行われ、雌綱づくりは前日の10日、大西地区の市杵島(いちきしま)神社内で行われる。

 

 この日、初瀬川(大和川)を挟む両地区では早朝から藁で作った綱の化粧直し。雄綱(写真㊨)の頭部は直径1.5m、長さ3mほどで、それに約30mの尾がつく。雌綱(写真㊧)は長さ8mほどの頭に100mもある尾が続く。頭部は重さがともに500~600kgにも。これを20人ほどで担いで村内を巡回、結婚や新築など祝い事のあった家々を回る。この後、田んぼの中で「泥相撲」。泥が多くつくほど、その年は豊作になるといわれる。大西(下の写真㊧)の丸い土俵は雌綱の尾。全身泥まみれの取っ組み合いに観客の間からも笑いが絶えなかった。

 

   

 午前11時前、大西の雌綱が神主と仲人役の先導で素盞鳴神社に向けて出発。だが、その重さに加え相撲で消耗しお酒も入っているせいか、たびたび小休止。30分後にようやく到着し、雌綱の取り付け作業が始まった。その頃、雄綱の江包は近くの田んぼでまだ相撲の真っ最中(上の写真㊨)。こちらも大西に負けずみんな泥まみれ。取り囲んだ観客も衣服などに泥が付いた人が少なくなかった。

 

 鳥居の前で結合作業が始まったのは午後0時15分ごろ。吊り下げられた大きな雌綱に雄綱をつなぐ。合体成功! さらに離れないように綱を何重にも巻いていく。馬乗りでその作業をする長老も法被が泥だらけ(上の写真㊨)。25分後に完成し、関係者全員による手打ちで締めくくった。真正面から見ると〝ハンモックのお化け〟のようだった、と言ったら罰当たりだろうか。この神事、正式には「入船式」というそうだ。長い雌綱のしっぽは初瀬川の橋を越えて対岸の大木に括り付けられた。

 古くから伝わる素朴な神事の中に、農民の豊作と子孫繁栄への切なる願いが伝わってきた。ただ、伝統的な祭りの伝承はなかなか容易ではない。大西地区の参加者には若手も多いが、住民が少ない江包地区は中高年者の姿が目立った。そのせいか「今年の雄綱はいつもより小さいなあ」という不満気な声を何度も聞いた。毎年、お互いのサイズを確認して作っているそうだが、ちょっと先行きが心配になってきた。

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<高梨沙羅> スキージャンプW杯、早ければ今週末のスロベニア大会で総合優勝決定!

2013年02月10日 | スポーツ

【通算12戦で6勝、ライバルの2位サラに大きく水をあける】

 スキージャンプの女子ワールドカップ(W杯)は10日、山形・蔵王で第11戦(風で順延となった9日分)と第12戦を行い、総合でトップを走る高梨沙羅が2連勝を上げた。これで今季12戦中6勝。昨季チャンピオンで今季2位のサラ・ヘンドリクソン(米国)に獲得ポイントでさらに大きく水をあけた。残り4試合。高梨の総合優勝がかなり濃厚になってきた。

  

 高梨は8戦中4勝という圧倒的な戦績を引っ下げて、4試合を戦う日本大会を迎えた。だが札幌・宮の森では2日の第9戦12位と振るわず、翌3日の第10戦も5位にとどまった。2日は悪天候のため1回目だけのジャンプで順位が決まるという不運もあった。「スランプか」と心配する向きもあったが、蔵王での連勝はそんな懸念を払拭してくれた。1年前、W杯初勝利を飾った蔵王はやはり高梨にとって験のいいジャンプ場だった。

 10日の第11戦のジャンプ1回目。高梨は95.5mの最長不倒距離を飛ぶと、2回目も最長の93.5mで他を圧倒。さらに日本最終戦の第12戦では1回目に102mと唯1人HS(ヒルサイズ)の100mを超える大ジャンプを披露し、2回目も94mで最長をマークした。3位だったサラは1回目が93m、2回目が92mだった。

12戦終了時点でのW杯順位とポイント】 

 ①高梨沙羅(937ポイント)②サラ・ヘンドリクソン(米国、707ポイント)③ザイフリードスベルガー(オーストリア、697ポイント)④コリーヌ・マッテル(フランス、593ポイント)⑤アネッテ・サーゲン(ノルウェー、551ポイント)⑥カリーナ・フォークト(ドイツ、415ポイント)⑦ダニエル・イラシュコ(オーストリア、390ポイント)⑧エヴェリン・インサム(イタリア、330ポイント)⑧カティア・ポズン(スロベニア、330ポイント)⑩リンジー・ヴァン(米国、309ポイント)

 これで高梨は日本での4戦でポイントを267かさ上げし、合計937まで伸ばした。サラの4戦は7位、3位、4位、3位。ポイントは合計707で、高梨との日本戦以前のポイント差169が230にまで広がった。ポイントは1位100、2位80、3位60……。計算上、残り4戦で仮にサラが2勝しても、高梨に追いつけないポイント差になったわけだ。

【残り4戦 スロベニアとノルウェーで各2戦】

 上位陣ではオーストリアのザイフリードスベルガーが日本で1位1回、2位3回という好成績を収め、高梨を上回るポイント340を獲得した。ザイフリードスベルガーは22歳で、昨季は総合11位。今季は好調を持続しており、札幌での第10戦の1位は彼女にとってW杯初優勝だった。順位も8戦終了時点の6位から3位まで上げており、高梨にとってはサラと並ぶライバルとして急浮上してきた。

 今季のW杯はスロベニアとノルウェーでの4試合を残すのみ。今月16~17日にスロベニア・リュブノで第13~14戦、3月15日にノルウェー・トロンヘイムで第15戦、そして同17日にノルウェー・オスロで最終戦が行われる。仮に高梨がスロベニアで連勝すれば、ノルウェー戦を前に高梨のW杯初優勝が決まる。

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<奈良古典芸能フェス・シンポジウム>奈良を能・狂言、文楽、雅楽などの国内拠点に!

2013年02月09日 | 祭り

【観世流宗家・観世清和氏、東大寺別当・北河原公敬師らが講演】

 第1回奈良古典芸能フェスティバル・シンポジウムが9日、奈良市の東大寺総合文化センターで開かれた。能や雅楽など日本の古典芸能の多くが古都奈良で生まれたことを踏まえ、日本文化の醍醐味を再発見し次世代につなぐのが狙い。昨年秋には同フェスの一環として能「安宅」や歌舞伎「橋弁慶」などの公演も行っており、将来は日本芸能を世界に発信する一大フェスティバルに育てたい考えだ。

   

 2部構成で、第1部では古くから伝わる吉野水分神社の「御田植神事」と奈良市田原地区の「祭文語り~勝田新左衛門」が保存会のメンバーたちによって披露された。御田植神事は五穀豊穣を祈るもので、翁面を着けた田男が祝い詞を繰り返しながら農作業の手順を軽妙かつ厳粛に演じた。祭文語りは後の浪曲や三河万歳のルーツともいわれる。羽織袴姿の6人が左手にほら貝、右手に錫杖を持ってリズミカルな語りを披露した。

 第2部ではまず能楽観世流26世宗家観世清和氏が「古典芸能を継承するということ」の演題で講演した。観世氏は東京芸大音楽学部邦楽科卒。「洋楽のレッスンは邦楽では稽古。稽古は〝古きをたずねる〟ということ。日本の伝統文化はまず形から入る」。観阿弥・世阿弥は奈良から京都に上り足利義満の庇護を受けるが、将軍が代わると後ろ盾を失う。世阿弥は佐渡に流刑になるが、観世氏は「佐渡には渡っていないのではないか。古里の奈良に戻ってきて奈良で没したのではないか」と話す。「能と聞いて『オー・ノー』と言わずに気楽に能楽堂に足を運んでほしい。そのために私たちも敷居を一生懸命、鉋(かんな)で削りますので」とも話していた。

 続いて東大寺別当の北河原公敬師が「大仏さまと芸能」をテーマに講演した。東大寺がモチーフになった古典芸能に、能の「安宅」や「大仏供養」、歌舞伎の「勧進帳」がある。ただ弁慶の台詞などについて「全く事実と違うところもあることに注意してほしい」と強調。天平時代の大仏開眼供養会では「宮廷に伝わる歌舞に加え、ベトナムやタイなど海外から伝来した芸能も演じられた。まさに国際的な催しだった」。芸能を奉納し神仏を供養することを〝法楽(ほうらく)〟と呼ぶそうだ。以来、東大寺では大法要の際には必ず法楽を行ってきた。1980年の大仏殿の昭和大修理落慶法要では歌舞伎や京舞、琴・尺八の演奏、さだまさしコンサート、インドや韓国の古典舞踊などが5日間にわたって繰り広げられた。

 2人の講演に続いて、市町村アカデミー学長の林省吾氏と能楽小鼓方大倉流16世宗家・大倉源次郎氏も加わって「奈良、芸能の生まれるところ」をテーマにパネルディスカッション。その中で林氏は「奈良を日本の伝統的文化の中心地とし、奈良に行けばいつでも鑑賞できるようになってほしい。それが関西活性化の起爆剤にもなる」と指摘。大倉氏も「小鼓は桜の木と馬(桜肉)の革でできている。だからウマが合う」と笑わせたうえで、「小鼓は昔、主に奈良・多武峰のそばで作られ全国に広がっていった。その小鼓が遠く石垣島にも1600年代に伝わっていた。もう一度、全国から奈良へ里帰り公演ができないだろうか」と話していた。

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<やなせななさん>〝歌う尼さん〟感動のトーク&ライブ 奈良県南部復興支援で

2013年02月08日 | ひと模様

【「千年眠れ」「まけないタオル」…東日本大震災支援ソングなど8曲披露】

 一昨年の紀伊半島大水害の被災地を応援しようと「岐阜県南部地域復興支援コンサート」が8日夜、奈良市の南部公民館であった。奈良教育大学生による熊野古道・道普請活動の報告に続いて、〝歌う尼さん〟として人気を集めるシンガーソングライター、やなせななさん(本名梁瀬奈々)が唱歌「ふるさと」や自作の東日本大震災支援ソング「まけないタオル」「千年眠れ」など8曲を披露。優しい語り口と歌声が会場を温かく包み込んだ。

   

 やなせさんは1975年奈良県高取町生まれの37歳。99年に龍谷大学文学部真宗学科を卒業後得度し、現在は実家でもある浄土真宗本願寺派教恩寺の第6世住職を務める。その傍ら、シンガーソングライターやラジオのDJ、エッセイストとしても活躍中。2011年3月の東日本大震災を機に被災地東北の支援活動にも積極的に取り組んできた。

 シングル1作目「帰ろう。」でデビューしたのは2004年。だがCDは売れず発表の場も少ない。そんな時、宮城など東北地方から声が掛かった。頻繁に出かけるうち、多くの友達や歌仲間の輪が広がった。2011年3月、その東北を大震災が直撃する。テレビで惨状を目にしたやなせさんは「応援した人に恩返しをしなくては」と度々東北に向かった。その年5月福島、6月宮城、9月岩手……。一昨年9月、台風12号による大水害で紀伊半島が被災した時も岩手県で復興支援のコンサート中だった。

 東北での支援活動の中で知り合った一人に宮城県山元町の徳本寺住職、早坂文明さんがいた。山元町は太平洋を望む宮城県東南端にある。大震災では600人を超える犠牲者が出た。その中には檀信徒も多くいた。住職を兼務する徳泉寺は津波に襲われ伽藍も仏具も全て流失した。早坂さんは寺院復興のため「はがき一文字写経」を呼び掛ける一方、遺族や被災者を励まし支えたいとの思いから詞を作った。それにやなせさんがメロディーをつけた。

 こうして鎮魂歌「千年眠れ」や「ほんとうの空の下で~フクシマを想う時」、復興支援歌「まけないタオル」などが生まれた。「眠りなさい きのうの想い出 忘れて 哀しみ抱いて 私はずっと祈ります だから千年経ったら目覚めなさい……」。その優しい歌詞と目を閉じて歌うやなせさんの透明感あふれる歌声が胸に迫ってくる。

 今でこそ知名度もアップし幅広い支持を集めているが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。メジャーレビューを目指し、レコード会社にデモテープを持ち込んだ回数は百回を超える。だが、ことごとく落選。そのうちに所属事務所も閉鎖してしまった。追い討ちをかけるように30歳目前に子宮体がんを発症、卵巣と子宮の摘出手術を余儀なくされた。

 当時のつらい思いをいま販売中のPHP3月号にも綴っている。「シンガーソングライターとしての夢に破れ、ガン闘病によって自身の命の儚さを痛感した当時の私は、心身ともに疲れ果て、将来への希望を失いかけていました」。しかし鬱々としながら自宅にこもっていても仕方がない。発想を変えて挑戦していこうと考え直したという。この日のコンサートでも「自分だけでなくお隣の人も何がしか苦しいものを抱えている。東北で支えあうことの大切さを改めて教えられました」と話していた。

  

 コンサートを締めくくった曲は明るく元気な「まけないタオル」。やなせさんは支援活動の一環として「チームまけない!タオル」プロジェクトに参加してきた。このタオルの長さは約50cm(写真)。首にも頭にも「巻けない」と震災に「負けない」の語呂合わせから生まれた。募金1000円で支援者と被災者にタオルを1本ずつ送り、残金を被災地支援に充てる。山形県最上町のお寺の住職が編み出したという。

 「まけないぞ まけないぞ 首にも頭にも まけないタオル 半端じゃないぞ……」。震災には決して負けないという強い思いがこもる。コンサートが始まる前には来場者全員でピアノの伴奏に合わせて繰り返し練習、本番でもやなせさんと一緒に「まけないぞ まけないぞ」と声を合わせた。終了後には「まけないタオル」を求めて長蛇の列。ただ、この日の募金は奈良県南部の被災地支援に充てる。東北からも了解を得ているという。

 やなせさんは2007年ごろから宗派を超えて全国の寺院を中心にコンサートを開いてきた。これまでの公演回数は250回を超える。「これからも一人でも多くの人の悲しみや痛みに寄り添う歌を作り、届けたい」「挫折の先にも、数々の新たな出会いが生まれるものです。命ある限り、道は続いています」(PHP3月号から)。

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<「中国 王朝の至宝」展> 巨大な「阿育王塔」日本初公開 まばゆい煌き・圧倒的存在感!

2013年02月07日 | 美術

 【神戸市立博物館で開幕、中国歴代王朝の一級品168点を展示】

 特別展「中国 王朝の至宝」展が神戸市立博物館で始まった(4月7日まで)。中国最古の王朝といわれる「夏」から「殷」、戦国時代、初めての統一王朝「秦」と「漢」、北朝と南朝、再び全土を平定した「唐」、そして「遼」「宋」まで、歴代の文化財168点を時代の変遷を辿りながら一堂に展示している。うちほぼ6割の101点は国宝級の「中国一級文物」。中でも高さが1mを超える巨大仏塔「阿育王塔」(写真㊧)は2008年に南京市の寺院跡から出土したばかりで、日本初公開の超一級品。

      

 阿育王塔の名前は古代インドのアショカ王(阿育王)が8万4000の仏塔を造立した故事にちなむ。これまでに見つかった塔は高さが20cm程度の小型のものばかりだったが、南京にあった古刹長干寺跡から発掘されたこの塔は119cmもある巨大なもの。銀板に金メッキし水晶や瑠璃、めのうなどの宝石で飾り立てており、まばゆいばかりの輝きを放つ。

 方形の塔身の上部には五輪と宝珠。4面には「尸毘王(しびおう)救鳩変」(写真㊨)など釈迦による4つの説話が浮き彫りで刻まれている。塔が納められていた石函の銘から約1000年前の北宋時代の1011年に制作されたものと判明。また長干寺に伝わった真身舎利(釈迦の本物の舎利)を納めていたものといわれる。

   

 中国では紀元前2000年ごろから中原(黄河中流域の平原)に初期的な王朝(夏・殷)が誕生。同時期、「蜀」と呼ばれた長江上流域の四川盆地には別の勢力が台頭した。蜀では人の姿をした神や動物を崇め金を多用した。金製の仮面を着けた「人頭像」(上段の写真㊧)は高さ41cmで、四川省広漢市にある紀元前12~10世紀ごろの遺跡の祭祀坑から出土した。突出した巨大な目玉が印象的な「突目仮面」も祭祀用の器物とみられる。

 一方、中原地域ではこうした人の形の造形化は見られないそうだ。殷時代の「ト甲(ぼっこう)」は亀の甲羅を加熱し亀裂の形から吉凶を占ったもので、甲羅の周囲に占いの結果などが漢字の祖形に当たる甲骨文字で刻まれていた。紀元前3世紀の戦国時代の「猿形帯鉤(たいこう)」は長さ20cmほどの銀製でベルトのバックルとして使われたとみられる。猿が体をひねって跳ぶ形で、伸ばした左手がベルト穴に通る仕組み。当時の日本はまだ弥生時代が始まったばかり。それだけにその高度な金工技術と意匠の巧みさにはただ驚くばかり。

 紀元前4~3世紀の「編鐘(へんしょう)」は11個の青銅製の鐘が大きい順に漆塗りの木枠に掛けられたまま出土した。鐘はたたく場所によって、それぞれ2つの高さの音が出るようになっていたという。8世紀の「供手男女図」は唐王朝の名門貴族の墓から出土した壁画。流れるような線で男女が描かれ、装束の鮮やかな橙や緑の色がそのまま残っていた。

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<コエビソウ(小海老草)>花を包む苞がウロコ状に重なり、まるでエビのように!

2013年02月06日 | 花の四季

【メキシコ原産「ベロペロネ」とも 英名は「シュリンプ・プラント」】

 メキシコ原産の半耐寒性常緑低木。日本には80年ほど前の昭和初期に渡来してきた。キツネノマゴ科ジャスティシア属の植物だが、旧分類のベロペロネ属から一般に「ベロペロネ」と呼ばれる。ベロペロネはギリシャ語のベロス(矢)とペロネ(帯、留め金)の合成語。雄しべの先端の葯の形に由来するともいわれる。

 和名は「コエビソウ」。花を包み込む苞が何枚もウロコ状に重なって湾曲し、その形がエビに似ていることによる。苞は初めのうちは淡緑色だが、次第に赤褐色に変化していく。赤く色づいた苞は茹で上がったエビのようにも見える。英名も「シュリンプ・プラント」。苞の間から顔をのぞかせているのが花で、細長い白に赤紫色の斑点が入る。花は長持ちしないが、苞は長く残るため、鉢植えや切り花、庭木のほか生け花や茶花としても親しまれてきた。

 一般に「ベロペロネ」と呼ばれるのは「ベロペロネ・グッタータ」のこと。この他、苞が黄色の「イエロークイーン」や葉に白い斑が入る「エンジェルキッス」などの園芸品種がある。科名になっているキツネノマゴは道端によく生えている1年草。同じ仲間には多年草のハグロソウ、サンゴバナ、オギノツメなどがある。

 熱帯性植物だけに日光を好み暑さに強いが、寒さにも比較的強い。花期は通常6~10月ごろだが、一定以上の温度さえ確保できれば季節に関係なく1年中咲き続ける。この写真も天王寺公園(大阪市)の植物温室で撮ったもの。温室では四季咲きというわけだ。それではこのコエビソウ、俳句ではいつの季語になるのだろうか。

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<春日大社宝物殿> 「春日権現験記―絵巻の中のファッションと暮らし」

2013年02月05日 | 美術

【鎌倉絵巻の傑作、貴族から庶民までの風俗を活写!】

 春日大社宝物殿で 「春日権現験記―絵巻の中のファッションと暮らし」(4月14日まで)が開かれている。春日権現験記は平安時代末~鎌倉時代に編纂された春日大社の霊験集を集大成した20巻に及ぶ絵巻物。藤原氏をはじめ王朝貴族の優美な風俗から庶民の暮らしが丁寧に描かれている。その絵巻をもとに往時の装束や暮らしの様子を振り返っている。

 

 絵巻物第3巻の「関白忠実、鹿島造営を喜び女房に扇を賜う」場面(写真㊧)に描かれた装束は、藤原忠実は烏帽子に直衣姿、仕える女性たちは正装の女房装束(十二単)。貴族女性は何枚もの袿(うちぎ、裏地のついた広袖の着物)を重ね、袿の下には袴をはいた。袴は身分の高い女性の目印だった。正装では表着(一番上に羽織る袿)の上に袖丈の短い唐衣(からぎぬ)と後ろ半分の巻きスカートのような裳(も)をつける。このため十二単は正式には「裳唐衣装束」とも呼ばれた。(写真㊨は第3巻「隣の部屋の様子をうかがう姫君」)

 一方、庶民の女性は小袖だけを着て腰紐で結ぶ着流しスタイルで、働く時にはエプロンのような腰布をつけ鉢巻で髪をまとめた。色は白や青が基調で柄は小紋が中心。社寺参詣などのため外出する際には小袖の上に袿、あるいは小袖を羽織ったり被衣(かずき)として頭からかぶったりした。

 絵巻物には食事の場面も多く描かれている。茶碗にご飯が盛られ、小さな皿2~3枚におかずが少しずつ、それにお汁がつくというのが中流貴族の一般的なメニューだった。これらが高坏や懸盤(かけばん)にセットされたが、貴族といっても食事はかなり質素だったようだ。藤原俊盛邸の庭の描写には鳥小屋や盆栽、岩や白砂を組み合わせた盆景などが描かれている。鳥を飼う習慣は平安時代からあり盆栽は鎌倉時代に流行したという。

  

 絵巻物とともに春日大社に伝わる装束や調度品、飲食具、建築道具なども展示されているが、やはり目を引くのが国宝の甲冑「赤糸威(おどし)の大鎧(おおよろい)」。平安後期の源氏の武将、源義家の奉納と伝わるが、随所に認められる時代色から鎌倉後期の作とみられている。東京国立博物館での1年がかりの修理を終え、昨年3月、往年の輝きを取り戻して帰ってきた。梅・蝶・鶯をモチーフとした飾り金物の精緻さと優雅さは目を見張るばかりだった。

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<BOOK> 「日本人こそ見直したい、世界が恋する日本の美徳」

2013年02月04日 | BOOK

【永田公彦著、ディスカヴァー・トゥエンティワン発行】

 一昨年の東日本大震災直後、悲惨な映像が世界に発信されたとき、日本人の冷静沈着な行動や互助の精神などが繰り返し称賛された。筆者は「日本人が育んできた価値観と精神性に宿る美徳」を日本人自身が再認識すべきと強調。その美徳を様々な形にして世界に〝伝道〟することが人々の心を癒やし、「軍事・経済のパワーではなくソフトなパワー」で国際社会をリードしていくことができると主張する。

     

 著者は1960年生まれで、JTBの海外事業部門のマネジャーなどを務めた後、96年フランスに拠点を移しMBA(経営学修士)を取得し、リヨン商工会議所、調査コンサルティング会社などに勤務。2003年から「ナガタ・グローバル・パートナーズ」代表パートナーを務める。長い海外生活の中で「日本人が従来から持ち合わせる価値観と精神文化が今後ますます注目され世界に広がるとの確信を深めた」とし、「第三のジャポニズムの到来をも感じている」という。そうした思いが本書執筆を促したようだ。

 6章構成。第3章「ニッポンという国の魅力はこんなにある」、第4章「世界が注目するニッポン人の美徳」で、日本と日本人の魅力・美徳を粋・平安・和・敬・清・こだわり――の6つのキーワードごとに列挙する。例えば「ルールを守る」「時間を守る」「手を清める」「丁寧な技へのこだわり」「静寂な大都会」「世界をカッコいいと言わせる和食」「安全~自転車泥棒と痴漢だけ気をつければいい」等々。

 筆者は社会が格差と不確実性を増し、混沌・殺伐とする中で「ニッポン売り込みの機が熟している」とみる。売り込むのは長年日本人が育んできた美徳に裏打ちされた〝和風ソフトパワー〟。文化芸術、商品、サービス、知的財産、デザイン、映像などのコンテンツ、道徳、倫理、社会モデル、経営モデルなど様々な形にして売り込んでいく。そのために重要なのが「国家ブランディング」戦略と指摘する。

 フランスは経済規模で日本の半分以下だが、国際的なプレゼンスや発言権ははるかに強い。その背景には外に向けた強い国家ブランドがある。韓国もトップ主導で〝韓流〟という文化コンテンツと韓国製品を組み合わせたパッケージで輸出を増やし、外国人観光客数でも2009年以降、日本を上回る。著者は日本とフランスなどの海外文化交流拠点数などを比較しながら「全方位で親日家を増やそう」「世界中に〝I LOVE JAPAN〟のネットワーク拠点を」と呼びかける。

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<ACCU奈良 文化遺産国際セミナー> 国内随一の石工・左野勝司氏「石と対話して半世紀」

2013年02月03日 | メモ

【高松塚古墳の解体、イースター島・モアイ像の修復……】

 ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)文化遺産保護協力事務所(奈良事務所)主催の「文化遺産国際セミナー」が2日、奈良市のならまちセンターで開かれた。奈良文化財研究所(奈文研)保存修復科学研究室長の高妻洋成氏が「文化遺産を科学の目で診る」、石工・左野勝司氏が「石と対話して半世紀」の演題で講演、その後、奈文研都城発掘調査部副部長の杉山洋氏も加わって「文化遺産を伝える〝たくみ〟の技」をテーマに座談会(コーディネーター奈良県立大学特任教授・田辺征夫氏)を行った。

  

 左野氏(写真㊧)は1943年奈良生まれの世界的な石工。これまでにイースター島のモアイ像の修復(下の写真㊧)や高松塚古墳の解体などを手掛け、今もカンボジア・アンコール遺跡の西トップ寺院(下の写真㊨)の修復に携わっている。「モアイ像は大きなものは40トンもあり、滑車などで重量を半減させながら慎重に起こした」。それから約17年。その後は島の人たちが自力で保存・修復に取り組み多くのモアイ像が立ってきたという。「4月には久しぶりに現地を訪ねる予定」と楽しみな様子だ。

 高松塚古墳の解体については「漆喰が塗られ壁画が描かれていたので石の中の状況が分からず試行錯誤の連続。保存科学の力なども借りながら初めてできた。1人や2人の力では到底できなかった。ただ(石室から取り出した石が)これからどうなるか心配」と話す。現在取り組んでいる西トップ寺院はアンコール遺跡群の中のアンコール・トムの一角にある。石材の劣化に加え植物の侵食も激しい。「アンコールワットに比べると、石質が悪いうえ石組みも粗雑。長年の内戦で技術者が殺害されていない。職人養成のためにもお手伝いできればと思っている」。

  

 左野氏に先駆け講演した高妻氏によると、石は硬いというイメージがあるが、時間の経過とともに風化していく。その原因としては①凍結破砕②地震など応力の集中による破壊③塩類風化④生物被害――がある。そのうち凍結破砕は水が凍ると体積が9%膨張するため、石に染み込んだ水の凍結によって起こる。左野氏も「石にとって凍結が一番の致命傷。モアイ像やアンコール遺跡が何百年も1000年ももったのは気候が温暖で凍らなかったから」と話す。

 座談会では石のクセから木の文化との違い、人材の養成まで幅広いテーマが論じられた。西トップ寺院の修復に現地で携わっている杉山氏は「石材が割れやすく、それを解体してどう元通りに積み上げるかが大きな課題。新しい石材をどこまで使っていいのか」と率直に悩みを打ち明ける。世界遺産に指定されており、登録条件の「オーセンティシティ(真正性)」とも関わってくる問題だからだ。海外での文化財修復支援について、杉山氏は「結局『人』の問題に行き着く。造ったのが人なら、それを保存・修復するのも人。日本人とはものの考え方や仕事の進め方などが違うが、相互に歩み寄りながら進めるしかない」とも話していた。

【モアイ像修復事業】 イースター島は南米チリから西へ約3800kmにある南太平洋の孤島。小豆島ほどの島に10~17世紀に造られたモアイ像が950体近くあるが、その多くは地震、津波、部族間抗争などで倒れたままだった。知事の呼びかけに応じ日本の支援による修復事業が動き始めたのは1988年。修復場所は島最大の祭壇「アフ・トンガリキ」。左野さん率いる飛鳥建設や奈文研職員、クレーンメーカー・タダノ、島民らが協力して巨大なモアイ像15体が元の祭壇に収まった。

【アンコール遺跡群西トップ寺院の修復事業】 西トップ寺院があるアンコール・トムは一辺3kmほどの城壁に囲まれた都城遺跡。この寺院は密林に囲まれ、石材(砂岩)の劣化や植物による侵食などで倒壊の危険性があった。2002年から奈文研を中心とした修復事業が始動。解体修理に向けて三次元測量や石材の保存科学的調査などが行われ、石材を積むための高度な技術を要する作業は左野氏の指揮の下で進んでいる。

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<大阪市立美術館> 特別陳列「酒と食のうつわ~杯のなかの小さな世界」展

2013年02月02日 | 美術

【鶴亀や四季の草花、名所…朱漆塗りの杯の中に優美な金銀の蒔絵】

 大阪市立美術館で特別陳列「酒と食のうつわ~杯のなかの小さな世界」展が開かれている(11日まで)。酒を酌み交わす器の1つ、朱の漆塗りの杯。同館はその朱杯を約560枚収蔵、日本屈指のコレクションといわれる。草花や鶴亀に代表される吉祥、江戸や京都の名所絵など多彩な文様が金銀の蒔絵で描かれた豪華な朱杯。その中から名品約260点が展示されている。

 

 主な収蔵品はウンゲルンコレクション60枚、森コレクション110枚、カザールコレクション390枚。ウンゲルン氏(1879~1952年)はエストニア生まれの白系ロシア人。ドイツ国籍を取得後来日し、神戸市外大でドイツ語の教鞭を執った。カザール氏(1888~1964年)はイタリア生まれのスイス人実業家。世界的に有名な漆器のコレクターだった。森新治郎氏(1893~1981年)は森電機(現アジアグロースキャピタル)の創業者。生前、美術品の海外流出を憂い日本画、蒔絵を中心に収集した。

 

 朱杯に描かれた題材で多いのは、江戸時代の七福神信仰から恵比寿や大黒天、布袋さんなど。中国の伝説上の動物、猩々(しょうじょう)も福神の化身と信じられ、酒を好む赤い髪をした姿で描かれた。江戸時代後期には諸国の名所を紹介した名所案内記や浮世絵が流行したが、朱杯の下絵にもこれらの刷り物が参考にされた。天満橋、天神橋、難波橋を描いた「浪華三大橋蒔絵組み杯」をはじめ京の大堰川、通天橋(東福寺)の紅葉、江戸の不忍池や両国橋などを描いたものもあった。

 「猿猴舟蒔絵組み杯」は5~6匹の猿が舟遊びするユーモラスな構図。「三方飾り組み杯」は三方の上に伊勢海老などが飾られ、「牧牛蒔絵杯」は30頭余の牛が群れる牧場の光景を小さな杯の中に繊細に描いている。朱杯のほかに室町~桃山時代にかけて作られた根来塗といわれる漆塗りの酒器や椀なども展示されていた。こんな優美な杯や酒器で飲むと、酒のうまさも一段と引き立つに違いない。(写真は上段㊧「猿猴舟遊び蒔絵杯」、㊨「魚介蒔絵杯」(羊遊斎銘)、下段㊧「三方に伊勢海老蒔絵杯」(花一房銘)、㊨「牧牛蒔絵杯」)

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<登彌神社筒粥祭> 大釜で小豆粥を炊き、作物27品目の豊凶を占う

2013年02月01日 | 祭り

【大豊作の上ノ上は大豆だけ、スイカなど8品目が大凶作の下ノ下!】

 旧暦正月に当たる1日の早朝、奈良市石木町の登彌(とみ)神社で筒粥祭(粥占い)が行われた。鉄製の大釜で竹筒と小豆粥を一緒に炊き、竹筒への米と小豆の入り具合から五穀や野菜、果物など27品目の豊凶を占う。奈良市指定の無形民俗文化財。起源は不明だが、大釜に元禄8年(1695年)の記銘があることから、少なくとも300年以上続く伝統行事であることは間違いない。

  

 この祭りは奈良市と大和郡山市にまたがる大和田、石木、城の3つの氏子地域が回り持ちで担当しており、今年は大和田が当番。男性氏子は白装束に烏帽子姿、女性は神社の法被姿で奉仕、午前5時半すぎに大釜に火が入った。釜の中には米2升と小豆1升、それに長さ20cmほどの竹筒27本。ほぼ1時間で炊き上がった。取り出した竹筒は三方に載せて神前へ。7時から神主の祝詞奏上や玉串奉奠に続いて粥占いが始まった。

  

 氏子の1人が小刀で竹筒を1本ずつ縦に割く。神主が筒に詰まった米粒や小豆粒の入り具合を見極めて今年の作柄の出来、不出来を判断していく。判定は量と中身に応じて「上ノ上」「上」「上ノ下」から「下ノ上」「下」「下ノ下」まで9段階あり、5~6品目ごとに占いの結果が発表された。農家の人たちは真剣な表情で手元の一覧表に記入していたが、なかなか厳しい予想に「え~っ!」「今年はええことないなあ」とため息も漏れていた。

 

 張り出された一覧表によると、最高の「上ノ上」は大豆の1品目だけ。その下の「上」も米のひとめぼれや白菜、ナスなど6品目しかなかった。一方、最低の「下ノ下」はゴボウやピーマン、スイカなど8品目、「下」も12品目あった。大釜を炊く火の調整がなかなかうまくいかず、沸騰までに半時間を要したことなどが災いしたのか? いやいや、これも神意に違いない。粥占いが終わると、焚き火を囲んだ参拝者たちに熱々の小豆粥や青竹に入った清酒が振る舞われた。

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