く~にゃん雑記帳

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<詩人・和合亮一講演会> 「福島に生きる 福島を生きる」

2013年07月14日 | メモ

【奈良女子大学で公開講座、詩の朗読も交えながら】

 東日本大震災直後から「福島」について発信し続ける福島市在住の詩人、和合亮一さんの講演会「福島に生きる 福島を生きる」が13日、奈良女子大学記念館で開かれた。震災6日目から始めたツイッターへの投稿が全国的に大きな反響を呼んだ。「放射能が降っています。静かな夜です」「福島を生きる 福島に生きる 福島で生きる」――。和合さんは詩の朗読を交えながら、地震と津波と原発事故の3重苦に見舞われた故郷への思いを熱く語った。

 

 和合さんは1968年福島市生まれ。高校の教員として国語を教える傍ら、詩人としても活躍してきた。「AFTER」で中原中也賞、「地球頭脳詩篇」で晩翠賞を受賞している。震災以降の著作にツイッター投稿作をまとめた「詩の礫(つぶて)」や「詩ノ黙礼」「ふるさとをあきらめない フクシマ、25人の証言」などがある。

 震災発生時、和合さんは勤め先の県立保原高校(伊達市)で入試合否判定会議の最中だった。気がかりなのは足の悪い父と母のこと。実家に駆けつけ2人の無事な姿を見て「42歳の大人が大泣きしてしまった」。原発の水素爆発には「ああ、これで福島は終わりか」と思った。震災6日目、妻と息子を山形に避難させた。「1人になって初めて孤独の本質を感じた」。幸い電気はついた。パソコンを立ち上げツイッターにその時の状況と思いを投稿した。

 「私は作品を修羅のように書きたいと思います」「放射能が降っています。静かな静かな夜です」「あなたにとって故郷とは、どのようなものですか。私は故郷を捨てません。故郷は私の全てです」「父と母に避難を申し出ましたが、両親は故郷を離れたくないと言いました。おまえたちだけで行け、と。私は両親を選びます」「腹が立つ。ものすごく腹が立つ」。そして最後に「明けない夜は無い」と打ち込んだ。

 その日から毎晩パソコンに向かい、最後は「明けない夜は無い」と締めくくった。「怒りと絶望と悲しみしかなかったが、最後には無意識にこう打っていた。思い返すと、光を探すための〝祈り〟だったのかもしれない。言葉を書くということはアグレッシブな行為で、気持ちも積極的になる。言葉は光を与えてくれるために存在するということをはっきりと感じた」。

 朗読した2つ目の詩は「高台へ」。南三陸町の防災無線で避難を呼び掛け続けた遠藤未希さんと、その記録映像を見て涙する母親の姿を詩にした。「<高台へ避難して下さい> 美しい凛とした声は、何百人もの命を救った…凛とした声明かりがもっと欲しい。もっと心の高台へと、誘ってほしい。黙礼」。和合さんは時に静かに、時に激しく詩を読んだ。会場のあちこちからかすかに鼻をすすり上げるような音が聞こえた。

 和合さんは郡山市の避難所で会った60代後半の女性の言葉が忘れられない。「言葉には橋がある。これを〝言の橋〟という。いい橋を架ければ、向こう側から歩いて来てくれる」。その女性は経営していた美容院で思い浮かんだ言葉をお客さんに〝プレゼント〟していたという。和合さんは「言葉は美しく、品があって、優しく、研ぎ澄まされたものでなくてはならない。癒す母親のような言葉、時には叱ってくれる父親のような言葉。私は福島から言葉の橋を架けたい。そして同じ歩幅で橋を渡っていきたい」と話す。

 最後に朗読したのは「決意」という詩だった。「福島を生きる 福島を愛する 福島をあきらめない 福島を信じる 福島を歩く/福島の名を呼ぶ 福島を誇りに思う 福島を子どもたちに手渡す 福島を抱きしめる/福島と共に涙を流す 福島に泣く 福島が泣く 福島と泣く 福島で泣く…福島を守る 福島を取り戻す 福島を手の中に 福島を生きる/福島に生きる 福島を生きる 福島で生きる…」。


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