く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<太宰府> 天満宮の長い歴史を物語るクスノキの巨樹たち

2014年08月24日 | 旅・想い出写真館

【観世音寺の国宝の梵鐘は京都・妙心寺の鐘と兄弟!】

 菅原道真が京の都から左遷させられた九州・大宰府で没したのは今から約1110年前の903年(延喜3年)。没後、遺骸を牛車で運んでいたところ牛が伏して動かなくなったため、これは菅公(道真)の御心によるものだろうとその地に葬られた。太宰府天満宮(福岡県太宰府市)は道真の墓所の上に社殿が造営されている。(古代の役所は「大宰府」、現在の市名や神社名などは「太宰府」と表記)

 

 心字池に架かる赤い欄干の橋は太鼓橋、平橋、太鼓橋の3つが連なる。過去・現在・未来の「三世一念」という仏教思想を表しているという。本殿に向かうと正面右手に有名な飛梅。「東風(こち)吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」。京を去る時こう詠んだ道真を慕って一夜にして飛んできたと伝わる。

 

 本殿を囲むようにクスノキの巨木などが生い茂って〝天神の杜〟を形成する。とりわけ目を引くのが社務所北側にある国指定天然記念物の大クスノキ(上の写真㊨)。高さ39m、目通り幹周り12m。樹齢は説明版によると「千年とも千五百年ともいわれる」。大地にしっかり根を張る力強い姿に圧倒された。境内には他にも県の天然記念物に指定されたクスノキが48本もあるそうだ。

 

 本殿周囲には道真とゆかりのある様々な石碑が立つ。その1つが「野見宿祢公碑」。宿祢は「日本書紀」などに登場する出雲の勇士で、当麻蹴速と相撲をして勝ったことから相撲の祖神といわれる。説明文に「菅原道真公の祖先にあたり……」とあった。宿祢は土師氏の祖ともいわれ、その土師氏の中で居住地の大和国菅原邑にちなんで姓を菅原に改めた氏があった。現在の奈良市菅原町辺りは道真の生誕地ともいわれ、宿祢や道真を祭る菅原天満宮の近くには産湯を使ったという誕生池まである。

 境内東側、九州国立博物館に向かう途中に「如水の井戸」(上の写真㊨)があった。如水は福岡藩初代藩主黒田長政の父で、軍師官兵衛として知られる考高(よしたか)の出家後の号。太宰府天満宮を崇敬していた如水は晩年、ここに草庵をつくって約2年間を過ごしたという。27歳の若さで「国民新聞」を創刊した徳富蘇峰(猪一郎)の詩碑もあった(下の写真㊧)。蘇峰は文豪・徳富蘆花の実兄。碑には道真の生涯と精神を讃えた詩が刻まれている。境内では夏らしく〝水みくじ〟を水に浸し浮き上がる文字に見入る観光客の姿も見られた。

 

 天満宮の西側には古代最大の地方の役所で「遠の朝廷」と呼ばれた大宰府政庁跡(都府楼跡)が広がる。そのそばに九州の寺院をまとめる「府の大寺」として栄えた観世音寺がある。ここには奈良・東大寺、栃木・下野薬師寺と並ぶ日本3戒壇の1つが置かれた。境内の一角にある梵鐘は国宝指定。創建当時の鐘で日本最古といわれる。説明文に「京都・妙心寺の鐘と兄弟といわれ、その古さに於ても亦優秀さに於てもまさに日本一と称され……」。鐘の表面を彩る深い緑青の色が歴史の長さを物語っていた。

 

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