源龍乃介のまたたび

国際分散投資投資・不動産が主な内容です。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

管弦楽組曲第1番 J.S.バッハ

2010-02-28 | クラシック
管弦楽組曲第1番はJ.S.バッハが1720年前後に作曲したと言われています。管弦楽組曲は第1番から第4番まであり、ところどころに有名な馴染みのある曲があるのですが、それ以外にも味のある曲が多く含まれています。

それぞれの調は、第1番ハ長調、第2番ロ短調、第3番ニ長調、第4番ニ長調なのですが、この管弦楽組曲は調の特徴が分かりやすく、それぞれを比較して聴いてみると面白いと思います。

第1番ハ長調は、安心感のある明るさを持っており、屈折した表情がほとんどない純粋な美しさがあります。場所を選ばず落ち着くことができ、包まれるような美しさを持っている曲なので、個人的には大変気に入っています。

それに対して第2番ロ短調は、暗さの極致。暗さを通り越して怖さすら感じる調で、特に序曲の出だし30秒は強い恐怖を感じます。そのあと、短調特有の味のあるメロディーと和音になり、暗さの中から滲み出てくる美しさがあるので、好きな人は結構いるようです。第1番第5曲と第2番第6曲に、メヌエットという同じ形式の舞曲が出てくるのですが、調の変化と演奏の仕方でこんなにも違いが出てしまうのかと驚くくらい表情の落差があります。

第3番ニ長調は、威風堂々とした希望にあふれた明るさをもっていますが、この第1曲序曲と第5曲ジーグは特にそのように感じます。第5曲ジーグの最後40秒、堂々とした高らかに鳴り響くトランペットの合間に流れるバイオリンの美しい旋律には痺れます。第4番ニ長調も同様ですが、第3番の方が人気があるようです。

現在では組曲と言えば、バレエ音楽やオペラの音楽から演奏会で演奏可能なものを指すことが多いと思いますが、バロック時代の組曲は、そのような様式ではなく、さまざまな舞曲を組み合わせたものという意味になります。基本的にはアルマンド→クーラント→サラバンド→ジーグという4曲で構成されるのですが、他の舞曲を挿入してみたり、曲の最初に序曲をつけてみたりということが行われていました。

お勧めの音源は、以下になります。ブランデンブルク協奏曲と管弦楽組曲第1~4番などが含まれています。

「バッハ:ブランデンブルク協奏曲」
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
リヒター指揮
1960年代演奏
ユニバーサルミュージッククラシック
2002年販売

====================

(構成)

第1曲:序曲(ouverture)

ouvertureはフランス語で開始を意味するもので、フランスのオペラ作曲家であるリュリにより考案されたものになります。そのためフランスの影響を強く受けています。緩急緩の3部構成で、付点リズムを特徴とする緩徐部分からフーガ風の急速部分、そして緩徐に戻るのが定番だったようです。管弦楽組曲第1番の序曲はその定番通りの演奏で、安心感のある明るさのなかに堂々とした荘厳さも含まれています。管弦楽組曲第3番序曲も堂々とした荘厳さを持っているのですが、第1番はそれよりも荘厳さを控え、代わりにゆったりとした安心感のある空気が流れています。

第2曲:クーラント(courante)

クーラントとは、フランスのクリール(走る)に由来し、フランスを起源とする宮廷舞曲で、2分の3拍子または4分の6拍子による2拍子と3拍子との混じりあいが特徴と言われています。日本人には馴染みの薄い3拍子ですが、ヨーロッパではキリスト教の影響で三位一体・完全を意味する3の数字が音楽にも反映されており、舞曲でよく使われています。馴染みの薄い3拍子でリズムを取ろうとすると2拍子のリズムが邪魔をし、さらにアウフタクト(小節終わりの弱い音から始まる)、小刻みな短い音に混じって時々流れる断ち切るような長い音(しかも伴奏も一緒になって長い音になるのでビートを刻む人がいなくなる)、これらも加わってリズム感を保つのに難しい曲だと感じています。それが楽しさ喜びをよく表現している旋律と合わせて、いい味を出しているのかもしれません。

第3曲:ガヴォット(gavotte)

ガヴォットとは、フランスのブルターニュ由来の舞曲で、4分の4拍子または2分の2拍子のリズムをもったものです。

第4曲:フォルラーナ(forlane)

フォルラーナとは、北イタリア起源の舞曲と言われています。この曲では4分の6拍子で、流れるように美しい旋律と伴奏を奏でています。

第5曲:メヌエット(menuet)

メヌエットとは、フランスの民俗舞曲を起源とする宮廷舞曲で、4分の3拍子で宮廷舞曲らしく優雅なのが特徴になります。この曲はシンプルですが、3拍子のリズムに合わせていると実に優雅で、宮廷音楽らしさを感じます。

第6曲:ブレー(bourree)

ブレーとは、フランスのオーヴェルニュ由来の舞曲で、早いテンポの2拍子が特徴になります。この曲のブレーも踊りたくなるようなリズムになっているのですが、1分後からハ短調への転調によって陰の部分が表れて表情が一変します。

第7曲:パスピエ(passepied)

パスピエとは、運ぶ足という意味で、フランスのブルターニュ由来の舞曲になります。8分の6拍子、8分の3拍子の早い舞曲となります。基本はそうなのですが、この曲では、4分の3拍子で、ややゆったりとした品のある舞曲になっています。

===================
コメント

J.S.バッハ

2010-02-21 | クラシック
個人的にクラシックで最も好きな作曲家になります。J.S.バッハが活躍した1700年前後はバロック時代になりますが、バロックという言葉は、もともと建築や彫刻の世界で、複雑で矛盾に満ちた人間の感情を総合的に表現するために生まれた様式で、曲線を多用し過剰な装飾を持つのが特徴になっています。それが音楽の世界にも転用されることとなりました。

====================

[経歴]

1685年、ドイツのアイゼナハに出生し、1694年と1695年に父母が死去したため、オールドルフでオルガニストをしていた長兄ヨハン・クリストフの家に引き取られた。ここでクリストフはバッハにチェンバロを教え、ドイツ・フランス・イタリアの作曲家の曲をふんだんに聴かせた。同時にラテン学校にてルター正統派の徹底的な教育を受ける。

1700年、学友のゲオルク・エルトマン(後にロシア皇帝の大使)とともにリューネブルクに移動し、聖ミカエル教会の朝課合唱隊に就職する。

1701年、ハンブルグを訪れ、聖カタリナ教会でヤン・アダムス・ラインケンのオルガン演奏を聴き、対位法の魅力を知る。

1703年、テューリンゲンのアルンシュタット教会のオルガニストに就任する。その間にリューベックにてブクステフーデのオルガン演奏に魅了され、彼から4ヶ月間指導を受ける。

1707年、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会のオルガニストに就任する。遠戚にあたるマリア・バルバラと結婚する。

1708年、ワイマールにてザクセン=ワイマール公の宮廷オルガニストに就任する。

1714年、楽師長(宮廷楽団のコンサートマスター)に就任し、月に一曲ずつカンタータを作曲することを義務付けられる。この時期に何曲もの偉大なカンタータが生まれている。また、ヨハン・エルンスト公子の注文に従って、ヴィヴァルディなどの曲をもとに16のチェンバロ協奏曲と5つのオルガン協奏曲を編曲している。

1717年、ケーテンの宮廷楽長に就任し、17人のオーケストラを指揮することとなる。このオーケストラのために、「ブランデンブルク協奏曲」「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」「無伴奏チェロ組曲」など有名な曲を作曲している。ケーテンの宮廷が同じプロテスタントでも敬虔派に近いカルヴァン派の教会に属していたため、この時期は宗教音楽をほとんど作っていない。

1720年、領主レオポルト公のお供で湯治場で有名なボヘミアのカルルスバート滞在中、妻のマリア・バルバラが急死する。

1721年、宮廷トランペット奏者の娘でソプラノ歌手の、アンナ・マクダレーナ・ヴィルケンと結婚する。

1723年、ライプツィヒの聖トマス教会付属学校のカントル(音楽監督)に就任する。ここでは、校長・市長・市参事会・聖職会議の命令に従う必要があり、これが晩年までバッハを苦しめることになる。基本給は前職の四分の一で、労働環境も劣悪だったが、教会音楽に関わることができるということと、子供の教育を考えて赴任したと言われている。全300曲近くあるカンタータのほとんどを、この時期に作曲した。また、「マタイ受難曲」「ゴルトベルク変奏曲」「ロ短調ミサ曲」といった傑作が、この時期に生まれている。

1737年、批評的音楽家という雑誌が創刊され、昔の弟子であるヨハン・アドルフ・シャイによって誇張や過度の技巧を批判される。時代は荘重で複雑な技巧を凝らしたバロック音楽から、平明で感傷的なロココ音楽に移行していた。

1747年、次男のカルル・フィリップ・エマヌエルがポツダム宮殿の大王の宮廷に仕えていたこともあって、フリードリヒ大王に拝謁する機会を得る。この時に、王から主題を与えられ、3声のフーガを即興演奏した。これを後に6声のフーガにまとめ、「音楽の捧げ物」となった。

1750年、最後の傑作「フーガの技法」作曲中に病に倒れ、永眠する。享年65歳であった。

====================

バッハと聞くと、一般的に聖人君子の印象を持つ方も多いのではないでしょうか。確かに人徳に優れ卓越した知識と教養を持っていましたが、その一方で、指導していた合唱隊の一人を感情的に叱ったり(恨まれて後に暴行騒ぎになる)、とあるオルガニストを靴屋になった方がましと言ってみたり、子沢山でお金に困っていたため俸給の高い職につくように行動したり、家庭では理想的な暮らしをしていたものの、音楽に対しては頑固で、しばしば周りの人と対立するという不器用さを持っていたり、極めて人間くさい一面がありました。

ヨーロッパ発祥のクラシック音楽はキリスト教と深い関わりがあり、キリスト教の衰退とともに、次第に人気がなくなっていったと主張する方もいます。

確かにクラシックコンサートでは、小さな物音もたてないのがマナーとなっており、真面目な演目を真面目な演奏で聴くと、自分のような無宗教の人でも敬虔な気持ちになるものです。

バッハはプロテスタントルター派の信者で、信仰心も篤かったと言われています。一般的に神は絶対的な存在で、形に表すことのできない存在だと考えています。そう考えると教会音楽の一部は、絶対的な音を表現していると考えることもできます。つまり、川の流れとか山の風景・人物・人間の喜怒哀楽といった目に見えるものを表現するものではなく、言葉でも表現することのできない音楽。強いて言葉にするなら、神のような音楽になります。

また、バッハの曲はポップスやジャズに応用されていますが、違う分野で応用が効くのも、絶対的な音の美しさがあるが故なのかもしれません。
コメント