稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№122(昭和63年1月31日)

2020年06月16日 | 長井長正範士の遺文


『新年あけましておめでとうございます。本年も全力をつくして大命を果たし、皆様方のご期待にそえるよう、努力してまいりたいと決意を新たにしておりますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。さて昨年一年を振りかえってみますと、いわゆるジャパン・バッシング(日本叩き)現象がおこったりして、日本の金もうけ第一主義が国際社会で厳しく批判されたわけであります。戦前の日本では精神主義が極端に強調されましたが、転じて今日では物質主義ばかりはびこってしまったように思います。やはり相方とのバランスをとりながらモノを考え、行動してゆかなければならないという、よき反省の機会を与えられたんだと自覚すべき時でございます。

同時に、日本の伝統や、ものの考え方にもよいところがたくさんあったわけですから、それらを見直したいものであります。日本の社会の基本理念は、お互い礼節や思いやりを大切にしながら共存してゆくことであり、私はこの伝統的な考え方を、これからも大切にしていきたいと思います。日本人の心のふるさとである奈良県が、これからの日本の発展を支える文化的精神的な基盤となるように努めることも、私たち奈良県出身者の大きな責務であると考えております。同じ学び舎で蛍雪を積まれた三山会の皆様が力を合わせて、ぜひその原動力になって頂きたいなあ、というのが私の願いであります。

私たちの郷土、奈良県はさきごろ「置県百年」を迎えました。新しい時代に一歩足を踏み出したのを機会にいろんな希望や夢が語られるようになりました。夢、希望こそが前進への大きな力になるわけでございまして、先端科学、大学院大学構想、新大阪国際空港とのあくせす(接近)問題、リニア中央エキスプレス(直線に中央につながる急行便)等々、私もそれらの実現のためにお役にたっていきたいと思っているところであります。今年一年が、三山会の皆様にとって最良の年となりますよう、そしてご健康でますますご活躍下さいますようお祈り申しあげ、新年に当っての私のご挨拶にさせて頂きます』と。

以上のように奥野国土長官も言っておられるように、今近畿では21世紀を目前にして、関西国際空港や関西文化学術研究都市(筑波の学園都市のような)など、世界に向けて飛躍発展する研究や開発のための計画が推進されつつあり、私のふる里の奈良県では、この四月から六か月間「なら、シルクロード博」が開催されようとしています。この機に奈良の文化を世界に大いにアピール」されることでありましょう。

〇将棋の大山康晴十五世名人がよく「守りの駒は美しい」と色紙に書かれるそうです。盤上を見渡しても、守りの駒は寡黙で目立とうとせず、そしてやるべきことをきちんとやることに耐えている。何であれ、守るのは難くて、しんどい。攻めているほうが楽で楽しい。と。そう言えば去る大学の王座をかけた早大と同大のラグビーは素晴らしかった。観ていたわれわれに感銘を与えたのは「守り」という大切さであった。早大にはこれと言ったエースはいないが、大を倒すにはタックルの守備しかなく、早大はアタック(攻撃)とタックルを合成した「アタックル」を合言葉に練習に励んだという。

早大の守りも一瞬のうちに攻めに出た。守りと攻め、静と動、学ぶきところと思います。われわれ剣道家は攻めて打つことばかりにとらわれず、もっと守りを研究しなければなりません。形はどんな形でも己を守り勝つところを教えてあるのですから、よく考えて頂きたいのであります。相手に打たれまいと受身になり、守るという簡単な守りだけでないことを重々自覚すべきです。これには形を鍛錬することです。以上
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