稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№124(昭和63年2月15日)

2020年07月11日 | 長井長正範士の遺文


熱水の化学変化によって生まれた単細胞の生物が、その始まりだとか、隕石と共に宇宙から来たというような説がありますが、いずれにせよ、私達の生命のもとは、他の生物と共に、大自然の中で生み出された一産物と言えます。然も今日まで大自然の法則、摂理によって、他の動植物や自然と共に生かされて来たのであります。太陽や、空気、水などの大自然の恩恵が無ければ、命をつなぐことは出来ません。今、韓国の話題で持ちきりですが、その韓国のある方が次のように述べています。

「私達が毎日頂いている食物は、どれもこれも皆、生命のあるものばかりである。今日も食卓に並べられた魚や肉、それに野菜やご飯が私に向って『ワタクシノ、ニクタイト、イノチヲ、アナタニサシアゲマショウ、アナタハ、ソノ、ニクタイト、イノチヲ、ダレニアゲマスカ』と問いかけてくるのです。私はその遺言状の前に頭を垂れ、「わかりました。私もこの生命と肉体うぃ自分のためにではなく、人々のために捧げます」と、誠に心にひびく感動の言葉ではありませんか。

私達はこのように動植物の生命の犠牲によって生かされている事を思えば、食物に対する感謝の気持も自然に沸いてきますし、、決して自分の命を粗末に出来ないと思います。野菜などの植物類には、肉や魚のような生命感をさほど感じない私達ですが、作家の村山リウ氏は、かってあるテレビ番組で『観葉植物に水をやる時、人間の子供を育てるのと同様にやさしく声をかけてやると、不思議なくらい生き生きとしてくるのですよ』と植物の生命のあかしを実感されています。

曽て、私がタネや苗の店をやっておりました時代、折りにふれて、その季節のタネや苗をもって吉田先生が畑で作物を作っておられるので、持って行ってはよく話合ったものでした。吉田先生は『種を播くのでははない、タネを土にあずけるんだ。そしてタネは土に保護され、太陽と水の恩恵によって芽を出し育ってゆく。その愛らしさ、俺はそのタネや苗の成育と共に俺の心をそれ等に寄せ愛をそそいで作ると、ちゃんとそれ等が感じとり、俺の愛を感謝しつつすくすくと立派に育ってくれるんだ。

然し又一方、俺の余り好きでない野菜には愛情が薄く、冷たい態度で仕方なしに世話をしていると、その野菜はちゃんと心得て育ちが悪く病気にもかかり、又虫もついて、しまいには枯れてしまう。見るに見かねて俺は心の中で、すまんとつぶやいて鍬でけずって石灰をふりかけ消毒してやり、又新たに植えるんだ。もの言わぬ野菜だが、ちゃんと俺にものを言っとる。ここだ、大切なことは。』とよく言われたものです。

私達はすべての植物がもの言わず、黙々として生長し、大地に根を張っている姿を見て、それだけでよいのであろうか、じーっと静かに観てその植物の生長を愛をもって、いや愛だけでなく、むしろ植物のお陰で私達の命をささえてくれているんだという感謝報恩の念をもって植物の心と一体になるよう温愛の情をそそいで行ってこそ、この世に生を受けた人間としての資格があると思います。そして私達は又、実社会の多くの人達の尊い生命の犠牲の上に生活させて頂いている事を忘れてはなりません。例えば東京から博多まで1,170キロの新幹線敷設工事中に失われた人命は417人にものぼっていると聞いております。これ等の尊い命をかけてやって下さった公共施設のお陰ですべてが支えられている事に感謝せねばなりません。以上
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