大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20191229 春彦さん

2019-12-29 12:34:34 | 日記

春彦さん。というより、春彦おんちゃんだ。

12月5日、訃報が入った。
当日通夜、6日に葬儀。泉の清月記。

葬儀に参列することはできなかった。

  *   *   *   *

春彦さんは私にとって怖い叔父さんだった。
目つきや物言いが鋭く直截的だった。

小6の時だったか、リトルリーグで野球をやっていると聞いたからか、私に素振りをしてみろと言った。

古い大文字屋の庭の池のほとりで、私はバットを持ち、おんちゃんはおんちゃんでバットを持ち、私の前に立って、バットの先端をボールのコースに見立て、そこを狙って振ってみろという。

私はバットを振る。おんちゃんはバットの位置を何度か動かす。真ん中、内角高め、外角低目…。そして突然笑い出す。
「だめだぁ、こりゃ、同じ振り方してるわ。」
呆れたような口調で、鼻で笑って部屋の中へ引き上げてしまった。

そういう接し方は、それまでの親戚の叔父さん連中の温厚さとは明らかに違っていた。

それは東京で激烈なサラリーマン生活を送っている(春彦さんといえば札幌のイメージが強いが当時は東京勤務だったように記憶する)ことと無縁ではないだろう。だが、それだけではない、本人の生まれ持った性格・人柄もあるだろう。広小路の飯田理容室のマスターは、「春彦さんは、高校時代から俊敏だったねえ」と言っていた。そういうところが性格にもあったように思う。

そんなおんちゃんが、私が中学・高校時代には、少し温厚なおんちゃんになったように見えた。それは私がおんちゃんと同じ高校に通い、同じように柔道をしていたことと関係しているかもしれない。見ていて物足りないところがあっても口に出さず、少しずつ大人扱いしてくれていたように感じた。温かく見守るようなところがあった。

それでも私自身は、どこかにあの怖いおんちゃんのイメージが残っていて、決して油断できないような緊張感をもっていた。

中学卒業時の旅行では名古屋のお宅に数日泊まらせてもらい、木曽路の妻籠・馬籠にドライブに連れて行ってもらった。途中何度か休憩を取りながらの運転は、疲れを癒すべき休みの日を甥っ子サービスに使ってくれたものだと感じた。

北大受験時には札幌のお宅でお世話になった。札幌のエキゾチックな街並みに感じ入る私をおんちゃんはどう見ていたか。

大学入学後、東京の新宿辺りで、河豚をご馳走になったり、自宅でお世話になったりしたこともある。飲んでカヨさんには迷惑ばかりかけていたような気がする。

最後に会ったのは憲ちゃんの一周忌。2010年。法会が会食の段になるや徳利を手に親戚連を回り、場の立ち居振る舞いを示してくれた。

他の叔父さんたちと比べ会う機会は少なかったが、私を成長させてくれた叔父だった。

そんな叔父と最後の別れをすることができなかったのはとても残念だ。

  *   *   *   *

お悔みを送った数日後(12月11日)、トモ彦くんから電話をもらった。

おんちゃんは心臓にはペースメーカーが入り、帯状疱疹にも苦しんでいたという。少し前に体調が悪化して入院。持ち直して闘病生活が続いていたという。

私の中では溌溂として英雄の相すらあるビジネスマンだったおんちゃん。震災後にメールだか年賀状では自称「ハル爺」だった。その頃に脛の血管の手術したとは聞いていた。だがまだまだ元気なのだろうと思っていた。

亡くなる2日前にトモ彦くんが病院を訪れた際には普段と変わりはなく、当日朝、息を引き取っていたとのこと。

トモ彦くんに頼んで買ってこさせた4ℓ入りだかの瓶ウィスキーは空になっていたそうだ。たまにちびちび舐めて数年かけてのことのらしいが。そこはそこ、らしいといえるのかもしれない。

今、トモ彦くんから電話で聞いたことで覚えているのはこれぐらいのことだ。

私の中には若々しい春彦おんちゃんの姿だけが残っている。強く激しく駆け抜けた。そんな生だった。そんなおんちゃんだった。そんな気がする。

そんなおんちゃんに、今はただ感謝しかない。

 

 

付記1

大文字屋系で葬式で涙ぐむのは春彦さんだけである。


付記2

「どんなに酒を飲んで酔っても朝6時には目が覚めてしまう。」とサラリーマンの性(さが)のように苦笑しつつよく言っていた。夜は12時過ぎに帰宅、朝は6時起床で出勤。そんな生活。


付記3

名古屋旅では一人で守山の明治村を訪れた。名古屋駅で近鉄なんかの私鉄が2〜3分おきに発着するのを目の当たりにして、度肝を抜かれた。当時の私には鉄道というと1時間に一本の国鉄のイメージ(仙石線)しかなかったのである。明治村で美しいステンドグラスの光を撮ることができ、現像に出したハセガワ写真店さんに褒められた。そんな思い出もある。

付記4

今ツイッターが使えなくなっている。朝日新聞の記事を引用したからか、アカウントに制限がかかり、解除するのに操作が必要なのだが、登録していた電話番号が固定電話の番号だったため、コードを送るショートメールが受信できず、解除操作ができずにいる。いまツイッター側にいろいろ依頼中。

付記5

最近つぶやいた曲。聞いた記憶はないが聴いていたにちがいない曲。
松任谷由実 - リフレインが叫んでる

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