今日の夕方も、激しい雨が降りました。
降り出してすぐにクルマに乗り込むことが出来たのでまだ良かったのですが、外を見ると、びしょ濡れの人が沢山。傘なんて、ほんの気休め。あんな雨じゃ、ほとんど役に立たないですよ。ほんと、うらめしくすらなりますよね。
雨のせいか、幹線道路が混雑しておりましたので、裏道へ。しかし、こちらも、渋滞。なんとなく、クルマの中からあたりを撮ってみたりしていました。
突然の雨に顔をしかめたように、一人のおばあさんが行き過ぎました。最近、お年寄りを見ると「この方もきっと、どこかで戦争を体験されたんだよな」と考えてしまいます。
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昨夜、以前見損ねていたので、27日の再放送を予約録画していたNHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」を見ました。
原爆が落ちた直後の長崎を撮影したカメラマンが、戦後43年もの間封印していた写真を公開した経緯とその後を追ったドキュメンタリーです。
もっとも有名な一枚があります。
「焼き場に立つ少年」、などと題されることが多いと思います。長崎で撮影されたものです。
背中に背負った彼の弟は、死んでいます。そして、彼は、直立不動の姿勢で、火葬のための順番を待っているのです。足元には、その順番待ちの為でしょうか、敷かれた線が見えます。
撮影者のジョー・オダネル氏は、この写真にこうコメントを残しています、
「焼き場に十歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じつと前を見続けた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。
その時私は、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がついた。少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいた。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。
私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか。
この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。」
オダネル氏は、70歳を前にして、突然、これらの写真を公開し、「原爆投下は間違いだった」、と声を上げました。
しかし、今ですら「あれは正当な攻撃だった」と信じるアメリカ人は多いのです。昨夜見た番組内でも、「原爆を落としたことには、なんの後悔もないね」と笑ってみせた退役軍人のインタビューがありました。
従軍カメラマンとして働き、その後ホワイトハウスで4代にもわたって大統領付きのカメラマンまでしていたオダネル氏。突然、原爆投下の誤りを指摘した彼は、アメリカ中から非難されます。
「非国民だ!」と。
オダネル氏は、真珠湾攻撃を知り、日本が憎くて、「あんなやつらやっつけてやれ!」と、愛国心にかられて軍隊に志願しました。普通のアメリカの青年だったわけです。
しかし、戦後43年経ってこの写真を公開したことで、非国民として同じアメリカ人から非難を浴びます。
日本では戦中と戦後をはっきり色で分けて考えられるほど、考え方が変わっています。良くも悪くも。
そんな僕たちからしたら、ちょっと考えられないことかもしれませんが、アメリカは・・・あの時も、今も、そんなに変わっていないのです。本土を一度も攻撃された経験が無いということも、もしかしたら関係しているかもしれませんね(言ってみれば、9・11が初めての「本土攻撃」だったのです)。
オダネル氏は、残されたインタビューの中でこう言いました。
「私はアメリカ人だ。アメリカを愛しているし、国の為に戦った。退役軍人は私のことを理解してくれないだろう。私は死の灰の上を歩き、悲惨な状況を見たのだ
確かに日本軍は中国や韓国に対して酷いことをした。しかし、日本の子どもたちが何かしただろうか。戦争に勝つために本当に彼らの両親を殺す必要があっただろうか。
1945年のあの原爆投下はやはり間違っていた。それは100年経っても間違いであり続ける。絶対に間違っている。歴史は繰り返すと言うが、繰り返していけない歴史もあるはずだ。
私は、母国の誤りをなかったことに出来なかった。」
ひどく真っ当です。誰もが、頷けるはずです。
しかし、そんな彼は非難する投書が、毎日のように新聞に掲載されたのだそうです。嫌がらせの電話や手紙も相次いだそうです。写真の出版を頼んだ出版社は、まわった35社全てが出版拒否。写真展の開催を求めても、どこのスペースからも許可がおりなかったそうです。それでも声を上げることをやめようとしない夫。理解に苦しんだ奥さんは二人の子どもを残し、離婚して家を出てしまいます。原爆によって、・・・ここでも一つの家族が崩壊したわけです。
ある日、新聞を見ていた娘が、父にこう言いました。
「ねえ、ここに、一通だけ好意的な投書があるわ」
見ると、
「オダネル氏を批判する人たちへ」
と題して、
「批判するなら、・・・まず図書館に行って原爆がどういうものだったのか少しは調べてから批判しろ!」
という投書があったそうです。そして、その投稿人の名前を見ると・・・そこにあったのは、彼の息子の名前だったのです。
僕は改めて、思いました。
アメリカ人は、本当に、知らないんだ。
ほんとうに、僕たちが思っている以上に、知らないんだ、と。
よく「アメリカ人は、アメリカ以外の国があることすら、実は良く知らない。」などと言われますが、遠く離れた小さな日本の小さな都市に落とした爆弾のことなど。
彼らは今でも、原爆に対する正しい認識ができないでいるのです。一部の人は勉強もしているでしょうが(それこそ「図書館に行って」ね)、でも皆がみんな、興味を持って調べているわけはないですし、ましてや広島や長崎に足を運ぶことは無いでしょう。日常的に、原爆について考える場所も、時間も、そもそもそんな考えも、無いでしょう。
しかし程度の差こそあれ、僕たち日本人とて、決して遠からずなんですよね。・・・「まったく彼らは」などと一概には言えないのではないでしょうか。
ジョー・オダネル氏は、日本へも何回も来て、写真展を開いたり、講演をされていましたが、原爆症と思しき病に苛(さいな)まれ、昨年夏、亡くなりました。奇しくも、8月9日(現地時間)、・・・あの長崎に原爆が投下された日に。
一人、また一人。
こうして世界中から、どんどん・・・体験者が、居なくなっていくんですね。
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写真と共に父の意思を引き継ぎ、核廃絶と平和への訴えを続けているジョー氏の息子のタイグ氏のMySpaceにて、ジョー氏が撮った写真が見られます(注:接続すると音楽が流れます)。左上のプロフィール欄(HN:The Phoenix Venture)の「写真」>「標準のアルバム」。
当時の日本人の姿を垣間見れるという点でも、とても貴重なものだと思います。是非。
また昨年、オダネル氏について、「カメラの記憶」というトラックバックを頂いております。実はこの写真、僕はこちらのブログで拝見したのが初見でした。きっかけを、ありがとうございました。
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では。
アメリカ人ってほんとに「知らない」んですよね。。。
ビックリするくらい世の中を知らない人がいっぱい居て。
話してて腹立たしくなったこともありまさた。
なのに自分たちは世界一って思い込んでる人が多数…
ほんとにどうにかならないんですかねえ(-"-;)
ありきたりだけど、
もう二度と戦争は起きてはならない…
ただそれだけですね。
また観損ねてしまいました。。。
たまたま親がTVのチャンネルを変えたらしてたそうで
次の日にうちに教えてくれたのです!
見たいと思い再放送を待ってたのですが・・・知らなかったです;;
もうしないでしょうね・・・。
今だにアメリカ人の中には「原爆投下のお陰で戦争は速く終わったんだから良い事をしたんだよ!」って言う人がいます。
違う番組でそう言う人を見ました。。。
彼等は誇りに思ってるかのようでした。。。
でも、やはりうちには「何もわかって無い!」としか思えませんでした。
一度広島や長崎へ行って見て下さいって思いました!
行かなくても写真で良いから焼き焦げた死体・きのこ雲・怪我人の凄い傷跡を見て欲しい!
それを見てもやっぱり正当化するなら何も言う事はありません・・・
考えが元々違うんだとしか考えられない!
その場に居たカメラマンのアメリカ人は誰もが体験してるので原爆投下は間違いだと言います!
戦争なんて1つも良い事なんて無い!
何もかも失ってしまうのですから・・・
次第に胸が痛くなって来ました。
故祖父母は戦争を体験しています。広島や長崎では無く、前橋にて。私の父をこのようにおぶって逃げていたようです。その街に暮らしていながらも、今ではそのような話が出来る人は数少ないと思います。そして今でも…私も詳しく知らぬまま…です。
この写真どなたかのブログで見ました。以前に。
そうですねー、段々原爆に対する体験者も少なくなってきていますが、放送もNHKさんだけが放送している様では、伝わらないのでは、と思います。
出来ればね、一週間程民放でも放送して頂けるといいですよね。それもゴールデンタイムに。
そしたら、63年前に日本はこんな事をアメリカにされたのだ、という事を若い人達にも伝える事が出来るんですがね。
勿論、アメリカでも放送してもらいたいです。
よく日本大好きで日本語や日本の歴史に興味を抱いているアメリカの学生さんとか紹介されるじゃないですか。
そういう方々は自分達の国が日本に対してこんなに酷い事をしていたといい事をご存知何でしょうか?
もし、存じていて尚且つ日本が好きならば、どうか本国の方々に説明して欲しいです。
非国民なのは、非難している方々なのでは、ないでしょうか?
実際体験されたカメラマンの方にはきっと心に深く刻まれていたからこそ、亡くなる前にどうしても伝えたくて仕方ないのではないでしょうか。
以前、ケンちゃんのブログに書き込みさせて頂いたカメラマンさんも同じ様に事をおっしゃっておりました。
やはり、現地に居て実際目にして思った事を、何年間も否定して生きて来られたんでしょう。
もしも、私達がその当時にタイムマシーンで行けるのであれば、沢山の幼き命を救ってあげられるのにね。
若しくは原爆自体を食い止める手段を提案出来たかもしれないですよね。
この事は繰り返されては、いけないと切に思います。
長くなりましたが、終わります。
ではー、お休みなさい。
今日のブログ読んでて涙が止まりませんでした。
辛い。悲しい。悔しい。どの思いか自分でもわかりません。
今、戦争が起こっている所でも、また罪の無い子供達が苦しんでいるんですよね。
そしていまだに核兵器を作り続けている国。
今の日本人は原爆の本当の恐ろしさを知らない人が私も含めほとんどだと思います。
でも確実に未来へ伝え続けて行かなくてはいけない事ですね。
経験しないとわからない痛みが写真から伝わり少年が涙をこらえ震えるような悔しさが伝わり胸が苦しいです。
わたしもこの番組を少し前に見ました。
あの写真の少年の話も、、、。
そして、アメリカの人たちのインタビューで「原爆を投下したことを全く悪くない。」と言ったのを聞いて言葉もでませんでした、、、
悲しみと、、、怒りで。
わたしも まだまだ知らないことだらけだけど、知ろう!という気持ちだけは忘れたくないし、忘れません!!
戦争はなんの幸せも生まない。こんな歴史絶対に繰り返してはいけないですよね。
私もテレビで「原爆を落としたお陰で戦争が早く終わったんだ」と発言しているアメリカの方を見ました。その顔は満足げでした。それを見た私はとても切なくなりました。
戦争は日本やアメリカだけではなく、世界が知って学ばなくてはいけない事。
今は、めにみえて自分に関係している事しか知ろうとしない人が多いですよね。私もその1人なのかもしれない。
その一歩先に、一歩でいいから進めたならこの世の中も少し変わるかも知れないですね。
私はケンさんや皆さんのコメントを読んで学ぶ事が多いから、時々「私全然ダメじゃん…」ってなりますが、ありがたいなって思います。
知るきっかけをもらえるから。
人は自分がした事より
自分がされた事の方が許せなくて
憎む事は楽だし簡単で、
許す事は何よりも難しい。
私はいつも想う。
昔の事を思って慰め力を合わせればイイ。
でも、昔の事で今を許せなくて憎み合うはオカシイ。
写真の男の子、親が居れば親が行ったはずなのに、
親の代わりなのか、
ちゃんと見届け、小さいながらも本当に偉い。
でも、この男の子は前の晩に思いっきり泣いて、
泣いたからこそ、自分がしっかりしなきゃって
写真の時には強く居られたのかも知れません。
☆戦争は何かがないと起こらない。
その何かが永遠にない事を願わずには居られません。
懸命に生きておられる方々の平均年齢は70歳を
超えてるんですよね。
今を生きる私たちの使命でもあり義務は風化させないこと。
その為の貴重な資料を提供してくださり、語り継いでくださる体験者の、
実際に足を運んで見てこられた方々の声、叫び、
これらを受け止め、学ばなければ・・・。
繰り返してはいけない歴史として。
目にする機会の多いこの写真。
すぐ傍で見ておられたジョー・オダネル氏の声を聞き、
やりきれない気持ちでいます。
お兄さんだって本当なら、両親に甘えたい年頃でしょうに・・・。
長く続く雨・・・大丈夫ですか。
《無知》であるということは怖いですね。
あんなにも多くの人を悲惨な死においやり、今なお苦しみ続けている方々がいらっしゃるというのに…かの大国の人々は自国をヒーローかの如く言い放つ…
そして、核の脅威はずっと続いている。今またそれはすぐ近くにあるのです。
伝え続けていかなければならない《真実》を知ることが大切なんだと思います。『すべての人々』が。
当時、当たり前のように三食好きな物を食べることができた私にはその言葉があまり心に響きませんでした。
でも今では、出された物、ましてや自分で頼んだくせに残すとかありえない!と思うようになりました。
豊かな国に生まれて貧困を経験したことがないからって、食べ物を粗末にするのはよくないですよね。
特にゲテモノで笑いをとろうとするバラエティー番組とか…ほんとありえなさすぎて笑えません。
食べ物は感謝の心を持って美味しくいただく☆
そうあるべきですよね。
ケン坊が書いてくれている内容と同じく、この写真がどういうものなのか、というお話も。
少年の表情、立ち姿・・・。少年の・・・あまりにも精一杯過ぎるこの姿・・・。
この写真は私の中で、ずっと心に焼き付いて離れない一枚です。
このあまりにも悲しい写真から、またひとつの真実。「戦争とはこういうこと」と、突き付けられた思いがしました。
アメリカ国民は、自国が他国に対して、どれだけ酷いことをして来たのか(今もしているのか)を知らないという現実・・・。
確かに、自国に誇りを持つことは大切なことだと思います。真実を教えず、国民に愛国心を持ち続けさせることは、アメリカの国策としては正解なのかもしれません。しかし、事実は事実。歴史の真実を知ることは、人として必要なことだと思います。
それは、真実を知らずに、自国に自信満々のアメリカ人も、真実を知らずに、自国に自信を失なってしまった日本人も。
ケン坊をきっかけに、あの戦争のことを考えるようになり、戦後63年の今、「情報操作」の恐ろしさを知り、それを感じています。
アメリカが仕掛けて、恐ろしい原爆を実験も兼ねて落とし、沢山の日本人を殺した。あの戦争は、原爆を落としたことは、間違いなく人として許される行為ではなく、アメリカの過ちです。
歴史は繰り返す・・・。アメリカの人々にも、過去の本当の歴史を知ってほしいです。
同じ人間として、同じ人の心で感じ、考えてくれる人が沢山いるはずなんですよね。
今もなお、アメリカの国がしていることの真実も、国民がもっと知らなければ、9.11のような悲劇が繰り返されてしまうのではないかと・・・。いえ、それ以上に恐ろしいことに、世界が進んでしまいますよね・・・。
戦争のない世界・・・難しいですね。
日本の憲法第9条は、これからも絶対に守るべきだ!!と今日も強く思いました。
では。
この写真を初めて見たのはいつだったんだろう。
この写真を見るたびに、その度にその背景を思いだし、とても胸が苦しくなります。
真直ぐに前を見つめている少年、その幼い目でどれだけの悲しい現実を見てしまったのか。
どうして彼が、こんなにも精一杯に前を見続けなければいけなかったのか。
話しかける余地も与えず、同情も、慰めの言葉も受け入れはしない。
彼は…、自分の感情と戦っていたのかな。
まだ本当に幼いはずのその小さな背中に、誰が、何を背負わせてしまったのでしょうか。
「日本の子どもが何かしただろうか。」
この言葉を聞いた時、本当に心からその通りだと思いました。
繰り返してはいけない歴史のために、勇気を持って声を上げたオダネル氏。それはきっと、母国のためでもあったはず。
それなのに実際の原爆投下を目にした彼の貴重な言葉を、なぜ誰もが受け入れようとしないのか…。
そうか、…アメリカの方は、本当に、知らないのですね。
本当に本当に、知らないのですね。
残念ですが、少し納得できました。
でも、春に広島の平和記念資料館を訪れた際、海外の方がとても多かった事に驚きました。
きっと、アメリカの方々もたくさんいらしているはずです。
一人、また一人ね。
日本人も含めて、こうして知る機会さえ持つ事ができれば、未来はきっと変わるはずです。
本当に、心からそう思います。
だって、ね、「父の写真と意思を、僕が引き継ぎます。」と言った息子さんの言葉を、しっかりと聞きましたから。
ほら、ここにも一人、です。
「100年経っても間違いであり続ける。」
早くこの言葉が届くといいですね。
今日のお天気はどうですか?こっちは曇り空です。
最近はなんだか空のご機嫌がよくなくて、あちこちで災害が起こっていますね。
自然の力には敵わない・・・
それでも被害に遭われる方が少ないように願っています。
今回もケンさんの言葉を読んで写真を見て、胸が苦しくなり息苦しくなりました。
そしてね、最近おもうのは自分に出来ることって何だろう・・・ってことです。
戦争について考えることは出来ます。
考えれば想うし想えば望むし・・・その後がね・・・ついてこないんですよね・・・。
戦争・・・爆撃・・・核・・・原爆・・・人は死に・・・野山は焼かれ・・・空気が汚れ・・・水が無くなり・・・食物が無くなり・・・命が消える・・・。
恐ろしいです。
考えればわかるし怖いし悲しいし苦しくなる。
誰かを想うし平和を望みます。
じゃあ私が出来ることは・・・想うだけでいいのか・・・望むだけでいいのか・・・
隣に居るひとの喧嘩は止められるけど・・・。
国と国の大喧嘩を止めさせる為に私に出来ることって何だろう・・・。
ケンさん、いつもありがとうございます。
どんなに疲れてても、どんなに忙しくても毎日毎日、一生懸命に言葉を選び、笑わせてくれたり、感動させてくれたり、大切なことを考えさせてくれたり、本当にありがとうございます!これからもケンさんが書きたいことを書き続けてくださいね。
少年はどんな思いで前を見つめていたのでしょうか?
私はリアルタイムで番組を拝見しました。
番組の冒頭に写ったこの写真。
ナレーションを聞いた途端、涙が溢れ出ました。
それから番組が終わるまで涙が止まりませんでした。
番組中の退役兵のインタビューでは「えっ?どうしてそんな事が言えるの?」と腹ただしく思いました。
「そんなの知らない。関係ない」では済まされるような事ではないはずなのに。
少しづつでいいです。
わかってもらえる人々が増えていって欲しいです。
「事実」なのですから。
・・・
ケンさんこんにちは。ケンさんのブログを冒頭に引用させていただきました。
本当にこの言葉の通り、そして私個人も自分自身の知識のなさや、身勝手さが情けなくなります。
言葉に上手く表現出来ないもお恥ずかしいのですが・・・ケンさんのブログのお陰でほんの少しではありますが、自分の身の回りの事意外に目を向け、考え、知り、伝え、思い続ける事がどんなに大切かを感じて居ります。
その気持ちを動かせてくださっているケンさんに感謝の気持ちで一杯です。文章能力が無く伝えたい事が表現できませんが、ありがとうございます。
すぐに今日はあの写真のことだとわかりました。
本当はあまりのも動かないトラックバック欄に
ずっと自分のブログのタイトルがあるのが恥ずかしくて
解除のお願いをしようと思っていました。
取り上げていただき恐縮です。
記事を書いた当時とは少し状況が変わったこともあり
今の気持ちも合わせて書き足しました。
回を重ねてもひとつひとつ変わらず
続けて下さってありがとうございます。
今後とも気長によろしくお願いします。
この番組は見てなかったんですが、写真は見たことはあります。
前に京都が原爆の一番候補になっていたということを書いておられましたが、もし爆弾が落とされていたら、生まれも育ちも京都である両親(自分もですが)は存在していなかったかもしれないんです。
そしてこの写真のように、後ろに背負われた弟さんのようになっていたかもしれないです。(父は次男で、その当時4才です。)
戦争とは一部の利益や権力の欲望だけでたくさんの憎しみや悲しみを生み出すだけのものです。(今のグルジア紛争でも同じことですね。)本当に少しでも戦争を根絶出来ればいいのですが…
この男の子は、その時の私と同じくらいの歳。
その目で何を見、何を感じていたのか、と思うだけで心が痛みます。
「アクロス ザ ユニバース」観ました。
LET IT BE のところは私も涙が溢れてきました。
小さい子どもが、これも運命だと受け入れなければならない現実。大人が起こす愚かな出来事に、犠牲になるのは子供たち。はがゆいです。
以前、テレビでドイツの平和村のことを取り上げられてました。そこには、核を帯びた武器の影響を受けたと思われる子供たちがたくさんいました。以前、ケンさんが仰っていた劣化ウラン弾のことだ、と思いました。遠い過去のことではなく、今もなお、犠牲になってる子供たちがいる。
そこの館長は「火星にロケットを飛ばす時代なのに、まだ人類は無意味なことを続けている」と仰っていました。技術は進歩しているのに、人間は何も学んでいないんですよね。どうしたら…。
せめて自分にできることは、大切な一票でまともな政治家を選ぶこと、でしょうか。
「まったく彼らは」の一部にならないように、世の中をしっかり見据えていきたいです。
この写真は初めて見ました。
文を読みながら写真を見て、思わず「え…!」と
声に出るほど驚きました。
人は悲しい時も嬉しい時も、感情は表に出してもいいのに…。
影響って時に恐ろしいんだなと感じました。
でもオダネル氏が最後に声をあげてくれて良かったと思います。
自分自身で過ちに気付いたから…。
自分で気付かなくては意味がないと思います。
何10年何100年何1000年という歳月は、過ごしていく中では
とっても長いです。長いというものではありませんが…
私達が生きるのはその中の少しかもしれません。
だけど、伝えなくては語り継がなくてはなりません、絶対に。
ではー。
お天気は回復してきましたか?
こちらは、いいお天気だったようです(仕事で室内にいたので、帰る頃は既に外は暗かったですが(T_T))
もう秋がそこまで来ているようです。
この番組見ました。途中からだったので、全部は見れませんでしたが…。
元アメリカ兵だった方の言葉には、正直、苛立ちました。
それでも、一人でも
『あれは間違いだった。』
と言ってくれた人がいたんだ…という事を知ってよかったです。
声に出せないでだけで、同じ思いを持ってくれている人が居てほしい…
思いだけでは、どうなるものではないけど、人として……ね…何だかうまく言えないですね。
ここ何週か戦争についてのスペシャルやっていたので、録画しました。
今は忙しくて見れないので、落ち着いたら見ようと思います。
知らない事が多すぎるので、少しずつ知っていけたら…と思います。
そう、みかわさんのブログに載っていた写真ですよね。
先程皆さんのコメント読んで思い出しました。
初めて見た時、とても衝撃があったのを覚えています。ブログも勿論読まさせて頂きましたよ。
人間って何なんでしょうかね~。時たま思うんです。
何か役割があって生まれてきたのに、役割をちゃんと果たしているんだろうか?って。
人体実験・金儲け等々する為に生まれてきたのではないと思うんです。
私達の祖先は魚とかって言われてる部分もあるじゃないですか。
なら、魚のままで良かったんじゃないかって思うかも知れませんが、魚や虫では沢山の事を学んだりは出来ないから人間という形に変化して、沢山の事を吸収したいからだったのでは、ないでしょうか?
手や足・頭を使って色んな動作や自然を肌で感じる為に進化したのでわ。と思っているのですが、何か違いますかね~。
折角、進化出来たのならそれを悪用するのでなく、良い方向に導かなければならないのではないかと私は考えています。
だから、核を製造して人を殺める事を考えるのでなく、どうやったら自分達やその子孫の為によりよい環境作りをしようと考えないのでしょうか。
人を愛する心を持って欲しいです。
憎しみなんて必要ないんです。
最後に泣くのは、核を製造した人・原爆投下して威張ってる人だと思います。
この写真を初めて見たのはいつだったんだろう・・・。
もうあれからけっこう月日が経ったような気がしますが、今でもこれを見る度に胸が締め付けられます。
オダネル氏の勇気ある発言にも感動しました。
きっとこの写真を撮ったときと同じくらいの勇気と思いで、自分の気持ちを語ったのでしょうね。
認識や情報の違いはあれど、戦争や原爆に対して「間違ってなかった」というのはやはり悲しいことだと思います。
例えば写真のこの少年の、そして命を奪われた人やそれを経験した人たちの気持ちを思うとなおさらです。
年数が経つにつれて、戦争を知っている人が少なくなっていくのは、もう変えようもないことです。
ただ、戦争があったということも変えようもない事実なんですよね。
そこから知って学んで考えて、そして少しずつでも誰かが誰かに伝えていかなければ・・・と、改めて思いました。
今さらではなくて、今だからできること、今からできることもあるはずだから。
ではー。
この少年の写真…どこかで見たことがあって…
私も英語の教科書で見たんだと思います。
中学だったか高校だったか…定かではないですが、
すごくインパクトに残ってます。
この放送、私も見損ねて(見忘れて…)いたので、再放送で見ました。
当時の様子の写真を見ていると本当に胸が痛いのですが…
この少年の写真は特に。自然と涙が落ちてました。
この立ち姿、血が滲むほど噛み締めた唇、前だけを見据えた目…
崩れそうであろう彼の心を何が支えていたのか。
いくら考えても想像にしか過ぎないのですが、
考えれば考えるほど…この写真を見れば見るほど…
何も言葉は出てこなくて、ただ涙だけが出てきます。
なぜ何も罪のない子ども達が…。
放送の中で退役軍人のパレードのようなものがありましたね。
手に国旗を振りながらそれを見ている市民。
我らはヒーロー…信じてやまないんだと思いました。
それはそのように教えられているからだとはわかっていますが、
この国がただただ…恐ろしく感じました。
でも、あの国が「事実」「現実」を知らないように、
私もまだ知らないことだらけです。
知る努力をすること、また実際に足を運ぶことも必要だと感じています。
近いうちに広島・長崎に…。
タイグ氏が撮られた子どもの写真。
子どもの笑顔が世界中に溢れることを願うばかりです。
なんだかもう、途中から苦しくて苦しくて・・・。
「焼き場に立つ少年」。数年前、何かのドキュメンタリー番組で初めて見ました。
直立不動の姿勢で、じっと前を見続けた彼の思い・・・。
怒りや憎しみというより、目の前の現実に、精一杯の力で耐えているように思えます。
どうして、こんな小さな子どもが・・・。
ただただ胸が締め付けられるばかりで、言葉になりません。
子どもたちに、何の罪があるのでしょうか。
アメリカをはじめ、すべての核保有国は、
核兵器がもたらす現実を、きちんと知るべきです。
原爆がもたらした現実を、知ってほしいと思います。
この写真から、子どもの叫びが・・・聞こえるはずです。
一枚の写真が持つ言葉の力を、改めて感じました。
「原爆を落としたことには、なんの後悔もないね」と笑う退役軍人。
すごく恐い。・・・寒気がしました。
「正当な攻撃だった」と信じるアメリカ人、本当に多いのでしょう。
戦争という過ちを、世界で起こっている現実を、知ってほしい。
「知らない」というのは、とても怖いことです。
都合の悪いことは見ない、ではなく、事実を見なければ、知らなければ。
・・・これは、今の日本にも言えると思いますが。
平和を祈り、誓うのは、一個人、一国だけではなく、
世界中の人々でなくてはならないと思います。
一人、また一人。体験者がいなくなっていきます。
だからこそ、伝えていかなくてはいけないこと、
今を生きている私たちがすべきこと、しっかり考えていかないと、ね。
来月、長崎に行きます。
間違いだったと言いつづける事が
どれだけの人にできることなのでしょうか。
深く深く今、いろんなこと感じています。
言葉にはすぐにできませんが。
今私達が幸せにも本を読める環境に有るのはあの戦後を生き抜いてきた方達のお陰なんですよね。
戦争は余りにも沢山の物を奪います。それをもっと世界中の特にあの大国の人達にもっと知って欲しいと思います。その前に私達日本人ももっと知らなければならないのですが。
ではー。
この写真をわたしが初めて見たもの昨年、みかわさんのブログでした(ありがとうございます)。
この少年の表情があまりにも辛くて、涙が溢れてきたのを覚えています。
自分だってまだ甘えたい年頃なのに、幼い弟を看取り、たった一人で焼き場へ来なければならなかった少年。
その少年の瞳には、何が映っていたのだろう。
ここに来るまでの間に、どれだけの辛く悲しい現実を目にしてきたのだろう。
炎を見つめながら、何を思い、考えていたのだろう・・・。
わたしには想像することしか出来ないけれど、それでも・・・胸が締め付けられます。
十歳の子どもが背負うには、あまりにも酷い。
原爆投下に関して、多くのアメリカ人が持っている考え。
初めて聞いた時は、強い憤りを感じました。
今でも思うことはたくさんあります。
そんな中、アメリカ中から非難され続けても原爆投下が誤りだったと訴え続けたオダネル氏。
彼の勇気と強い意思に、胸がいっぱいになりました。
アメリカ人の中にも、オダネル氏の写真、そして真っ直ぐな言葉から、現実を知り、何かを感じた人も多くいたと思います。
今は経験された方の言葉を聞くことが出来るのに、もっと知ることが出来るのに、考えることが出来るのに・・・残念なことに日本人も「まったく・・・」とは言えないですね。
わたしもそのうちのひとりなのだと思います。
間違っている歴史を繰り返さないために、間違ってしまった歴史から学ぶこと、たくさんありますよね。
では。
「闇の子供たち」の話に触れ、映画には行けそうもないので本を買って読み始めました。
そして、今回のくだり。
ケン坊さんの文章と写真に涙が止まりませんでした。
テレビ、見逃したことを後悔です。
私は九州出身なので小学校の修学旅行で長崎に行き惨状の数々の遺品を見たので原爆の恐ろしさを少しですが触れてきたつもりでした。
このカメラマンと息子さんの勇気に拍手です。
私にできることはもっともっと小さいことかもしれませんがこういうことを忘れないでいたいです。
このお話を聞かせてくれてありがとうございました。