ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




さすがに重たい話が続いたんで、今日は他の事書こうと思ってたんですけど・・・

昨日の最後のブロックで、「教科書には載っていない(載せられない)、本当の歴史があるんです。」と書きましたが、もしかして誤解されちゃうとアレだな、と思って書き足します。

 


あれは、他国(特にお隣付近)の影響・干渉で、本当の事が載せられない、という意味だったんです。

今まで、何度か書きましたがWGIPというアメリカの戦後の計画によって、「日本は戦争で、近隣諸国に謝ってもすまないような酷い事をしたんだ。敗戦したことで、アメリカに救ってもらったんだ。そして、これから私達はずっと反省していかなきゃいけないんだ」というような偏った歴史感を叩き込まれました。

今、大半の皆さんが知っている日本の歴史って、実は学校時代の教科書で勉強したものがほとんどではないしょうか(先生も、「日教組」という組合の監視と圧力がある為、この教科書に則って教えることしか出来なかったということもあります)。

でも実は、おそらく今皆さんが思ってるほど、日本はアジアで酷いことばっかりはしていなかったんだよ、というのが僕の見解です。きっとご存知の方も多いかと思いますが、戦中の日本を「良い事をしてくれた」という東アジア、東南アジアの方が沢山いらっしゃいます。ただ、それは書けないのです。「第二次世界対戦は日本の他国への侵略戦争だった。」と教えることになっていたからです。

でも、そうとばかりは言い切れない事が沢山分ってきています。両国の戦争当事者の方の証言も、近年、沢山表に出るようになってきたからです。「え?そうなの?何それ?良い事って、何したの?」という方が多いのではないでしょうか。事実は沢山あります。でも、それを、僕達は知らされてないで大人になってしまったのです。つまり、バランスが悪いのです。真実の歴史は教えられていないのです。

WGIPによって「うわー、ごめんなさいー。僕達が悪かったですー」という、この歪曲された、現在の大半の日本人の持っている歴史観を「自虐史観」と言います。

僕は、日本人は、まずこの「自虐史観」から抜け出て、正しい歴史、公平な視点からの近代史を知る事が、大切だと思うんです。それが出発点ではないかと。

前にも一度書きましたが、今でもお隣の国が「日本人に30万人も殺された」と言って憚(はばか)らない「南京大虐殺」は、まるっきりでっち上げであったことはもう証拠が沢山ありますので、現代の世界中のまともな識者で中国の言い分を信じてる人はいないでしょう。ただ、事実でなくても、言い張ることにも意味があるのが、外交問題の怖いところで、難しいところです。他にも沢山ありすぎてビックリするほど、あります。歴史のでっち上げは、古今東西、実に多いのですよね。

日本のした良い事に挙げられるのが、東アジア、東南アジア各国で施した生活インフラの整備、教育、農業、工業技術の伝達などです。これは「悪い事」に隠されてなかなか教えられるチャンスのない「良い事」の一つです。日本は無償でこれらをやりました。戦後も、一切の報酬は受け取っていません。例えば台湾に、とても親日家が多いことからもわかります。特に、当時、日本が台湾で行った灌漑工事はとても有名です。パラオなどでも、「日本人大好き」という人が多いと聞きます。他国の植民地政策では、基本的にこういうことはしません。特に、教育には莫大な時間と費用がかかります。それよりも、今すぐに搾取できるよう、どんどん働かせる方が、当時の植民地としての利用法としえは理に適っていたのです。また、乱暴な言い方ですが、へたに教育なんかして、頭が良くなってしまったら、色んなカラクリに気づいてしまうから、とも言えるでしょう。操る側というのは、そういうものです。

そして、一番重要なポイントだと思うのが、戦争当時、自国の周りを制覇しつくした欧米の植民地化の手が、いよいよ東、東南アジアに伸びてきていた、ということです(彼らからしたら、一番遠い地域です)。現に、東、東南アジアは、すでにだいぶ大国の植民地にされてしまっていました(現在でも使われている言葉を見ればわかりますね)。国力も、抗う強い軍事力も無かったこれらのアジアの国は、次々に植民地化されていってました。これに、「冗談じゃない」と立ち上がった、唯一のアジアの国が、日本だった、という点です。

それゆえ、あの戦争はアジアの解放の為の戦争だったのだよ、というのが、僕達の教えられなかった歴史の一つの見方なのです。日本が流入してくる欧米列強各国から、東、東南アジアを守り、追い返した戦いだった、ということです。実際、「大東亜共栄圏」という、今で言うヨーロッパのEUみたいな、近所の国同士を集めて、大きな防衛圏・連合組織を作ろう、というのが当時の日本のスローガンだったのです。

それを、「そんなことはさせない」と、これを阻止するため、日本を戦争せざるおえないところまで追い込んだのが、(A)アメリカを筆頭とする、(B)イギリス、(C)中国(すでに1937年から日本と戦争していました→「日中戦争」)、(D)オランダでした。各国の英語名の頭文字をとって、「ABCD包囲網」などと言われました(但しこれは、正しい「歴史用語」ではありません)。これらの国は、日本との貿易の停止を決めました。今で言う、経済制裁、というものですね。その中で、特に致命的だったのが、日本への石油の輸出を停止する、とされたことでした。当時、日本はアメリカから石油の八割を買っていました。その時点で日本の石油の備蓄量は、「持って三年、最悪、一年半」でした。今でもそうですが、石油が無くなれば、経済は終わりです。そのままでは、日本が国として、死ぬわけです。

さらに、「それが嫌なら、これらの条件をのみなさい」、として英米側から「ハル・ノート」という通達書が提出されました。これは、分りやすく言えば、持っている日本の権利を全て放棄せよ、というような内容が書かれており、「これは日本に『自殺せよ』というのに等しい」と当時の外相が語ったように、到底のめない内容が書かれていたものでした。のんでも、終わり。のまなくても、終わり。それまでも続けられてきた、交渉の限界だったわけです。


どうしましょう。


「仕方が無い。戦おう。こうなったら、武力で戦って、勝つしかない。」

 

「ハル・ノート」は、最初からのめないとわかっている条件が書かれていた、といいます。つまり、「これで彼らは戦争に踏み切るだろう」という、判断した上での、通達だったわけです。アジアの覇権が欲しかった英米その他の列強国。それを嫌がって、結果、追い込まれた日本。そして、真珠湾攻撃が行われます。


これが、あの戦争の発端です。


しかし日本は、当時のアメリカやイギリスが思っていたよりも、遥かに強かった。彼らの計画では、もっと早く戦争は終わるはずだったようです。しかし、4年にも渡って戦争は続き、その中でも日本は、次々にアジアを解放して行きました(これを僕達は、「日本がアジアを侵略した」と教わってきているわけです。この辺りは、これからも公平に調べて、もっと知っていきたいと思っています)。でも、相手の力が大きかった。日本とは戦争しない、と約束していたロシアまで、ついに英米側に加担しました。ほどなく、日本は力尽き、ボロボロになりました。そして、あの忌まわしい原爆でトドメが刺されたわけです。これを受けて、すぐに日本は「負けました」と認めました。すぐに、ちゃんと通達したんです。

しかし、長崎への8月9日の原爆投下から、8月15日の正式な「ポツダム宣言受諾」日までの間、僕の記憶が正しければ確か青森の町だっと思いますが、ここに空爆を続けた米軍部隊がありました。その前に、もう「参りました」と言ったのに、です。これはもはや、ゲームのような感覚の空爆だったと言います。戦争は人間のやることです。ルールを守る人ばかりではありません。「このやろう。さんざん抵抗しやがって。やってやれ。」みたいな人も、いたんですね。悲しいことですが。

しかし、こういう人達も、戦勝国の人間ですから、一切裁かれていません。日本は、東京裁判という「裁判」とは名ばかりのルール無視の法廷に担ぎ出され、A級戦犯として7人が絞首刑(その他終身刑など多数)、それ以外にも、命令で動いていた兵士達がBC級戦犯として、1068人、死刑になりました。その多くは、職業軍人ではなく、徴兵によって戦地に赴いた、いわゆる一般の人々でした。魚屋さんとか、靴屋さんとか(ただし相手国にしても、戦争の最前線に担ぎ出される人は、同じく一般人が多いのですが)。

こうして、戦争で亡くなった人々と一緒に、彼ら「戦犯」が祀られているのが、あの靖国神社です。戦争で亡くなった人はともかく、「戦犯」を祀っているところなのに、そこに政治家がお参りにいくとは何事だ、反省してないのか、というのが、いわゆる「靖国参拝問題」ですね。


この東京裁判は、そもそもその開廷が間違いだったと思ってます。裁判なら公平であるはずですが、戦勝国の人間は(原爆を落とした人、負けを認めた相手に空爆をした人、捕虜を虐待した人でさえ)一切裁かれることがなかったからです。そもそも、これ以前も、これ以降も、戦争後に裁判が行われたという話は一切ありません。戦争というのは、「そういうもの」だからです。これは、思いがけず激しい抵抗をした日本への「復讐」だったとさえ言われています。ひとつ付け加えますが、この東京裁判の裁判官の中に、たった一人だけ国際法、法哲学の専門家がいました。インド人のパール判事です。彼は「この裁判は儀式化された復讐だ。無効だ。よって、被告人全員無罪。」の判決を出しました。勿論、多数決で通りませんでしたが。他の判事は、いわゆる戦勝国側の軍部の圧力のかかった人間でしたから。あたりまえですが、本当の公平な裁判なら、戦勝国(ってか、戦争当事国)が判事をする、なんておかしな話はないですよね。


この開戦、終戦の経緯(あまりにもざっと書きましたが)は、今現在の僕の知識からの一つ見方であって、いや、そうではない、という考えの人もいます。皆さんも、これからの人生で色々と見知っていくことになると思いますが、ご自分で考え、判断してみて下さいね。ものの見方、捉え方は、人それぞれなのですから(また、一応断っておきますが、僕は右翼でも左翼でもありませんよ。そういう極端なのは、あまり好ましいとは思っていません。あまり極端な思想を持つと、自分の目が曇ってしまうような気がするからです。勿論、日本も日本人も好きですが、それとは別に、できるだけ公平な視点を持ち続けたいと思っています)。


ただしかし、良い事ばっかりしてたわけじゃ、勿論ありません。そもそもどんな理由があったにせよ、戦争に訴えた時点でNO!という人もいるでしょうし、実際、戦地で悪い事をした人もいたと思います。国としても、「七三一部隊」のような酷い部隊を作って、中国の人に悪魔のような科学的な人体実験をして、大勢を惨たらしい死に追いやったという事実があります。こういう負の歴史もきちんと認めなくてはいけません。(ちなみに、この悪魔ともいえる「七三一部隊」の誰一人として、戦後の東京裁判で一切裁かれませんでした。なぜなら、この部隊のデータをアメリカに無償で譲ることで(後の生物兵器の開発などに応用されました)、代わりにこの裁判にかかることから逃れたからです。いわゆる、取引が行われたのです。そして、・・・この部隊の生き残りの人間が、朝鮮戦争の時にアメリカの要請で(兵士の為の輸血用の血が欲しかった)、あの「ミドリ十字」という会社を作り、後に薬害エイズ、薬害肝炎を引き起こしたのです。)

 

まだまだ書いておきたいことはありますが、今日はこの辺でやめときましょう。うーん、分りやすく説明できたかな・・・。


長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました。

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明日はイベント・ライブ!今日はリハでした。

張り切ってやってきますー

ではー。



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