映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外(129)大映グラフ .3

2016年09月26日 | 日記
       

    

     

    3回に分けて南美川洋子さんから預かっている資料の中より「大映グラフ」四冊の特集
    を組みましたが、今回がラストで「千羽鶴・特集号」です。ただ内容をご紹介するだけで
    はなく、「千羽鶴」の出演を熱望し衣装合わせまでやっていた雷蔵さんの病状が悪化し、
    急遽平幹二郎さんに変わった因縁の作品でもあり、その辺りを少々付け加えて書きたい
    と思います。

    昭和43年(1968)「関の弥太っぺ」を撮っていた雷蔵さんが下血し、直腸がんが発見され
    ましたが作品は何とか完成。翌年昭和44年(1969)も、年初から「眠狂四郎悪女狩り」「博
    徒一代血祭り不動」を無理して撮り終え、2月に入院したものの小康状態になったので、
    どうしてもやりたいと言っていた4月公開の「千羽鶴]に取り掛かろうとしていたのです。
    でも矢張り無理だったのです。私は宣伝部ですから、今だからこそ言えますが最悪の状
    態であったことを知っていたので、覚悟はしていたのですが、この年、昭和44年(1969)7
    月に雷蔵は帰らぬ人となりました。そして大映の倒産はこの2年後です。

          
  ↑池広監督から貰った雷蔵お気に入りポート ↑雷蔵が亡くなる年に出した最後の年賀状





コメント (7)
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