映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (106) 丹羽又三郎さん

2016年03月27日 | 日記

    

    

      

 

    2013年に角川大映撮影所(もと大映東京撮影所)で大映親睦会が開かれることになり、

    私にとっても懐かしい撮影所なで上京して参加しました。撮影所そのものが当時の四

    分の一以下の面積に縮小されていることと、俳優さんたちの多くが健康を害し療養中

    であることを知らされたて驚きました。もちろん元気な人もいて、この会合に出てきた

    丹羽又三郎さんもその一人でした。

    東京出身の彼は大学生のころから俳優志望で新東宝に入り、数本に出演しますが2

    年後には新東宝を退社しテレビに仕事場を変え、1957年にテレビドラマに出演しなが

    ら大学を卒業します。1960年に田端義夫さんの弟の口添えで大映に入社、その時か

    ら芸名を丹羽又三郎に変えてで京都撮影所に所属、端正な顔立ちと妖しげな雰囲気

    をもつ独特の個性が話題になり、準主役・主役が続きます。

    大映では、「大菩薩峠」「釈迦」「銭形平次捕物帳」「斬る」「忍びの者」「新撰組始末記」

    「座頭市シリーズ」「眠狂四郎シリーズ」など40本以上の作品に出演していて、彼は新東

    宝の人だという印象が強いのですが、どう考えても大映で育った俳優だと私は思ってい

    ます。雷蔵さんや勝ちゃんの作品にも多く出ていて大映で重宝がられますが、その頃か

    ら邦画全体が衰退しはじめ、彼は悩んだ結果にテレビドラマの悪役として活躍の場を変

    えて行きます。

    テレビでは映画と違って殺し屋とかギャングのボスなどやりましたが、「仮面ライダー」(1

    972)でのブラック将軍が当たり役となり名を上げます。それから暫くして彼は何を思った

    のかアメリカに移り住んだり、帰国しては事業を始めるなどして芸能界からは消えました。

    長い間消息が無かったのですが、彼は久しぶりで上述の大映懇親会に顔を出してくれた

    のです。1934年生れですから現在81歳、まだまだ何かをやりたいと思っている表情のよう

    に見受けましたが・・・。

     

 ↑ 「大映懇親会」(2013)最後列の右から3番目が丹羽又三郎、真ん中の列の右から7番目が私

 

 

 

コメント (10)
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