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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編 / 古い写真の思い出 ( 13 )

2013年03月18日 | 日記


 ↑後姿は私。
    
 
     昭和42年(1967)といえば、大映の行先にモヤモヤ感が出てきた頃で、この年
     に高校二年生で中退した渥美マリ(当時17才)がニューフェイスとして大映に入
     ってきました。
     一年間は誰でも演技研究所で訓練を受けるのですが、彼女のお父さんもお母
     さんも大映の俳優であり、みんなから可愛がられた彼女でした。
     翌年の昭和43年(1967)正式に大映入社となり、端役で10本くらいの映画に出
     ています。

     そして大きく製作路線を変更せざるを得なかった大映が、彼女を主演に抜擢し
     て作ったのが「いそぎんちゃく」です。
     会社は和製ブリジット・バルドーとして売出した作品で、大ヒットとまでは行きま
     せんでしたが、中ヒットで若いファンが彼女を取巻いて行きました。
     人の前でタバコを吸ってはいましたが、性格的には大人しく素直な子だったと
     思います。

     彼女を売り出すため我々宣伝部としては色々なことをやりましたが、私が率い
     た九州支社宣伝課は、街のど真ん中で彼女の水着撮影会をやりました。
     福岡市の中洲にある水上公園での撮影会は、ファンが押しかけて大きな話題
     になりましたが、その後はマスコミ関係だけの撮影会を、当時あった住吉のプ
     ールで開いたりもしました。
     九州ではもう一ヶ所開催するスケジュールの余裕が出来たのでも、熊本市に
     足を伸ばし、熊本城をバックにしての撮影会もやりました。

     彼女はその後も大映が倒産する昭和46年(1971)まで、映画のキャンペーンで
     かなり九州に入っています。
     若い自衛隊隊員に好きになって貰おうと、春日の自衛隊で歌とトークのイベン
     トを開いたり、博多筥崎神宮の夏祭り放生会(ほうじょうえ)のレポーターをやら
     せたこともありますが、文句一つ言わず私の言う事をやってくれた彼女の真摯
     さを思い出します。

     また勝ちゃんから「マリが九州に行ったら小遣い稼ぎを頼む」と言われて、クラ
     ブでショウを内緒でやりましたが、勝ちゃんが当時弟分として可愛がっていた
     酒井修と付き合っていたのが渥美マリだったからです。
     余談ですが、酒井修は下関の出身で、下関に後援会が出来たときには、私も
     来賓で参加しました。

     聞けば大映終焉期には酒井とも別れ、某監督や某シナリオライターなどとあま
     り感心しない付き合いをしていた模様です。そして大映が倒産し、他社の映画
     やテレビに何本か出ていたようですが、程なくして消えて行きました。

     彼女の消息は私も気になって尋ねましたが、間違いない消息筋によると数年
     前に病没したとのこと。(間違っていればごめんなさい)
     大映終焉期に無理やり咲かせた可憐な仇花だった渥美マリ。私はこれを書き
     ながら一寸ばかりセンチになっています・・・。

        
       
  
       ↑試写会で舞台挨拶         ↑勝ちゃんの友人の店でアルバイト?
  

  
       ↑ 左・右とも。 自衛隊春日駐屯地へ慰問に行きましたら、マリ大いにモテました。
         
      ↑ 熊本城をバックにして撮影会。
   

     (お詫びと訂正・2014年5月5日)
     皆様にお詫び申し上げますとともに訂正です。彼女は病を得てあまり健康ではな
     いようですが、彼女はちゃんと生きています・・・。本当にごめんなさい。
     
コメント (16)
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