映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

永田雅一氏のこと、その5

2011年06月21日 | 日記
             
          
         ↑記者会見中の永田社長(一番左)と、右端が進行係の私。


     業務試写で見ている作品がたまっているのですが、公開まで幾日か
     ありますので、ボチボチ書かせていただきます。
     今日は私の生涯の親分、もと大映社長・永田雅一氏のことです。
        
     永田雅一氏について誰もが考えることは「ラッパ」と「ワンマン」の
     フレーズです。
     ラッパについては前回の日記にも書きましたので今日は「ワンマン」
     です。

     まずご本人の言葉は、ワンマンとは自信満々のマンにほかならない。
     他所から見ていると永田は重大な決定をするに当って、他人に相談
     しない男だと言うに違いない。
     しかし自分にだって信頼する数多くの相談相手いる。何事かを決定
     するまでには、この人たちの意見を斟酌して考慮検討を加える。
     それ以上は私に属するのだ、私は社長なのであるから。

     と言ってもいきなりの決断ではない、自分で分析しつくして、あら
     ゆる角度から打診し、しかる後に自信を以って実行に移すのである。
     こうなればもし事に敗れた場合、第一愚痴をいう必要がない。
     人に相談し智恵をかりてやった仕事の破綻は、他人への愚痴が先に
     飛び出してみっともないばかりだ。
     ワンマン自らの失敗は、己の不明を恥じ自戒の資となり、他日の参
     考になるのであって他人を責めることはない。それにもしその事が
     成功した暁は、言うまでもなく自らの大きな喜びとなり、更に新しい
     自信と仕事への情熱となる・・・。

     当時の大映は永田社長を議長とした企画審議会を常に開催していま
     した。
     ここに社の内外からプロットが集まってくるのです。企画審議会の
     メンバーは製作の企画・営業などあらゆる分野のエキスパート9人
     がいて、慎重に企画プロットを検討していたのです。
     社長を含む10人のうち8人までが賛成したものを採用して製作に
     取り掛かるシステムです。
     これが俗に思われているワンマン体制の実態です。
     社長の意見に皆が追従する気配もあったけど、結構社長以外の意見
     も取り上げられていました。

     社長も個性的だったけど、当時の役員はまた異色の顔ぶれで、川口
     松太郎専務をはじめ、溝口健二・衣笠貞之助・長谷川一夫も重役だ
     ったし、社員も社長や異色役員陣に負けずユニークな侍が多かった
        です。
     私が直接仕えた上司だけでも、加賀まりこのお父さん、浅草の灯の
     著者・浜本浩さんの息子、池広監督のお父さん、菊地寛さんの息子、
     舟橋聖一氏の息子などで、また、同僚には加賀まりこのお兄ちゃん、
     水泳の橋爪とか、某警視総監の親戚、某有名建設会社や著名右翼
     の息子とかがいて賑やかでした。

     私の周囲だけでもこんな調子ですから、社内にはこの類の人がもっ
     と数多くいましたね。でも全員が凄い映画好きばかりで、揃いも揃
     った感じ・・・。自分の思ったことや意見を堂々と発表する人ばかりで、
     自由で熱気ある楽しい職場だったですねー。

     こんな具合で映画が当り、順調な時はそれで良かったのですが、映
     画界の情勢も大きく変わってくるとカリスマ社長がいて、素晴らしい
     製作陣を抱えた大映も、少しづつ歯車がかみ合わなくなってきていた
     のです・・・。 (続く)

  
  ↑入社当時の勝ちゃんと私。         ↑私の永遠のアイドル、若尾ちゃんです。

  
  ↑個人的にも仲良かった叶順子さんと。   ↑デビュー当時の高橋恵子・松坂慶子・私です。
          
コメント
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