アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

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令和5年2023年1月1日数え79歳ワクワク人生

その2 大阿闍梨の酒井さん逝去

2013-09-24 13:33:07 | Weblog
もう我がブログに何度も何度も登場した大阿闍梨さんたち
皆さん気さくだが酒井さんほど気さくな人はいません。

そしてこの数日吾輩は、彼の本を時折読んでおりなにかのお知らせが我が脳に届いていたのかも!!


先程ネットで酒井さんの逝去を知りご冥福をお祈りしました。
まだ87歳 もっともっと生きはると思っていたがやっぱ命は寿命ですって思う。

吾輩は京都・東山36峰を1000回以上は歩いたとは思うが
でもその中で比叡山に登るコースは坂本に下山するコースは最高の楽しみだった。

なんといっても千日回峰をする比叡山連峰の登下山の楽しみは
大阿闍梨さんたちの苦行を思うだけでゾクゾクしながら
ルンルンしながらワクワクしながら
ときめいたものである。

じっくりお話したことがあるのは坂本の住職:俊照さんだけです。
懐かしの写真です。

俊照大阿闍梨住職@律院
紅一点ではなく白一点(住職さんを除いて)ですが若い嬉しそうな吾輩です。

でも講演会があれば大阿闍梨さんたちをおっかけしたものです。

だんだん足腰が弱る中で
サイゴンいると東山36峰が比叡山が歩きたくなります。
ましてや京都は行楽の秋を向かえ散策が一番楽しい季節:ちょっぴりホームシックです。

asahi.comに記事がありコピペです。
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生きるとは、歩くとは 大阿闍梨・酒井さんが残した言葉

天台宗大阿闇梨の酒井さん

 蓮(はす)の葉を模した笠(かさ)に、白装束姿で比叡山の峰や谷を飛ぶように駆け抜ける。地球1周分を歩き、拝む千日回峰行を2度成し遂げた大阿闍梨(だいあじゃり)・酒井雄哉(哉は右上から下へのはらいがなし)さん(87)が23日、亡くなりました。酒井さんにとって、生きるとは、歩くとは何だったのか。生前の酒井さんに伺った朝日新聞のインタビュー記事(2008年2月)を採録します。(聞き手・友澤和子)
大阿闍梨の酒井さん死去厳しい修行2度、常に自然体

■血筋もキャリアもなし。ぼくは身を挺して何かをやんなきゃと思った。

 ――続けられなくなったら自害する決まりがある厳しい「千日回峰行」になぜ挑もうと?

 行に入る前に姉に「山を歩くよ」と報告したら、「いいわねえ」だって。ハイキングでも行くと思ってたんじゃないかな。ぼくは坊さんの血筋でもないし、キャリア組でもないのに、仏さんの世界に入れてくれた。じゃあ何をやったらいいんだろうって。ぼくみたいに出遅れている人は、身を挺(てい)して何かやんなきゃなんないんじゃないの?って、思ったわけよ。

 ――修行中は、無の境地?

 そんなことあらへんよ。阪神タイガースファンだからな、今日勝ったかななんて思って歩いたことあるよ。こりゃ、仏さんに悪いことしたって、一生懸命ざんげして、拝んで。そんなことの繰り返しで、ハハハ。

 ――9日間の不眠不臥(が)の「堂入り」は特に過酷だとか

 4日目くらいから死斑が出てきて、魚のくさったようなにおいがしてきてな。死臭だな。やらないと分かんないもんだな。元の体に戻すには27日は養生せよと伝えられている。何事も元に戻すには3倍の時間がかかるんだな。

 生死のふちを感じてみると、なんと尊いものをいただいているかと思うよ。だから、簡単に命を殺すようなことを決してしてはいけないんだよな。

 ――7年がかりのこの行を2度も満行し、今はどんな毎日を

 3時半に起きて4時に自坊の不動滝で顔を洗って身を清めて、桶(おけ)に仏様にお配りする水を持って自坊を巡る。本堂行ってお勤めして。

 お客さんが来れば、お相手して。夕方からお勤めして食事。1、2時間、ひと寝入りする。深夜零時半くらいまであれこれ仕事して、またちょっと寝る。それを毎日毎日くるっくる、くるっくる、やってるんだ。

 ――お肌がピンク色でつやつや光っています

 同じことを繰り返してやってんのが、ええのとちがう? 食べる量は少ないし。だからいいね。よくみんなにね、「あんたそんな生活して、だいぶお金残したでしょう」なんて言われるんだけど、それが全然残んないんだよ、ちゃんと。うまいことできてんねえ、アハハハ。

 ――「生き仏」と言われる偉い行者様なので、実はとても緊張して参りましたが……

 こないだの人もね、カチカチになって来て、出て行ったとたんに、「安心したわー」なんて言ってるの。

 やっぱりねえ、お寺のいやなところいっぱい見たからね。格式とかな。ぼくが大阪からお寺に来た時には、お坊さんの前に行ったら、じーっと襟を正して座ってお話を聞いてさ、坊さんは坊さんらしいふるまいをする。お客にもランクがあってさ。ええランクが来るとこっちは無視されちゃうわけよ。そういうの見てていやだったからねえ、自分が坊さんになったら、そういうのはずしちゃったの。

 でも、坂本の方の信者のおばさんたちからは、「阿闍梨さんらしくちゃんとしてください」なんて怒られちゃう。「ええんじゃ、おれはおれだ」なんて言っちゃって。

 ここ、お寺っつう感じじゃないだろう? ほら、仏様のとこなんて倉庫になっちゃって。こないだ来た人、「本当に行をしたんですか?」なんて言うんだもん。「したことになってんですよねえ」なんてな。

 いつも言ってるんだよ。おれ死んだらお葬式いらねえからって。ちょっと出かけて来ますわって、そういうのがええわな。

■学校も、特攻隊も落第。嫁さんも死んじゃった。なのに、仏の世界では…

 ――仏門に入るまでは

 子供のころから落ちこぼれで、小学校は中途半端で卒業。中学校は学力足んなくて落っこっちゃった。しょうがないから慶応義塾商業の夜学に入れてもらったけど、案の定、落第してさ。いよいよ戦争が激しくなって、学校から軍隊に入って入隊の証明書を送れば卒業と認めるっていうの。そいで兵隊に行ったんだ。

 ――特攻隊で知られる鹿児島の鹿屋(かのや)飛行場で終戦

 優秀な人は、みんな次々連れてかれて死んでっちゃうじゃない。ぼくは落第生だから、うろうろ足踏みしているうちに戦争が終わって生き延びちゃった。悪運が強いって言うか……。その分ざんげしてさ、一生懸命やらされてんだよ、これ、な。

 ――戦後は

 おやじが大学の図書館で働こうとしたんだけど、他に仕事ができたんで断りに行ったら、代わりに採用してくれた。本がたくさんあるから、試験を受けて大学へ行こうと思って成績証明書をもらってきたら、落第やら何やら、いいこと書いてない。いやになっちゃって、図書館へ行くのもやめちゃった。

 家では勤めに行ってると思ってるから、朝8時に三鷹駅から電車に乗って、ぶらぶらして夕方5時になったら帰ってた。そのうちお金が尽きて、電車に乗れないから、朝から夕方までずーっと歩いてさ。ただとっことっこ、とっことっこ……。

 ――そんな日々が

 それから30年もして、千日回峰行の京都大回りで一日84キロ歩いたんだけど、その時に、東京を歩いていたことを思い出してね。あの時、仏さんがちゃーんと道しるべを与えてくれてたんだって。だからおれはちっとも変わってないんだな、同じことをくるくるくるくる繰り返してんだなって。

 ――苦境が続きました

 仏さんにしてみたらね、こいつはただじゃ人生を終わらしたくねえんだっていうんじゃない? 前世、そうとうあこぎなことしたんじゃないかな。だから、中学は入れてくれない、兵隊に行ったら友達が先に死んでっちゃう。大学の図書館でアルバイトすれば挫折。ソバ屋もだめ。友達にウソついて悪いことをやったりさ。そのうちに、嫁さんも死んじゃって……。

 ――比叡山に向かったのは

 40歳近くなってフラフラしているぼくを見かねて伯母さんが「お参りでもして来い」って、比叡山に連れて行ってくれたんだ。そうしたら気持ちのいいところだなあと思った。それから、いつの間にか足が山に向かうようになって、ちょくちょく行くようになったんだよ。

 別にお坊さんになろうなんて思ってなかったけど、話を聞いたり、お寺の手伝いなんかしたりするうちに、「坊さんになれ」って言われて、「なれんですか?」って聞いたら、「なれるよ」って。「じゃ、お願いします」って、それでなっちゃったんだよ。

 今まで何をやってもうまくいかなかったのに、仏さんの世界に来たら、いちおう順調にいろんなこと動き出したわけだ。あんなに学校が嫌いで嫌いでしょうがなかったのに、叡山学院に入ったら首席で卒業しちゃったしな。ありえないよな。

 ――導かれたようですね

 人生はその時その時じゃなくて、生まれた時からの流れじゃないかと思うんだよ。今までのことをまとめて眺めてみると、仏さんの世界に行って、行でも一生懸命やりましょうやっていう道具立てができているわけ。それに相応するような行いを身を挺(てい)してしていかなきゃいけないんじゃないのって気持ちになってくるような。仏さんは、ぼくの人生を、見通しているのかもしれないね。

 道は仏さんが開いてやるから、ここから後は自分で考えなさいよっていうこったよな。だから、座礁しちゃはい上がって、座礁しちゃはい上がって、あきらめないで、ずーっとのっこのっこ、のっこのっこ、やってるわけですよ。

■無理はやんないほうがいい。水の流れのごとく、いつかよどみは解かれていくから。

 ――二度の千日回峰行を経て何を得ましたか

 何にもないんだよ、結局。みんなが思っているような大変なもんじゃない。何も変わらず、今もずーっと毎日歩いているしな。比叡山での回峰行というものでもって、大げさに評価されちゃってるんだよ。

 戦後、(東京の)荻窪の駅前でラーメン屋をやってたことあるんだ。今でも材料あったらチャッチャッチャって作っちゃうよ。同じだよ。朝起きて、仕込んで、材料買いに行って、お昼にお店開けて、夜中に店閉めて、寝て、6時ごろに仕込みして。くるくるくるくる……。もしここに屋台あったらラーメン屋のおやじだな、ハハハ。形は違うけどやってることは同じなんだよ。

 ――行は形じゃない、と

 みんなさ、背伸びしたくなるの、ねえ。自分の力以上のことを見せようと思ってええかっこしようとするじゃない、だからちょっと足元すくわれただけでもスコーンといっちゃう。

 無理しなくていいんだよ。無理っていうのは、自分にとって、理に通らないようなこと。それならやんない方がいいんだな。ぼくなんか、それをはずしながら、肩すかししながらやってきたから、長持ちしてんじゃないの。無理せず、ひがまず、焦らず、慌てず。水の流れのごとく生きる。溜(た)まりに入ってもあわてることないよ。よどみも徐々に解かれていくから。

 ――比叡山山中を1日30キロ拝み歩く「七百日」から9日間の「堂入り」までが自分の行、それからが世のための行と

 やっているうちに、いつの間にかそういうふうな考えが生まれてくるだけのことで。仏様から智恵(ちえ)をいただくんですな。昔の人は葉っぱが落ちただけで悟りを開いたっていうじゃない。知識的にみれば、そりゃ枯れりゃ葉っぱが落ちるじゃないのっていうことだけどさ。青く茂って、時期が来たら葉が落ちる。また来年になったら青く茂ってくる。それを見て、ああ生命っていうのは一回でおしまいじゃないんだなあ、つながっているんだなって気づいていく。こういうのが仏様からいただく「仏智(ぶっち)」なんだな。

 ――生きた知恵ですね

 勉強して知識ばかり増やすのでなくて、自分がこのくらいまでなら分かるな、と思ったら、実践していけばいいのよ。実践すれば智恵が出てくる。智恵が出たら、こうしてみようとか、もう少し勉強しようとか思うでしょう。それを繰り返し繰り返し、だんだんだんだんとね。

 ――日々、悩み迷うことばかりです

 朝ここから草鞋(わらじ)履いて出て行くじゃない。帰ってくるとボロボロになっちゃうわけよ。翌日はまた新しい草鞋を履いて行く。それを毎日毎日繰り返してるうちに、いつの間にかさ、草鞋と自分が重なってきた。もし自分が草鞋だったら今日でおしまいじゃないの。そして、明日また新しく生まれ変わる。人間もそれと同じだなあって。

 山歩いている時は動きの世界、草鞋脱いでこっちで仕事してる時は、静かな世界。動と静は背中合わせ。動というのは生、静というのは死。生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。一日が一生だってね。

 今日失敗したからって、ヘナヘナすることない、落ち込むこともない。明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。だからこそ、今が一番大切だってことだね。今自分がやってることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないの。

     ◇

 〈千日回峰行〉 平安時代の天台宗の僧・相応和尚(そうおうかしょう)が創始者とされる。山川草木などあらゆるものに仏の姿を感じながら比叡山やふもとの約300カ所で礼拝する。約7年をかけて千日を歩き、総歩行距離は地球1周分(約4万キロ)に当たる。700日を終えると、9日間、断食、断水、不眠、不臥(ふが)で10万回の不動真言を唱える「堂入り」の行に入る。その後は比叡山の山中だけでなく、京都市内でも礼拝する。記録の残る織田信長の比叡山焼き打ち以後、千日回峰行を2度満行したのは酒井さんら3人しかいない。
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2回目の休憩
午前11時33分

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