アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

2019年7月29日から
ロンカイン市生活スタート
令和5年2023年1月1日数え79歳ワクワク人生

その4 泥の河 今は断片のみアップで全編はもう削除でした!!

2021-01-14 17:31:07 | Weblog

その4 泥の河 今は断片のみアップで全編はもう削除でした!!

 

本日の我がブログ内の人気記事ベスト10からコピペ

 

皆さん魅力的な俳優さんたち

断片なれどいくつか見えます。

お楽しみあれ

 

昭和31年 1956年の大阪が舞台 我が育った戦後のまだ貧しい記憶と一致する素敵な映画でしたが!!

 

そして貧しくても心のきれいな日本人がいっぱいいたです。

 

その2 泥の河って心打つ

2016-12-25 10:29:19 | Weblog
 
その2 泥の河って心打つ

我がブログの中で結構高頻度で読まれているって案内が時折ある。

久しぶりにのぞいてみた。
まだ今年の旧暦の大晦日にアップした記事
新暦の2月7日にアップしたもの!! そして動画もまだ健在でした。

http://www.tudou.com/programs/view/w7EIwSrKcbI

洗濯しながら鑑賞
そしてこれからヘアサロン ついで赤トンボでサモンのさしみ予定

その前にアップしておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

その1 大晦日に泥の河を鑑賞

平成28年 2016年2月7日 日曜日 旧暦大晦日

我輩より一つ上の母親役の藤田弓子がいい!! 撮影当時は35歳 素敵でした。












貧しくもいい日本の時代かも!!
昭和31年は我が10歳のとき
不思議と昨日のことのように
思い出されます。
時間のある方
ぜひご鑑賞を!!


大晦日
本日も泥の川を鑑賞
貧しくともこころあたたかい日本があります。






昭和31年 大阪の天神祭り 素朴純朴

それにしても当時の川は、どぶ川、泥川といわれても仕方なし

栃錦と若乃花の白黒テレビ実況放送が画面に!!
当時10歳の我輩は相撲と野球が大好き!!...

http://www.tudou.com/programs/view/w7EIwSrKcbI

とってもいい泥の河の思い出投稿を発見!!
我輩と同じ世代の人

コピペ
昭和56年の時であった。新聞の映画欄で今まで聞いたことがない新人監督の作品が

傑作で評判になっていた。小栗康平監督の自主制作作品「泥の河」であった。

この頃の私は三十代後半で仕事が忙しく、この映画を見過ごしてしまった。

見たいと思っても映画紹介欄で見当たらない。ある時、「泥の河」を上映している

映画館を見つけた。

川崎にある映画館であった。結婚してから映画を見るのは池袋・新宿・銀座など

都内の映画館で、六郷川を渡った神奈川で見ることがなかった。

 とても遠くへ行く感覚であったが、早く「泥の河」を見なくてはいけない。

仕事の帰りに川崎に向かった。国鉄川崎駅の近くに数館並んでいる映画街があった。

映画館の名前は思い出せないが、たぶん「川崎名画」であったと思う。


 映画「泥の河」のあらすじは次のようである。昭和31年の大阪が舞台である。

橋の河っぷちのうどん屋に毎日立ち寄る馬車を曳く運送屋のおっちゃんが

馬の事故で死んだ。うどん屋の息子信雄は置き去りにされた荷車の鉄クズを

盗もうとした喜一少年と出会った。

少年は岸に繋がれたみすぼらしい船に住む生活者で、遊びに行くと母と銀子と

いうやさしい姉もいた。信雄は父から夜あの舟に行ってはいけないといわれた。

信雄の父母は姉弟を夕食に呼んで暖かくもてなした。お礼に喜っちゃんが死んだ

父から教えてもらった「戦友」を歌う。

満州で戦いシベリアに抑留された信雄の父晋平は感動する。

 晋平は舞鶴に妻を残し、大阪の闇市で知り合った貞子と駆け落ちして、

うどん屋を始めて、40代を過ぎてから信雄を授かる。残した妻から入院した病院へ

信雄と一緒に見舞いに来てほしいと依頼される。信雄は自分の生んだ子といって

絶対に行かないといった信雄母貞子も一緒に、三人で京大病院に面会にゆく。

 晋平は天神祭に信雄と喜一を連れて行くと男の約束をする。

天神祭の当日に晋平は行方をくらましてしまう。信雄と喜一は貞子から小遣いを貰い、

二人で天神祭に行くが人混みで破れたポケットから、小遣いを落としてしまう。

ふさぎ込んだ信雄を喜ばすために、喜一は河に突き刺した竹ほうきに付いた

蟹の巣を見せる。さらに蟹にランプの油を垂らし、火をつける遊びを見せる。

舟べりを逃げる蟹を追った信雄は窓越しに喜一の母の姿を見てしまう。

舟は廓舟と呼ばれ、背中に刺青のある客と商売をしていたのである。

信雄が家に帰ると晋平は戻っていて、何か上機嫌でうどん屋の客に振る舞いをしていた。

 翌日、廓舟は岸を離れて曳かれてゆく。信雄は喜一の舟を執拗に追い続けて、

見送って終わるのである。


 昭和31年は私が小学校6年の時である。白黒スタンダードの画面に映し出された大阪の川を

挟んだ町並みを八王子生まれの私がとても懐かしく思った。あの頃の時代の雰囲気とても

うまく醸し出されている。

 最初に馬車を曳く運送屋が登場する。私の隣町に馬喰と呼ばれた運送屋があった。

大きな荷車を馬に引かせて、薪・炭・木っ端・石炭など運んでいた。

このような馬車が道路を通るのは日常であり、馬糞が道路に落ちているのは

珍しくなかった。馬糞を見つけた子供はすぐに「一踏んだ」と言って踏んだ。

馬糞を踏むと背が高くなると言われていた。


 主人公の少年信雄と喜一は小学校3年生であった。喜一は学校に行っていない。

3年生は私の弟と同じ年頃である。ラジオで「赤胴鈴之助」を聞き、近所の食堂のテレビで

栃錦と若乃花の相撲を盗み見して、路上で車輪を転がす遊びをしている。

また、朝鮮戦争の好景気で鉄が高騰して、当時の小学生達は小遣い稼ぎで、

鉄屑を集めた。私の小学校生活そのままである。


 当時、私の町でも物売り・流れ職人・テキヤ、サーカスの人・旅芸人・門付け芸人など人達を

よく見かけ、いつの間に姿を消してしまう。報

道で東京湾の周辺で暮らしていた海上生活者のことなど見る機会があった。昭和31年では

まだ赤線・青線が健在で、吉原・洲崎・鳩の町などにぎわっていた。

川辺に廓舟が舫っていても、それほど不思議とも思わなかった時代である。

国民すべてが皆貧乏で、どんなことでも精一杯に生きて、弱い人を助け合っていたのである。

貧しいけど底抜けに明るい感じがあった。


 きっちゃんが歌う「ここはお国の何百里、離れて遠く満州の・・・」で始まる「戦友」の歌声には

思わず涙が溢れてしまう。小学校にも行かないで、この歌詞を全部覚えていた  

きっちゃんは死んだ父が酔っ払うと歌うので覚えてしまった。

晋平がきっちゃんに何度も「戦友」を催促するのである。当時は日本のどの家族にも

戦死者や復員した戦争体験者が必ずいた時代である。

満州で戦いシベリアに抑留された晋平は自分を「スカみたいにしか生かれない」

「スカみたいに死んでゆく」と悔恨を込めて述懐している。

私の父も台湾に出征して帰国した頃、うわの空のような生活で「南方ボケ」と家族から笑われていた。

出征したことはあまり家族に話さなかった。


 世間から蔑視された廓舟で家事すべてをしている喜一の姉銀子の姿がこの映画の一番の魅力であろう。

最初に遊びにきた信雄にやさしく介抱し、信雄の父母の夕食の招きに弟にしつけを教える。

貞子がみやげに子供服をあげるが、きちんとたたんで置いてゆく凛とした姿である。

晋平のいないうどん屋を気軽に手伝う。うれしそうに貞子と風呂に入る。

素直できびきびとした動作と社会を見通したような澄んだ目。可憐であればこそ、

なお可憐になる姿である。

もう一つの魅力は加賀まりこの娼婦である。まさに泥に咲いた蓮のように妖艶である。

わずかしか出番がないがその存在感がぞくぞくして堪らないのである。


 この映画の根幹のテーマは子供達の別れであろう。

子供は親の都合である日突然別れるのである。あんなに楽しく遊んでいた友達が

突然目の前からいなくなるのである。とても悲しい出来事である。

どんな人でも子供の頃、いくつか経験したであろう。


 私が3歳の頃、いとこの女の子と一緒に暮らしたことがあった。戦争未亡人となった叔母が

我家に一時預けたのである。毎日姉弟のように、いつも一緒に遊んでいたが、突然帰ってしまった。

幼い頃なのに淋しく悲しかったことを強烈に憶えている。

また、小学生の頃、近所で仲がよかった同級生が突然引っ越してしまった。

かなり離れた所に転居したが、わざわざ会いに行って遊んだことがあった。

家族が子供のことだからと笑っていた。その頃何のことだか分らなかった。

後に転居した家が夜逃げ同然で、我家に帳場(借金)を踏み倒して行ってしまった。

その家にわたしがのこのこ遊びに行ったのである。子供は仲がよかった友達と

遊びたかっただけである。


 映画では岸を離れて曳かれてゆく廓舟を信雄が執拗に追い続けて画面を

幾度もカットを変えて描き続けるのである。

最初は「きっちゃん」とつぶやく信雄が最後は舟に向かって大声で「きっちゃん」と叫ぶのである。


 映画を見終わってすぐに、ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」のラストシーンを思い出した。

戦争孤児のポレットが突然修道女に連れられて行く。駅の雑踏の中で、一緒に暮らしていた

ミッシェルの呼ぶ声を聞き、ミッシェルと叫びながら探しに行く。人違いでミッシュルはいないが、

雑踏の中を「ミッシュル」と叫びながら走って行く。

 
 別れはいつも悲しく切ないが、子供の別れは強制的に起こってくるのでやるせないのである。

川崎から赤羽までの京浜東北線の車内で余韻に浸りながら、揺られながら帰っていったことをよく憶えている。


 映画「泥の河」はアメリカアカデミー賞外国語映画部門にノミネートされ、モスクワ国際映画祭で

銀賞を獲得して、その年(1981年度)のキネマ旬報ベストテン第一位となり、その他の国内の映画賞を独占している。



2回目の休憩
午前10時28分
 
以上でコピペ終了
 
2021年1月14日 午後5時30分 アップ@ホーム
 
その8  泥の河 小栗康平 第一回監督作品
 
残念ながら泥の河の全編はアップなし
部分的なものはあり
 
これは映画のラスト8分
 


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その4 泥の河 今は断片のみアップで全編はもう削除でした!!

2021-01-14 17:31:07 | Weblog

その4 泥の河 今は断片のみアップで全編はもう削除でした!!

 

本日の我がブログ内の人気記事ベスト10からコピペ

 

皆さん魅力的な俳優さんたち

断片なれどいくつか見えます。

お楽しみあれ

 

昭和31年 1956年の大阪が舞台 我が育った戦後のまだ貧しい記憶と一致する素敵な映画でしたが!!

 

そして貧しくても心のきれいな日本人がいっぱいいたです。

 

その2 泥の河って心打つ

2016-12-25 10:29:19 | Weblog
 
その2 泥の河って心打つ

我がブログの中で結構高頻度で読まれているって案内が時折ある。

久しぶりにのぞいてみた。
まだ今年の旧暦の大晦日にアップした記事
新暦の2月7日にアップしたもの!! そして動画もまだ健在でした。

http://www.tudou.com/programs/view/w7EIwSrKcbI

洗濯しながら鑑賞
そしてこれからヘアサロン ついで赤トンボでサモンのさしみ予定

その前にアップしておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

その1 大晦日に泥の河を鑑賞

平成28年 2016年2月7日 日曜日 旧暦大晦日

我輩より一つ上の母親役の藤田弓子がいい!! 撮影当時は35歳 素敵でした。












貧しくもいい日本の時代かも!!
昭和31年は我が10歳のとき
不思議と昨日のことのように
思い出されます。
時間のある方
ぜひご鑑賞を!!


大晦日
本日も泥の川を鑑賞
貧しくともこころあたたかい日本があります。






昭和31年 大阪の天神祭り 素朴純朴

それにしても当時の川は、どぶ川、泥川といわれても仕方なし

栃錦と若乃花の白黒テレビ実況放送が画面に!!
当時10歳の我輩は相撲と野球が大好き!!...

http://www.tudou.com/programs/view/w7EIwSrKcbI

とってもいい泥の河の思い出投稿を発見!!
我輩と同じ世代の人

コピペ
昭和56年の時であった。新聞の映画欄で今まで聞いたことがない新人監督の作品が

傑作で評判になっていた。小栗康平監督の自主制作作品「泥の河」であった。

この頃の私は三十代後半で仕事が忙しく、この映画を見過ごしてしまった。

見たいと思っても映画紹介欄で見当たらない。ある時、「泥の河」を上映している

映画館を見つけた。

川崎にある映画館であった。結婚してから映画を見るのは池袋・新宿・銀座など

都内の映画館で、六郷川を渡った神奈川で見ることがなかった。

 とても遠くへ行く感覚であったが、早く「泥の河」を見なくてはいけない。

仕事の帰りに川崎に向かった。国鉄川崎駅の近くに数館並んでいる映画街があった。

映画館の名前は思い出せないが、たぶん「川崎名画」であったと思う。


 映画「泥の河」のあらすじは次のようである。昭和31年の大阪が舞台である。

橋の河っぷちのうどん屋に毎日立ち寄る馬車を曳く運送屋のおっちゃんが

馬の事故で死んだ。うどん屋の息子信雄は置き去りにされた荷車の鉄クズを

盗もうとした喜一少年と出会った。

少年は岸に繋がれたみすぼらしい船に住む生活者で、遊びに行くと母と銀子と

いうやさしい姉もいた。信雄は父から夜あの舟に行ってはいけないといわれた。

信雄の父母は姉弟を夕食に呼んで暖かくもてなした。お礼に喜っちゃんが死んだ

父から教えてもらった「戦友」を歌う。

満州で戦いシベリアに抑留された信雄の父晋平は感動する。

 晋平は舞鶴に妻を残し、大阪の闇市で知り合った貞子と駆け落ちして、

うどん屋を始めて、40代を過ぎてから信雄を授かる。残した妻から入院した病院へ

信雄と一緒に見舞いに来てほしいと依頼される。信雄は自分の生んだ子といって

絶対に行かないといった信雄母貞子も一緒に、三人で京大病院に面会にゆく。

 晋平は天神祭に信雄と喜一を連れて行くと男の約束をする。

天神祭の当日に晋平は行方をくらましてしまう。信雄と喜一は貞子から小遣いを貰い、

二人で天神祭に行くが人混みで破れたポケットから、小遣いを落としてしまう。

ふさぎ込んだ信雄を喜ばすために、喜一は河に突き刺した竹ほうきに付いた

蟹の巣を見せる。さらに蟹にランプの油を垂らし、火をつける遊びを見せる。

舟べりを逃げる蟹を追った信雄は窓越しに喜一の母の姿を見てしまう。

舟は廓舟と呼ばれ、背中に刺青のある客と商売をしていたのである。

信雄が家に帰ると晋平は戻っていて、何か上機嫌でうどん屋の客に振る舞いをしていた。

 翌日、廓舟は岸を離れて曳かれてゆく。信雄は喜一の舟を執拗に追い続けて、

見送って終わるのである。


 昭和31年は私が小学校6年の時である。白黒スタンダードの画面に映し出された大阪の川を

挟んだ町並みを八王子生まれの私がとても懐かしく思った。あの頃の時代の雰囲気とても

うまく醸し出されている。

 最初に馬車を曳く運送屋が登場する。私の隣町に馬喰と呼ばれた運送屋があった。

大きな荷車を馬に引かせて、薪・炭・木っ端・石炭など運んでいた。

このような馬車が道路を通るのは日常であり、馬糞が道路に落ちているのは

珍しくなかった。馬糞を見つけた子供はすぐに「一踏んだ」と言って踏んだ。

馬糞を踏むと背が高くなると言われていた。


 主人公の少年信雄と喜一は小学校3年生であった。喜一は学校に行っていない。

3年生は私の弟と同じ年頃である。ラジオで「赤胴鈴之助」を聞き、近所の食堂のテレビで

栃錦と若乃花の相撲を盗み見して、路上で車輪を転がす遊びをしている。

また、朝鮮戦争の好景気で鉄が高騰して、当時の小学生達は小遣い稼ぎで、

鉄屑を集めた。私の小学校生活そのままである。


 当時、私の町でも物売り・流れ職人・テキヤ、サーカスの人・旅芸人・門付け芸人など人達を

よく見かけ、いつの間に姿を消してしまう。報

道で東京湾の周辺で暮らしていた海上生活者のことなど見る機会があった。昭和31年では

まだ赤線・青線が健在で、吉原・洲崎・鳩の町などにぎわっていた。

川辺に廓舟が舫っていても、それほど不思議とも思わなかった時代である。

国民すべてが皆貧乏で、どんなことでも精一杯に生きて、弱い人を助け合っていたのである。

貧しいけど底抜けに明るい感じがあった。


 きっちゃんが歌う「ここはお国の何百里、離れて遠く満州の・・・」で始まる「戦友」の歌声には

思わず涙が溢れてしまう。小学校にも行かないで、この歌詞を全部覚えていた  

きっちゃんは死んだ父が酔っ払うと歌うので覚えてしまった。

晋平がきっちゃんに何度も「戦友」を催促するのである。当時は日本のどの家族にも

戦死者や復員した戦争体験者が必ずいた時代である。

満州で戦いシベリアに抑留された晋平は自分を「スカみたいにしか生かれない」

「スカみたいに死んでゆく」と悔恨を込めて述懐している。

私の父も台湾に出征して帰国した頃、うわの空のような生活で「南方ボケ」と家族から笑われていた。

出征したことはあまり家族に話さなかった。


 世間から蔑視された廓舟で家事すべてをしている喜一の姉銀子の姿がこの映画の一番の魅力であろう。

最初に遊びにきた信雄にやさしく介抱し、信雄の父母の夕食の招きに弟にしつけを教える。

貞子がみやげに子供服をあげるが、きちんとたたんで置いてゆく凛とした姿である。

晋平のいないうどん屋を気軽に手伝う。うれしそうに貞子と風呂に入る。

素直できびきびとした動作と社会を見通したような澄んだ目。可憐であればこそ、

なお可憐になる姿である。

もう一つの魅力は加賀まりこの娼婦である。まさに泥に咲いた蓮のように妖艶である。

わずかしか出番がないがその存在感がぞくぞくして堪らないのである。


 この映画の根幹のテーマは子供達の別れであろう。

子供は親の都合である日突然別れるのである。あんなに楽しく遊んでいた友達が

突然目の前からいなくなるのである。とても悲しい出来事である。

どんな人でも子供の頃、いくつか経験したであろう。


 私が3歳の頃、いとこの女の子と一緒に暮らしたことがあった。戦争未亡人となった叔母が

我家に一時預けたのである。毎日姉弟のように、いつも一緒に遊んでいたが、突然帰ってしまった。

幼い頃なのに淋しく悲しかったことを強烈に憶えている。

また、小学生の頃、近所で仲がよかった同級生が突然引っ越してしまった。

かなり離れた所に転居したが、わざわざ会いに行って遊んだことがあった。

家族が子供のことだからと笑っていた。その頃何のことだか分らなかった。

後に転居した家が夜逃げ同然で、我家に帳場(借金)を踏み倒して行ってしまった。

その家にわたしがのこのこ遊びに行ったのである。子供は仲がよかった友達と

遊びたかっただけである。


 映画では岸を離れて曳かれてゆく廓舟を信雄が執拗に追い続けて画面を

幾度もカットを変えて描き続けるのである。

最初は「きっちゃん」とつぶやく信雄が最後は舟に向かって大声で「きっちゃん」と叫ぶのである。


 映画を見終わってすぐに、ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」のラストシーンを思い出した。

戦争孤児のポレットが突然修道女に連れられて行く。駅の雑踏の中で、一緒に暮らしていた

ミッシェルの呼ぶ声を聞き、ミッシェルと叫びながら探しに行く。人違いでミッシュルはいないが、

雑踏の中を「ミッシュル」と叫びながら走って行く。

 
 別れはいつも悲しく切ないが、子供の別れは強制的に起こってくるのでやるせないのである。

川崎から赤羽までの京浜東北線の車内で余韻に浸りながら、揺られながら帰っていったことをよく憶えている。


 映画「泥の河」はアメリカアカデミー賞外国語映画部門にノミネートされ、モスクワ国際映画祭で

銀賞を獲得して、その年(1981年度)のキネマ旬報ベストテン第一位となり、その他の国内の映画賞を独占している。



2回目の休憩
午前10時28分
 
以上でコピペ終了
 
2021年1月14日 午後5時30分 アップ@ホーム

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その3 感動 2週間ぶりのネイルサロン 皆さん吾輩を覚えてくれていました。

2021-01-14 15:11:10 | Weblog

その3 感動 2週間ぶりのネイルサロン 皆さん吾輩を覚えてくれていました。

 

本日は夜の授業があり夕方の散策とネイルサロンは行けないので昼前にネイルサロンへ

 

みなさんが小生を覚えてくれていて小さな幸せをいただきました。

 

それではいつものように我がフェイスブックのコピペ編集

 

その5 二週間ぶりのネイルサロン
 
皆さん覚えてくれていました。
 
本日はお客さん我が一人で
二人で爪のケア そして英語でお話できる娘さんもいて情報沢山
 
次回はまた2週間後ってお別れでした。
 
お昼前に行くと前回の夜と違ってゆったり感がありました。
 
正直に言うと手をケアした娘さんの方が足をケアしたオーナーさんより上手でした。 
っていうか痛みが娘さんゼロ オーナーさん2回 でも傷跡を消毒してくれましたが!! 
 
ごめんなさいってことばも??ベトナム語で分からないですが多分!!
 
 
そして ベトナムの人ってとても親切 記念写真に喜んで応じてくれます。

だいたい95%がネットアップOK
日本人なら95%がNO

この差が自由度の生活のしやすさ幸福度 世界一を支えているかも!!

ベトナム人に感謝して乾杯です。

 

 
その6 お昼前のスクーター外出
 
お昼前でも寒くて写真のような格好で出発
 
いつものComChayの店で購入
 
本日はソーセージとミルク2個と海苔を追加
オイシイです。
 
全部は無理で8割くらいいただきました。
 
午後2時57分 アップ@ホーム
 
3回目の休憩
 
午後3時11分
 

その2 「あの頃、君を追いかけた」You are the apple of my eye 主演は山田裕貴

2021-01-14 14:27:57 | Weblog

その2 「あの頃、君を追いかけた」You are the apple of my eye 主演は山田裕貴

 

本日の我がブログ内の人気記事からアップ

VungTauのロッテマートの映画館で見ました。

ちょっと懐かしいです。 そして昨日のことのように思い出されます。

 

主演の山田裕貴は最近日本のドラマに結構出演しています。

 

吾輩が1年以上滞在した場所は

最初が米国のMaryland州 Baltimore市

次いでベトナムのHoChiMinh市

次いでベトナムのVungTau市

そして現在のLongKhanh市

LongKhanh市が一番新しくまだ1年半です。

 

でも一番短かった米国生活は

若かったせいでもあるが強烈でした。

 

我が人生観が180度変わるほどに刺激され

世界に目を向けるように!!

 

世界の学会で知り合う人が増えるにつれて

世界の出来事が気になるように!!

 

ただのニュースではなく

そのニュースの現場近くの知り合いのことを思いやれる心が芽生え育ってきました。

 

それからは毎年海外の学会に発表に出かけ(発表すれば大学は出張費をくれる)

世界の五大陸を経験したくさんの知り合いを得て地球は小さいを体で感じることに!!

 

出張や旅行でなく海外で生活するって日本人の日本の日本文化や歴史から長所短所が見えて

そして世界が小さな宇宙船の地球号であり人間は国家はその乗組員に過ぎないって理解できます。

 

だんだんとGoing My Wayの生活に!!

 

最初は孫たちのために

でもそれでは人間が小さい

世界に出かけてそして一人でも喜んでくれる人があればお手伝いしたいって気持ちに!!

 

気が付けばベトナム生活が13年でした。

 

一人生活を望んだのではなくワイフと一緒を!!

何十度とお誘いしても拒絶され

半分独身生活が始まる。

そして慣れてくれば人生って孤独の方が人生を真剣に考えて人の役に立ちたい貢献したいって!!

 

衣食住は大変だったが

ベトナム人の明るい性格にも人懐っこい性格にも楽天性にも助けられて現在は結構充実した毎日

 

我が親族はじめ知り合った人々の理解と援助に感謝しながら生活しています。

 

そんなことを思いながらアップです。

 

現在 2021年1月14日 午後2時26分

 

それではコピペ編集スタート

 

 

その1 You are the apple of my eye 最高に素敵な映画 台湾映画のリメイク版でした!!

2018-11-17 14:04:11 | Weblog
 
その1 You are the apple of my eye 最高に素敵な映画 台湾映画のリメイク 「あの頃、君を追いかけた」でした!!

平成30年 西暦2018年11月17日 土曜日

昨夜午後6時半からロッテシネマで鑑賞

なんとスタートは吾輩一人 最終でも二人だけ!!
日本語会話 字幕は英語とベトナム語


とっても素敵な映画
若者の生き方に感動

これって日本人の発想ではない気がして
BookCaFeで検索

台湾映画のリメイク版でした。






Japan to Remake Hit Taiwanese Movie “You are the Apple of My Eye”
The Taiwanese coming-of-age hit movie “You are the Apple of My Eye” will be having a Japanese remake! A commercial and critical success, the movie was directed by Taiwanese author Giddens Ko based on his semi-autobiographical novel of the same name. It was released in 2011 and has set domestic box office records. It was later on screened in Japan in 2013 and gained a following.


The Japanese version titled “Ano Koro, Kimi wo Oikaketa” (Those Years, We Went After You) will star Yamada Yuki and Nogizaka46 member Saito Asuka. The setting will be moved to Japan and the period changed from 1994 to 2000.

Yamada will play the protagonist Mizushima Kosuke while Saito will play the heroine Hayase Mai. The rest of the cast include Matsumoto Honoka, currently seen and gaining attention for her role in the Asadora “Hiyokko”, Sakumoto Takara who won the Japan Academy Newcomer Award for the movie “Ikari”, Kunishima Naoki who won the 26th Junon Super Boy Contest Grand Prix and Nakata Keisuke, an actor and exclusive model for MEN’S NON-NO.

The film will be directed by Hasegawa Yasuo and is scheduled to be released in Japan in autumn 2018.


この格好で出かけました。
でもこれでも映画館は寒いくらい!!!

凄い冷房





入り口で午後6時半まで待たされる!!








字幕に英語もベトナム語も!! それに日本語会話

嬉しくなりました。











午後8時45分

雨はなくくもり空にお月さまがぼんやりと!!












乃木坂46齋藤飛鳥の出演映画「あの頃、君を追いかけた」公開日決定、新場面写真も



2018年7月2日 13:45 761

You Are the Apple of My Eye (Japanese Movie)


Profile
Movie: You Are the Apple of My Eye (English title) / Those Years, We Went After You (literal title)
Romaji: Ano Koro, Kimi wo Oikaketa
Japanese: あの頃、君を追いかけた
Director: Yasuo Hasegawa
Writer: Giddens Ko (novel), Kenzaburo Iida
Producer:
Cinematographer:
Release Date: October 5, 2018
Runtime: 114 min.
Genre: Teen-Romance
Distributor: Kino Films
Language: Japanese
Country: Japan
Plot Synopsis by AsianWiki Staff ©
Kosuke Mizushima (Yuki Yamada) is a high school student at a provincial city and enjoys a comfortable life. One day, due to Kosuke Mizushima's excessive joke, his class is interrupted. The teacher gets upset and makes model student Mai Hayase (Asuka Saito) keep an eye on Kosuke Mizushima. Kosuke Mizushima and his 4 friends all had crushes on Mai when they were in middle school. Due to a small incident, Kosuke Mizushima and Mai Hayase get close.



齋藤飛鳥(乃木坂46)がヒロインを務める映画「あの頃、君を追いかけた」の公開日が10月5日に決定。また本作の新たな場面写真と前売りチケットの購入特典が公開された。







映画「あの頃、君を追いかけた」のワンシーン。 (c)『あの頃、君を追いかけた』フィルムパートナーズ

映画「あの頃、君を追いかけた」のワンシーン。 (c)『あの頃、君を追いかけた』フィルムパートナーズ
「あの頃、君を追いかけた」は台湾で2011年に公開されたギデンズ・コー監督による同名映画のリメイク作品。日本版では長谷川康夫監督が2000年代の日本を舞台に新たに撮り下ろし、主人公のお調子者な高校生・水島浩介を山田裕貴が、水島が憧れるヒロイン・早瀬真愛を齋藤が演じる。

このたび公開された場面写真は水島と早瀬が仲間たちと防波堤に並んだシーンと、水島が学校のグラウンドで空を見上げるシーン。撮影を振り返った齋藤は「あたたかい雰囲気の現場だった」とコメントし、山田は「俳優人生の転機になる作品」だと本作にかける意気込みを述べている。

1回目の休憩

午後2時07分

アップ@BookCaFe

管理人さんがWiFiオフして昨晩から本日昼現在もブログアップできず!!

おかげで久しぶりのBookCaFe

とても静かでほんの少しアカデミックな香りがあるこのCaFe大好き
 
以上でコピペ終了
 
 
 
2回目の休憩
 
午後2時27分 アップ@ホーム


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その1 最低気温更新16℃ 今朝から2剤目を追加

2021-01-14 07:05:13 | Weblog

その1 最低気温更新16℃ 今朝から2剤目を追加

 

令和3年 新暦2021年1月14日
旧暦12月2日 木曜日
 
いつものように我がフェイスブックのコピペ編集
 
 
その1 最低気温更新@LongKhanh市
 
令和3年 新暦2021年1月14日  旧暦12月2日 木曜日
 
今日は夜の授業で寒さが心配
とにかくスクーターで出かけると
寒さ冷たさが身に染みてきますから!!
 
 
朝焼けがきれかったです。
 
午前6時55分 アップ@ホーム
 
2剤目を追加
 
朝剤は膀胱を拡大する薬午前3時半服用
 
そして本日から毎朝1剤追加 こちらは尿道を広げる薬  午前5時半服用
 
この相反する作用を半減期の時間差で服用して対症療法を確実に
 
でも前立腺の肥大を直接抑えるわけでないので
もう一つ根治療法の薬剤が欲しいが!!
まだ調剤薬局さんに相談してない!!
 
日本なら超簡単も逆に医師の処方箋が必須
ベトナムならノープロブレムだが~~
 
そして我が最終的な根治療法はレーザー手術の選択かも!!!って思う。
 
午前6時58分 アップ@ホーム
 
1回目の休憩
 
午前7時05分