アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

2019年7月29日から
ロンカイン市生活スタート
令和5年2023年1月1日数え79歳ワクワク人生

Part 2 晴子女史が心配

2014-03-10 23:59:53 | Weblog
ちょっと心配です晴子女史 
帰宅してネットを見るとどの新聞も論文取り下げのニュース

我輩みたいに気が弱い人間なら自殺です。
女性は強いから彼女の粘りで、もう一度、チャレンジして
誰からもけちをつけられない新万能細胞を見つけて欲しい!!

十夜のお月様も何となく寂しそうです。


ネットからコピペのニュース
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STAP細胞、論文取り下げ提案 共同研究の山梨大教授
2014/3/10 22:32

 理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーらが発表した新型万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の論文について、共同研究者である山梨大の若山照彦教授が、小保方リーダーらに論文を取り下げるよう提案していることが、10日分かった。
 若山教授は同日夜、山梨大(甲府市)で取材に応じ「STAP細胞の担当ではない理研のグループディレクター3人から論文取り下げのアドバイスを受けた」と説明した。
 論文の取り下げを提案した理由について「論文に使われた写真が小保方さんの博士論文と同じ。これが決定的な不信になった」と指摘。ただ、論文を取り下げた場合は「全力をあげて、STAP細胞を再現できる完璧な論文を作成したい」と述べた。
 STAP細胞は弱酸性の溶液にマウスの血液細胞を浸すだけで作製できるとして、理研は英科学誌「ネイチャー」に論文を発表。理研は、同じ万能細胞であるiPS細胞より簡単な方法で作製できると説明していた。
  しかし成果の発表後、論文の内容を巡って疑問が相次いだ。論文に掲載された画像データに加工されたように見える部分があることや、別々の実験による画像 データがよく似ているといった指摘があった。他の研究者からも「作製を試みてもできない」として再現性を疑う見方が出ていた。
 一連の指摘を受け、理研は研究に関わっていない内外の専門家に調査を依頼していると説明するとともに、再現性の問題を払拭するため、STAP細胞の詳しい作製手法も公表した。
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さてインタイムの夜の授業を終え、やっぱし日本食が食べたくて近くのダルマ食堂へ

授業は皆さん真面目で教えていても楽しいです。
学生も数名いるが他はサラリーマン
とにかく熱心でした。

ダルマ食堂は、ひょっとして経営者が交代???
とにかく若くて美しい新経営者のベトナム女性が挨拶してくれます。

先週にはもう暫くはここには来ないってブログしたのに
あれから2回目です。 近くに日本食堂がないため!!!

でも料理人は同じみたい!!!
またもやカツ煮がメチャクチャ塩醤油味が強くて一切れでダメ棄却
マグロの刺身は食べられる程度、餃子はOK、御飯もOK ゴルゴ13が一番でした。

次回からは注文する時に味をとにかくは薄くするように頼みます。
折角の注文品を捨てるのはもったいないです。
あしたベトナム語翻訳を学生に頼んでみます。



このところ吾輩のスクーター運転はかなり丁寧みたい!!
本日の我が家からインタイム9キロに30分も時間をかけ
また我が家から2区のBaiVietオフィスまでも12キロを40分かけています。

しかもサイゴン橋とかBinhLoi橋では70キロ出しているのにこの時間のかけよう!!

昔と違って、車道を極力控え、バイク道を走っていること
信号を守っている。

ゆっくりすべきところは
ゆっくりを楽しんでいるためです。

年をとっていろいろ勉強しています。
結構フレキシビリティありです。
まだまだ若いって思いました。

2回目の休憩
午後10時

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Part 1 ベトちゃんドクちゃん

2014-03-10 17:06:50 | Weblog
平成26年3月10日 月曜日

いつも不思議だからこれは当たり前のこと!!
月曜日のラッシュアワーは結構空いていて交通警察がほとんどいない!!

ほとんどいないから流れがいいのかも!!!

このところの本ラッシュで
毎日幸せ!!!


ドクちゃんは父になったには涙します。


そして山本文緒なぎさと違って東野圭吾隆盛の絆は読みやすい面白い!!
1時間で既に200ページ 617ページは本日中に読破予定!!

本日の授業は
本を見せながらドクちゃんの勤務先とドクちゃんベトちゃんについてスタート





半数くらいが知っていました。
病院自身はほとんど知っています。1区ど真ん中の大病院って!!











ちなみにWikipediaのベトちゃんドクちゃんです。
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ベトちゃんドクちゃん

ベトちゃんドクちゃんは、下半身がつながった結合双生児としてベトナムで産まれた兄グエン・ベト(Nguyễn Việt, 漢字: 阮越、1981年2月25日 - 2007年10月6日)、弟グエン・ドク(Nguyễn Đức, 漢字: 阮、1981年2月25日 - )の双子の兄弟。「ベトちゃんドクちゃん」とは、二人の兄弟を指して80年代から90年代にかけて日本のマスコミなどで呼び習わされた愛称である。二人が結合双生児となったのは、ベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の被害の可能性があると報道された。1988年、ベトが急性脳症となったことを契機として手術で分離した。

枯葉剤散布地域で出生
ベトナム中部高原のコントゥム省で生まれる。この地域はベトナム戦争下で枯葉剤が多量に散布された地域である。2人は上半身2つが1つの下半身でY型に繋がった結合双生児として産まれた。母親フエは終戦の1年後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていた。彼女は枯葉剤のまかれた井戸で水を飲んだという。
両親は2人をコントム病院に預けた後に離婚。2人は1歳の時にハノイ市のベトナム・東ドイツ友好病院(ベトドク病院、Viet Duc Hospital)へ移され、そこからベト(越〈越南、ベトナム〉)、ドク(徳〈徳国、東ドイツ〉)と名づけられた。

本人達への支援
下半身がつながった結合双生児の写真は日本中に紹介され、ベトナム戦争の爪跡ととらえられ、日本で大規模な支援活動が起こった。1985年6月2日、「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」が福井県敦賀市で結成され、募金を募って2人に車椅子を贈った。
1986年6月11日、ベトが急性脳症を発症、治療のために日本に緊急移送された。6月19日、東京の病院で手術が行われたものの後遺症が残った。
分離手術
1988年3月に母親と再会。その後ベトが意識不明の重体となる。2人とも死亡してしまう事態を避けるため、10月4日にホーチミン市立ツーズー病院(Bệnh viện Từ Dũ)で分離手術が行われた。この手術は日本赤十字社が支援し、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供された。ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての17時間に及ぶ大手術は成功し、ベトには左足がドクには右足がそれぞれ残された。ドクには日本から義足が提供された。
分離後
分離後ドクは障害児学校から中学校に入学。中学校は中退したが職業学校でコンピュータプログラミングを学び、ツーズー病院の事務員となった。ボランティア活動も行っている。一方、ベトは重い脳障害を抱え寝たきりの状態が続いた。
2006年12月16日、ドクはボランティア活動の際に知り合った専門学校生のグエン・ティ・タイン・テュエン(Nguyễn Thị Thanh Tuyền)と結婚。このことは日本でも大きく取り上げられた。結婚式では「将来は障害者も働ける旅行会社を設立したい」と語っており、簡単な日本語を話すことができる。また、結婚後に兄ベトを引き取り夫婦で介護していた。
2007年10月6日1時(ベトナム標準時)、兄のベトが腎不全と肺炎の併発により26歳で死去。
2009年10月25日、ドクの妻テュエンがツーズー病院で男女の双子を出産。それぞれ富士山と桜にちなみ、男児はグエン・フー・シー(Nguyễn Phú Sĩ)、女児はグエン・アイン・ダオ(Nguyễn Anh Đào)と命名された。

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学生達は写真を見て感動です。
        

ついであさって日本に飛び立つ二人が入ってきました。
我輩にそして前を通りかかったVoさんも一緒になって皆に挨拶でした。
埼玉県です。でも彼らは市町村名を会社名をまだ覚えていません。とにかく今晩送別会!!




左からKen68 Duong24 Thinh24 Vo27 Vo先生は既に日本で3年の研修生を終えBaoViet教師
赤ちゃんがお腹にいるってハッピー状態です。
皆さんもワイワイガヤガヤベトナム語で
話しています。


吾輩も送別会に誘われるが今晩はインタイムの授業で残念でした。

マクドナルドとかスターバックスもテーマになるが
研修生にとっては値段が高くて対象外って
    


でもマクドの経営者がズン首相の娘婿ってことはご存知です。

やはり親のすねをかじる大学生とは大分意識が違います。

やっぱ田舎から家族を代表して日本に稼ぎに行くって気持ちが強い!!!
もっとリラックスして稼ぎでなく人生勉強もかねているって説く。
いい友や日本での経験はきっと将来いきてくるって!!


マレーシアエアラインのニュースは皆さんよく知っています。


フーコック島の南 ThoChu島の南南西で墜落機のドアを発見って知っています。
トーチュー島はホーチミンから飛行機が出ているとのこと!!
私しゃ初めてベトナムの小さな島の名前を覚えました。

写真赤矢印がThoChu島



この下記のニュースを知っているとは驚きでした。
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マレーシア航空機の残骸発見か ベトナム当局、確認急ぐ
2014年3月10日11時57分

南シナ海上空で行方不明になったマレーシア航空MH370便(ボーイング777―200型機)の捜索を続けているベトナム当局は9日、航空機の残骸の可能性がある物体を見つけた。同日深夜から海軍の船を派遣して確認を急いでいる。ベトナム国営テレビが伝えた。
 同テレビによると、ベトナム海軍の航空機が9日夕、マレーシア機が消息を絶ったとみられる同国西部沖のトーチュー島から南南西に約80キロ離れた海域で、長方形の物体を見つけた。
 中央部に穴が開いており、航空機の緊急脱出用のドアの可能性があるという。海面から約150メートル上空から見つけたが現場は暗くなっており、マレーシア機のものか確認はできなかった。
 残骸が同機のものならば、周辺海域に墜落した可能性があるため、ベトナムとマレーシアの捜索当局は10日、前日よりさらに西方に範囲を広げて捜索する。(ハノイ=翁長忠雄)

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昼食は皆と一緒に久しぶりの食堂へ
ここは卵とチキンと豚肉




そして本日も喫茶はやめて帰宅
昼寝小一時間
元気回復してブログでした。

GlobalDyeingのRimさんから明日は運転手が4時頃に我が家に迎えに行きますって連絡
3時半から4時半 間違いなく在宅って返事でした。

今夜はインタイムの授業です。
これから何を教えるか予習です。

1回目の休憩
午後3時6分

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その2 終日バイク使用しない日の生活

2014-03-10 03:57:20 | Weblog
お昼前のブログその1のあと夜7時までは3階に閉じこもりです!!

そして気がつけば
日曜日も日が替わって月曜日です。
ってことで昨日のことになりましたが
お昼から月曜午前1時までのブログその2です。

先ずは残り150ページとなった
なぎさ の読破へ!!

この小説は初めの200ページほどが場面がころころかわり
集中しないと内容が人物の関係が理解できないほどで
読みにくい代表例

十分に短編に仕上げ可能で、その方が一気に読める!!
読破後にはそのように思うが
まあ作家の主義
の問題かも!!

しかし後半はストーリーが凝縮され
はらはらどきどき
そして心を打ち
ました。


ストーリーと感想編はコピペ
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家事だけが取り柄の主婦、冬乃と、会社員の佐々井。同窓生夫婦二人は故郷長野を飛び出し、久里浜で静かに暮らしていた。佐々井は毎日妻の作る弁当を食べながら、出社せず釣り三昧。 佐々井と行動を共にする会社の後輩の川崎は、自分たちの勤め先がブラック企業だと気づいていた。元芸人志望、何をやっても中途半端な川崎は、恋人以外の女性とも関係を持ち、自堕落に日々を過ごしている。 夫と川崎に黙々と弁当を作っていた冬乃だったが、転がり込んできた元漫画家の妹、菫に誘われ、「なぎさカフェ」を始めることとなる。姉妹が開店準備に忙殺されるうち、佐々井と川崎の身にはそれぞれ大変なことが起こっていた――。

• 「なぎさ」とは、「あわい」の空間である。山本文緒は人と人の、人と場所のあわいを、精確に、的確に、描きだしている。
• 榎本正樹さん(文芸評論家)
• この繊細さ、あたたかさ――。生きにくい日々を何とか持ちこたえているすべての人に読んでほしい。
• 梯久美子さん(ノンフィクション作家)
• 濡れた砂に足をとられていた人たちが、一歩前に踏み出す。行き先は陸か、海か。けれど、その背中を見つめる作者の視線はどこまでもあたたかい。
• 窪美澄さん(作家)
• 変わり続けるがために変われない人々。変わることへの絶望から、変わろうとする人々。スリリングな交錯が描かれたこの小説には、絶望を経て鍛えられた希望がある。
• 斎藤環さん(精神科医・評論家)
• 悲しみや怒りは尽きないけれど、向き合うことで、生傷さえも絆に変えることができると知った。
• 島本理生さん(作家)
• この小説は、私たち読者を取り巻く家族や悩みのすべてと誠実に共振する、眩しく、大きな祈り。
• 辻村深月さん(作家)
• 声に出さずにこっそり疲れている女たち、男たちにお薦めします。
• 長嶋有さん(作家)
• 傷ついた流木を撫でる優しさと、再び海に還す強さを持った物語です。「信じる」尊さを波音のように教えてくれました。
• 堀本裕樹さん(俳人)

• この小説が紡ぎ出す空気感に共感する人は多いはず。
私もずっと逃げ続けているものと向き合えたらいいのに。
• 20代女性
• どこにでもいる普通の人の感情の動きに引き込まれる。
魅力的な小説、至福の時間でした。
• 20代女性
• 自分がどのように働いていくか、もう一度考えてみようと思いました。
• 20代女性
• 一気に読み終わると、不思議な光が胸に差し込んできた。
この本には「悩みの答え」ではなく、「悩み方の答え」がある。
• 20代女性
• 登場人物たちの背を押したくなった。
大丈夫、なんとかやっていきそうだ、と自信を分けてもらった。
• 20代女性
• 最後のページを閉じた時、自然と涙があふれていた。
弱った心にそっと寄り添う、優しい作品だと感じました。
私にとっての心の処方箋です。
• 20代女性
• 明日を踏み出す力を与えてくれる作品でした。
• 30代女性
• 妹がいる立場なので、主人公の気持ちがわかり、胸が詰まる思いでした。
• 30代女性
• とてもいい読後感。この小説が好きです。
一人でも多くの方に読んでほしい!
• 30代女性
• 今いる場所がわからなくても、私たちは生きて行かなきゃならない。
主人公と自分がオーバーラップして仕方なかった。
• 30代女性
• 宝物のような小説。
読み終わったあとは、他人が切なく愛おしく映る。
• 30代女性
• 以前には無かった力のようなものが湧いてくるのがわかりました。
• 40代女性
• ハッとしたり、苦しくなったり、嬉しくなったり。
懐かしくて不思議な読書体験。
• 40代女性
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次いで
ドクちゃんは父になった


野島さんは日本語翻訳家としてドクちゃんはじめ
平和村LangHoaBinhの施設の手伝いながら、数百ページの
翻訳原稿の中から日本語で出版したいとのおもいにかられ実現!!

野島さんの想い ドクちゃんの生き方と現況までがびしびし伝わってきました。


あとは週刊誌をはじめとする雑誌の読み
ときおりうたたね、そしてメールやネットと時間を過ごす。

嬉しいメールは補習校で声をかけてくれた吉川さんが
ブログ掲載OKってことでお名前紹介です。
それに近況までお伝えしてもらい
お互い時間を見つけて
交流できそうです。

インドのニューデリーでは日本人学校の副校長の経験もあり
生き方、チャレンジ精神は吾輩と似たとこありでした。

やっぱ海外に出てきて(吾輩同様におくさんの同意なく、でも奥様強し)
挑戦する同世代って嬉しいです。
交流が楽しみです。

貧乏性の吾輩は一日寝ころがって誰とも会わず過ごすって
身体は楽そうだが、実は楽ではないことを知る。
ゴロゴロしながら過ごすってすごいエナジー
必要です。

やっぱ一週間七日行動することにします。
それでも夕方には洗剤につけていた洗濯物は洗う。

夕焼けが綺麗です。


外ではママが子供に夕食を食べさすために追いかけています。


我が家前の長屋、不思議と右端の部屋は毎月のように入居者が替わります。
部屋の掃除とペンキ塗りが終了、つぎの入居者の準備ができたみたいです。


そして午後7時過ぎに夕食へ
月齢9のお月様が綺麗


夕食後は教会を散策
とにかくこの教会はすごい人出
ベトナムの人の信仰心の厚さにいつもながら驚かされ
また、訪問している時だけだが、吾輩も清い心になれるのでした。










そして足を失くされたおじいちゃんに宝くじ購入を頼まれるが
宝くじはいらないからって10万ドンプレゼントすると偉く感謝された。

夜はYoutubeでごちそうさんってNHK朝ドラを見る。
でも終戦間際の戦争中のドラマって
戦後生まれながらも吾輩は
ゆううつになる!!

ってことで駅馬車のDVDで元気づけました。

そして雑誌読みつつ2時間寝て
午前0時半に目覚め
ブログしました。

2回目の休憩
午前1時56分

本を読みつつ二度寝します。

おやすみなさい。

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