嫌札幌~札幌が嫌いなブログ

札幌生まれ、札幌育ち、札幌在住な私が札幌を批判します。札幌嫌いな人集まれ!

札幌で経験した頭にきた接客ワースト3の発表~振り返って

2015年03月04日 01時52分09秒 | 嫌札幌
札幌で経験した頭にきた接客ワースト3の第3位、第2位、第1位、番外編は全て「札幌が嫌いなブログ」を始める以前(2012年12月以前)の体験談である。

すなわち私が「札幌が大嫌いだという意識、自覚が強く芽生える以前」の実体験に基づくエピソードであり、強烈に覚えていたことのみを改めて振り返ってみたエピソードである。

常識的に考えてもありえないようなエピソードだったと思うが、あくまでもこれは接客が良くない札幌社会でも例外的で特殊なエピソードではある。

問題なのは札幌社会の通常時における接客(店舗、企業>>>顧客、機械的対応、ロボット以下の接客など)が著しく酷く異常なことが平気で札幌社会ではまかり通ってしまっている現実だと思う。

問題を問題だと気づかず、問題を問題扱いしないことが大問題だと思うが…


ちなみに私は今まで出会った札幌在住者の方に機会があれば「札幌の接客は悪くないですか?」という会話を幾度となく投げかけてみるのだが、大体はその質問に対してあまり共感をしてくれた経験は少ない。

また私自身が超絶に感じている「同じ北海道でも札幌の接客<<<道内他地域の接客の良さ」という問いかけに対しても、同じくあまり共感をしてくれた経験が少ない。


何故だろう?


そんなことを考えていると一つの考えが思い浮かんできた。

もし私が札幌が嫌いなブログを立ち上げる以前=「札幌が大嫌いだという意識、自覚が強く芽生える以前」に同じ問いかけを受けたら同じく共感できない側の立場に回っていたと思ったのだ。

つまりは札幌社会の大半以上の人間は札幌社会の異常なまでに酷い接客のことを「気づいていない=知らない」という状態なのである。

気づいていないこと、知らないこと、関心がないことにわざわざ着眼点をあてることは無い。

現に私自身も札幌が嫌いなブログを立ち上げて今年で3年目になるが、ブログを立ち上げる以前よりも立ち上げた後の方が「嫌札エピソード」を明瞭に覚えていることに気が付いた。

通りで札幌の接客の悪さを他者に問いかけても共感をされたことが少ないわけである。。。


札幌の悪しき実態に関しては、もしかしたら気づかず知らなくても良かったことなのかもしれない。

では私や一部の読者様など札幌の悪しき実態に「気づいてしまった、知ってしまった」側の人間は今後はどの様に札幌社会に対して対処をしていくのか?

その対処法にも共通した多様パターンがある半面で、個性が活かされる展開でもあると思う。

「札幌の悪しき実態に気づくこと、知ってしまうこと=札幌が嫌いになる」ということはある種のチャンスでもあると自分は思いたい。

次回の記事ではそこら辺を自分のテーマに当てはめてもう少し掘り下げて書いてみたい。


(一応おわり)