カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「教会の外に救いなし」からの脱却 ー 諸宗教の神学(1)(学び合いの会)

2021-12-20 21:35:54 | 神学

 テーマが変わったせいか、今日の学び合いの会の出席者は多かった。10名は超えていたか。
「諸宗教の神学」という言葉を聞かれたことがあるだろうか。クリスチャンの中では聞き飽きたという人も多いだろうが、今日の出席者の中でも初めて聞くという人もいたことであろう。「宗教間の対話」(キリスト教の司祭・牧師と仏教の僧侶との対話など)とか、「エキュメニズム」(教会一致運動)とかいう言葉の方がなじみ深いだろうが、諸宗教の神学とは、キリスト教がキリスト教の絶対性と他宗教(イスラム教、仏教など)との関係をどう捉えるかを探求する教義神学であり、宗教哲学でもある(1)。
 諸宗教の神学とは theology of religions (複数形)の訳語で、宗教学における比較宗教論ではない(2)。キリスト教が他の宗教をどう見るか、クリスチャンは他の宗教を信じる人々をどう交わるべきかを問うもので、仏教やイスラム教ではこういう問題の立て方をしないようだ。あくまでキリスト教神学の問題設定である。これはキリスト教では古代から近年に至るまで「教会の外に救いなし」と教えられてきており、やっと第二バチカン公会議でこの教えの再検討と修正がなされたからである。
 「諸宗教の神学」という表現はカトリック神学者が用いる表現で、プロテスタント神学者は「宗教の神学」という表現を使うようだ(3)。訳語としてはどちらでも良いともいえるが、日本のプロテスタント教会はバルト神学の影響が強いため問題の設定の仕方が少し異なるようで、訳語の違いの意味は大きいという印象を受ける。ここではカトリックの視点からの議論が中心となる。
 まずS氏の議論をみてみよう。

Ⅰ 導入

 キリスト教は唯一の神の全人類に対する普遍的救いとキリストによる唯一の仲介を主張する。古代より近年まで「教会の外に救いなし」 Extra ecclesiam nulla salus  の思想はずっと保持されてきた(4)。古代から中世のヨーロッパでは対立する世界宗教は存在しないも同然で、この思想は違和感なく受け入れられていたのであろう。だが大航海時代以来ヨーロッパが世界の他の文化や宗教と接触し始めると、教会は次第に他の宗教との関係に悩み始める。本当に教会の外には救いはないのか。近代に入ると教会の指導者たちの発言にニュアンスの変化が見られるようになっていく。グローバリズムが支配する現代ではこの傾向はますます強まっていく。
 第二バチカン公会議において、他宗教による救いの可能性が正式に認められた。そして「諸宗教の神学」という言葉が「憲章」や「宣言」や「教令」で使われるようになり、教義神学の中に組み込まれていく(5)。
 このように他宗教との対話の重要性が教皇庁や教会文書で強調される一方、キリストの絶対性・普遍性が相変わらず主張され、世界への宣教の重要性が強調されている。
 他宗教との関係で言えば、①排他主義 ②包括主義 ③多元主義 の3つの方向があり、神学者たちによって論じられている(6)。諸宗教の神学は21世紀カトリック神学の最大の課題である。


フランシスコ教皇とタイーブ師(アブダビのイマーム)

 


1 カトリックの教義神学では諸宗教の神学は基礎神学の一つのようだ。基礎神学は宗教・啓示・信仰論を取り扱う分野で、神学校の講義では宗教哲学という科目の中で論じられるという。神学生たちの相対主義的・多元主義的宗教観が問い正されるようだ(阿倍仲麻呂『カトリック神学の大系』2014)。
2 キリスト教では伝統的に世界宗教をキリスト教・ユダヤ教・イスラム教・異教*と分類してきたが、比較宗教学ではアブラハムの宗教・インド宗教・東アジア宗教と世界宗教の三分類をおこない、各宗教の教義や儀式を比較するという。ちなみに東大の宗教学宗教史学研究室の紹介文には次のような記載がある。
「宗教学という学問は比較的新しく、欧米の大学に宗教学の講座が置かれはじめたのは十九世紀末のことである。それ以前は、欧米で宗教の学問的研究といえばほぼキリスト教神学に限られていた。これを行う神学部から独立して、キリスト教だけでなく、仏教やイスラム教といった大宗教はもちろん、いわゆる民間信仰や「未開」社会の宗教まで、古代エジプトの宗教から現代の新宗教まで、特定の宗教伝統や地域に限定することなく、あらゆる宗教現象を研究対象とする学問として宗教学は成立した。そうした新興学問のための講座が、日本で二十世紀の初頭に生まれたのは、世界的に見ても稀な早さであった。」
* 異教とはpaganの訳語で、アブラハムの宗教以外の宗教をさす。たとえば仏教やヒンズー教だ。婚姻ではたとえばカトリック信者と仏教徒との結婚は「異宗婚」と呼ばれ、カトリック信者とプロテスタント信者との結婚は「混宗婚」と呼ばれ、教会法上の扱いが異なるようだ
3 たとえば、『カトリック教会の諸宗教対話の手引き――実践Q&A』 カトリック中央協議会
  東京神学大学神学会編 『キリスト教組織神学事典』 教文館 など。
4 「教会の外に救いなし」ではなく、「キリスト教の外に救いなし」と主張するプロテスタント系宗派もあるようだが、これは教会論になってしまうのでここでは議論できない。
5 『第二バチカン公会議公文書全集』 サンパウロ 2001(1986) なお、憲章・宣言・教令の違いは簡単に言えば、憲章は公会議の決定、宣言は教皇の指針、教令は司教団の声明とでも言える。重要度と拘束力が異なるようだ。
6 この説明では「3つの方向」が言及されている。だが、いろいろな宗教があるが結局はカトリックが一番上ですという包括主義はカトリック信徒にとっては耳さわりの良い主張だが、他宗教の人々を納得させるものではないであろう。現在議論が進んでいる「特殊主義」(個別主義 particularism)という第4の方向(選択肢)も議論して欲しいところだ。たとえば、宗教を「社会資源」として捉え、キリスト教を「天と地における平和」を実現する「平和資源」として鍛え直すとき、カトリックの側からの他宗教との対話や協力は現在の「正平協」路線とは異なる道が開けてくる可能性がありそうだ。だがこれは議論の視点を救済論から資源論に移すことになるので難しい課題だ。議論の進展を見守りたい。

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