カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

ソ連のアフガン侵攻はソ連のベトナム戦争だった ー イスラム教概論25(学び合いの会)

2021-11-27 10:44:02 | 神学

Ⅳ ソ連のアフガン侵攻

 ソ連軍のアフガニスタン侵攻は1979年から1989年まで実に約10年に及ぶ。長期化した戦争による被害は大きかった。ソ連軍の撤退後もアフガニスタンで内戦が続いている。

1 ソ連・アフガニスタン戦争(1979-89)(1)

① 1979年12月24日 ソ連がアフガニスタンに軍事介入 アフガン人民民主党(共産主義政党)の要請とされる 
②「ムジャーヒディーン」とよばれる抵抗運動が生まれる
③ソ連のアフガン侵攻は、異教徒によるイスラムの土地への侵略とされた
④この侵略への対抗は全ムスリムの責務とされ、アフガンはジハード主義者たちの聖域となる
⑤アフガンとパキスタンにジハード主義者たちが集結した。アメリカ・サウジアラビア・パキスタンはこれを支援し、両者は冷戦の最前線としてソ連に対抗した(2)
⑥エジプト・アルジェリア・シリア・チェニジアの過激派の若者は各国政府から厄介払いの形で送り出される
⑦1988年5月~1989年2月 ソ連はアフガニスタンから撤退
⑧アフガンは内戦状態となる ジハード戦士たちはアフガンにとりまねからざる客となってしまう
⑨ジハード戦士たちは二つの道に分かれていく:
 ・祖国に戻り、政権と対峙していく(アルジェリアの内戦、エジプトのテロなど)
 ・他地域の紛争に参加していく(ボスニア・チェチェン・コソボなど)
 ・アルカイーダの登場(3)。
⑩1996年9月 ターリバンが首都カブールを占領
⑪2021年5月 アメリカ軍撤退開始
⑫2021年8月 ターリバンが首都カブールを再度制圧 権力掌握か

 

(飢えるアフガニスタン・人道危機)

 

 

2 グローバル・ジハードの展開

 1970年代から80年代にかけて反体制運動としてイスラムのジハード運動が生まれてくる。やがてこの運動が国外に流出し、グローバル化してくる。
 ジハード運動は、アメリカ同時多発テロ事件(2001)やイラク戦争(2003~2011)当初は「ローン・ウルフ型」(一匹狼型)のテロ活動と考えられていたが、「アラブの春」(2011)を契機に運動の性格が変わり、グローバル化してきたという。9/11はアルカイーダだが、その後「イスラム国」が生まれてくる。この、「9/11→イラク戦争→アラブの春→イスラム国」の流れは一連の流れとして次稿でみていきたい。



1 アフガン侵攻とかアフガニスタン紛争とかいくつかの呼称があるようだ。どう呼ぶかで論者の立場性が問われることもあるらしい。なお、3次にわたる「アフガン戦争」(Afghan Wrs )はインド防衛を図るイギリスとアフガニスタンとの戦争を指す。
2 ムジャーヒディーンには各国から20万人ほどの戦士が集まったという。やがてアメリカ同時多発テロをおこなうウサーマ・ビン・ラーディンもその一人である。
3 アルカイーダまたはアルカイダ  Al Qeda。欧米とイスラエルに対するテロを主張するスンニ派系イスラム過激組織。グローバル・ジハードは彼らのスローガンであったという。もともとは、ビン・ラディンがソ連撤退後も残存させた武装組織で、国際的ネットワークを持つ。現在のアフガニスタンを再度支配し始めたターリバンの結成はソ連撤退後の1994年頃で、ターリバンはバシュトウン人(アフガンの主要民族)中心の土着組織のようだ。アルカイーダとは背景も性格も異なるようだ。再度掌握した権力が今後どうなるかはまだわからない。ターリバンはアルカイーダ、IS(イスラム国)と対立関係が強まってきているようだ。

 

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