カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

キリスト教のヘレニズム化 ー オリゲネス ー 

2020-02-02 13:26:37 | 神学

 神学講座2020(3)である。すばらしい冬晴れの日の神学講座であった。とりあげる二人目は「オリゲネス Origenes 」である。哲学に関心があれば知っている人は知っているが、オリゲネスって誰だと言う人も多いだろう。中世の神学者としてアウグスティヌスやトマス・アクィナスは誰でも知っている。ではオリゲネスは?(1)

 第2章は「オリゲネス ー古代とキリスト教精神の偉大な統合ー」と題されている。オリゲネスはギリシャ教父の一人である。代表者といってもよいかもしれない。ギリシャ教父といってもたくさんいるのになぜオリゲネスなのか。オリゲネスがどういう意味で「時代を代表する偉大な思想家」と呼ばれるのか。

 

 ミラノ勅令(313)以前の2・3世紀のキリスト教徒は何をしていたのか。ただじっと迫害に耐えていただけなのだろうか。パウロのように犠牲になった者もいたが、ローマ帝国とキリスト教は互いの生死をかけた戦いをしていた(ローマ帝国は395年に東西に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅亡する)。キリスト教は、武力だけではなく、ローマの多神教に対抗しうる哲学的・神学的基盤を必要としていた。オリゲネス(185-251)はそういう時代に生きた。

 キュンクによるとオリゲネスの価値を発見したのはバルタザールやリュバックだった。かれらは1920~30年代にオリゲネスを使ってカトリック教会内の新スコラ主義を「無効」にし(64頁)、第二バチカン公会議への途を少しずつ開いていったという。

Ⅰ 新しい挑戦

 オリゲネスは紀元185年生まれだが、この頃キリスト教はローマ帝国ではまだ「ごく小さな勢力」にすぎなかったという。学問の街エジプトはアレクサンドリア生まれである。この町ではギリシャ哲学の最後の形態が学派の形をとって発展し始めていた。プロティノス(205-270)の新プラトン主義である(2)。オリゲネスとプロティノスは相互に面識はなかったようだが、同門の兄弟だったようだ。

Ⅱ 妨害された殉教者

 オリゲネスも迫害を受けたが、迫害の終息後に教理学校を再開し、熱心な宗教的・精神的指導者となった。禁欲的生活をしたが神秘主義者だったわけではなさそうだ。「禁欲的修道院制度の模範」となったという。

Ⅲ 学問的神学の最初のモデル

 オリゲネスは、すでにパウロによって始まっていた異邦人キリスト教的・ヘレニズム的パラダイムを神学的に完成させた。『諸原理について』という本は学問的な神学の最初のモデルだという。オリゲネスにおいてキリスト教とギリシャ世界が和解に達したという。

Ⅳ キリスト教とギリシャ世界の和解

 オリゲネスにとって、ロゴス・聖霊・霊的実在などの理解は、プラトン的な「下降と再上昇」というグノーシス主義的なものではなく、ひとつの有機的な全体をなしていて、それは「巨大な総合」だったという。

Ⅴ オリゲネスの聖書の読み方

 聖書は旧約も新約も素朴で非哲学的だ。オリゲネスは聖書のテキスト批評と釈義に新しい方法を導入した。「寓喩的聖書解釈」だ。聖書を、歴史的にではなく、比喩として、象徴的に、霊的(プネウマ的)に解釈したという。キリストの中に、すでに最初から神とともにある永遠のロゴスを直観するのだという。

Ⅵ キリスト教的普遍主義

 この普遍主義とは、キリスト教的護教論のことである。オリゲネスは、ユダヤ教、異教の哲学者たち、異端派の神学者たちと論争し、キリスト教を守った。守るために神学を彫琢した。『ケルソス駁論』という本はそういう護教的な文書だという。

Ⅶ 新しい迫害とキリスト教の成功

 235年頃からローマ帝国ではいわゆる「軍人皇帝」時代が始まる。東からササン朝ペルシャ、北からゲルマン人が侵入して、ローマ帝国は解体の危機を迎える。帝国全土に渡るキリスト教の迫害が始まる。オリゲネスは拷問は生き延びるがやがて死亡する。彼の死後10年も立たないうちに迫害はおさまり、キリスト教は事実上容認されるようになる。この比較的平和な時代こそ神学が発展した時期だった。キリスト論のパラダイム変換が起こった。オリゲネスは鍵となる役割を果たした。やがてアウグスティヌスが登場してくる。  だが、オリゲネスの評価は現在でも不安定だ。東方教会は否定に近い。ローマ教会でも確定しているとは言えない。なぜか?

Ⅷ 福音の展開か堕落か

 この時代にはユダヤ人キリスト教も生きていた。だがオリゲネスのヘレニズム化されたキリスト教はあまりにも「モダン」で、ユダヤ人キリスト教からはかけ離れてしまった。キュンクはその特徴を4点あげている。 ①聖書正典の完結 ②教会の信仰の伝統 ③君主的な司教職 ④聖書解釈へのプラトン哲学的思考の適用  こういう視点からの聖書解釈は斬新ではあり、アレキサンドリア学派はアンティオケイア学派(3)に勝利していくが、他方、聖書テキストの内容の理解を変質させてしまったともいえる。  これはつまり、ユダヤ教から受け継がれた黙示的なメシア待望論から、ヘレニズム的な救済史論(キリストは時の中心、世界史の中心)への転換だ。ルカの世界(ルカ福音書と使徒言行録)が正面に出たきたということだ。  キリスト教はヘレニズムの世界で土着化された。この土着化はギリシャ的な、新プラトン主義的なカテゴリーと象徴でしか表現できなかった。キュンクは、これは福音の堕落ではないという。では、福音のさらなる展開だと肯定的に評価してよいのか。疑問は残る。このようなヘレニズム的パラダイム変換のなかで、元来のキリスト教的使信である「福音」の意味が変質してしまったのではないか。キュンクはなんと考えているのだろうか。

Ⅸ 問題の残る重心移動

 キュンクはこういうパラダイム変換を堕落とも展開とも捉えない。それは「重心移動」だという。キリスト教神学の中心はイエスの十字架と復活である。だがヘレニズムの影響のもとに中心は「受肉」に移ってしまう。「神的ロゴスの永遠の先在とその受肉」が中心になる。イエスの前に、神はロゴスとしてすでに存在していたことが強調されてしまうのだ。黙示的・時間的な救済図式から宇宙的・空間的な救済図式への転換だ。または、「高挙のキリスト論・上昇のキリスト論」から「受肉のキリスト論・下降のキリスト論」への転換と言ってもよい。御子の誕生・洗礼・高挙よりも、キリストのペルソナ・ヒュポスタシス・本質・本性などが重要視されてくる。三位一体論が論争の焦点になってくる。

Ⅹ 正統信仰をめぐる戦い

 信仰告白の周辺にあったテーマが今や中心に移動した。キリスト教は、三位一体論を巡って、正統信仰問題、異端者争い、異端排除の方向へ進んでしまう。キリスト論におけるこのパラダイム変換の意味が十分理解されないから、キリスト教とユダヤ教のメシア信仰が離れてしまい、西方教会と東方教会が分裂し、東方教会内部でもさらなる分裂が生まれたのではないのか、とキュンクは問う。

ⅩⅠ

 将来を視野に入れてのキリスト教の自己批判  総括的にいえば、神学の主要な関心は、すでに初期ギリシャ教父の時代に、イスラエル民族とイエスの具体的な救済史から、巨大な救済論的システム論へと移動してしまった。オリゲネスによれば、「単純な信仰者は現世的なものや十字架につけられた方にすがりつく。しかしもっと進歩した霊性のある者たちは、超越的なロゴスと神的な教師へと登っていかねばならない」(97頁)という。この神的教師(キリスト)と神との関係が神学の関心事になる。

 だが、これはもともとの福音の問いだったのだろうか。福音書や書簡はそんなことを言っていたのか。そうではあるまい。「信仰に残るべき中心」は、パウロもヨハネも一致するもの、マタイ・マルコ・ルカ・すべての新約聖書の証人たちが一致するもの、すなわち、人間ナザレのイエス、神はイエスが父と呼んだ方、そして神ご自身の霊を、信ずること、ではなかったのか。

 キュンクによれば、三位一体を論ずるのは良い。でもそれは、オリゲネスのように新プラトン主義的なヒュポスタシス論を用いる必要はないという。だが、オリゲネスが彼の時代のなかでそれを試みたことは偉大であったと、キュンクは言う。オリゲネスは単なるロゴス論者だと一蹴する神学者もいるようだ。だがキュンクのオリゲネス評価はどちらかと言えば肯定的である。

1 たとえば増田祐志『カトリック教会論への招き」』(2015)はオリゲネスをとりあげてない。使徒教父の前期としてローマのクレメンス(30-101 第3代(または第4代)教皇 オリゲネスにならぶアレキサンドリアのクレメンスとは別人)、アンティオキアのイグナティオス(35-110)には言及している。2~5世紀の教会論のなかではユスティノス(100-165)、エイレナイオス(130-202)、ヒッポリュトス(170-235)、キプリアヌス(?-258)は取り上げているが、オリゲネスはでてこない。岩島忠彦師『キリストの教会を問う』(1987)も同じである。理由はわからないが、推測するに、オリゲネスは死後300年経ってから553年に異端宣告されたからだろうか。小高毅はかれの三位一体論がキリスト従属説にやや傾いているからだと解釈している(岩波キリスト教辞典)。

2 新プラトン主義とは何かは専門家にまかせるとして、プラトン自身のの思想と後代のプラトン主義者が発展させた思想を区別するための用語らしい。19世紀半ばに作られた造語だという。基本的にはヘレニズム時代の哲学諸派の支配的思潮のことを指すらしい。プロティノスは「一者・知性・魂」が「三階層の実在」を構成すると主張したようだ。この「一者」概念が持つ「超越性」概念が、キリスト教の神の超越性を論ずる思弁的根拠になっていったという。

3 アレキサンドリア学派が基本的にプラトンに依拠したのに対し、アンティオケイア(アンティオキア)学派はアリストテレスに依拠したらしい。両派ともキリストをロゴスとみなしていてこの点は共通だが、アンティオケイア学派はキリストの人間性・身体性を強調したという(岩波哲学・思想事典)。

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