カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

これが教会一致(エキュメニズム)か ー 聖公会との合同礼拝式

2024-01-22 13:14:20 | 教会


 今日は年間第3主日だが、当教会では午後4時から聖公会との合同礼拝式がもたれた。正式名称は「聖公会とカトリック 合同 夕の礼拝」というものだった。「横浜教区からのお知らせ」によると、カトリック教会としては「2024年キリスト教一致祈祷週間」の行事ということのようだった。
 聖公会との合同礼拝は以前にも持たれていたようだが、今回は久しぶりとのことだった。エキュメニズムとか教会一致という言葉は近年あまり聞かれなくなった。公会議直後はよく話題になったが、近年は「諸宗教対話」(1)に関心が集中してしまい、肝心の聖公会との合同礼拝は少し関心が薄れてしまったのかもしれない(2)。

 エキュメニズムとか教会一致とか言っても、今までの教会の説明は理念や歴史の話が中心で具体的には何のことかよくわからなかったので、わたしは今回の合同礼拝には興味を持って参加した。
 結果的には、たくさんの人が参加され、一緒に祈り、よき集まりだった。いくつか印象を書き残しておきたい。

 共同祈祷会なので、カトリック側から8名、聖公会側から8名、計16名の司祭・牧師の参加があった(3)。司式は カトリック横浜教区司教 梅村昌弘、日本聖公会横浜教区主教 入江修 の共同司式だったが、実際には梅村司教がすべて司式しておられた。

 礼拝式の式次第は興味深いものだった。聖公会のミサの式次第がどういうものかは知らないが、基本的には同じ流れのようだ(4)。聖公会のホームページの説明を見ると、カトリックとの共通性に気づかされる。ほぼ同じと言ってよいほどだ。私が気がついたのは、聖公会では、祈祷書が用いられること(カトリックも昔はそうだった)、聖書朗読が3回あること(カトリックでの旧約・新約・福音書朗読のことか)、信仰宣言はニケア信経(カトリックのニケア・コンスタンチノープル信条のこと 使徒信条ではない)一本、主の祈り(主祷文)は同一らしい(5)、ということだった。つまり、ミサの式次第はほぼ同じらしい。

 今日の合同礼拝式はミサではないので、聖体拝領はなかった(6)。式次第の流れは以下の通りだった。

入堂・招きのことば・集会祈願・第1朗読(申命記30 9-14)・答唱詩編・アレルヤ唱・福音朗読(ルカ10 25-37)・説教・洗礼の約束の更新・灌水式・共同祈願・主の祈り・平和の挨拶・結びの祈り・派遣の祝福・退堂

 洗礼の約束の更新とは信仰宣言のことだ。説教は横浜聖アンデレ教会司祭の渡部明央師(7)だった。短いが簡潔なよいお説教だった。主に最近の天災や戦火にふれながら今日の福音書にそって隣人愛の尊さを訴えておられた。
 驚いたのは、献金のとき司教・司祭まで献金していたことだ(そのように見えた)。今まで見たことのない動作だったので少し驚いた。能登半島地震被災者への献金だという説明があった。奉納行列はなかった。

 礼拝式の後、集会室で懇親会が開かれた。今夕の礼拝式の参加者は50名ほどと見受けられた。当教会の私の顔見知りの方は少なく(8)、ほとんどが聖公会の信者さんかと見受けられた。狭い集会室は人が入りきれないほどで、準備された婦人会・壮年会の方々は大忙しだった。御礼申し上げたい。

 キリスト教一致祈祷週間はカトリック・東方教会・プロテスタント共催の世界的な試みらしい。東京教区でも関口教会で開かれたようだ。これがあり得べき教会一致の姿だとは言えないだろうが、今日の合同礼拝式は意味のあるものだった。カトリックの中でももう少し力を入れてもよいのではないかと思った。とはいえ、合同礼拝式という形だけでは、つまり祈りとことばのやりとりだけではなにか不十分な印象を持った。そうは言っても、ご聖体拝領を、聖餐を一緒にするというのは神学的にも歴史的にも難しいのであろう。

 

【合同 夕の礼拝】



1 「諸宗教対話」といっても実際には正平協の体質が変化する中で活動の支持基盤が狭まり、仏教宗派との対話が中心になってしまった印象がある。『カトリック教会の諸宗教宗教対話の手引き 実践Q&A』(カトリック中央協議会 2009)
2 公会議直後は聖公会やルター派との接近がよく話題になっていた記憶がある。
3 聖公会はプロテスタント教会だから聖職者は「牧師」と呼ぶのかと思っていたら、そうでもないらしい。そもそも聖公会をプロテスタント教会と呼んでよいかどうか議論があるようだ。聖職者は聖公会ではFather, Pastor という言葉を使い、神父と呼んだり、牧師と呼んだりするようだ。聖公会は国や地域の独立性が高いので呼称は教区によって異なるらしい。横浜教区では「牧師」と呼んでいるようだ。聖職者は Bishop, Priest, Deacon の3階級で、主教・司祭・執事 と訳すらしい。カトリックの司教・司祭・助祭に対応するようだ。
4 ミサという言葉が使われるのかどうかは知らない。普通は聖餐式と呼んでいるようだ。
5 式次第で用いられる用語にはプロテスタント風の独特の用語があるが、カトリックと共通の言葉遣いも多いようだ。平和の挨拶があるし、「またあなたとともに」だ(また司祭とともに ではない)。アニュス・デイでは「憐れみ」が使われている(いつくしみ ではない)のは興味深い。
6 礼拝式であり、ミサ(聖餐式)ではないので聖体拝領がないのは致し方ないが残念極まりない。聖公会では聖体拝領が毎回あるのかどうか知らないが、聖体拝領がないのではただの集会でしかないと思った。ただ「ことば」があるだけなのだ。カトリックでも主任司祭がいない小教区(教会)が増え、集会祭儀だけの集まりがなされるところもあるようだが、信徒によっては何のための集まりかと思う人もいるだろう。
7 「師」という敬称をつけてよいかどうかはわからない。「先生」と言うべきなのかもしれない。

8 参加された当教会信徒はほとんど栄光学園の関係者だったようだ(梅村司教は栄光出身)。

 

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ご公現 ー ミサには等級がある(Ⅰ~Ⅳ)

2024-01-07 21:56:32 | 教会


 今日は1月6日ではないが、日曜日なので(1)、「主の公現」のごミサがあった(2)。日本では「守るべき祝日」(3)ではないけれど「祭日」である(4)。多くの方がミサに与った。降誕節は来週の「主の洗礼」の「祝日」まで続くが(5)、当教会ではお御堂前の馬小屋は今日のごミサの後撤去するとのことであった。

 と、簡単に書いてきたが、この文面には誤解を招きかねない表現がいくつかあるので少し注記を残しておきたい(6)。

 今日のミサでは、いくつか興味深い「ミサの式次第」の変化があった。「成人の祝福式」がお説教(7)の後に組み込まれ(8)、また、「今週のお知らせ」が「閉祭の儀」のなかにそのまま組み込まれ、「司祭の召命を求める祈り」と「アヴェ・マリアの祈り」が「派遣の祝福」の前に唱えられた(9)。

 どうという変化ではないのだが、新しい神父様の意向によって教会が少しずつ変わりつつあるようだ。1月18日からは「キリスト教一致祈祷週間」が始まるということで、1月21日には司教様の司式で「聖公会」との「合同夕の礼拝」が行われるという。新しい年が始まっているという印象が残ったご公現のミサだった。。

【主の公現】

 


1 公現祭は、歴史的にも、「ローマ・ミサ典礼書 ラテン語規範書」でも、1月6日になっているようだが、日本では主日(日曜日)に移されている。「歴史」的にどうだったかは別の問題だし、ミサーレ(典礼書)もトリエント版もあれば、第2バチカン公会議の典礼刷新後でも2002年の規範版第3版まで改訂があったという。日本語版も幾度か改訂され、現在も暫定的な認証を受けたもの(ミサの式次第と奉献文など)を現在用いているという。だからあまりはっきりしたことは言えない。なお、ミサーレという言葉は最近はあまり聞かれなくなったが、これはミサでミサーレを使うことがなくなり、「ミサの式次第(会衆用)」で用が足りるようになったからであろう。ローマ・ミサ典礼書はMissale Rommanum というのでミサーレと呼んだようだ。英語では Missal というらしくミサルと発音するらしい。でもミサルという言い方は聞いたことがない。
2 公現とはイエスが世界に現れるという意味のようだ。いわゆる東方の三博士の礼拝を指すらしい。公現はカトリックでの用語で元はギリシャ語で出現を意味する「epiphaneia」のようだ。東方教会やプロテスタントでは異なった訳語が使われているようで、英語ではEpiphanyというらしい。
3 たくさんある「守るべき祝日」(教会法では10ヶ)のなかで日本では「主の降誕の祭日(クリスマス)」と「神の母聖マリアの祭日(1月1日)」の二つのみというのはよく知られた話だ。なぜこれほど少ないのかはいろいろ議論があるらしい。「守るべき」とはミサ聖祭に与りなさいという意味のようだ。主日と守るべき祝日にはカトリック信者はミサに与らなければならない。
5 これは日本では、クリスマスはいつからいつまでか、という問題でよく議論になる。お正月の正月飾りをいつ片付けるか、という問題と同じでいろいろ議論があるようだ。カトリック信者の家ではクリスマス飾りと正月飾りが正月明けまで平行して飾られていることが多いという。公会議以前は降誕節は40日間で、12月25日から2月2日まで(日本風にいえば節分まで)と教わっていたが、現在は主の洗礼の祝日までが降誕節で、四旬節が始まるまでの間に年間の主日が入ってくる。クリスマスは固定祝日だが、ご公現も主の洗礼も移動祝日なのでわかりずらい。
6 これはミサには等級(階級というべきか)があるという話につながる。いわば重要なミサとそうでもない普通のミサがあるという話につながる。特別形式のミサ(いわゆるトリエントミサ)をよしとする人は1962年版のミサ典礼書に依拠し(バルバロ神父様の「毎日のミサ」など)、ミサ(祝日)にはⅠ~Ⅳの4等級があると考えるようだ。現在は、祭日・祝日・記念・任意の記念の4つに分けれているようだ(記念とは聖人の記念で、毎日365日の聖人記念日が定まっている。これが祭日や祝日とぶつかるとより重要な方が祝われるので難しいことになる)。
 公会議以前に用いられた「弥撒典書」(初版1935年、第6版1953年)によると、「祝日には其の階級に上下の差別がある」と述べ(50頁)、以下のものをあげている(「典礼法規中肝要なる事柄)」。
1級大祝日・2級大祝日・1級祝日・2級祝日・1級小祝日・2級小祝日。
主日は基本的に1級小祝日で、各祝日には1級・2級の「特権」が付されている。
なお、こういう区分は現在は廃止されているようだが、その背景の説明は吉池好高師の好著『ミサの鑑賞』(2018)などたくさん出版されているミサの解説書にはあまり見当たらない。

【典礼法規中肝要なる事柄】
 

 


7 お説教の前に神父様から珍しくお話があった。ご聖体拝領の「アーメン」と唱えない人が多いが、必ず唱えるようにとの注意であった。確かに頭を下げるだけの人もいるようだ。ご聖体を手のひらで受けるかどうかとか、聖体拝領後、十字架に向かって頭を下げるかそれともそのまま自分の席に向かうかどうかとかいう動作の違いとは別の話だ。司祭が「キリストの御からだ」と言ってから、信徒が「アーメン」と言うのは信仰告白なのであり、司祭はその信仰告白を確認をしてからご聖体を授けることになっているようだ。
8 成人の祝福(成人式)や七五三のお祝いがカトリック教会でもミサのなかで普通の行われるようになった。教会の日本文化への適応が少しずつ進んでいるのであろう。議論があるのは1月1日の初詣8月15日の終戦記念日だろうか。1月1日は「神の母聖マリアの祭日」で「守るべき祝日」であり、「世界平和の日」でもある。8月15日は「聖母の被昇天の祝日」である。1月1日と8月15日のミサ出席がどのように定着していくのか見守っていきたい。日本のカトリック教会はエキュメニズムに基づいて諸宗教対話に積極的だが、こと靖国神社に関しては態度を明らかにしていない(「カトリック教会の諸宗教対話の手引き」146頁)。
9 「お知らせ」を閉祭の儀の後にするのかどうかとか、奉納行列のときに会衆は立つのか座ったままなのか、など教会によって異なるらしい。司祭の裁量の範囲の問題なのだろうか。

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クリスマスとコンテ(コンテンポラリー・ダンス)

2023-12-26 11:02:00 | 教会


 教会のクリスマスは午前10時のミサに出た。神父様がサンタクロースに扮して子供たちにクッキーを配っておられた。おこぼれに与るお年寄りも多かったようだ。そのあとの茶話会は晴天に恵まれ盛会だった。

【待降節が過ぎイエス様が飼い葉桶に収まる】

 


【サンタに扮した神父様】

 

 

 午後は11歳の孫娘のダンス発表会に誘われた。ダンスといってもいわゆる「コンテ」だ。コンテといっても高齢者は聞いたこともないし、なんのことだがわからないだろう。コンテとはコンテンポラリー・ダンスの略らしい。コンテンポラリー・ダンスといっても聞いたことがない方が多いだろう。東京五輪開会式で森山未來が披露したダンスといえば思い出されるかもしれない。コンテンポラリー・ダンスとはいわゆる「モダン・ダンス」を批判する形で登場した新しいダンスだという。モダン・ダンスもバレーのようなクラシック・ダンスを否定する形で登場してきたのというのだから、モダン・ダンスとコンテがどこが違うのかがよくわからない(1)。いずれにせよスポーツのようなダンスだ。「型」にはまらないというのが特徴らしく、思想的にはポストモダニズムの影響があったという。振付家の役割が大きいようだ。大音響の音楽も特定のタイプの音楽というわけではなさそうだ。
 何組にもよる合同発表会はまるまる2時間半に及んだ。ダンサー(演技者、プレイヤー、なんと呼ぶのかわからない)は5歳から65歳までいたという。かならずしも子供のお稽古事というわけではなさそうだ。あっという間に時間が過ぎた。こういうクリスマスの過ごし方もあるのだと感心した。妻によれば公会議前にはクリスマスには聖歌隊が信者さんの家を一軒一軒回って家の前で聖歌を歌ってくれたという。わずか半世紀でクリスマスの過ごし方は変われば変わるものだ。

【コンテンポラリー・ダンス】(デコボコダンススクールより)

1 HipHop ダンスともいうらしい。違いは分からない。

 

 

 

 

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カト研と真生会館

2023-12-06 10:48:30 | 教会


 上智カト研(カトリック研究会)の歴史を調べているうちに興味深い関連資料がいくつか見つかったので記録として残しておきたい。
 カト研の歴史についてはこのブログでも数回投稿している。カト研は戦前に岩下壮一師によって始まったが(1)、その活動は事実上「聖フィリッポ寮」(現在の「真生会館」)の活動と一体だった(2)。
 戦後のカト研は1950年代、60年代に活動のピークを迎える。1946年には東京・京都・大阪で「カトリック学生連盟」が結成され、発足する。2年後には「日本カトリック学生連盟」が発足し、事務局は上智学院におかれた。1947年から新制大学が動き始めると全国の大学にでカト研(カトリック研究会)が活動を開始する(3)。東京では各大学のカト研は真生会館を中心として活動していったようだ。1950年代、60年代はカトリック教会が急速に拡大した時期で、カト研の活動も活発だったようだ。
 1959年には横浜で第12回カト学連の全国大会が開かれる。第13回は札幌で、第14回は上智で(4)、第15回は京都の聖母短大(5)で、第16回は南山大で、第17回は仙台のウルスラ学院で開かれる。1965年に第二バチカン公会議が終わると、時代は大学紛争の時代に向かって動いていく。
 大学紛争の中で各大学のカト研は分解したり、「解体」させられたりした。カト学連は1969年に解散する。1977年に井上洋治師やネメシュエギ師によって「カトリック学生セミナー」が発足するも各大学のカト研はいわばサークルか同好会のような活動だったようだ。1980年代はカト研にとっては冬の時代だったと言えよう。
 1990年代に入り、旧カト研のメンバーが戻ってくる。例えば、上智カト研は雑誌「LUX]を再創刊する(6)。東大駒場のカト研(日本カトリック学友会・カトリック学士会)は真生会館を中心に動き出して、雑誌「創造」は100号を超えるまでになった(7)。2016年には現在の真生会館に建て直された(7)。



1 岩下壮一師の主要な著作は岩波文庫で容易に手に入れることが出来る。『カトリックの信仰』、『信仰の遺産』は現在でも色あせていない。
2 聖フィリッポ寮は1934年に創立された。岩下師は1940年12月に51歳の生涯を閉じられたが、第二次大戦直後小林珍雄氏(元上智大教授)らによって白鳩寮として再建され、やがて1952年に真生会館が生まれる。経緯は小林珍雄編『岩下神父の生涯』(中央出版 岩下壮一全集など)に詳しい。なお、戦前から1990年までの真生会館の歴史は以下を参照した。『真生会館の歩み』(真生会館、1990年12月)。これは真生会館元評議員だった小柳義夫氏がまとめられたもののようだ。
3 上智カト研の名簿によると、カト研の第1期の卒業生は1952年(昭和27年)卒のK氏である。
4 1961年のこの時のテーマは「隣人を己の如く愛せよ」で、講師は澤田和夫・武者小路公秀・神山四朗・岡田純一・デュモリン・粕谷甲一。このテーマの選択は時代の焦点を衝いていた。
5 この第15回大会には上智カト研はほとんどのクラブ員が参加した。テーマは「現代に生きる」で、講師は奥村一郎・澤田和夫・山田晶。澤田師や粕谷師が圧倒的影響力を持っていた時代だ。聖母短大は今は無い。
6 長い歴史を持つ「LUX」という名称の雑誌の発行は大学紛争の中で消滅した。形の上では再刊したということになる。LUXとは「光」という意味で、創世記第1章の「光あれ」から来ている。なお上智カト研は学生組織としてはその後復活していない。上智カト研の名簿によると、私の大雑把なカウントでは、1952年から消滅した1972年までの20年間の会員数は132名。うち上智カト研から司祭になった者は10名、シスター2名、修道士2名。上原師、塩谷師、外川師、柊師、山根師など高齢にもかかわらず現在もご活躍中である。なお、渦中の人谷口幸紀師(新求道の道)もカト研に在籍しておられたと聞いているが名簿に氏名はない。

【LUX 表紙】

 

 

【LUX 目次】

 


7 東大のカトリック学士会は1966年に発足している。駒場のカト研は1988年に復活している。
【雑誌 創造】

 


【寄留の他国人ー旧約聖書の場合-(柊 暁生)】
なお、柊師(マリア会)は、2018年に出版された聖書協会共同訳聖書の、カトリック側から出た翻訳者(旧約)である。上智カト研の出身者がカトリック学士会の雑誌に投稿されていることになる。時代は異なるが記録として残しておきたい。

 

 


7 現在はカト研は大学の学生組織としてはほとんど存在していないのではないか。中高ではいくつか活動が見られるという。カトリック信者の学生の活動は大学単位というよりは、教区単位、修道会単位に変わってきているのかもしれない。カトリック学生友の会などの活動が思い浮かぶ。だがその目標が、宣教か、信徒養成か、召命援助か、あまりはっきりしないという。一粒会など活動の多様化が背景にあるようだ。カト研の歴史的役割は終わったとみるべきだろう。

 

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カトリック司祭の老後と介護(Ⅱ)

2023-12-05 20:58:09 | 教会


 数年前に投稿した「カトリック司祭の老後と介護ー「人生の歩みを続ける途で」(外川直見神父 ロヨラハウス館長)」という投稿へのアクセスがすこぶる多い(1)。外川神父様(2)が「カトリック生活」(3)に書かれた文章をそのまま紹介しているだけなのだが、司祭の老後に対する関心が高まっている証しのように思える(4)。

 私が添付した文章(画像)が読みにくいという苦情が多く、お詫びを兼ねてここに再度掲載する。

【人生を歩み続ける途で】

 

 



1 https://blog.goo.ne.jp/kempis/e/90079b022254e47faba4a016503dcc2c
2 外川直美神父様は1939年生まれ。阪大卒業後上智大学に入られ、カト研などで活躍された。召命があってイエズス会に入られ司祭の道に進まれた。栄光や六甲などカトリック系の学校で教えられ、六甲と上智福岡では校長を長く務められた。その後ロヨラハウス(介護が必要な高齢のイエズス会司祭のための施設)の館長をされ、2020年に山口教会に移られる。現在は防府教会の主任司祭だという。
3 月刊「カトリック生活」 2016年11月号 ドン・ボスコ社
4 ロヨラハウスはイエズス会という修道会の司祭のための施設である。普通の教区司祭の場合は、一応は75歳が定年とされているようだが、老後の生活形態は多様なようだ。とは言っても、司祭は定年後元気であっても介護が必要になっても、生涯司祭なので、司祭としての信仰生活が続く(叙階されると途中で止めるとか還俗するとか原則としてできない)。修道士やシスターもいつか介護が必要となる時が来る。日本のカトリック教会が直面している課題は大きい。

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