渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

イン側

2023年08月29日 | open



物理的に当たり前の事だけど、
イン側のつま先は外に向けて
出さないほうがいいですよ。

これはあくまで物理的な事を
言ってる。
好みがどうとかは関係ない。
回転するグラインダーの砥石
に素手触れたらどうなるよ、
というような事を言ってる。
好き嫌いがどうだとか、そん
な事は一切関係ない。

ただ、時々、物理的なカラクリ
や物理現象と個人の好みの
区別できない奴もいたり
する。
例えば、スロットルのワイヤー
の遊びはほぼゼロにするのは
レースセッティングのセオリー
だが、それはレスポンシビリ
ティにダイレクトなものを追求
するからだ。
ワイヤーの遊びが無くなれば、
ほんの僅かな開閉も直に作動
する。物理的な現象として。
それの物理的な道理を請われ
たので一から原理を説明して
いたら、ワイヤーの遊びの有
について、「それは好みっす
ね」とか返す馬鹿もいる。
説明している事が物理現象に
ついてなのか、個人的好みの
事なのか識別も区別もできな
い。
時々、こういう認知不能者が
二輪転がしの中にもいる。
そういう頭では多分そのうち
飛ぶだろう、と踏んでいたら
超緩いコーナーで縁石乗り上
て吹っ飛んで鎖骨折って入
してた。
そうなるだろうね。
物事の認識がきちんとできな
いから。

自分だけが可愛くて自分中心
で二輪を転がすと、必ず痛い
目に遭います。
自分だけならともかく、他人
を傷つける事もあるので、
の目は見開いたほうがよい
も。
他人の事なので自己責任だから
知らんけど。自分の力で何とか
するのが二輪だし。
だが、自覚無きまま危険な二輪
を公道で転がしてるのは、それ
こそとても危険だ。


コーナリング

2023年08月29日 | open



この人、いつもイン側のつま先
がだらしな大外向くけど、こ
れはダメダメ乗り方の典型。

これ以上バンクさせたらつま
が持ってかれてすっ飛ぶよ。
非常に危険。


「乗れる男」を演じる演技なの
だから、ここは乗りのプロぽく
決めて欲しかったところ。
でも、ずーっとこの素人乗りを
していた。

ハーレーのようなモデル以外
ヨーロピアンロードモデル
の二輪は、直線でもつま先が
外に向いてはみ出していては❌。
そういう乗り方をしてるのは、
走行理論に無知のド素人。

同じチームだったこの人とは
だいぶ技量の差があるなぁ。

大昔からこの人はイン側はきちん
とつま先でステップ操作。
内カカトでちゃんとマシンホー
ルドしている。

それは今も変わらない。
最初から基本がきちんとできて
いた。
だから、年齢関係なくヒストリ
カルレースに出ても勝てる。
基本て大切だよ。



焼肉

2023年08月29日 | open



大阪のコリアタウン鶴橋の某店
焼肉食ってみると、とてつも
なく美味いという現実。


虫よけスプレー

2023年08月29日 | open



強烈なシマシマ蚊には全く効か
ない。
満遍なく塗っても、群がって
刺して来る。
冬用の二輪レース革ツナギの
ようなの着ないと防げない。
夏場にそれで外作業したら、
こっちが死ぬら。

蚊とゴキブリとダニとハエだけ
は地球上から絶滅して欲しいと
願う。


今のご時世ネタまみれ

2023年08月29日 | open



ネタにネタで返してるでしょ?
この人(笑

こんなのもある模様。



東京江戸言葉

2023年08月29日 | open



おいらぁ墨引きの御府内の
秋刀魚の名産地の生まれだ。
つまり、旧江戸だな。
だけどおいらにゃ、一つだけ
滅法気に入らねえ江戸言葉、
てか言い回しがある。
耳にするだけでムカムカって
かトサカに来るやつ。
それは、江戸言葉の言い回し
で、何かにつけ、話の間に
「え?」と入れるやつだ。
「おまえさん、え?いいかい。
よくお聞き、え?
それはだね、え?・・・」
てな具合で正調江戸弁者は話し
やがる。
世代的にいうと今の80代半ば
あたりまでは。
それ、実際に聴いてると、ムカ
つきますよ。
一方的に話してやがるのに、念
押しのように何度もしつこく
「え?」を間接符のように入れ
て来る。
語感語音としても耳障りだが、
人を小馬鹿にしてるようで、
どうにも鼻持ちならねえ。

てな寸法よお。
何でもかんでも江戸前がいいっ
てもんじゃねえぜ。
これまじで。


東京・横浜方言

2023年08月29日 | open


典型的な東京の風景

普段私が話す言葉は東京・横浜
の方言だ。
仕事では全国共通語の「標準語」
を話すようにしている。
対人対話や畏まった場では、その
ように共通語を使用するように
小学生の時から学校の国語
教育
で習ったからだ。
学習して習得したものはそれを
使う。日本語を母国語として
教育を受けた者の常識として。

地元方言しか話さないで人と
コミュニケーションを取ろうと
するのは大変失礼、無礼な事で
あり、傲慢だ。
よくイナカモン(田舎という
地方に住しているのがイナカ
モンではないので注意)には
多いのだが、地
言葉だけしか話
そうとしない人
たちがいる。
しかし、あれは極めて人として
傲慢な態度だと断定できる。
フランス人が絶対に英語を話そ
うとしないのに似て。
全国共通語である標準語は義務
教育で6才の時から日本人は
教育される。
これは明治に始まった。
国軍創設の時に命令が通じない
からだったが、明治に国民教育
として「標準語」を新設した。
それは、旧幕臣の旗本言葉を
ベースに新政府軍によって創作
された日本初の全国共通の言語
だった。
ここに初めて日本人は母国語で
ある「国語」を手に入れたので
あった。

明治新時代から100数十年が
経とうとも、日本人たる自覚
が薄いのか、地元の部族言葉
しか話そうとしない人々が地方
に行けば行くほど多い。
言語として方言を守るのは良い
事だろうが、初対面や公共放送
で方言しかあえて話さないのは
日本人としての相互の交流と
意思疎通を無視する傲慢至極
の態度である。
だが、自覚無き人々は田舎には
多い。小学校行っただろうに。

うちの刀剣会の山梨県での合宿
の時、初めて会った
横浜出身の
人が、私の
話し方について、
「話し言葉遣いが
かなり江戸前
なので驚いた」と
言っていた。
普段話すのは書き言葉ではない。
私の地言葉になる。
つまり、東京横浜の方言だ。
サンマの産地で生まれてハマ
で育ち、小石川界隈の高校に
通い、ハマに住みながら都内の
大学に行き、虎ノ門新橋の職場
に通勤した。ずっと江戸・横浜
界隈で過ごしていた。
なので、語り回しはちょいと
伝法なエンコ風味もあるが、
東京と横浜の混ぜ口調になる。
だが、襟元正して真摯に会話
する時
には標準語を使う。

東京・横浜の方言を話す江戸ハマ
ジモチーたちがラッキーなのは、
それは日本語の共通語たる標準語
が、地元方言にとても近い事だ。
これはかなりラッキーであると
同時に楽している。
しかし、よく考えると苦労もある。
方言と標準語が似ているだけに
微細な差異をきちんと使い分けて
正しい日本語=標準語を話すの事
の難易度が上がるからだ。
むしろ、まったく標準語とかけ
離れた地方の人たちは、標準語
をマスターして話すのはたやすい
のではなかろうか。
昔の芸能人(歌手や俳優たち)は
標準語を話すことを強制された。
大阪出身者たちや九州四国出身者
たち等々。
松田聖子や堀ちえみや広末涼子は
完璧な標準語を話していたが、
地方出身者だ。
今でこそ、地方在民のような空気
もあるので、方言で時たま話す
事は芸能人も認容されてはいるが、
基本的に人様に物を伝える公共
放送では全国に通じる共通語=
標準語で話すのが礼儀であり常識
だった。
それゆえ、かつては芸能人たちは
ニュース放送と同じ標準語の日本
語を話す事を必須とされたのだ。
なにも東京人ぶる中央集権主義
の象徴で標準語を話していたの
ではない。

最近はライン等のメールでのやり
取りも人との間で多いが、困る
のは、メールの書き言葉さえも
方言一色で書いてくる人。
「その言葉の意味がわからない」
と返信すると「嘘じゃろ?馬鹿に
しとるん?」とか言ってくる。
性格は典型的なその地方のパターン
だから仕方ないとして、そのスタ
ンスの人が多すぎて困惑する。
そのうち、意味不明の言辞も聞き
流す、見流す、スルーになって
来る。問うと馬鹿にしてるのかと
逆上するからだ。これ、何も一人
ではなく、同パターンとして何人
もが同じ反応を示す。
個別個体差ではなく集団性だろう。
テレビの地方局も方言ファースト
で放送しているし、非常に住み
にくい。よそから来た人を排除
するジモチー根性の構造に地方
社会は隅々まで満ちているから
だ。市の商工会でさえ東京から
来て飲食店を開店した人を指して
「あっこの店、行ったらいけんで。
よそもんじゃけえ(あそこの店は
行ったら駄目だよ。よそ者だから)」
という事を言ったりしていると
いう全国的(というか首都圏では、
か)には信じがたい事実がある。
別な地方でも似たような例が問題
となってニュース番組でも取り
上げられていた。
とにかく地方の田舎の人たちは、
「牧歌的で人柄が良い」という
のは大嘘で、非常に底意地が悪く、
排他的で非開明的で、妬み深く
執念深い。こればかりは全国
共通項のようだ。
それは大昔からあるようで、夏目
漱石の名作『坊ちゃん』を読めば
地方の性根がよく判る。
あれは漱石の教師としての地方赴任
の実体験をベースにしているが、
実際にあの登場人物のような地方人
が全国各地にわんさかといたのだ
ろうし、今も根を張っている。
「日本人」になればいいのに、と
思う。垣根など作らずに。
だが、残念ながら、21世紀の現代

にあっても「ニッポンは一つの国
ぜよ」にはなっていない。
龍馬がやろうとした日本の洗濯は
今なお実行されていない。

なんとかならないものか。
答えはなんともならない。
地方のジモチーたちは変えるつもり
が全く無いから。
地方の変革は地方の在地の人間が

自主的に自覚してやるべきで、
よそから転入した人間が率先すべ
きではない。そういうレーニンの
外部注入論のようなのは駄目なのだ。
それは人類の歴史が証明している。
だが、今の全国的な地方復権、在
地在民
の国内風潮は、非常に良い
面もあるが、
実は地方人の意固地
な狭い地元
根性を増幅させる悪し
き面も助長
させている事が社会的
に体感でき
る。

広島出身ではないくせに先祖の
ルーツが広島だからと広島の
選挙区から立候補した総理岸田
だが、私と同世代で学生時期も

被る岸田が、せめて「ほうじゃ
けえのお。じゃろう?」とか
言ってないのがせめてもの救い
か。
なんだか虚しすぎる救いで救い
にもなっていないが。


ライダーズカフェの行く末

2023年08月29日 | open


現在休業(数か月)。


オートバイに乗る人たちは今
気づいて
いるだろう。
数年前のプチバイクブームの頃に
ライダーズカフェがドッと増えた
事を。
そして、現在はそれらの多くが
廃業閉店している事を。

それの原因は推察できる。
まず、一般的にも飲食店というの
は順調経営がかなり困難である
という事。
そして、モトカフェは二輪乗りを
対象にしたカフェであるので客層
が限定的である、という事。
この客層限定というのが曲者で、
モトカフェの根幹にも関わるの
だが、まずそのターゲット層たる
二輪乗りたちは飲食代を盛大に
使いますか?という問題がある。
二輪ライダーはごく近所の裕福
な常連以外はツーリング等の旅
途中でライダーズカフェに寄る。
一般的な町中の喫茶店以上に金
は落とさないのである。
食事もコンビニおにぎりやせい
ぜいファストフードやファミレス
等の廉価
な物で済ます程度だ。
あるいは最近は高額になった

ラーメン屋等で。

では、ライダーたちだけでなく、
観光客も含めての集客狙いの
営業方針にしたらどうか。
それも、かなり厳しい。
本格レストランで修業した料理人
がライダーズモトカフェの店長
である事はほぼ無いから。
仮に料理が値段相応の極上逸品
だとしても、値段の額面自体が
高かったら財布の紐が超堅い二輪
乗りなどは注文などしない。
また、一般観光客もそうそう年中
来店する訳ではない。厳しい。
まして、レンジでチンの調理物
ばかりでは一般観光客はまず
一度来たら二度と来ない。
では、腹を空かした二輪乗りは
というとレンジでチンの調理物
でも厭わない層ではあるが、
その店を根城とするような層が
大量に存在しない限り難しい。
現実は、立ち寄ってすぐに
去り、
今度来るのは数年後、と
いう
パターンの二輪乗りが殆ど
だ。

ただでさえ一般的な街中の喫茶店
でも資本系のチェーン店でない限
り経営持続が困難な時代、客層を
旅の二輪乗りのみに絞ったライダ
ーズモトカフェは経営継続自体が
最初から困難なのだ。

それゆえ、その通りで、プチバイク
ブームで開店してはほんの数年で
全国的に廃業閉店が相次いでいる。
経営者が別人に権利を譲渡して別
な人がバトンタッチで再度開店
するライダーズカフェも多いが、
根本的な構造に変化は無いので
ほぼどこも第二経営者、第三経営
者が再オープン、再々オープンし
ても経営破綻で閉店している。

理由は明白。
開店前から、現代的に非常に経営
が厳しい一般的喫茶店よりもさら
に痛烈に険しい店舗開業であるの
がライダーズカフェだからだ。
二重三重四重に経営困難な構造に
なっているのである。
そして、サイドメニューの軽食や
本格的な食事があったとしても
それであるのに、ドリンクだけの
ライダーズカフェはその何倍も
経営が困難である事は開業前から
不動の原理として存在している。

さらに、追い打ちをかけるような
条件がライダーズカフェ開店には
備わってしまっている。
それは、ライダーズカフェの店舗
開業をする人は、飲食店で成功
したいという人である前に、二輪
好きが高じて店を持つ人が殆ど
という点だ。
つまり、経営については素人。
ただのバイク好き。
それらの人が飲食店を開店する。
簿価も損益分岐点も何も知らない
人たちが。
それで商売成功すると思いますか?

情熱や個人的な夢や思いだけでは
実社会では店や企業の経営は成り
立たない。
それは、全く以て、という程に。
かつて、日本の伝統職人たちが
自分の仕事で飯が食えたのも、何
も仕事が確かだったからではない。
作った物を売る販売者がきちんと
顧客を確保する活動をしていた
からだ。
なので伝統職人の仕事は、そうし
た販売者や活動をフルサポートす
る敏腕プロデューサーがいないと
物を作っても売れない。ルート
さえ確保できない。経営&運営
活動戦略が無いから。
物を作ってさえいればお客がつく、
店を構えてさえいればお客が来る、
という事はまず無い。
情報宣伝=情宣をどのように展開
して、どのように既存マーケット
に食い込んで集客をするかという
事を見定めて、戦略と細かい戦術
を立案実行できるブレーンと現実
にその作戦に基づいて動く人員が
無いとモノヅクリや店舗経営は
うまくいかない。
会社などの企業体は、そうした
経営の組織化されたもので、人員
配置を含めて、首脳部が高度な
戦略と戦術を練り、現実的に現場
で動く人間たちがその真意を熟知
熟考して営業活動を展開する。
ゆえに営業は馬鹿ではできない。
売れる営業マンは売れる術を
物理的に身に着けているのでは
なく、どうしたら売れるのかに
ついて精通しているのだ。

企業体ではない個人事業者は、
現代産業界では非常に経営自体
が困難で、大資本のグループ
参加に入らないままの経営持続
が厳しい情勢になっている。
個人経営の精肉店、青果店、
鮮魚店が軒並み潰れたのは
1980年代に開始された。
大手スーパーの登場がその個人
店舗破綻に火をつけて、さらに
大手企業コンビニエンスストア
の乱立が個人店舗廃業を助長
した。
そして、30数年後の現在は、
大手企業系グループに属さない
生き残れないのは、飲食店で
はごく普通の景色になっている。
ラーメン店しかり、レストラン
しかり、だ。

1980年代のバブル経済時代に
「プールバー」なるものが爆発
的に増えたが、軒並み数年で
倒産廃業している。
それは、丁度今のライダーズ
カフェの乱立と倒産廃業に似て
いる。
破綻の構造は両者は同質性を
有している。
客層がどうであるかだ。
現在、ビリヤード場を順調経営
している店は、オーナーがきちん
とした経営形態を模索してそれ
を維持しているからだろう。
ビリヤード店でもカフェでもそう
だが、同じ店舗の箱のままオーナ
ーが入れ替わった店は、まずその
うち潰れる。集客構造に変化を
つける経営実施をしていない店
が殆どだからだ。
つまり、同じ道を歩む。経営破綻
だ。
オーナーが次々と何人も交代する
店はまずそれ。いずれまた潰れる。

では、生き残るにはどうしたら
よいのか。
答えはある。
成功している店に、その答えは
ある。
その経営者の経営活動の芯部から
重要なものを学ぶ事無くして、
経営の起死回生は望めない。

あと一つ重要な事を。
「経営コンサルタント」なるもの
を職業としている企業に自社の
経営方針を委ねる企業も多い。
大抵は経営破綻する。
外部の部外者が社内を滅茶苦茶
に引っ掻きまわして去るのが殆ど
だからだ。
そもそも、経営が成功するので
あれば、自分らで企業活動を
すればいい。
それをやらずに、口出しだけして
企業を引っ搔き回して操ろうと
する。
駄目なのだ。経営コンサルタント
という集団は。
考えてもみてほしい。
彼らは何のリスクも負わない。
もし、年次計画に対してコンサル
タントの出した社内改革方針に
沿って事業展開して、これだけの
損益を出したら、そのコンサルタ
ントが損益分を負担する、などと
いう形態は日本全国どこにも無い。
非常に無責任であり、そうした
集団に企業経営の方針に発言権
を持たせるのは極めて危険なのだ。
だが、経営コンサルタントの
導入により実質経営破綻した企業
は多くある。
それは、中小零細から大手まで。
経営者が取る最後の手段は、企業
売却だ。
それによって、自分ら経営陣のみ
は充分な金員を確保しつつ、労働
者従業員は切り捨てる。

さて、個人店舗だが、飲食業が
極めて厳しい現代。
よほどの作戦を練らないと、ライ
ダーズモトカフェは経営持続が
難しい。
最初から、困難性が極度に高い
構造を有しているのがライダーズ
モトカフェだからだ。
だが、よ~く、世の中を俯瞰して
成功者たちのパターンを分析する
事で、困難な状況を突破できる
かも知れない。
それにはブレーンも必要だが、
経営者本人が自分の頭で深く
洞察する事が大切だ。
果たして、「ただのバイク好き」
にそれができるのか。
できている店は成功しているだろう。
また、成功している店には多くの
ヒントが隠されている。
見るべし。
コーナーの先を。


男たちのまぶしい休日

2023年08月29日 | open

男たちのまぶしい休日

1973年の夏頃の映像作品か。
町の風景、人々の服装等が私が
中学生の頃だ。
映像に映るカレンダーを見ると、
月は映っていないが、映った
日付で12日が日曜日であるので、
1973年の8月に撮影されたもの
だろう。
トライアル世界選手権は1975年

から開始された。
日本ではMFJが1973年に第一回
トライアルス全日本選抜大会を
開催した。それの予選大会は
8月の12日だったのだろう。
映像作品を観ると、11月の本

大会決勝と同じ神奈川県早戸川
河川敷だと判る。
当時トライアルという言葉は
存在せず、トライアルスと呼
んでいた。
全国で予選大会を開き、上位者

が本大会決勝に出場できる甲子
園高校野球のような競技大会
から歴史は開始された。
この映像はそのトライアルス
大会の全国選抜競技大会に参加
した若者を撮った
ドキュメン
タリーである。
全日本大会本戦決勝は1973年
11月、
神奈川県の早戸川の河川
敷で
開催された。
翌年から選抜ではなくクラス
分けライセンス保持者の本格的
な選手権大会のレース
となった。

1973年1月のホンダTL125の
登場は国内
に革命をもたら
した。

「トライアル」という言葉
さえまだ存在しなかった時代。
今から半世紀前の1973年1月
に122ccで発売された。
後続機は124cc。
ホンダ大ヒットの人気爆発
モデルとなった。

初期型が発売されたのは1973
の1月だった。
発売当時、TL125の車両本体価格
は152,000円。当時の大卒初任給
が52,700円程だった。

2023年大卒初任給が228,500円。
当時152,000円のオートバイは
現在換算価格だと659,000円程
になる。
私が自分の力で二輪に初めて

乗ったのが、このホンダTL125
バイアルスが登場した時と同じ
1973年の1月だった。小6。

初めて運転したのはホンダスー
パーカブだった。氷屋配達仕様。
その後、クラスメート奴の兄が
ヤマハミニトレを河川敷のオフ
コースで運転させてくれた。
中学生になる頃には、ごく普通
にマニュアルバイクのミニトレ
でいろいろな運転ができるよう
になっていた。その友人の兄は
ミニトレ50と80と白タンクの
500のマッハを持っていた。
私は二輪を運転し始めてことし
で半世紀50年が過ぎた。

日本の歴史を変えたホンダTL125
バイアルス。
この車種が1973年1月に出てから、
白バイ隊員はこの車種を選んで
二輪低速不整地路運転の訓練を
した。
日本の白バイ隊員の技術が1960

年代に比べて飛躍的に向上した
のは、この車種の果たした役割
は大きいのではなかろうか。
1973年の夏休み前、白バイ訓練
施設が
近所にあったので友人
たちと
よく見に行った。土手上
から
見学できた。トライアルス
車ではなく実働白バイでの
舗装
整地路走行訓練だったが、初め
観た時にぶったまげた。
あんな速度で模擬市街地コース
を運転できるの?と。
パイロンなどは4秒台あたりだ
ったのではなかろうか。一本橋
は30秒程だ。もっとゆっくり
時間をかけて白バイでほぼスタ
ンディングの様に静止している
隊員もいた。

クランクも8の字もかなりの高速。
そして、白バイは車体をこすっ
たらいけないのに限界フルバンク
で走る。思いっきりリーンインで。

車体のガードバンパーが路面と
接触してすっころんでいる隊員
も何人もいた。即起こしてまた
走行。

だが、全員が低速も高速度も
完全制御に近い乗り方で運転
していた。高速度とは加速の
意味で。とにかく車を加速させ
る。瞬時に。
自動二輪免許(限定無し)は
一本橋が15秒以上で合格の時代。
その後、1975年10月から自動
二輪は二種に区別され、400cc
未満の中型限定と排気量無制限
の限定無しになり、限定解除は

免許センターでの一発試験のみ
となった。
教習所での小型自動二輪の一本橋

は8秒以上、中型限定は12秒以上、
一発限定解除は15秒以上だった。
一発限定解除は合格させない為
の免許なので、合格までに10回
受験などはざらだった。
車体引き起こしにはタンクに砂

が満タンの古い不動車を使って
いたが、それは当時の自動二輪
中型限定免許の教習所講習でも
砂入りタンク車を引き起こした。
また、中型は卒験では波状路は
無いが、教習では波状路の走り
方も教える教習所もあった。
現在の二輪大型免許の中身が
かつての限定解除時代の中型
二輪の試験内容とほぼ重なる。
現在の大型二輪免許は、実質
昔の中型二輪免許の実力認定
と同じとみれば間違いない。

今の大型二輪免許は驚くほど

簡単に取得できる。こんなので
よいのか?という程に。かつて
自動二輪限定解除とは比べ物
にならない。
免許は免許皆伝ではなく、簡単
に誰でも取れるただの通行証の
ように1995年に再改変されたか
らだ。
これはアメリカの圧力による。
ハーレーが売れないのは日本の
超絶難しい二輪限定解除試験
制度のせいだ、と米国国家と
資本が日本政府にねじこんだ
ために、日本はやむなく免許
制度を極めて簡易な制度に
変更した。

なお、二輪操縦運転の技量は
排気量免許=通行証の種類と
は連動していない。誰でも取
れる免許というものが仮に
大型二輪であっても、下手くそ
は下手くそであり、逆に小型
二輪や普通二輪の免許持ちで
あっても、技量の高い者は高い。
よく大型二輪免許を持ってさえ
いれば高技量者であるかと勘
違いしている二輪乗りは世間
に多い。排気量マウントを取り
たがる連中とか、中型から大型
車両に乗り換える事を「ステッ
プアップ」だとか捉えている
連中。
これらは完全なる勘違いの横
滑り
転倒思考回路であり、物
事の
真実を理解していない。
大学に進学したとて、大学にも
難易度があるように、偏差値
35の大学も偏差値80の大学も
卒業すればどちらも学士の資格
を文科省から付与される。BF
大学などは入試さえ無く、作文

を書けば入学できる。分数の
計算もできないし、中1の英語
さえできない(単語の動詞go
の過去形さえ
知らない)。新聞
は文字が多いし読めない漢字が

多いので新聞自体が読めない。
だがそれでも「学士」の称号を
大学を卒業さえすれば取得でき
る。
現実にそれがある。
中1の学力さえなくとも四大卒

だと「学士」になれるという
制度が日本には存在する。
一方で、高度な高等教育を受け

て、最高学府の学生として学術
を学び、最先端医療やアカデミ
ックな研究発展に貢献している
者たちもいる。
かたや分数計算も中1の英語も
できず、新聞さえ読めない学力
だ。
では、それら大学生のどちらも
同じ
学力・学識ですか?同じ実
力ですか?という問題と
同じで、
日本の今の二輪の免許制度
にお
いては、大型二輪免許取得の

無は真の実力とは一切関係が
無い。
二輪の排気量マウント取りたがり
やステップアップ思考の人間は、
偏差値35大卒であろうとも「俺
は大卒だ」と威張りたいような
もので、まるで横滑りなのだ。
実際にそれらは現象として現れ、

新大型二輪免許取得者は、いき
なり扱えない大排気量車に乗り
たがる者も多く、現実的には
全く乗りこなせていない。事故
も多発している。
それはそうだろう。低排気量車
で充分に技量を積む事をすっと
ばして、基本も何もできていな
いまま高出力で車重のある大型
車に乗るのだから。最低限の
基礎学力さえなくとも入学卒業

できる大学卒のように。
そして、普通二輪も今は取得が
超簡単なので、技量の低い人た
ちが大勢いる。
だが、下手度でいったら大型
免許保持者のほうが多い。
ほぼ全員が腕を伸ばして突っ
り、ガチガチ硬直で、足はだら

しなくつま先外向けでただステッ
プに足を載せているだけ。
車両に乗っているのではなく、
載せられているだけ。
それで大排気量のハイパワー
モデルを公道運行している。
それは、事故も減らない事だろ
う。


一方、1975年免許制度改定に
より、自動二輪のうち中型免許

は広く一般化し、1970年代80年
代には多くの若者が二輪免許を
取得
した。若者は乗りまくって
いた。暴走族の違法性はともか
く、習熟度においては現代とは
比較にならないほどに乗ってい
た。

奇しくも暴走族(1973年に誕生。
1978年12月の道交法改正まで
がピーク)
対策として施行した
1975新免許制度
だったが、少年
や若者たちは中型免許
で二輪に
乗った。
全く免許制度
改訂などは事故減
少や暴走族
対策には効果が無か
った。

1970年代の暴走族は、土曜の夜
に1チームで二輪200台、四輪
400台(四輪のほうが多かった)
ほど集結し、街道を信号無視で
暴走する。巡行時速100km/h程で。
それが何チームも土曜の夜には
都内を走り回った。
もう「首都騒乱」の様子だった。
何万台という車両が土曜の夜に
都内を席巻するのだ。その後の
暴走族ではない珍走団のような
ちんたら走りではなく、速度を
出す暴走で。スラロームなどは
60km/h以上でやっていた。
ただし、「コール」などは存在
しない。あれは珍走団特有だ。

白バイ隊員の走りを直に見たら、
目から鱗落ちの乗り方だった。
二輪というのはこうやって乗る
のが本当なのか、と友人たちと
言い合った13才の初夏だった。
ちょうど1年前の同じ頃には
街では天地真理の「ひとりじゃ
ないの」がよくかかっていた頃
だ。
その年のその初夏の頃は麻丘
めぐみの「私の彼は左利き」が
ヒットしていた。

ホンダTL125バイアルス。

〈新製品ご案内〉 ホンダバイアルスTL125新発売

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本田技研工業の広報発表ニュース - このたび当社では、わが国最初の本格トライアルスマシンであり、同時に一般道路の走行にも適した新しいスポーツ車、バイアルスTL125を発...

 

 

 


本中華

2023年08月28日 | open


50年前製のトライアル車新品
ホーンを着けようと注文した。

届いたのは本中華だった(笑

ヤードのマスターが交換して
くれた。
鳴ったからオッケー。

横浜ナイツ

2023年08月28日 | open
 










東京に生まれた。
東京の高校、大学に通い、東
京で青春時代を過ごした。
それでも、夜景含めて愛着が
あるのは横浜だ。
少年時代、学生時代、社会人
時代に暮らしていた。
家族で、一人で、新家族で。
妻と住み始めたのは横浜だ。
横浜は行く所ではない。
暮らす場所だ。




俺が死ぬ時にはペイエトランゼ
ではなく横浜で。
終活プランは決まっている。

東京ナイツ

2023年08月28日 | open










東京の夜がやはり好きだな。

そして、眠らない街にも朝が
来る。






横浜家系ラーメン 三原店

2023年08月28日 | open



隣りのから揚げ屋さんは来月
リニューアルオープンのらしい。


三原港のまん前。










行ってみた。
店舗は家系とはいえ、いわゆる
資本系の味である。
店員さんは多く、若く、きび
きびしていた。


そごう・西武60年ぶりにストライキ

2023年08月28日 | open
 


米国資本への企業売却により全
従業員の雇用の確保が何ら
約束
されていない状態だ。
労働組合はやむなくストライキ
を決定した。900名の従業員
対象となる。
 
「お客様」だという高齢のご
婦人が街頭インタビューに
えてた。
「経営者も従業員もどちらも
言い分あるのでしょうが、お
客様をおいてけぼりだよねー、
ていう感じがします」

お花畑のおばはんか?
いきなり解雇もあり得る生活
がかかっているのだよ、おば
ちゃん。
単なる春闘賃上げ交渉じゃない
だよ。
お宅の収入が突然一方的に停止
でゼロになる時が来たら?
まるで他人事のメルヘンちゃん
では生活などはできない事が
かっていない。永久就職
の専業
主婦さえできなくな
るのだぞ。
労働者は団結しないと、資本に
いいようにやられてしまうのだ。
生活権さえ好きに奪われてしま
う。当然、従業員とその家族の
末路などは資本側は知ったこっ
ちゃない。
資本は利潤は愛しても人は愛さ
ない。
これは定理だ。
 

ガソリン代

2023年08月28日 | open
 
行楽やツーリングでの遊びで
走るのは、ガソリンをただただ
消費する。
必要不可欠な仕事での移動では
ないので、外出時には大幅に一
挙に値上がりしたガソリン代も
予算の中に考慮して組み入れな
いとならない。
 
それと、行楽外出は遊びである。
仕事ではない。
それに自動車を使うのは非常に
地球環境的にはよくない。
それを自覚して忸怩たる思いを
抱いているならともかく、それ
に無自覚でいながら環境問題を
声高に叫ぶのは何かおかしい。
「バカという言葉は使うな。
このバカ野郎」と言うようなもの
だからだ。
それとか「暴力はやめななさい」
と言いながら自分はスボコ暴力
を行使し続けてるような。
ゆえに、排ガス問題を正義感ぶ
って口にする人には言いたい。
「あなたとその家族が車で外
に行くのをやめれば、いくら
か環境対策に貢献できますよ」
と。
 
ガソリン代は今やレギュラーが
180円台後半だ。190円台の店
もある。
先日、岡山県まで二輪で走った
時に不思議な現象に気づいた。
市街地よりも人里離れた山間の
ほうがガソリンが安いのだ。

カフェの帰りしな、マスターに
ガソリンの安い愛用店を教えて
もらった。
他店がレギュラー188円前後の
ところ、先週末時点でリッター
171円だ。
笠岡の国道2号線沿いの農協
セルフスタンドだ。
これは昨年冬の画像。
 
今の次期、リッター171円は安い。
だが、先々週、広島と三原、福山
市内が188円台が多かったところ、
信じがたい値段のスタンドをたま
たま街道を走っていてみつけた。
レギュラーがリッター168円だっ
た。
隣り町の竹原市だが、これは多く
入れるならば多少越境給油しても
積もり積もれば同額での給油量は
大きく違って来る。
越境給油は産業機器配送業者の
個人ドライバーなどはよく越境
給油をやっている。
そうしないと、ランニングコスト
を計算すると見合わないからだ。
越境走行分の燃料消費を算入し
ても、地元よりも越境先での給油
のほうが経費節減になるケースが
増えていると先日特集ニュースで
放送していたが、リッターあ
たり
20円も違ったら月額燃料代
は大幅
に違って来る。
運輸、運送、物流業者にとっては
燃料費高騰は死活問題だ。
無ければゼロに越した事はない
のが輸送の燃料費だからだ。
 
先週リッター168円のスタンド。
これは先月7月の画像。
 
普段は私は契約会社系列のスタ
ンドのカードで給油する。
現金払いよりもリッター5円安い
のだが、それでも現金188円のと
ころでは183円にしかならない。
そうした中で168円?
これは安い。
 
ただ、ガソリンが異様に上がった
よね。
一昨年の阿蘇行きの時はレギュラー
はリッター140円ほどだった。
それが、観光地高額設定で全国的
に有名な別府市内で給油したら、
レギュラーがリッター160円台
ったので驚いた。
ハイオクは180円台だった。
同行者は「こんな高いガソリン
生まれて初めて入れましたよ」
とヘルメット越しに無線で言っ
いた。
それが今やレギュラーが190円
台になろうとしている。
 
大手石油メジャーに勤務する人
の話では、「この先、値下がり
は来ない。値上がりの一途」だ
言う。
1リットル250円時代も、すぐに
やって来そうな気がする。
レーシングガソリンかよ!?
みたいな。
1980年代のレースガスがそれ
位の金額だった。マシンは250
ccで燃費6〜7km。個体の燃費
は把握して、必要最低限ギリ
リのガソリンを入れる。
ポリタンでカストロR30を混ぜ
てシャカシャカやってから。
ちなみにそれ以前の1977年時点
では、富士スピードウェイ=
FISCOでレースガスはリッター
150円だった。
 
燃料代。
それはゼロならこの上無い。
でも内燃機関搭載車両では無理。
太陽電池動力車みたいなのでない
と。
電気式も、そのうち乾電池のよう
な物をポン換えだけで800km以上
走れるような車になる事だろう。
あと200年位かな(笑
 
ただ、私の世代は全てが電気式
自動車なるのを見られる最高齢
の最後の世代かと思う。
歴史の転換点をしっかりと見定
めようと思っている。
ガソリン車があるうちは、私は
それに乗り続ける。
40数年前のモーターリゼーション
関係の雑誌の記事で、近い将来は
ガソリン
撤廃で別動力車両になる
との予見
が書かれていた。まだ
2ストさえ
も現役バンバンの時代
に。
その当時は、現実感が全く無かっ
たが、
今、それが現実となる時代
が来よ
うとしている。
 
地球上から内燃機関=エンジンが
無くなるなんて。
それ、卵かけご飯の卵抜きのよう
な気がする。