1988年の試合のこの動画で1分32秒
にマイク・シーゲルの1番ボールを
撞いた時の音が私が理想とするキュー
の音だ。
同系統の音。
私のこのキューの打球音はBの
音階、シーゲルのキューはB#
の音階だが。
これは私のキューのうちの1本。
同キュー、別シャフトの実際の
プレー中の音。私のオリジナル
キュー。Luke No.6。
キューの打球音
1988年の試合のこの動画で1分32秒
にマイク・シーゲルの1番ボールを
撞いた時の音が私が理想とするキュー
の音だ。
同系統の音。
私のこのキューの打球音はBの
音階、シーゲルのキューはB#
の音階だが。
これは私のキューのうちの1本。
同キュー、別シャフトの実際の
プレー中の音。私のオリジナル
キュー。Luke No.6。
キューの打球音
大竹しのぶさんエディット・ピアフの
「バラ色の人生、愛の讃歌」
憑依系女優大竹しのぶさんが
歌うピアフの世界。
「愛の讃歌」の歌詞はほぼ原詩
通り。
原詩を何度も何度も何度も読んで
咀嚼すると、「さらなる背徳」を
犯す事を決意しているのがわかる。
その心境は岩谷時子さんの歌詞に
は一切存在しない。
ピアフがうたったそれは、「貴方」
が死んだら私も死ぬという、キリ
スト教圏ではあってはならない事。
神に造られた人間は、自らの命を
自らが断つ事は神への背徳なのだ。
だが、ピアフの歌詞にはそれさえ
も冒す背徳の愛を実行しようとする
失意からではない向かう愛の決意
がある。
祖国よりも友よりも自分の大切な
ブロンドよりも、神の教えよりも
大切なものがある、とピアフは
うたい上げるのだ。
そして、「死者はすべて祝福される」
という神の赦しに最後にはすがる
のである。「でしょう」という表現
で。女の子的な日本語表現ならば
「きっとそうしてくださるわ」と
いうような。
本当は祝福などはされない、祝福
されるに値しない自分である事は
十二分に解っていながら、神の
大きな慈愛の存在を信じる事だけ
は最終的には裏切らない。
葛藤の中にゆれる「信じるもの」の
存在がある。
自分の向かう心だけを信じる事が
いかに大きな裏切りを重ねる事で
あろうとも、どんな罪に問われよう
ともかまわない、としていたが、
最後には神の祝福を求める。
だが、その神の祝福は「死者」と
してしか祝福されない事を解って
いるのである。
「愛の讃歌」はピアフが歌詞を
作った。
揺曳と決意の「うた」である。
愛の熱意ではない。冷めた静寂
なる決心なのだ。
この大竹さんが歌う「愛の讃歌」の
歌詞は、限りなくピアフの原詩に
近い。
愛の讃歌
もっとピアフみたいにサラリ
と哀愁もってうたえないのか
ね、このおっさんは(笑)。
岩谷時子さんの詩でうたうの
は不本意ですが、途中から
原詩の歌詞忘れてしまったの
で日本語の岩谷版に。
私の翻訳の歌詞もあるのですが、
ここは突如岩谷+こーちゃん版。
なぜ岩谷歌詞が不本意かという
と、国家反逆罪をもいとわない
ピアフの原詩が全く不在だから。
そして、ピアフのように「向か
う心」ではなく、「求める心」
に岩谷版は変容しているから。
岩谷時子の歌詞はあのフランス
で国も友も捨てるとさえした
ピアフの心境が全く存在しない。
フランスで国と友さえ捨てる、
というのは戦時中も解放後に
あっても、あり得ない事なん
です。
でも、そうまでしても自分は
貴方を求める、という向かう心。
死刑になるかも知れない最大の
背徳をも恐れないで向かう心。
それがこの曲の本来の姿なんです。
だからこそ、人々の感動を呼んだ。
単なる恋愛歌じゃないんです。
岩谷さんの歌詞は、単なる熱愛
の恋愛譚にしてしまってるのよ
ね。すごく良い詩を書く人だけ
ど、この曲のこの岩谷版の歌詞
だけは何だかなぁ、なんです。
命をかける抜き差しならない
心の在りかが存在しない。
この曲は、原詩のフランス語で
うたうのが正解かと思う。
歌詞忘れてりゃ世話ないけど。
私の訳はこんな訳。
愛の讃歌 ~Hymne à l'amour~
青い空が消えて 大地が崩れ去っても
かまわない あなたを愛せるならば
朝日にいだかれて あなたにいだかれて
ふるえるよろこび それさえあればいい
お望みならば このブロンドも
泥に染めるわ
お望みならば あの月さえも
盗みに行くわ
お望みならば 友も祖国も
捨ててみせるわ
あなたが望めば 辱めさえ
受けてもいいわ
あなたが死ぬ時も 私は泣かないわ
あなたが死ぬ時 それは私も
二人で天に行き 青い空の中で
一つに溶け合う 永遠(とわ)の愛
誓うの
Dieu reunit ceux qui s'aiment.
ピアフを超えるこの曲のうたを
聴いた事が無い。それはミレイユ・
マチューでさえも。
「歌」は多くあります。
「うた」はこの曲はピアフのみ。
ノーマルの長さ(右)と私のオリ
ジナル(左)だと、キューの長さ
はこんなに異なる。
下は同じ位置につけて計測。
2インチちょい長さが違う。
上が私の自作カスタムキュー
60インチ(152.4センチ)。
下はノーマルの58インチ
(147.3センチ)。
この私のロングキューは平撞き
でもマッセのような手玉の動き
を与えることができる。
58インチ(147.3センチ)のキュー
がアメリカン・ポケット・ビリヤード
では標準だ。
59インチ(149.8センチ)のキュー
でさえ、立てて持つと私の顎下に
なる。私の身長は173.5程。
58インチキューというのは、身長
180センチ超えの米国人にとって
は、とても短いのではなかろうか。
だが、その長さが一つの標準と
なったのには、何か理由がある
事だろう。
道具の長さの標準値が決められる
時には何か理由がある筈。
コルトSAAの銃身が7.5インチ
(騎兵モデル)であったように。
私はSAAは異様に4.75インチ
銃身モデルが好きだが。
Colt SAA 7.5インチ標準モデル。
コルトピースメーカーについては
とても面白い事がある。
それは1960年代、1970年代中期
までは、日本では5.5インチ銃身
モデルのSAAが一番人気があった
のだ。
この事実は、短銃身モデルが標準
人気となった現代では想像もつか
ないかも知れない。
昔のこの文化的風潮は、たぶん昔
の西部劇の影響ではと。ハリウッ
ドもマカロニも殆ど5.5インチ銃身
が使われていた影響が強かったの
ではと思われる。
日本でも、モデルガンなどでは
5.5インチ銃身(砲兵モデル)が
大人気だった。
クリント・イーストウッドが使って
いた銃身のモデル。
4.75の短銃身市民モデルを好むの
は、早撃ちをマニアックに好む者
に限られていた。
私などはMGC製SAAを購入した
1960年代の最初から短銃身モデル
(日本での通称シビリアン)が
大好きだった。
MGC SAAのファーストロット
1967年モデル。ネジがすべて
ライブだ。
http://www.hartford.co.jp/dragoon/
この自作60インチキューがとても
使いやすい。
TADもいいけどな~。
このTADは59インチモデル。
1995年製。
1980年代に使っていたTADよりも
冴えたやつ。
(ル・プロフェッショナルのタップ。
タップは手作業で自分で交換する)
吉報である。
ラッキー菱沼さんがタップ開発
をするらしい。
Lucky's Cue (ラッキーズキュー)|Custom Cue
(カスタムキュー)|Lucky's Cue International
これは吉報以外のなにものでも
ない。
ただし、ラッキーさんもいうよう
に100人いたら2%の二人だけ向け
みたいな(笑)。
私のタップ遍歴としては、86年の
ル・プロに始まり、チャンピオン
になり、ウォーターバッファロー
になり、TADになって、それから
モーリを試した。
モーリは6回替えたがとてつもなく
合わなかった。ペシペシ音も大嫌
いだった。
その後、かなりの数のタップを試
した。
通しでかなり良かったのは、自由
が丘のアルファさんがコハラさん
に革を提供していたTADタップだ
った。
WBも頭抜けて良かった。
カムイも試したが、どうにも合わ
ない。悪くはないが合わない。
合わないものは合わないのだから
どうしようもない。
積層のブータンは私は駄目なのだ。
使うキューはバリバリソリッド
だ。打感も本体そのものも。
シャフトはソリッドシャフトだ。
ベニヤや空洞シャフトではない。
無垢のソリッド・スタンダード
シャフト。
自分の撞き方にはハイテクベニヤ
や積層タップは全く合わず(撞け
ない事は無い。フツーにマスワリ
サクッと出る)、玉撞きが面白く
ないのだ。
私はトビズレのあるシャフトで
それを見越して逆ヒネリもギュ
インと入れて、しなやかな撞き
出しで手玉をギュイギュイ運び
たい。コツン止めのソロリ転が
し玉はやらない。
そういう私の撞き方は自分の
所有するキュー群なりの撞き方
なのだ。キューと撞き方が同調
している。というかさせている。
ズビズバーと手玉を出せて色玉
をパパパヤーと入れられる
キューとタップがよいのだ。
特にスロウが出やすいタップと
いうのはあるので、それは駄目。
ギャッキー多用なので手玉はトビ
が出てくれないと任意点での
トビと歯車効果の相殺点を現出
させられない。それは嫌なのだ。
なぜならば、撞点もどんどん
真ん中付近しか撞かなくなって、
そんな玉撞きをやっていて玉を
語りたくはないのだ。
自分自身「何やってんの?おめ」
となる。死んじまったおない歳
だった立花たっちゃんやあるい
は小杉純一さんのような玉を撞
かなけりゃ意味ない、と私自身
は思っている。
チョン突っつき転がし玉なんて
金輪際やなこったい。
(私に「キューはしなやかに
投げろ」と教えてくれたのは
立花だった)
元プロのラッキー菱沼さんは
世界一のカスタムキューコンダ
クターでもあるが、自分でキュー
も作っているビルダーでもある。
キュー歴やキューに対する思考法
もかなり私としては首肯できる
部分も多い。(全く別な見解の
部分もある。口パクをまさか
本気で歌だとか思ってないよね
系とか)
ソリッドシャフトには牛革。
これドンピシャ。
私は今でも一番ウシ系がいいと
思っている。水牛もかなり良か
った。
で、今は1個100円のル・プロ
フェッショナルだ(笑)。
1個ン千円のタップなどは死んで
も使いたくない。ボッタクリ
丸見えだからだ。
また、個人的にもタップ業界の
裏の汚い話も知っているし。
ル・プロはアタリハズレがある
にはあるが、総体的にかなり
良い。私に合っているという
点で良い。
時々玉談義を交わす東京のTAD
遣いの人もル・プロにしている
そうだ。
ハウスキュータップと侮れない
ですよ。かな~り良いのだから。
昔のWBやTADほどではないに
せよ、良い。自在に手玉が出せ
るし、感触も音も良い。
良いシャフトとバットのキューに
着けるとキュィーンという撞球音
がする。
締めないで使っている。交換した
時に思いっきり平ヤスリでしっぱ
たくが。キンキン音がするまで。
あとは撞き締め。
タップは気に入らなければ即交換
するので、1日で7個交換した事も
あった。初期モーリは特にひどか
った。
通常は毎日5時間撞きをしていた
時期でタップ交換時期は2週間程
度だった。
慣れると手早く10分ほどで完全
交換が完了する。磨きまで入れ
て。江戸前鮨のツケ場の鮨職人
のようなさばきの流れで作業を
していく。
どういうのか、なんてのか、PC
でキーボードを打つように。
ラッキー菱沼さんが新たに開発
するタップが楽しみだ。
1個ン千円とかだったら買わない
けど(笑)。1個千数百円でも買
わない。
タップって消耗品だし、そういう
高額設定は、いろいろ裏を知って
いるだけに、そういう提供はおか
しいと思うので。
あと、開発で、電球のように時限
付でパンクするタップを開発した
らこうこうこういう計算になるか
ら儲かるよな、というのを第一に
タップ開発している新参業者もい
る。取らぬタップの皮算用。
もうね、そういうのサイテーな
わけでして。
タップってオートバイのタイヤと
同じで、合わなければ即交換する
類の物なのよね。
合いもしないタップを後生大事に
いつまでも着けておくものではな
い。そんなの着けていて思うよう
な玉が撞けないのにタップのせい
にしたりとかするとしたら、それ
は意味わからん(笑)。
合わないタップはとっとと容赦な
く切り取り捨てて交換するに限る。
で、モーリを6個着けては捨てし
ないと「あ。やっぱり俺には合わ
ないんだ」と分からないのも、
まあ、ほんまもんの馬鹿なんだけ
どさ(笑)。