渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

刃物師が作った刃物による芸術

2016年02月25日 | 文学・歴史・文化・科学

江戸刃物師、名人鍛冶職人左久作(ひだり ひささく)の兄さまから
左刃物の使用者の方を教えてもらった。


なにこれ?
これが木工品? ヽ(◎。◎)ノ

Wood spiny lobster


この自在置物の作者はまだ若い。
大竹亮峯さん。(→ 紹介記事


本物の刃物を使って本物の芸術家が作る本物の作品は、突き抜けている。
まさに「超絶技巧」だ。


私を含む私たち素人仲間は、喜んで左久作師に発注して出来上がって
来た刃物を手にして嬉々としているが、こういった本職芸術家が
使う
刃物の作者と同じ作者に制作依頼しているのだなぁと、改めて身が
引き締まる思いがした。


私が構想した日本刀目釘削り専用刃物「平待(ひらまち)」に会の仲間
が自分の柄を装着した例。左久作製。



この平待(ひらまち)は、製品化して近いうちに販売店よりリリースします。
自分で日本刀の目釘を削って作る。
その際には、道具が決め手になります。
包丁で目釘を作れなくはないが、無理がある。
一般彫刻刀でも目釘を作れなくもないが、特化して開発した専用刃物
ならば、より思う存分に形状を作りこむことができます。
そうした、自ら身体を動かすことで日本刀に肉薄するという今までにない
日本刀へのアプローチを、私たち「日本刀探求苑 游雲会」は提案して
います。
傍観者ではない、主体的な参加型の日本刀との接点。日本文化と溶け
合い、日本文化を身近に引き寄せるそんな生活の提案。
それを私たちは目指しています。

こちらでも、大竹さんの超絶技巧が紹介されています。
書店でぜひお買い求めください。
(美術手帳2016年3月号)


書籍2冊

2016年02月25日 | 文学・歴史・文化・科学

帰宅する新幹線の中でこれを一頁目から奥付まで読んだ。



読んでいて、「おい、まてよ、これは・・・」と思って最後に奥付を見たら、
執筆者6名のうち4名が女性だった。
やっぱりなぁ・・・。
どうして女性の文章って、女性が書いたと判ってしまうのだろう。
女の文章の特徴は、やたらと体言止めを連発することだ。
そこで思考も脈絡も停止する。
体言止めの連発は、まるで広告チラシのようになり、品性を欠く。
体言止めそのものが悪いとは思わない。
週刊誌の記事や、アジテーショナルな文章においては、はずみをつける
効果も体言止めにはある。
だが、結局、所詮は「煽り文章」としての活用法であり、系統だてた理論的
な説明を要する文章においては体言止めの連発は非常に論理性の欠落
を招きやすい。
そして、何よりも体言止めは文章自体に品が無くなる。
以前、ブログをはじめたい、ついては文章の書き方を教えてほしい、という
女性がいたので、「どのような文章を書くかという目的にもよるが、一般的に
日本語の文章においては、体言止めの連発は避けた方がよい。理由は
文脈を打ち切る思考停止のような表現に転化するからだ。画像キャプチャ
説明文ではないのだから、文章構成において体言止めは避けるのが無難
だ」と説明した。
すると、「体言止めは駄目なのね。わかりました~」と返事が来た。
そして、開いたブログを見たら、「今日は〇〇ちゃんと女子会。行く場所は
△△で有名なお店。そういうところには鼻のきく私。早速でかけました。
◎×△は青山にあるオシャレな店。イケメンの店員さんがいるのも気に入り
ました。△△といえば◎×△。さすがです」てな感じのことが書かれていた。
「(てっめ~、俺を挑発してるのか)」とか思ったが、いつまで経ってもその
ような表現以外は成されない。馬鹿にしてんのかと思ったが、まあ、読まなく
はなるよな(苦笑

女というのは、どうして「女である」というのが即座に判るような文字の羅列
をするのだろう。
尤も、誰もがボーヴォワールのようだったら、これもまた気持ち悪いという
ものはあるにはあるのだが。

上の書は、週刊誌的に読むのには「読み物」としてまあ読める内容には
なっている。ただし、表現者は例によって例の如くの表現の域を脱して
いない(たぶん無自覚か。いや、むしろよかれと思って書いているのだろう)。
それを差っ引いても、今風の刀剣紹介ものとしては読める内容にはなって
いると思える。


ということで、次の本の紹介をする。



これ、友人に「いいよ」と紹介されて、「そうなんだ。よ~し、今度買おう」
とか思っていたが、ふと本棚を見たら奥のほうにあった。
1997年の初版である。出版された時にすぐに買っていた。買ったのは
東京時代だ。
あぶね~。またやらかすところだったよ。
映画のDVDとかでもよくやるんだよなぁ、俺は・・・。
てめえで持ってる物忘れちゃうのだから、なんというか・・・。
記憶力は良いほうだとは思うが、忘却力は記憶力を遥かに凌駕している。
こいつは確実なので自慢できる。どうだ。

この書はかなりオススメです。
ただし!
例によって、「もしかして・・・?」と思っていたら、やっぱりページによっては
執筆者は女性だったりする。
ここでも例の体言止めの連発登場ね。
なんでなの?
誰か、おせーて(^^;


STAR WARS

2016年02月22日 | 映画・ドラマ・コミック



観ないうちに終わったか、と思ってたらまだやってた(笑


日本刀と韓国刀の比較 Comparison of Korea & Japan : swords

2016年02月21日 | 文学・歴史・文化・科学

日本刀と韓国刀の比較 Comparison of Korea & Japan : swords


日本刀と韓国刀の比較その2 Comparison of Korea & Japan : swords


朝鮮にはちゃんと日本の古代剣のような歴史的な立派な刀剣があるのに、
なぜ何かと日本の物を真似して、それを自分の国が発祥と嘘をつくのだろう?
不思議だす。よく解らない。
日本人も美味いコーヒーを淹れるが、「コーヒーは日本が発祥である」などという
感覚というのは日本人は持たないものね。
飛行機だって自動車だって外国発祥だけど、どれよりも良い物を作ってやろう
というところに日本人ならば立つ。
まあ、日本と云うのは、そもそも文字も外来だから、外来文化を受け容れて
それを高次にオリジナリティを加えて発展させるというのが日本らしいところ
ではあるのだが、とりあえず「日本刀」という湾刀は日本のオリジナルだから。
忍者なんてのは昭和に小説家が考え出した言葉だし、剣道というのも明治以降
に考案された日本語だ。
しかし、武士も忍びの者も剣道も、すべてこれ日本産なり。
なんでもかんでも自分の国が発祥とする捏造癖は日本にはないが、少なくとも
武家という武士と超古代の官人である武人は学問的にも異なるし、古代のはるか
大昔に武器や戦法が大陸輸入であるのが発展したからとはいえ、武士はあくまで
日本のオリジナルだ。
武技に関しては、『平家物語』には扱われた源平の時代にすでに剣術の業名が
あることが出てくる。
武士の発生と同時期に当然太刀使いの業は発生していたことだろう。

朝鮮における日本刀の評価

韓国については、ちゃんと自分の国のオリジナルの古代剣法と刀剣があるの
だから、何も日本の武士の真似などしないで、自国の物を誇りに思うのが本当の
民族的な伝統継承だと思うのだけどなぁ・・・。
日本の武道をやるならば、自分の国が発祥などと大嘘つかないで、日本人が
サッカーや野球を一所懸命にやるように、ただ純粋にそれをやればいいのに。
なんつーか、なんでもかんでも人様の物を俺様の物とする感覚がよくわからん。
あたしは別に嫌韓でも何でもないんだけどね。
自国の文化について威張る必要はないけど、自国の良い歴史的な文化を大切に
しないで、なんの愛国心なのだろうか、とか思ったりはするわけよ。
韓国にも本当の愛国者や文化伝統を大事に思う人たちもいるだろうに、なんで
外国の物を全部自分の物だと言いたがるのか。まったくもってよく解らない。

韓国で発見された「加藤清正の刀」を検証してみる


なんだかなぁ・・・。


シンプル・イズ・ベスト

2016年02月19日 | バイク・車


メーターはタコが中心。
シンプル・イズ・ベスト。

トライアンフ。
その進化系。
なんてカッコいいバイクなんだ。


以前にも書いたが、日本人初の世界グランプリライダーは記録上著名な人では
ない。
神奈川県の某流居合の老先生だ。
彼は渡英した際に英国車のワークスライダーとなってTTレースを
走った。
英国車は当時世界最強だった。



その英国トライアンフの進化系が675だ。
文句なくカッコいい。



3気筒という変速エンジンが泣かせる。



トライアンフ。とにかくカッコいい!



とかいってるが、ノートンもめちゃくちゃいいんだよな(笑




進化系。



モーターサイクルに対して感じる最大の魅力は、シンプルにして乗り手に
伝わる力強さという形而上的な鼓動
だと思う。
そして、なによりスピードだ。
速くないバイクはバイクではない。
どんなエンジンスタイル、形式であろうとも、速くないモーターサイクルは
モーターサイクルではない。
私個人は、「とことこ景色を観ながらゆっくり走る」なんてのはまっぴら
ごめんだ。
そんなのを求めるならば、チャリに乗ればいい。
モーターという心臓を持ったアルミと鉄でできた生き物に乗る必要はない。
マシンとは対話しながら走るのだ。
より速く。
速く走れないモーターサイクルはモーターサイクルではない。
速く走れるが速度を選ぶことと、元から速く走れないことは違う。
最初から速く走れるポテンシャルを持っていないオートバイには、私は
興味はない。

一番欲しいのはこれかな。
ヤマハXSR700。


でも、まだ日本では発売されていない。
そのうち発売されるけどね。
900ではなく、700がいい。
それは、縮小版ではなく、オリジナルだから。
来週、日本に帰国する製作者本人と会う。

本人は、いろいろ日本刀の話をしたがっているようだが、私の知る昔の
バイクの話もしようと思う。
いろいろ話題はあるが、例えばこんなのはどうだろう。
実は、日本に1台ないし2台しか存在しなかったヤマハの幻のワークス50cc
レーサーを私はよく知っている。
まだ世界グランプリが50cc、80cc、125cc、250cc、350cc、500cc、750cc
で争われていた頃だ。
125、250、500の3クラスに改変統合されたのは私が大学の頃である。
それまでは、世界選手権開闢時からずっと50ccなどの小排気量クラスが
あり、職人技のようなテクニックのライダーがひしめき合っていた。それも
世界の頂点の職人たちだ。少し前
まで、50ccは16段ギアなどを配し、日本のスズキも名車を投入して世界戦を
席巻していた。
ヤマハのワークスマシンの個体は毎日のように磨いて毎日のように跨って
いた。
今ではその車の記録がネット上で一部見られるだけで、存在さえもが
伝説となっている。
ヤマハのサテライト系の私のチームのオーナーが所持していて、私が高校
の時に所属していたレーシングチームのモータープール(アトリエと呼んで
いた)に保管されていたからだ。
一度、筑波のヒストリカルレースで、50ccも参加できるレースがあり、
なぜそれを走らせないのかオーナーに尋ねたが、「世界最高峰のワークス
マシンを走らせても優勝するのはわかり切っている。そんなことしても
仕方ないだろ?」と言われたのをよく覚えている。
そのアトリエには往年のレーサーが数台置いてあったが、どれも歴史的
名車だった。
普段我々が走らせるホンダMT125だけでなく、旧車の整備もそこでした。
アトリエの場所は練馬区の桜台にあった。
オオタニだけでなく、三原さんやハニービーの人たちとも付き合いが
あった古い時代のことだ。
おない年の小沼賀代子は富士で私より速かった(笑
片山さんが3気筒のスペシャルTZで世界戦を戦っていた頃である。
まあ、なんというか、古すぎる話だ(笑


三原城再築城 ~築城400年記念事業~

2016年02月18日 | 文学・歴史・文化・科学



三原城址の北端に石垣を新たに作っている。
これはなんだろう・・・。











正保年間(宮本武蔵が没した頃)の三原城の絵図。
どうやら門の部分の石垣を作っているらしい。


慶応年間の図。


慶応年間図の復元図。東から大手門を抜けて城前を通るメーンストリートで
あった旧山陽道は江戸期には「通り丁」と呼ばれていたようだ。通丁松原の
並木がつながる形で門が設置されており、通行が規制されていたのだろう。
城下町といってもここは大手門内の武家地で「城内」にあたるので、少し歩けば
すぐに門が現れる。江戸城でいうならば現在の皇居前がここらあたりになる。



江戸期の復元図。


これは維新直後明治6年頃の三原城図。まだ門の石垣が残っている。


明治36年。石垣はすでに撤去されているのか、建造物が建築されている。
ただし、この写真からは石垣部を残存させたまま建造物を建てたのか、
それとも門の石垣は完全に解体したのかは判然としない。(北側から撮影)


クリックで拡大


根本的な疑問だが、三原城の威容は、江戸期慶長年間の建築様式なので、
小早川隆景が建築した三原城ではなく、江戸期に入って福島正則が広島に
入封して以降に各城門や櫓は整備されたのではなかろうか。
これを指摘する学者もいるが、成り行き上はほとんど無視に近い形で取り
扱われ、城を古く世間一般に自慢したがってのことか、戦国期の小早川隆景
が作った三原城が維新直前の三原城の形状であるとしたがっているフシが
広島県人、とりわけ三原人にはある。

福島正則が整備したのだと思うけどなぁ・・・。
大胆なこというと、もしかしたら、戦国末期にできた三原城というのは、江戸期
のような物ではなく、まったくただの海の小島の上に体裁よく陣屋を置いただけ
のものだったかも。
(三原城の建築様式の記録は江戸期から。詳細が不明なことにかこつけて、築城
当初から「国内最高峰の」城であったかのような宣伝を三原人はしたがる。教育
委員会製ではなく、地元ライオンズクラブや地元観光協会や医師会製などの案内
看板などは一切信用してはならない。誤字脱字も多く、また説明の文章も学術的
な学識経験の無い者が記載している場合も多い。特徴的なことは、自己自慢の
文意が必ず100%織り込まれることである。これは地方になればなるほどこの
傾向が強くなる)

そもそも、戦国末期に「三原」と呼ばれた場所は、それまでは湾であり「原」などは
存在しなかったのに、さも大昔から陸地があったようなことを行政サイドも言ったり
しているのが現状だ。
当然、刀工「古三原」なども存在はしないのだが、これは刀剣界のねつ造創作
に乗っかる形で「古三原」なる刀鍛冶が洋上のどこか(陸地は無い)で刀を作って
いたという大デタラメふぁんたじ~を民間団体だけでなく行政サイドも主張している。
そもそも「三原」という地名の由来からして出典無視のまま創作ねつ造の論旨を
そのまま三原の地名の由来として行政は発表している。「三つの原」など合わさって
いないのに、そうした歴史事実とは無縁なことをでっち上げてそれを事実として
しまっている。

UFOがエイリアンクラフトであり、ふつ~にそこらを飛んでるよ、という情報のほうが
信憑性が高いほどだ。
とにかく、お国自慢や自己美化・自慢の偏頗なナショナリズムがよくないのは、
歴史事実の科学的な検証などは無視して、とにかく思い込みのみで自分(たち)
の土地や風土を自慢したがるところだ。
こうしたことは日本の歴史においては国家的レベルで記紀の時代から
ねつ造が繰り返されてきたのだが、日本の中央でなくとも、地方
ではそのような創作ねつ造を歴史事実であるかのように宣伝したがる
風潮が実に濃い。まったく科学的・学術的ではないのだが、
そうしたことがまかり通っている。
「河童のミイラを秘蔵」というのとさして変わらないようなことを行政や学術機関
などもやっているのだ。
俄かには措信しがたいのではあるが、それが現実なのである。
北朝鮮・韓国までひどくはないが、根っこは同じようなねつ造志向の性根が日本人
にもあるので、自戒する注意が必要だろう。

刀鍛冶に関していえば、「古三原」というのは土地が無いのであるから、三原で
あるはずもなく、「古尾道」もしくは「古備後」と呼称するのが学術的にも正しいこと
であろう。
「古三原」と今でも呼称し続ける刀剣商や自称研究者がいたとしたら、それは
あまりに刀剣について不明すぎると言わざるを得ない。
江戸城築城以前に後年の江戸の町ができた場所(海と芦原だったろうが)で
仮に刀鍛冶がいたとして(存在できないが)、鎌倉南北朝時代のその鍛冶を
「古江戸鍛冶」と呼ぶとしたら、それは突拍子もなく妙ちくりんなことだろう。
だが、「三原」に関しては、そうしたことがまかり通っている。「三原」という地面も
地名も海洋名もない時代の刀工を「古三原」などと呼んでいる。
こんな人を喰った話はない。

刀剣関係者は目を覚ましてほしいと願う。
事実を!
真実に光を!



映画『大脱走』

2016年02月18日 | 映画・ドラマ・コミック



久しぶりに映画『大脱走』を観た。
戦闘シーンのない大戦争映画なのだが、初めて観たのは1973年の
TV映画枠放送だった。ぶったまげた。

作品中登場するドイツ軍の車両は超リアルなのだが、それもそのはず、
この映画は1963年公開作品だ。撮影が1962年とすると、第二次世界大戦
終結後17年しか経っていない。実走車両はいくらでも残っていた。
一部では英国車の代替え別車両もあるようだが。



リチャード・アッテンボローは俳優としてもなかなかの演技だったことが
観て分かる。
また、ゴードン・ジャクソンはリチャード・ハリスに風貌が似ていた。
役者たちの演技が光る。
だが、これは実話である。
たしか、「戦争を賛美する戦争映画はクソだ」と言ったのはリチャード・
アッテンボローだった。
『遠すぎた橋』においても、軍人としてのドイツ軍将校の人間が描かれて
いるが、英米の作においても決してただの卑劣漢のようにドイツ軍将校を
描くことは稀有なようだ。娯楽映画『ランボー』シリーズのような描き方は
しない。「善と悪」という単純ステレオ型に分けることでは、戦争の悲惨さは
描ききれない。
『大脱走』をご覧になっていない方は、ぜひご覧になってほしい。
1963年作。174分。大作であるが、冗長な部分はなく、一切緩みはない。

ちなみに撮影で代車として使用された英国トライアンフから、数年前に
限定車でスティーブマックイーン大脱走モデルが発売された。
世界中のエンスーに応える形でリリースされたモデルだが、1000台限定
とのことで、すぐに売り切れたようだ。


今だから分かる フジアキコ隊員

2016年02月17日 | 映画・ドラマ・コミック



今だから分かるフジアキコ隊員の良さ。

タイムリーな時代(50年前)には、断然フジアキコ隊員よりもアンヌ隊員
のほうが好きだったが、今、フジアキコ(なぜかずっと劇中ではフルネーム
で呼ばれる)隊員の良さがじわじわと伝わる。

アンヌ隊員。


フジアキコ隊員。


美人というのは幼い時から美人であるという定理これあり。
スッピンのローラみたい。(東宝入社前の子役の頃)


まったくのお色気ゼロだったフジアキコ隊員がなぜか今いい。
女優桜井浩子さんは『ウルトラマン』でのフジアキコ隊員が代表役だが、
その前の円谷作品である『ウルトラQ』(ウルトラマンはウルトラQシーリズ
続編)での報道カメラマン役もかっこいい。
女性が社会に進出しはじめる頃に時代を先取りしていた役柄で、子供心に
「かっこいいおねーさんだなー」と思っていた。ただ、『ウルトラマン』ではあまり
桜井浩子さんの魅力が前面に出る演出ではなかったように思える。
だが、今観ると、『ウルトラセブン』でのアンヌのベタ~ッとした性格よりも、
淡々とひょうひょうとしているフジアキコには独特の魅力がある。

『ウルトラQ』での江戸川記者役の桜井さん。撮影当時18歳。現代の18歳が
いかにオコチャマかよくわかる。今は30歳過ぎてもオコチャマだものなぁ・・・。





雑誌のオマケ

2016年02月16日 | 文学・歴史・文化・科学



コンビニで売ってた雑誌850円のオマケ、すんごく便利。
これ現在愛用中どす(笑)。
少し小さいけど、フライバッグとしても使える。
重装備のフライベストではなく、こうした小さなポシェットの
ような物を肩からぶら下げただけで、軽快に沢を釣り上がる
のが夏のフライフィッシングには似合っている。
頭はキャップではなくストローハットで(笑

この手の小型バッグはあまり使ったことがなかったけど、普通に
街中で使うのにも免許証や何かを入れたりとか便利だわ、これ。
これを斜めに肩からフライがけにする。

う~ん、田舎っぽいとこがシュールでよいす(笑
 


昭和40年(1965年)

2016年02月16日 | 文学・歴史・文化・科学



ネット上でみつけた神奈川県の鎌倉駅前の昭和40年の写真を見て、
私の母がこの案内板によじ登ってる右から二番目の子は私ではないか
と言う。
たしかによく似てる(後ろ姿やんけ!わかるかいな!笑)
ここに写っているのはおない年くらいの子たちだろう。

ここからこの10年後あたりまでで一気に成長する。
だが、10歳の時に書いたシナリオは、学内賞を取り、横浜のある小学校の
全学年祭
での学芸会で全校生徒の前で公演された。マンモス校だったから
1学年11学級500人くらいいた。それが6学年。ひぃ~。狂騒と競争の時代。
私が書いたのは
ベトナム反戦を扱ったホンだった。「私たちは何を残し何を
未来につかむのか」というテーマだった。

そりゃね、毎日東海道線・横須賀線の貨物車両が戦車を載せて横須賀
に輸送しているのを見たら、「ああこれが人を殺しに行くのかぁ」とか思うよ、
小学生でも。空爆する爆撃機もばんばん日本から飛び立っていたし。
非核三原則なんてのもありゃウソだ、というのは小学生でも分かってた。
空母エンプラが寄港して、核兵器積んでないわけないじゃん、と。
私が大学生になったのは1979年という70年代最末期で12年ほど遅れた
世代だが、時代としては私の一回り上の世代の先輩たちと同時代性は獲得
していた。
同時代性として持つ「敗北感」についても。
ただ、こうした感覚は首都圏、もしくは大阪か京都にいた人間でないと理解
し得ないものがあると思う。
局所的な極限状態の現出の背景には、都市の特殊性が確実にある。


サッポロ一番味噌ラーメン

2016年02月09日 | 文学・歴史・文化・科学

昼の薬を飲む為に無理やり作って食べた。
これが小3の時に出た時は衝撃的だったね~。スープ分離で濃ゆい味。
まあ、即席ラーメンというのは本物のラーメンとは味も食感も似ても
似つかぬ物なのだが、核家族化と留守番児童の増加と共に便利な食べ物
として1960年代に大ヒットした。
うちも共稼ぎ家庭だったから、おいらはよく自分でインスタントラーメン
作って食べてたよ。小学生の頃。
幼稚園の時には幼馴染の同級生のキミちゃんがいつも「こーんにちわー!」
と大声出してうちに遊びに来た。
キミトモというのだけど、ほんとはキントモといういとやんごとなき名で
あるというのはずっと後に知った。
そのキミちゃんは即席ラーメンを小さな風呂敷で巻いて首に背負って来て
いた。
幼稚園の頃は火を使わせてくれなかったので、母親が作ったが、小学生に
なってからは自分でやった。
もう、ハナタレじゃないぜ!なんて感じだった。
当然、包丁も使っていたし、工作ではナイフも使いこなしていた。

インスタントコーヒーとか、即席ラーメンとか、よく日本人は思いつくよ
なあ。
さすがに、これらは韓国人とて自国発祥とは捏造詐話できまい。
わからんけど。

このラーメン鉢は1979年の一人暮らしの時から使ってるよ(笑
物持ちいいみたい。
多分、探せば1960年代の帆布のオレンジ色のテントがあるぞ(笑

『最強のすすめ』町井勲×和月伸宏

2016年02月02日 | 文学・歴史・文化・科学



本日発売。