渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

まな板

2015年03月29日 | 文学・歴史・文化・科学


(樹脂製業務用まな板)

飲食店では樹脂製まな板を使っているところが多い。
ネット百科事典によると、「京都や大阪など自治体によっては、業務用の
まな板は樹脂または合成ゴム製を使用しなくてはならないことが法律で
決まっている」とある。
法律でそんなこと決めるはずがない。記述者は法律と政令、条例、規則、
細則との区別がついていないのだろう。
細則で定められているに違いないと思ったら、wikiではその点はちゃんと
「大阪府食品衛生法施行条例別表、京都府食品衛生法施行細則別表 等」
と掲示していた。大坂府は法施行条例、京都府は法施行細則により規定
されているのだった。

「京都府食品衛生法施行細則」には、第6条に「
(公衆衛生上必要な営業の

施設の基準)第6条 条例別表第2の7に規定する公衆衛生上必要な営業
の施設の基準として規則で定める事項は、別表第3のとおりとする。」という
規定がある。
そして、「別表3(第6条関係) 第2 業種別基準 1 飲食店営業 (1) 一般施設
エ」には以下の規定が明文化されている。
「まな板及び包丁は、下処理用及び仕上用それぞれ専用とし、仕上用まな板は、
合成樹脂製又は合成ゴム製のまな板とし、生食用食品を提供する場合にあって
は、専用の包丁及び専用の合成樹脂製又は合成ゴム製のまな板を備えること。」

大阪府も「京都府食品衛生法施行細則」と同様の業務用のまな板指定がこちらは
「府条例」によって規定されている。

つまり、大坂と京都の飲食店では、仕上げ用および生食用食品提供には樹脂製か
合成ゴム製のまな板でなければならないことが
府条例あるいは施工細則により
定められているのである(「法律」ではない)。
仕上げおよび生食用食品提供には木製まな板を使用してはならないのだ。
従って、大坂京都の寿司屋では木製まな板が使えない。



(木製業務用まな板)

京都では調理場が客席の目の前にある「つけ場」でもきちんと
法施行細則を守って樹脂製まな板を使用している。


東京の寿司店は大抵木製まな板を使用する。

京都に行った時、なぜどこもお店は樹脂製まな板なのかなぁと不思議に
思っていたが、
そういうことだったのね。
京都と大阪では、木製まな板を業務用として使用してはいけないのだった。
だからどこも白い樹脂製だったというわけね。
こういうのは地方文化の違いではなく、法令遵守の問題だろうなぁ。


これ凄いよ。まなちゃんは工場萌え女子だが、こういう特装車に俺は萌えだ(笑)。
いたみどうのまな板削り直し


うちのまな板は現在漂白殺菌中。削りたいが、一般家庭では業務用補修
のように面一を出すのは難しそうな気もする。
簡易まな板削り器が販売されているけど、あれどうなんでしょうね。
今度試してみるか。でもレビュー読むとあんましよくないみたい?
やめとくか。


2015年03月29日 | 文学・歴史・文化・科学



普段は本黒檀の江戸八角箸を愛用している。

日本に箸が入って来て一般化したのは奈良時代であるから、それ
以前はやはりインドのように手で食べていたのだろう。
稲作伝来と共に箸が入って来てもよさそうなものだが、魏志倭人伝
によると、邪馬台国では手で食べていたとの記録がある。
今のところ、仏教伝来と共に箸文化は外国から渡来したとされている。
箸は遣隋使の小野妹子(おののいもこ)が箸を中国から持ち帰り、
厩戸皇子が日本に普及させたとも言われている。

太古の時代から小野妹子の頃までは、我らの先祖はこのような感じで
食べていたのだろう。


しかし、小野妹子も6代孫の小野篁(たかむら)も、一度流刑になってるん
だよなぁ・・・。
血は争えないってやつか。
なんだか、他人事のようには思えないよ(苦笑
小野が末葉の俺は、小林秀雄が言うところの中原中也から小林のとこに
来た長谷川泰子による「シベリア流刑」のようなことは経験したけどね(笑
「小野が末葉と逢ふこそしらめ」なんて自作和歌詠んでる場合じゃねーっ
つーんだよ>俺。
まったく泰子と同症状だったから、かなり精神的にきつかった。
まさに「シベリア流刑」というものだった。
長谷川泰子は、今でいうところの境界例でしょうね。


攻めの乗り

2015年03月28日 | バイク・車



神戸のイトコ兄が空冷ポルシェ911の926系を買った。
整備に手を入れて完全状態になるのは数ヶ月後だ。
ベンツ数台にディムラーW6にポルシェと、兄がいずれも同時所有して
乗るのは古い良い車だ。
手のかかる古い車を複数台所有して乗るには維持費がかなりかかる。
しかし、名品の味は現代現行車では決して味わえないものがある。






都内のイトコ兄がバイクを買った。
こちらはジャガー乗りだが、今までバイクには乗りたいと思いつつ、
免許を取らず終いだった。
死ぬまでに必ずバイク乗りになること、というのが夢だったそうだ。
大手新聞社の社会部デスクから関連会社の社長に就任し、今は別会社に
就任している。
カワサキではなく、結局ホンダにしたようだ。
楽しみながら乗ってほしい。

ただ、かつての私がこういう乗り屋だったような、こうした攻めの
走りはしないだろうが(笑


バイクは運転ではなく、操縦だ。私はそれが楽しい。
バイクも四輪も、車は「操縦」できることが楽しい。
普段仕事で乗ってる半電気自動車は空間移動のビークルとしてしか
接してないし、そういう車だからね。
だが、自分で選んで乗るなら、車は車種と年代を選びたい。
かといって、俺がほしい「フォード・フェスティバ 1989年製キャンバス
トップ」なんてのは、中古市場にも出てこない。世界中にタマがもう
ない。
こういうマイナーなのは仕方ないけど(バブル当時はかなり人気車
だったが)、神戸の兄貴などは、「作品」への良い接し方してると思う。
てか、ビス1本に至るまで異様に詳しいし。
なんつーか、研究者だな、あれは。


雪花菜(きらず)

2015年03月22日 | 文学・歴史・文化・科学



康宏友の会=游雲会の鹿児島の盟友から画像が届いた。
許可をもらい紹介する。


新たに居合で使う刀を探していて、それが研ぎあがって納品になった
のだという。おめでとうございます。いや、めでたい。
重量が1キロオーバーだが、なかごが長いのでバランスがすごくよい
そうで、900gに満たないほどに感じるという。「手さばきが良い」という
タイプなのだろう。
刀は重量だけで単純比較はできない。反りやバランスで、体感重量が
まるで異なるからだ。極端な話、柄の糸巻きの在り方ひとつでタッチが
大きく変わる。


雪花菜(きらず)を作って食べたとのことだ。
「人を切らず、己を切らず」とのことで、昔の人は新しい刀が来た時には
雪花菜を食べた。
これは主に西日本の町人文化の影響とも思えるが、いつからか験かつぎ
が好きな武士たちも密かに励行するようになったようだ。
武士というのはなぜあれほど験かつぎに傾倒するのだろうと思うが、
いざ事があるといつでも死ぬとういう属性にあったので、信心や験かつぎ
に異様に執着したのではと思う。
うなぎも関西では腹開きだが、江戸では背開きだ。これは切腹を嫌って
のこと。
また、タクアンは東京では必ず「二切れ」出す。一切れは「人切れ」、
三切れ
は「身切れ」につながり縁起が悪いとされたからだ。
「二切れ」は鉄砲の
火蓋を切る「蓋切れ」に通じるので良いとされた。

鹿児島の人は、ご自宅でおから料理を作られたそうだが、ひじきを入れたら
桜島の灰みたいな色になってしまったと笑っていた(^^)

なお、かなり古い煤竹が家から出て来たそうだ。
「これでいつか目釘を作りたい」と言うので、「それはイイですね」と答えたら、
「でも、形見の自在鍵の一部なので叱られちゃうかも」とのことだった。
それはだめです。潰しては(^^;)
と電話で言ったら、笑っていた。横で奥様も「駄目よー!」みたいに声を
上げているのが聴こえた。
そう、だめよー。
素材ではなく作品となった物を潰しては、だめよ~(^^)

あら?
テーブル、うちのにソックリ(笑)


シオメガヨクナッタ

2015年03月18日 | 文学・歴史・文化・科学

渓流夫人と出会って35年。
結婚してから22年。

妻から分からない言葉を初めて聞いた。
古い稽古着を指して「しおめがよくなったから云々」。
はあ?
意味を尋ねたら、「古くなってくたびれたこと」とのことらしい。
ど、どこの言葉だすか?
調べたら、九州の方言でもないみたい。ようとわからんばい(笑



こういう状態を言うのだろうか。経年変化でペラペラスカスカになって
しまっている。平成元年(1989年)の年末から使用(笑)。


刀の長さ

2015年03月15日 | 文学・歴史・文化・科学

過去記事から一部抜粋。

参考までに幕末の新選組が京都池田屋を襲撃した際の隊士の
刀の損傷状況を記しておく。(研ぎ師源龍斎俊水の記録より)

 氏名         銘              刃長     損傷具合
近藤  勇  長曽根興里入道虎徹      2尺3寸5分  イタミなし

土方歳三  和泉守兼定(11代会津)     2尺4寸8分  イタミなし
沖田総司  加州金沢住長兵衛義原清光  2尺4寸     帽子折れ
永倉新八  播州住手柄山氏繁        2尺4寸     帽子折れ
藤堂平助  上総介兼重(出来上作)     2尺4寸2分  修理不能
谷万太郎  月山弥八郎重吉         2尺3寸8分  刃こぼれ7、まくれ4
斎藤  一  摂州住池田鬼神丸国重     2尺3寸1分  刃こぼれ小多数
島田  魁  奥州仙台住源兵衛国包     2尺4寸     刃こぼれ大小14、刀身左に曲がる

なぜ、全員が定寸の刀であるのか。
室内討ち入り出動のためにあえて短い刀を準備したとの記録はない。
京都市内巡察の際に常に帯びている刀を帯刀しての出動ではなかった
ろうか。
なぜ定寸なのか。
この長さが幕法遵守のぎりぎり許容範囲だったからではなかろうか。

現代は自由に刀の長さを選べる。自由だからだ。
戦闘に使用する想定がないから自由なのだ。
しかし、刃わたり15センチ以上の「刀剣」の所持は禁止されている。
所持禁止ということは保有自体が禁じられている。両刃は5.5センチ
以上は所有することさえ禁じられている。
道具としてのナイフは携帯について長さが決められている。
だが、「美術刀剣」は美術品であるので、登録証さえある合法登録の
日本刀ならば所持は禁止されていない。どんな長さの刀でもOKだ。
それは、現代においては「武器」ではないからだ。

しかし、幕藩体制時代には刀は武器である。
ゆえに、元和偃武以降は帯刀する刀の長さに厳しい規制が敷かれた。
長刀はどんどん禁止された。小刀も長さが制限された。
現存刀で二尺二寸代がやたら多いのは、こうした幕法による磨り上げ物
もかなり含まれるのだろうと思われる。

現代では、長刀を使うのを流派の法としている古流派を除き、居合道など
では「長い刀を使うのが偉い」という風潮が一部に存在する。
幕藩体制時代には禁止されていた長い刀を抜き差しすることをしながら
サムライの武技や心法を説く。
私個人は、なにか間違っていると思う。
また、現代人は江戸時代の人より何センチ平均身長が高いから何センチ
長い刀が江戸期と同じだと説く人もいる。
根本的に誤りである。認識が。
そうした物理的な身体比較など意味がない。幕法下にあったから日常差し
の刀の長さに制限が加えられていたのであり、そうした歴史的根拠を無視
して、単純な物理的比較で現代と200年前を比較すること自体が成立しない。
現代の実情は、「刀を戦闘に用いない時代だから自由な長さを勝手に夢想
して決めつけている」というだけのことだ。
土佐英信流が二尺三寸一分を定寸としているのは、幕法に従ったまでだ。
当時は今より10センチもチビだから現代人は10センチ長い刀が丁度良い、
とするのは、そもそも発想からして頓珍漢なことなのだ。
江戸期は合理的な理由により佩用刀の長さが決められていたのではない。
法度により一律に現代の銃刀法のように決められていたのだ。
現代の銃刀法では15センチ以上の刀剣は所持が禁止されているが、14.9
センチの刃長と15.1センチの刃長の刀剣では殺傷力に差異はない。
だが、所持できる長さが線引きとして決められている。幕藩体制下の法も
それと同じく、御法として長さ(目安としての弾力的解釈を付与していたが)を
定めていたのである。当時の人間の身長平均がこうだからこうだ、などという
ところで法が成立していたのではない。定めだから定めであり、だから「定寸」
なのである。定めの寸法なのだ。

ただ、あくまで「現代居合道の世界では」と前置きして刀身の長さに関する
所見を述べるならば問題もないだろう。現代居合の新派的な考えとしては、
という前提で。
しかし、それがあたかも江戸期の武士の倣いであるかのように説くのは
大きな事実誤認だと言わざるを得ない。
長刀を流儀の旨とする流派ならばよい。小太刀と同じく、武技としての流派の
使用刀剣の長さに関する術義なのだから。
だが、昭和新派に多く見られるさも江戸期語りをするような観点で長刀絶対論
で居合や剣術に臨むのは、誤りだと私自身は思う。

ただし、長い刀を使いこなせると短い刀のほうが容易になるという点はある。
これは、剣技向上という技術論の範疇だから、この観点に立っての指導や
伝達等について私は否定しない。
ところが、身長単純比較で「現代人を江戸時代の人間と比較するとこうだから
これだ」とする論には賛同できないどころか、不勉強・不見識の誹りを識者から
受けても致し方ない事のように思える。
私の流派の先輩たちの多くは、身長に関係なく二尺三寸一分の長さの差料を
使用している。新作刀はそれで注文し、既存所持刀は同寸に磨り上げている。
これも一面的に徹底しすぎかとは思うが(私も二尺三寸一分に磨り上げた。
加工者のミスで二尺三寸一分六厘≒二尺三寸二分になってしまったが)、凡そ
かつて「定寸」と呼ばれたのはなぜ「定寸」と呼ばれたのかということに合致した
観点で差料選択に臨んでいると思うのである。姿勢については、観念的身長
比較論者より一歩も二歩も江戸期の観点に肉迫していると思われる。

武道の世界には、「『先生』が言うことは絶対」という独特の概念が存在し、
従順であることこそ徳があるかのように洗脳していく面がある。
はたして、これは武士の文化としてあったのか。
物言わない、自分の頭で検証考察しない人間作りが「良識」とされたのは
かなり後の近代において「それが必要とされた時代」に作出された作為では
なかったか。
独立自尊と自己決裁権を持っていた武士は、十分に自分個人の頭で考え、
自ら行動し、それと「法」との折り合いを理知的につけていた。
剣法流派にしても、そうした独立性、「個」としてのアイデンティティを尊重し、
自己主張することが認容されていたからこそ、剣術でも何百流派も興った
のであろう。

いつの時代でも、理を説かずに決めつけを強要することを美とする文化に
未来はない。


武家作法

2015年03月03日 | 文学・歴史・文化・科学

以前、紋付を着て目上の方にご挨拶した時に、別な人からあとから
言われたことがある。

「夏でもないのになぜ扇子を持っているのか。変だろう」と。

いや、別に、扇子は団扇ではないのだし、パタパタするために扇子を
持つわけではないとわたくしは思うのですけど・・・(^^;








各藩でいろいろ武士の作法には流儀や教えがあるだろうが、
武家茶道の世界、
広島藩ではこのような帯び方をする。


一見奇異に見えるかもしれないが、ここから、茶室では完全脱刀
だったことが窺い知れる。

扇子は煽ぐためだけに特化された目的の団扇とは異なる。

上述の例のように、武家文化を知らずに現代感覚のみで人に語ったり
すると、思わぬ誤認や無知を曝け出すことがあるので注意が必要だ。

いや、私もよく知らないんですけどね。私は武士ではないし。
でも、知らないことをさも知っているかのように他人様に上から目線で
説諭したりはしない。
武士の所作、作法等の在り様については、歴史事実は事実として
きちんと直視したいというのがあるだけ。






視聴率とテキトーな作り ~死にゆく時代劇~

2015年03月02日 | 映画・ドラマ・コミック

日曜日、娘とNHK大河を観ている時、「歴史好きな友だちもほとんど
観ない」と娘が言う。
理由を訊くと、「史実まる無視だから」とのことだ。
いわゆる歴女の娘だけでなく物語のオハナシとしても、時代考証等、
ある程度的を射るものを若い人たちも求めているのかなぁと思った。

「視聴率最低らしい」と妻が言う。
私自身は、オハナシとして観ても、そこそこ面白いと感じていたけどね。
伊勢谷さん好きだし。


ところが!

高杉晋作登場ということで、期待して観ていたのよ。


一気に萎えた。観る気が一気にけし飛んだ。




判る人は解るだろう。
私は「ふざけるな!」と思った。

時代劇がいくら作り物のオハナシといっても、やってはいけない最低の線
というものはあるのだ。

たとえば、この時代の幕末維新の官軍が1873年発売のコルト・SAAを
所持していたらおかしいだろうとか、戦国時代に
自動小銃が出て来たら
おかしいだろう、という類の。
傘の代わりに野球帽を被ったり、刀を右腰に差したり。
既婚女性がおはぐろでないのは変とか、髪形が変とか、そういうのは
まだ許容範囲のように思えるし、剣法にしても、活劇ゆえに非現実的な
ことをやるのはよしとしよう。
剣術の様もエンターテイメントとしての映像作品ならばまだよい。
『十手舞』で竹中直人が見せた左手剣法や、『壬生義士伝』で佐藤浩市が
見せた右腰両刀差しや下げ緒さばきなども、あくまでも「非現実」という
前提での活劇だからまだよしとしよう。

『十手舞』竹中直人/「アチャー!アチョー!」と叫びながらブルースリー
の真似で右腰の刀を抜く。完全に空想娯楽活劇だ。




『壬生義士伝』佐藤浩市/史実としてはあり得ない『十手舞』と同じく右両刀。


下げ緒さばきも昭和時代の「新発明」法式だ。


ただ、『壬生義士伝』は、他の隊士たちの帯刀法は考証がしっかり
しているくそリアルであり、佐藤浩市演じた斎藤一を「異端」として
際立たせる演出であることが読みとれる。








しかし、大河ドラマのこの高杉晋作のナリには非常に腹が立った。


まだ、ズラは良い。幕末流行の髪形にしているから。
瓢箪もまだよい。演出だろうから。

しかし・・・下げ緒。これはないだろう。
この時代の人間が腕時計をしてスマホを持っているくらいに
あり得ない。

(本物の武士/幕末/米国で発見された写真)



「なんだこれ。知らない人たちを惑わす適当な作りも大概にせいよ、NHK」
と呟いたら、妻が「林先生の指導かしら」と言った。

今はどうか知らないが、私が習っていた頃の林流はこんなことしていな
かった。

エンターテイメントとして公演している「武劇」でも、こんな変なことは
していなかった。


裏を取っていないのだが、多分、テケトーな作りでいいや、という
時代考証まる無視の若い演出家が現在の大河の着装や着付けを
「指導」しているのだろう。大河武術指導担当の林先生の指導では
ないと
思う。以前の『龍馬伝』でも岡田以蔵に同様の昭和新時代の
帯刀法をさせていた。それが当時の常識で当り前であるかのような
製作者の姿勢が腹立たしい。考証の上、あえて江戸期にはなかった
ことをさせて「異形」とする手法ではなく、単なる無知から来ている
着装法であることは見え透いている。

さる筋の知人から聞いた話だが、『篤姫』の時、薩摩藩士が多く出る
シーンで、時代考証のために薩摩藩重鎮の子孫のある方が家伝の
薩摩拵
を何だったら貸し出してもよいから時代考証をきちんとしてほしい
旨を申し入れしたらしい。

NHKの番組製作担当者はまったく取り合わなかったそうだ。
「そういうのは本物に近くなくともどうでもいいんです。うちの小道具が
きちんとやりますから」とのことで一蹴だったらしい。
文化遺産を現代に伝える本物の薩摩藩の有名な末裔が厚意で薩摩藩士
再現のために申し
入れたのに、まったく鼻であしらうような対応をした。
結果、「似て非なる物」以下の小道具が役者たちに持たされた。

安直であるし、仕事を舐めているとしか私には思えない。
特に、時代劇に刀剣は欠かせない。
着装も欠かせない。
昨夜観た大河は、一気に観る気を削いでくれた。
まあ、かつても、戦国時代を扱った大河ドラマで、前髪たらしの現代髪形
の登場人物たちばかりが出演していた作があった。最低視聴率だった。
一事が万事、適当な作りなのだ。
兜を被る武士がなんのために月代(さかやけ)を剃るのか、その歴史的
意味と事実を軽んじて踏みにじるような髪形にさせる演出の発想は、武士
の歴史に対する侮辱の実践だ。


だが、「時代劇の衣装」と称して、時代物小説家が自分撮り写真でこの
大河高杉のような日本刀の着用をしている画像もネットには出回っている。
要するに無知に過ぎるのだ。時代劇でなくばよいとは思う。現代武道ならば。
しかし、時代劇がこれは、絶対にいけないのだ。
こうした時代的には誤った刀の着用法は『雨あがる』でも出て来た。
クロサワが残した脚本を黒澤明死後にクロサワ組が撮影した映画作品
だったが、斬られ役の刀の着用法についてはデタラメも大出鱈目だった。
ふざけている。時代劇を舐め、視聴者が判るまいとタカをくくり視聴者を舐め、
仕事を舐めている。
クロサワが生きていれば、100%撮り直しだろう。


作り手のスタッフが視聴者を舐めた姿勢だというのが見えたので、
今までは録画もして楽しみにしていた今期の大河ドラマだが、
今後は一切観ないことにした。
役者には罪はない。製作者のスカスカ加減の態度が見えたので
もう観ない。会津中将様御預りの新選組全員にまでそのような帯刀
法をやらせそうな気がするが、見届ける気さえ起きない。

というか、現在最低視聴率更新中の意味が解ったような気がした。
たぶん、製作サイドは理解していないだろう。「視聴率低迷はなぜ
なのだろう?」と首をかしげるのが精いっぱいだろう。
しかし、事の理は簡単なことだ。姿勢は作品に顕れる。
いくら創作ドラマだとしても、「肉迫」なくば、人の心は動かせない。
マンガ『ドーベルマン刑事』のように、銃撃戦を扱う描写で主人公の
リボルバー(シングルアクション)が、固定式シリンダー(銃弾カートリッジ
を装てんするレンコン型の部分)を横にシリンダーオープン(スィング
アウト式リボルバーという)したり、西部劇のワンショットで6連発拳銃
から弾丸が10数発も発射されたり、そういうことはやってはならないのだ。
(『ドーベルマン刑事』のそのシーンは「世紀の恥部」として漫画ファン
の間では有名)
そういうのは、忍者がパッと後ろに塀を飛び越えたりする意図的な
活劇としての演出とは別物、別次元の「誤謬」なのである。銃撃の
リアルさにこだわるクリント・イーストウッドなどは、彼の作り込みゆえ、
あの『ダーティハリー』での名セリフが生まれたのだ。「お前の考えは
分かっている。俺が6発撃ったか、まだ5発か。」という。
6連発から20発も出るようなデタラメマカロニウエスタンとは大きく
異なる。(ハリウッド作でも超リアルを宣伝文句で謳いながら10数発を
ワンシーンで6連発銃から射撃する『ワイルドレンジ』という失敗作もある)
今期の大河ドラマは、そうした作り手の曖昧模糊とした認識ながらも
映像化で自らの不明部分を露骨に露出させるという作りの稚拙さが、
私のような突っ込み野郎だけでなく、娘や娘の同世代の友人たちと
いう若い世代をもシラケさせる作りとして現出しているのだろう。

「史実まる無視」。それもよかろう。エンターテイメントに徹するので
あれば。
しかし、そのような大活劇的な味付けの作品でもないところに、大河の
悲劇がある。
視聴者離れの現実は、すべて作品がどうかが起点であることを
映像作品製作者は噛みしめるべきではなかろうか。
小説でも読まれないのは読者が悪いのではなく、作品がおぼつかない
からだ。映画やドラマでも、人が観ようとしないのは、作品がしょぼい
からだ。それしかない。いくら別方向からキャンペーンを展開したり、
番宣をやっても、視聴者は正直なもので、作品が駄目だったらすぐに
離れて行く。飲食店の料理と同じなのだ。

そのうち、時代劇では、渡世人や博徒やヤクザのような刀の差し方が
武士の帯刀法であるかのように思いこみ、そのナリをするのが「当たり前」
の時代が来るのかもしれない。すでにそれは多くの時代劇によって開始
されている。1970年代まではあり得なかった現象だ。
岡っ引きが十手を腰に差して見せびらかせたりするのがいつの間にか
時代劇では「普通」になったように、刀の下げ緒などは、戦国時代にフロイス
か書き遺したように「意味不明な紐」として日本人自身によって取り扱われる
ことだろう。帯刀の際の下げ緒さばきも適当に扱って、現代人がそうやる
人が多いからそのようにやっとけばいいや、というような取り扱いになる
だろう。いや、すでに天下のNHKがそうしているし、時代劇ではそれが多く
見られるようになった。


現代武道としての手法と歴史的事象を扱った時代劇との区別をごっちゃ
にして、それは着物にジッパーを付けて時代劇でございとするのに似て
今後も進行するのだろう。
丹下左膳は「異形」の徒として描かれた。だからこそ演出の意味があった。
しかし、昭和時代の新発明の刀の下げ緒さばきと同じように、左利きで左手
で筆書きしたり、右腰に刀を差したり、そういうサムライ姿があたかも本当に
武士がいた時代の文化として存在したかのような描き方が今後ますます
なされていくような気がする。
そして、うっかり八兵衛あたりが台詞で言い出すに違いない。
「御隠居。チャンスです」と。

時代劇。お前はすでに死んでいる。


梶新町 ~鍛冶新町~

2015年03月02日 | 文学・歴史・文化・科学

本職が使いこんだ道具はこんな感じになるのだろう。


備後国三原城下梶新町。現町名は西町である。元々は「鍛冶新町」の意味が
あっただろう。

城下は東町が商人街、西町が職人街だった。建物で見えなくなったが、この
道の
どん突きが三原城だ。かつては西町からも城が見えていた筈だ。


かじ新町の西方を見る。どん突きが西宮神社(三原八幡宮)となる。
この町内の
住人ほとんどが氏子さんだった。


江戸時代中期の『西町分 家数並竈数 諸職人之書付』によると、三原の
西町は家数が合わせて
「320軒余内 240軒本町 79軒新町」とある。
そして多くの職人の家数を列挙している
「内
  鍛冶役家 拾四軒
  大工役家 拾弐軒
  桶屋役家 三軒
  畳屋役家 壱軒
残テ弐百九拾軒余町役家

一 鍛冶 弐拾四軒 (以下略)

鍛冶役の家が14軒、鍛冶の家が24軒。79軒の家のうち鍛冶と
名のつく職の家が38軒も
あった。約2軒に1軒が鍛冶職だったのだ。
江戸時代、
この町からは毎日トンテンカンという鎚音が響いていた
ことだろう。

今は1軒も鍛冶屋はいない。
私が東京から三原に転住した1990年代末期には、東町に1軒
のみ旧山陽道に面したところに鍛冶屋さんがあった。
看板には□の中に/を掘った木の古い看板が掲げられていた。
「鍛冶やりマス」という文言が彫られていた。
残念ながら今世紀に入る前に廃業した。
三原市の鍛冶屋は、城下にはもう1軒もなく、糸崎の国道沿いに
かろうじて1軒のみが鎚音を響かせているのみだ。

畳屋とともに、鍛冶屋は全国で加速度的に消滅していっている。


目黒の秋刀魚

2015年03月01日 | 文学・歴史・文化・科学

おいら目黒の生まれだよ(^.^)
目黒のサンマだね。
銚子沖のサンマは駄目よ。サンマは目黒に限る(笑)。
七輪で焼くサンマも美味いが、古典落語のネタにもなった殿様(将軍?)
も絶賛した「おんぼう焼き」が美味いよ。
サケやマスなども、きちんとワタと血あいとエラを取って、アルミホイル
に塩まみれで包んで(降りかける程度でなく塩を大量に使って包む)、
それを焚火の土中に埋めて蒸し焼きにすると絶品格別なのよ。
屋外の土があるところで、直火焚火ができないと作れないけど。
まあ、七輪でもいいが、煙がすごいので、最近は住宅地では七輪で
サンマ焼けないよね。炭火とガス火では味が異なるのだけどね。


太刀魚も太刀みたいだが、サンマも形のいいのは刀みたいだよ。
今は旬ではないけどね。今は春告魚(メバル)よ、メバル。

サンマ

『梅園魚品図正』(天保六年-1835年-著 国会図書館蔵

メバル


日本は世界有数の釣り文化国だったから、江戸時代から釣りに関する
技術は高かったし、何よりも図譜等の資料が豊富だ。
知的水準高かったよね、日本って。江戸期にも識字率世界トップクラス
だし。

江戸時代の図鑑などは、今見ていても楽しめるよ。
地図なんてのはね、伊能忠敬が江戸期に作った地図がかなり後世まで
ベースとして使われていた。測量技術も現代科学に遜色なかったという
ことなんだ。

魚の図鑑は観てても面白いよ。
魚だけでなく、刀剣書も国会図書館デジタルアーカイブで閲覧できるのだ
から、よい時代になったもんだ。

江戸切絵図「目黒白金」




松平隠岐殿の屋敷跡は国立科学博物館附属教育園(植物園)になっていて、
310円の入園料を払えば自由に旧邸内を散策できる。
ここは都内の隠れたスポットだ。江戸期にもあまり開発はされず、関東では
珍しい原生林が残存している森林公園のようになっている。空襲を免れた
ことが大きいが、学術的にも貴重な樹木や生物が生息している。
おすすめです。静かな森に包まれた時間を過ごしたい方はどうぞ。
中世には「白金長者」という豪族の城屋敷があった場所だ。
東京都港区白金台5-21-5 国立科学博物館附属教育園


付近は港区品川区の高級住宅地だが、近所には「白金長者」の名を
付けた高級賃貸マンションもある。

なんだよ、こりゃ。大使館かよ(笑)。

家賃は100平米で40万円/月。まあ、このあたりとしては安いほうだ。
家賃150万とか普通にあるからな~。一体どんな連中が住むのか(苦笑
本物の長者でないと住めないね。