渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『エクスペンダブルズ2』

2013年08月29日 | 映画・ドラマ・コミック



一昨夜泊まった宿で『エクスペンダブルズ2』を観た。
ヒドイ。ひどすぎる出来。
心のきしみと悲哀を描いていた点で、前作のほうがずっと良い。
『2』は前作にも増してスタローンによる能天気な自己満足映画だ。
基本的に頭がよくない映画。
ドカーン、チュドーン、バリバリ、バーン、のみという映画だとしても、もう少し
作りようがあるだろうに。映画館で観なくてよかった。(前作は劇場で観た)


聖子ちゃんカット

2013年08月22日 | 文学・歴史・文化・科学




NHK「あまちゃん」の春子の聖子ちゃんカットがかわいかった。

1980年代の飛び抜けた記録的なアイドルというと松田聖子さんだが、
彼女の髪型は当時「聖子ちゃんカット」と呼ばれて、国内の多くの女の子が
まるで宗教かと思われるほどに真似をした。
一般人だけでなく、松田聖子さんの後から出てきたアイドルは軒並み
聖子ちゃんカットにして(させられて)いた。








松田聖子さんのこの髪型はデビューの「裸足の季節」から「風立ちぬ」までの
2年間をこの髪型で通した。
1980年4月1日 「裸足の季節」
1980年7月1日 「青い珊瑚礁」
1980年10月1日「風は秋色」
1981年1月21日「チェリーブラッサム」
1981年4月21日「夏の扉」
1981年7月21日「白いパラソル」
1981年10月7日「風立ちぬ」

そして1982年1月21日「赤いスイートピー」から大変身して聖子ちゃんカット
ではなくなる。


さらに1982年4月21日「渚のバルコニー」からは完全なショートカットになる。
この「渚のバルコニー」以降、歌手「松田聖子」に大きな変化が現れる。
まず、顔が蒲池法子から完ぺきに松田聖子になった。特に目のまぶたが(笑)。
そして、髪型は新曲ごとのみならず、TV出演の都度ヘアスタイルをチェンジする
というスタイルになって行く。プロモーターが企画した戦略だろう。
個人的には松田さんよりも蒲池さんのボーッとした顔のほうが好きだったけどね(笑


花の1982年組といわれたアイドル豊作の1982年だったが、大抵のデビュー
したばかりのアイドルは聖子ちゃんカットだった。
当時の芸能人=特にアイドル歌手などはプロデューサーや事務所の言いなり
になるしかなかった。芸能界とはそういう世界だ(今でも)。
しかし、もろもろの事務所の押しつけを鬱陶しく思っていた小泉今日子さんだけは
やってくれた。
1983年、
自分でバッサリとハサミでカットしてマネージャーを驚がくさせた。
結局整えるために後ろ髪の中を刈り上げにして隠したが、そのショートカットは
ヒットした。ショートの先鞭をつけたのは松田聖子さんだったが、流行させたのは
間違いなく小泉今日子さんだった。

しかも、造られた人造キャラのアイドルがすべてだった時代に自主的に小泉さん
はそれをした。

距離2メートルで生小泉を見た時、顔が小さくてお猿さんみたいだった(笑

聖子ちゃんカットは当初は「聖子ちゃんカット」とは呼ばれていなかった。


「プレッピーヘア」というのだそうだ。
金八先生に出ていた伊藤つかささんが全く同じ髪型ですな。
「プレッピー」というのは名門私立高校に進学しているお嬢様、お坊っちゃま
のことをいう。名門私立高校のことを preparatory schools と言うの
だが、そこに通う生徒をプレップと俗称したことからきている。着る服も
カジュアルでも垢抜けたお洒落な服が定番だ。
1981年当時、絶対にダサいと思っていた(今でも思う)「ハマトラ」などは
さしずめプレッピーなファッションということになるだろう。
対する元祖「ニュートラ(ニュー・トラディショナル)」と呼ばれた女子大生ファッションを
好んだ連中は、後にイケイケワンレンボディコン+ピンヒールスタイルに合流していく。
もっとも「ニュートラ」ファッション好みの女性たちはハマトラ系よりもタカビーだった。
丸ノ内勤務の勤め人がエリートだとか、訊いてもいないのに昨日同席した人間の
職業が弁護士や医者であることを出したりするような人間が実に多かった。
その数年後にバブルが来て、そうした女性たちのつけあがりは最高潮に達して
腑抜け男たちの中からアッシーやメッシーやミツグ君という新種の生物が誕生
する。

ただ、日本の場合、名門というのは学力とは連鎖していないように私は感じる。
例えば、学習院やフェリスや聖心や清泉はプレップと感じるが、早稲田はどう
考えてもプレップとは感じない。これは都内で過ごしていたらよく分かる気が
する(苦笑
しかし、これらの流れやイメージはあくまで世の中の上っ面の「表層」であり、
大勢(たいせい)に影響はない。世界情勢とは一切関係がない。表層が生き
ようが死のうが、それでも日は昇るのである。
現象としてそうした「表層」が存在するにせよ、上っ面だけに人間界の判断軸を
置きたがる薄っぺらさんは、やはり表層雪崩のように感性や人格もダダ滑り
であるのは確定事項である。


さて、この聖子ちゃんカットは初期において「プレッピーヘア」と女性雑誌で
紹介されているように、「聖子ちゃんカット」というのは後から付けられた名称
だ。
松田聖子さん以前には、「チャーリーズエンジェル」で大人気となったファラ・
フォーセット・メジャースが同じ髪型にしていた。
言ってみれば、カールの強いレイヤードである。
さらにこの髪型を初めてしたのは、私の記憶が正しければ、1974年以降の
オリビア・ニュートンジョンであったと思う。

(オリビア・ニュートンジョン 1975年)

1970年代から1980年代のオリビアは天使に思えた。
そよ風の誘惑(1975)



映画『グリース』の中でのこの曲のこの時のテイク、この時の歌い方が
特に個人的には好きである。
Olivia Newton John - Hopelessly Devoted To You (Grease)


28歳の時に女子高生の役をやるのはどうよ?とも思うが、まあ、なんというか
とても可愛かった(笑
トラボルタなんて、昔から憧れのオリビア(年上)と共演できるとのことで、
完ぺきに舞い上がってしまったとDVDでの解説トラックで明かしていた。
最近DVDを観て35年ぶりに知っただよ(笑


『グリース』は、1978年公開のアメリカ映画で、1958年頃を舞台にした
学園ラブコメだ。
78年公開時の高3の時にふたつ年下の彼女と新宿に『グリース』のロードショウ
を観に行った。

今ではあり得ないのだが、当時は「立ち見」というのがあって、人気作品は
客席以外にも満員電車状態ですし詰めだった。
これは1983年公開の『時をかける少女』でもそうだった。ギュウギュウ(笑
今のような小さなスクリーンではない。かなり大きなスクリーンだ。劇場自体が
とても広かった。そこに人がぎっしりだ。
消防法とかどうなってるのかと思う。
かねがね不思議なのが、電車に「乗員規定数」というのはないのかね。
あったとしたらラッシュ時はすべて違反のような気もする(笑

ということで、朝ドラ「あまちゃん」で話題になった「聖子ちゃんカット」(撮影では
カツラだった)は、実は聖子ちゃんカットではなくオリビアが最初なのでオリビア
カットがせーかいだと思われる。


トワイライトゾーン 「A Game of Pool」(1961)

2013年08月21日 | 映画・ドラマ・コミック



<あらすじ>

1961年-
シカゴで名うての撞球師のプール・シャーク(ハスラー=賭け玉ゴト師)だった
ジェシー(ジャック・クラグマン)は、15年前に死亡したファッツというあだ名の
稀代のプレーヤーであるジェームズ・ハワード・ブラウン(ジョナサン・ウィンターズ)
との対戦を心から望んでいた。

そこに死んだはずのファッツ・ブラウンが魔界転生して現れる。
そしてジェシーに対戦をもちかけた。

勝負に賭けるものはジェシーの命だった。
今、究極の命懸けの対戦が始まろうとしていた。

<解説>
初放送は1961年10月13日であり、名作『ハスラー』の劇場公開から数週間後だった。
ファッツはあの世で玉を撞いている。そこに天の声でシカゴのプールルームでの
願いを伝える声がする。
この時にファッツはあの世で撞いている台上の玉はすべて黒い玉だ。凝った演出である。
そして、ファッツは「あの世用」のキューはテーブルの上に置いて、「この世用」のキュー
ケースに入れたキューを持って現世に舞い戻る。
そしてジェシーにビリヤードの勝負を持ちかける。
「ゲームは?ローテーション?やるか。14.1ラック?エイトボール?」
それに対しジェシーは「14.1ラック、300点で」と応える。

ここで注目したいのは、1961年時点でアメリカン・ローテーションという競技種目が
存在したことだ。
日本の「ローテーション」というのは15個の玉を使い、玉の番号を得点として台上の
最小番号からコールショットで落として行き、持ち点まで先に達した選手を勝ちとする。
1番ボールが1点で15番ボールが15点という、同じボール1個なのに点数が違うのが
どうにも私には解せないルールなのだが(これはエフレン・レイズも笑いながら「それって、
変なの」と言っていた)、最後の15番に近くなると点数が1番の15倍なのでスリリング
ではある。ただし、マスの割り方次第でマスワリでちゃうけどね(苦笑
日本のローテーションは1マス取り切りで1番1点~15番15点なので合計で120点
となる。

現在のアメリカン・ローテーションは日本のローテーションとはルールが大分異なり、
ファールの場合はフリーボールとなる。点はローボールが1点、ハイボールが2点で
番号順に落とし、持ち点まで先に達した方が勝ちとなっている。
現行のアメリカン・ローテーションと1961年当時の米国内の「ローテーション」が同じ
ゲームかどうかはまだ調べがついていないが、事実としては、「ローテーション」なる
ゲームは1961年時点でアメリカに存在していたことだ。
やはり日本式「ローテーション」も「日本人の発明」というものではなく、アメリカン・プール
のローテーションを輸入して改造したのではなかろうか。
日本でも米国と同じように、ある時期まではキャロムが表街道の世界で、ポケット・ビリ
ヤードは裏筋世界の賭け玉遊戯だったので、あまり「公式」な歴史的な史料が残されて
いない。
日本では京都がポケット・ビリヤードの老舗であり、都内などではつい1980年代末期まで
はキャロム四つ玉がビリヤードの代名詞だった。
小説『道頓堀川』においてさえ、大阪が舞台なのにスリークッションがビリヤード場面で
描かれているので、ポケットが主軸だった関西圏といえども、かつての戦後の大阪は京都
とは多少色合いが異なっていただろうことが伺える。
ちなみに四国香川県の高松で戦後からビリヤード場を経営している人の話では、現在は
ポケット台しか置いていない店でも、戦後から昭和40年代までは四つ玉台ばかりだった
という。高松は東京と同じ道筋を歩いたと思われる。

この『トワイライトゾーン』の「A Game of Pool」の中で、ファッツは自分のキューについて
語るシーンが
ある。
「このキューは私の為に作られた。特殊だね。我々と同じだ。価格は600ドル。
そうさ、こいつと一緒
だから私は生きてこれたのかもしれない。35年間を。」
1961年から35年前というと1926年。アメリカの表舞台ではプール(ポケット・ビリヤード)
よりもキャロム
ビリヤードが全盛の頃だが、プールは「裏世界」の博打玉として闇社会では
繁盛
していた時代でもある。
さて、1926年は昭和2年にあたるが、その当時の600ドルというのは、現代の金額に
換算するとどれくらいの価格になるのだろう。
1926年当時シカゴではコーヒー1ポンドが約50セントであったのが、現在の2013年
では凡そ
12ドルである。単純比較はできないが、コーヒーを物価の基準とすると1926年
当時と
現在2013年では24倍の貨幣価値の差があることになる。
となると、1926年の600ドルは2013年では24倍の14,400ドル相当という計算になる。
2013年8月20日のドル=円交換レートは1ドル=97.26円であるから、
14,400ドルは2013年8月20日付の日本円では140万円程ということになる。
現在はファンシーなジナ・キューの新品が約300万円、ガス・ザンボッティのオールド・
ファンシーが市場価格600万円~1,000万円位するのだから、それに比べれば
安いといえる。
現在の一般的なビルダーのカスタム・キューの価格帯は日本円で30万円~70万円
程度の価格帯の作品が多いが、ちょっとファンシーなキューにすると100万円はすぐに
オーバーする。
このトワイライトゾーンで出てきた140万円のキューは、現在の感覚でいうとそれほど
飛び抜けて高価なキューではないが、あえて「600ドルだ」と言っているところを見ると、
1961年当時としては高価な部類だったのだろう。

だが、同年劇場公開された『ハスラー』では、場末の玉撞き場での賭け玉では、1玉
1ドル~2ドルだった。
ところが、ミネソタ・ファッツとの大勝負の戦いでは18,000ドルもの金が動いた。
1ゲーム200ドルから始めて、エディがレイズをもちかけて1ゲーム1,000ドルとなった。
1961年に14.1ラック125点の1ゲームが1,000ドルである。
そして最終的には18,
000ドルの金が動く。
この18,000ドルは2013年8月20日現在では日本円で175万円程だが、1961年当時
のレートでは1ドル360円
固定なので648万円。1961年当時の大卒初任給平均が
14,817円、2013年平均が
202,469円であるので、単純比較で、日本では2013年現在は
1961年の13.66倍。それを648万円に
かけると約8,851万円ということになる。
1961年の
エディはファッツとの38時間におよぶ試合で日本円で8,851万円を賭けて
戦っていたことになる。

これはかなりごつい金額だ。
ただ、これは1ドル360円の固定相場の時代レートを現代に置き換えた場合のことだ。
もう少しだけ厳密に
合衆国の物価で計算すると、ミルク1ガロンが1961年には49セント
だったのが2013年
には3ドル43セントになっている。つまり7倍だ。
ということは、それを基にすると、1961年の
18,000ドルは現在では7倍の126,000ドル
相当ということになる。
2013年8月20日付ドル相場の1ドル97.26円なので、換算すると現在の日本円で1,225万円
にあたる。
まあ、現在の日本円で1,000万円~2,500万円程の勝負を一度の対戦で賭けていたと
みれば、だいたい合っているだろう。
博打として見た場合の額面は大きいように感じるが、物価高騰の現在では都内山手線内に
ワンルームマンションも買えないし、高級車も買えない金額ではある。
大博打で赤坂のビルを獲ったビリヤード界の(以下割愛


ただし、映画『ハスラー』でもテーマとして描かれているが、魔の道に踏み込んだ撞球師は、
金のためではなく勝負のために勝負をしてしまう。その勝負のためにはすべてを
投げ出す。
果てには自分の魂さえも。あるいは最愛の恋人の命さえも。
玉撞き場で賭け玉に負けてスッテンテンになり、同棲相手にタクシーで万札を握らせて届け
させる程度のトウシロのシケた博打玉のロクデナシ撞球師あたりとは魂の売り渡し度合いが
まるで異なるのである。「芸のためなら女房も泣かす。それがどうした文句があるか」という
のも、まだまったく良人の部類だ。伴侶はまだ生きている。しかし、伴侶がこの世に存在しなく
なることもいとわないのが勝負の世界に心を奪われた人間のやることなのだ。

勝負の世界は、悪魔が手を引く世界だ。これが
恐ろしい。
ゼニカネさえも超える勝負をするテーブルの向う側には、黒いマントをはおったサタンが
大きく口を開けて笑っているのである。




この『A Game of Pool』はTV映画シリーズ「トワイライトゾーン」のシーズン3の
第70話にあたる。放送は1961年10月13日だ。
この回の作品の中でファッツ・ブラウン役を演じているジョナサン・ウインターズ
(1925~2013)
の声が素晴らしい。リチャード・バートンのような張りのある響きで、
台詞の切れも良い。

どさ周りのディスクジョッキーやコメディアンを芸歴とした貧乏時代を持つ苦労人だが、
この『A Game of Pool』では異色の
配役として彼のキャリアの中に刻まれたよう
である。




さあ。
「トワイライトゾーン」の『A Game of Pool』では、ファッツが主人公ジェシーに
勝負を持ちかけた。
「生か死か」と。
命がかかった勝負の展開やいかに?!







同じ場面でカメラのカットが変わるとボールの配置や手玉の位置がずれて
いたりする撮影上のミスが目立つが、それを指摘しても栓なきことだ。
この作品は撞球ドラマではなく、もっと別なことを言いたいからだ。
ただし、
撞球がメインの映画である『ハスラー』でも『ハスラー2』でも『道頓堀川』
でも、こうした玉位置のズレという撮影上のミス
は多く見られた。アクション物
でも映画はそうした誤りが
多い(一例:『プレデター』でサソリを踏みつぶして足を
上げたらサソリの頭と尾
の向きが逆になっている)。


だけど、神でさえ勝負したりするのだけどね(笑
聖書にもあるように、人間と相撲とったりもする。
相撲に負けたら人間に「イスラエルと名乗るがよい」とおっしゃったりとかね(^^;
悪魔は元々は神の味方だった。あることがあって神に対立する存在となったというのも
なんとも、ううむ、デビルマ~ン!


ティラノサウルスの容姿

2013年08月18日 | 文学・歴史・文化・科学

つい最近まで、大型恐竜のティラノサウルスはゴジラのように尻尾が
地面に着いていると思われていた。


だが、新たな完全化石の発見や最近の研究では、ティラノに限らず恐竜は尾の
筋肉を使って前進歩行するため、尾は宙に浮いているということが判ってきた。
さらには、ティラノサウルスには羽毛があったこともだんだんわかってきた。


これではダチョウの恐竜版だ(笑

もっと衝撃的なのは、最新の研究では、どうやらティラノは肉食であってもハンターでは
なく、
ハイエナのように死体を食らうスカベンジャー(腐肉食)であったことが濃厚のようだ。
このことを「最近の学説はそうみたいよ」と娘に言ったら「え゜え゜ー!子どもの夢が壊れる~」
と言っていた。
しかし、果敢に捕食するライオンやトラや鷹のようなハンターでなくとも、
スカベンジャー
でも懸命に生きていたのだ。鷹や鷲でないトンビだって猛禽類だ。
注目される派手な者たちのみを見て、憧れるのは勝手だが、それ中心の世界観を構築
するのはいいことではない。あまり人類の知性とはそうした感性は合致しない。合致する
としたら野蛮な前時代の世界でのことだ。空を飛べずにもくもくと地を歩く者にも等しく陽は
登る。天はそのようにできている。

さらに驚くことに、恐竜はどの種類も子育てをしていたということが判明してきた。
つい最近までは恐竜は爬虫類のように卵を産みっぱなしかと思われていたが、
やはり鳥類と親戚ということが判明して以降は鳥類のように子育てをしていた痕跡が
発見されて注目されている。
2005年には恐竜のDNAが発見されている。ここ近年の研究の進化がすさまじい。


観測宇宙船が太陽系内のほとんどの惑星に飛ぶ時代だ。
人類の学説の進化も著しいようだ。社会科学系だけが牛歩のような歩みである。
いつまで経っても、戦争もなくならない。人類同士がつまらん縄張り争いと殺し合いを
続けている。そのうち必ず最後の審判があるだろう。
ただ、この星でホモサピエンスはまだ誕生してから(キリスト教的な定義ではなく、
自然科学の学問としての定義によれば)40~25万年しか時間が経っていない。
「文明」が生まれてから人類が地球上を支配したのは、地球規模でみたらさらにほんの
ごくわずかの時間だ。
恐竜は2億3000万年から6600万年前までの期間、地球上に君臨していた。
まさに1億6400万年の長きにわたり地球を支配した王者が恐竜だった。
古代から現在まであまり進化をせずに継続している生物はいるにはいるが、地上に
君臨していた期間が一番長いのは恐竜だ。


昨年発見されたティラノの羽毛というのはこれまでの説を覆す発見だった。
そりゃ恐竜は鳥の親戚筋だから羽毛があってもしかりだとも思う。
恐竜が爬虫類よりも鳥類に近いことが判ってきてからは、だんだん身体の想像図
もトカゲ系からトリ系に変えられてきている。

この夏、実際の大きさの精巧な恐竜ロボットが動き回るウォーキング・ウイズ・ダイナソー
日本に再来しているが、もうこのティラノの容姿は現実とは違った「古い想像図」に
基づくことになるのかもしれない。

ただ、ティラノの鳴き声が「再現」(想像?創造?)されているが、トリやトカゲの
仲間が
このように鳴くのかなぁ(笑
これでは、哺乳類のライオンだ(笑

これは映画版の『ウォーキング・ウイズ・ダイナソー』


映画版よりも実物大の恐竜が目の前でリアルに動き回るショーのほうが
面白いように思える。

こちらは創造映像だが、なかなか面白い。ジュラシックパークみたいだ。
ただ、もし万が一このような恐竜捜しの探検に行くならば、絶対にノー・ガンでは俺なら
行かないけどね(^^;
まあ、銃持ってても役には立たないが。やはりプレデターでさえ斬ってしまう
日本刀が最強か(笑
んなこたぁない。刀がメインで使われた歴史は幕末京都のみ。
やはり、恐竜にはスペシウム光線以外では勝てないだろう。ということは、やはり宇宙人が
最強か(笑
A Walking with Dinosaurs Special - The Giant Claw


ただ、こうした欧米人に見られる親近感のみをもってなす動物観は私は
誤っていると思う。
現にこの「巨大爪」に触るシーンは創作合成映像であるが、ライオンの撮影を
していて、車から降りてしまい、ライオンに食われてしまう本物の実況映像が
動画サイトには多くアップされている。ライオンに人間が食い殺される映像だ。
いとも簡単に人間は倒されて体はボキリと妙な角度でへし折られ、ムシャムシャと
内臓を食われてしまっている。車の中には泣き叫ぶ自分の赤ちゃんと奥さん。
危険認識回路が外れてしまうと、まるで野良猫を撮影するかのようにライオンを
見ても車から降りてしまうのだろう。

動物園でライオンに食い殺される事故映像も悲惨だが、ライオンは家猫ではない。
危険なものを危険と正しく認知しないのは本当の動物愛護ではないと私は思う。
なんでもかんでもネコっかわいがりするのが動物愛護ではないのだ。
ライオンはライフルを発砲しても襲ってくる場合もある。
野生のライオン、トラ、クマ、カバ、ワニ、ヘビなどには近づかないに限る。
クマにしても、本物はプーさんやくまモンではないのだ。


時代劇の嘘

2013年08月15日 | 文学・歴史・文化・科学
時代劇はエンターテイメントだから、時代考証が不在でも楽しめるが、
いい加減過ぎる描写もかなり多い。
その典型が海外でも事実と誤解されてしまった「忍者」だ。


そして、武家屋敷に表札があるのも事実とは異なる。
さらに、意外と知られていないようだが、「藩」という言語は俗称であり、正式には使われなかった。
通行手形に「藩」などと書かれるのもありえない。



よく使われる、もう開き直りとしか思えないデタラメが江戸城で、大抵は姫路城が使われる。

江戸城天守閣は3度建築されたが、明暦の大火での消失以降は建築されていない。
石垣のみが現在まで残っている。
当然、公方が吉宗の時代には江戸城天守閣は存在しない。
東京が舞台のシーンでバックに通天閣があるようなもんだ。

しかし、時代劇はエンターテイメントだから(笑


マツケンは動きにキレがあって、殺陣もうまいしね。
せんべい片手にお茶飲みながら観るにはこういうのは向いてる作品だ。



お茶の間時代劇はこれでいいかも知れないが、本格時代劇映画で時代考証がデタラメ過ぎるのは興ざめする。
但し、『あずみ』のような作品は何でもアリでもよいような気もする(笑



世界で戦った男のヘルメットの中

2013年08月12日 | バイク・車

そうか。そうだったのか。

飛び抜けて元気よかったこのおっちゃん。
おっちゃんといっても俺より年下だけど・・・


この切れた走りのヘルメットの下は・・・


こんな顔をしてたのかぁ~~。

下顎出してたのね?(笑

世界グランプリシーンでも全日本選手権でもレーシングライダーはハンサムボーイが
多かったが、
やはり絵になったのはこの男ではなかったろうか。

日本の平忠彦選手。



カッケ~!

現在の平さん。



おいちゃんになっても、笑顔は昔のままです。


英語は大切

2013年08月10日 | 文学・歴史・文化・科学

笑った。

日清カップヌードルCM


この自虐的表現がシュールで笑える。
右翼のお兄さん方、こんなのにむかっ腹立ててたらだめだよ。
それでは器が小さい!てか、ケツの穴が小さい。
かのクラーク先生も言ってたでしょ。「青年よ兵士を抱け!」と。
右翼なら、兄貴拡張それは痛いです系くらいにケツの穴はでかくないとな。

ところで、俺
も高校の時に英検2級取ったけど、ほぼしゃべれない(笑
今までの学校英語って役に立たんと思う。
辞書あればどうにか本や新聞は読めても、カンヴァセーションはサッパリよ。
中学から大学まで英語8年もやってて、満足に新聞も読めないっつーのは、どうよ。
8年といったら、日本でいえば中学2年だ。中2で日本語の新聞読めない奴は
まずいないぜ。たまにいるけど。

英語てのは話せるにこしたこたないね(自虐苦笑

でも、このCMの世界は実は現実に起きていて、友人はある自動車メーカー
本社勤務だったのだが、資本が向うもんになっちまって重役は向うの人ばかりだから、
重要会議はすべて英語だってさ。大変だよな。
だからか、そやつ英語ペラペ~ラなくせに、プライベートでは米国軍人と一緒に釣り
しても絶対に英語話さなかった。おいらと釣りの師匠あたりがつたない英語で会話
してんの横から見てニヤニヤしてたけど、絶対に日本語しか話さなかった。いやん。

ところで、この日清カップヌードルのCMはリアルな英語がネタだけに、出てくる銃が
くそリアルなところが笑えた。時代考証もばっちりね(笑
この映像を手がけた製作者、相当センスあるよ。


日本の英語教育って、文字を読ませるから発音悪くなるのじゃないかなぁ。
apple は「エポー」でいいじゃんね。Henryなんて「ヘンリー」などと言うから通じないんだよ。
ヘンルィだよヘンルィ。
昔、俺の職場(法律事務所)の同僚で米国人弁護士の友人にヘンリー・オーガスト・ローゼンツヴァイク
というのがいて、彼とはかなりプライベートでも仲良くて、玉撞きもしょっちゅうやってたのね。酒も一緒に
すげー飲んだ。今ではスヌーピーにでてくるような顔したおっちゃんになったが、昔はかなりの
ハンサムボーイだった。てか、この動画の白人将校に似ていた。遠い先祖はチェコからドイツ、ドイツ
から米国に日本でいえば明治頃、西部開拓時代に移住したゲルマン系で、ローゼンツヴァイクという
のはドイツ語では「薔薇の枝」という意味だそうだ。薔薇は高貴な花と聞く。日本ならば藤だ。ヘンリーの
苗字は、日本人ならばさしずめ「藤枝さん」みたいな感じの名前なのだろう。
その彼が俺の結婚式の時に広島まで来てくれたのよ。で、披露宴の料亭の席指定の時に俺が
母親にHenryだと彼の名を伝えたら、席に書かれていたのは「ヘンルイ」だった(笑
本人は「これのほうが近いんじゃない?」と上手い日本語で言っていたっけ。
日本語の表記というのは英文の文字列の字面を日本語で表そうとしているから、どうも原発音とは
かけ離れるのじゃないかなぁ。レーガン大統領も最初はマスコミでもリーガンと書いていたが、
そちらの方がネイティブ発音に近くはなかろうか。
以前、外人にソ連大使館の近所で道訊かれて「タノーはどこだ?」と言うからなんだそれ?
と思ってたらトンネルのことだった。愛宕山トンネルのことだったのね。トンネルなんて表記で
覚えているから日本人は英語を話されても理解できないのだろうと思う。ロバートなども「ロボッ」
でいいじゃんねぇ。
知り合いの南米人に日本語がペラペラ(まず日本人としか思えない発音と会話力)の奴がいたが、
まったく日本語は読み書きができなかった。
しかし、ほぼ完ぺきな日本語を話していた。すべて会話からのみ学んだらしい。
来日数年でそれだった。
離乳期の幼児がそうであるように、元来コトバというものは音から覚えるので、耳から
入るのでなくば身につかないのではなかろうか。
まあ、筆談って手もあるけどね(笑
冗談でなく、うちにオーストラリア人の教師が泊りに来た時、まったく日本語話せないから
しかたなく英語で話して晩飯には家族で一緒に鍋食いながら会話したけど、不明な点は
筆談になった。しょーもねぇえ~~(^^;
でも、 color を 「colourと書け。それは英語ではない。米国語だ」と言われた時には
ちとカチンと来たぜ。
なので、「ならばキャン(can)もカンと言いましょうか。アイ・カント~と。でもそれってナニの
土手ちんみたいだよね、アハハハ」と言ったら顔をしかめていた。ピンパブでウケるような
お下劣は英国系の方はお気に召さないようだ。
それでも異国に来て母国語の事でいじめられたらかわいそうだと思ったので、うちの犬の
キャバリアについては種類訊かれた時にはカヴァリエと発音してやった。これは「キャバリア」
としてわが日本国内では広まっているから発音は「キャバリア」である、などという英国人風の
意地悪は言わなかった。
でもって、その豪州人教師とはフランスの五月革命についていろいろとそこから対話が
始まったのさ。筆談まじえて(笑
お土産には蔵書の中から結構分厚い英文で書かれた全剣連居合詳細解説と日本刀に
ついての解説書をあげた。
「漢字で私の名前を書いてくれ」というので適当に当て字で裏トビラに筆書きしてあげたら、
その学校の先生、えらく喜んでいたよ。
俺がオーストラリア製の革製ハットを持っているのをその教師は不思議がっていた。合衆国の
西部開拓開拓時代のカウボーイやガンマンのハットとオーストラリアのハットは似ていて非なる
物だから。
「どこでそんなレアな物を手に入れたのか。オーストラリアに来たことあるのか」と言ってた
から、「東京ディズニーランドのお土産屋で買った」と言ったら大笑いしていた。
この日記のプロフィールの画像で被ってるやつがそれね。

筆談といえば、漢文はやっとくべきだね。
おいら中国語話せないけど、台湾人としっかり意志疎通できたもの。台湾人のおねーちゃんとも。
神奈川の居合道場での送別会の時には即興で俺が漢詩を作ってその場で筆で書いて贈ったら、
台湾から来た居合修行の男はすげー喜んでいた。日本でいい思い出ができたってさ。
言葉ってのは知っとくに限るね。人とのコミュニケーションのツールだから。
モノマネ上手い人って、英語とかも発音はいけると思うよ。
タモリさんの四ヶ国語麻雀もそうだけど、ぐっさんの出鱈目ブルースも英語っぽく聴こえるし(笑
模写から入るのはモノマネもコトバも基本のような気がする。

そうそう。英語で居合の柄がかりを説明する時には「ジェントリィ」と表現する。
これは日本語の「静かに柄に手をかけ」という「静か」
よりもずっと解りやすいように思える。
静かにという表現は「静か」でしかないが、内実としてはそこには物理的な静かさと精神的な心落ち
着かせる穏やかさが内存している。だから日本人でも、物理的に単に静かに柄に手をかけるだけでは
剣の奥義とは無縁なのだ。
静かを英語で表すと silent/quiet/calm/still/peaceful/placid/tranquil/serene/soft/slow など
いろいろあるが、格式ばった serenity ではなく、お高く気取った gentility でもなく、 gently である
ところが実に奥ゆかしい。
英語でもそのような日本語の剣の心に通じる理解と表現があり、それが使われているのを知る時、
少しばかり嬉しくなる。



剣士

2013年08月10日 | 映画・ドラマ・コミック

外国人だからと、我ら日本人はあなどってはいけない。
上手い者は国籍に関係なく上手い。
それにこの手筋はホンマモンの日本の居合術を学んだ人の手筋だ。
The Art of Sword


この韓国人よりも下手っぺな日本人はドワ~ッと多くいるので、日本人は
本家本元としてもっと精進しないとと俺は思う。
だけど「武士」や「侍」というのは日本にしかいなかったのだけどね(笑

今、日本人が西部開拓時代のガンマンを演じても、それには無理があるのと一緒。
日本人が西部のガンマンやってもカッチョわり~(^^;
そういう意味ではドイツ人やイギリス人やフランス人やイタリア人はいいよなぁ。
ラテンだろうがゲルマンだろうが、アメリカンの真似しても違和感ないし。
現実的に合衆国は各国の寄せ集めという歴史があるから、どこの国系かと
いうのは白人系ならば関係がない。中国人のガンマンというのはおかしいけどね。
ところが同じアジア人でも、日本人以外がサムライを真似するのは、歴史的には
ありえないことやってるので、とても珍妙なことになってくる。
そうなってくると、歴史を捏造したりしないと辻褄が合わなくなってくるのだが、
捏造自体がインチキなので、端から辻褄など合うわけがない。
アジア人だろうが西欧人だろうが、袴をはいて居合や剣術をやる場合は、
「これは日本の武芸である」という立脚点に立ってやるのが、やはりまともだと
私は思う。
「剣道(けんどう)」が韓国が起源だなどというのは、失笑ものでお寒い限りだ。
もっとも、イェスまでもが韓国人だとかイギリス人は韓国が起源とかまで言い出して
いるのだから、なんでもありだしなぁ。
仲のよい古い友人で在日韓国人の奴が大笑いしていた。
「韓国起源説?本国の連中、バカじゃねぇの?どうしちゃったのかね」と。

やっぱ、ニッポン人は西部開拓時代にあってもこれだぜ。






Red Sun(1971) - Charles Bronson vs. Toshiro Mifune

作品を未観賞の方は是非一度『レッドサン』をご覧になってみてください。
ミフネの一番ミフネらしい時代の良い映画です。仏伊西合作の西部劇ですが、
西部劇ファンも侍ファンも楽しめる映画です。よくできている。
ただし、出てくる銃は、時代考証が曖昧でも赦された1970年代の作品なので、
すべてピースメーカー(1873年-明治5年発売)が出てきます。これはご愛嬌。
侍がいなくなった時代の銃だからこれはさすがにおかしい。日本の時代劇に
スマホが出てくるようなもんです。

『レッドサン』では1896年以降の無煙火薬時代のコルトSAAを使っています。
刻印見るに米国コルトっぽくも見えます。たぶんイタリア製のレプリカの
ステージガンでしょうが、黒色火薬のファースト・ジェネレーションのSAAが
出てきてもおかしいのに、これはさらに時代考証がデタラメということになる。
しかし、無煙火薬用のコルトSAAピースメーカーを南北戦争時代(1860~1865)
の時代設定の映画にも使用していたのが旧来のアメリカ映画でもありました。
ガンベルトもいわゆる「ハリウッドタイプ」と呼ばれるステージ演技用の物が
使われて、本物の西部開拓時代のガンベルト様式ではありませんでした。
アメリカ映画で時代考証が厳密にされるようになったのは1990年代に入って
からで、1994年前後に西部劇が復活して多く作られましたが、それらは
リアリズムに基づき、銃のみならず被服まで正確な時代考証がなされました。
この潮流を作ったのは時代考証にこだわっていたクリント・イーストウッドとケビン・
コスナーの功績が大きいと思われますが、コスナーは自身の主演映画『ワイルド
レンジ』で、ワンカットでSAAを10数発も射撃してしまうのは、さすがにかつての
マカロニウェスタンみたいでいただけなかった。
でも、日本の大河ドラマでも源平時代の作品で、刀剣の偽物が云々されて
ナカゴの銘を確認するシーンで刀銘に銘が切られていたのを見て、アチャ~と
思いましたが、日本の時代劇もかなりテケトーな演出でこれよしとする風潮が
あります。最近の傾向としては中山派が昭和時代に考案した刀の下げ緒を
前垂らし右結束する方法とかが時代劇で時々でてきますが、これもあり得ない
表現で、製作者の姿勢が見て取れます。1950~60年代の映像作品で鞍馬天狗
が戦後のサイドオープンのリボルバーを使っていたりの作品もありますが、それに
近いものがある。こうしたけじめがない時代劇にはマシンガンが登場しても
おかしくない地平にあるように思えます。
唯一邦画『ジャンゴ』だけはあれは「戯曲」で前衛的なニューアートであって、
舞台劇の映像化のようなものであるので、あれは赦される表現だと思います。


ただし、劇中に出てくる武士の心というのは、やはりこういうのは日本人でなければ
絶対に演じられないと思う。
袴はいて侍の真似した韓国剣術のように形ばかり刀振り回して飛び跳ねたりクルクル
回ったりしても(ステレオタイプでニンジャを意識しているのだろうが)、侍も剣も「心」です。
まず心ありき。剣を持つからサムライなのではなく、サムライはたとえ剣なく徒手空拳で
あろうともサムライなのです。
深いところでの侍の心など日本人でなくば、絶対に理解できないと思う。
日本人でさえ多くは「武士の情」を誤解しているしね。
切腹の介錯をするのが「武士の情」であって、だれかれかまわずにお助けマンに
なるのが「武士の情」じゃないんですよね。この微妙な機微が大切で、情をかけるのは
相手によりけりというものがある。だからこそ、そうした情をかけるに値する者が助けを
請う場合には「合力(ごうりき)」や「助太刀」などがあったし、たとえ公儀の法を犯す
犯罪人であろうとも、邸内に己を頼って逃げてきた者は命をかけて匿ったりした。
赤穂浪士の時の決起を知った近隣武家の態度がいい例ですよね。赤穂浪士のやった
ことは大公儀の法に反する御政道に刃向かうことを行なったのですから、当然藩は
取り潰しだし、もちろん討ち入り実行者は全員切腹(罪としての)です。
でも、それが武士なんです。ゼニカネや損得勘定で行動基準が成立してないの。
もっと別な信念によって武士たちは命を張って生きていた。現行法がどうだから、という
のは、それはあくまでも「為政者」の側に立つ立場での発想で、武士たちは為政者の
側でありながらも、その実、行動や生きる支柱は法律遵守第一主義ではないところにいた。
だからこそ、物騒な話ですが江戸の千代田城の殿中においても何度も刀(殿中差し)に
よる殺傷事件が相次いだ。赦し難しという場面では命かけちゃうわけです。また、武士で
あるならば、いつ自分が殺されるかもしれない。命が無くなるかもしれないのは本業が
命捨ててナンボの職業なのでその心得のない武士は武士ではなかったのですが、
殺傷技術さえ備えた武装集団の中に自分も身を置くので、だからこそ行住坐臥、己に
落ち度のないようにしていこうという側面も確かにあったわけです。そして、事ある際には、
たとえ公儀の法を破ってでも命を捨てて起つ。
そうした歴史性は今の日本人の多くも忘れてしまっています。お上に従順に尻尾を振る
ことがまるで美しい昔からの日本人の心だと大きな勘違いしている。お上に石投げたら
それだけで非国民かのように洗脳されている。御政道が理不尽な行為に及ぶならば、
人は壮士でなくとも石でも投げるでしょうに。自らを危険にさらしてでも。
武士階級でなかった人たちの末裔が人口の圧倒的大多数というのもあるだろうけど、
元武士をルーツに持つ人たちでさえ、サムライの心は忘れがちのようです。

この『レッドサン』は、それまでのハリウッド映画などに見られた日本人観を払拭した
力作として歴史的な作品だと思います。ジュリアーノ・ジェンマ主演の西部劇に出て
来た「サムライ」なんてのは最悪最低だったもの(笑
もっとも、その作品で「サムライ」を演じていたのは中国人のようでしたが。
あんなタイコモチのような侍がいるかっての(笑
『SFソードキル』(1984年)において出演の藤岡弘、さんが「この映画(ソードキル)に
よって初めて日本の侍が正しく描かれた」というようなことをおっしゃってましたが、
それはあまりに手前味噌。はるか以前に『レッドサン』という名作において、日本人
スタッフも加わり、三船敏郎さんが快演をされています。
ライダー1号の隊長!
歴史を学んでくれ。


時代劇映画 「蠢動-しゅんどう-」特報1(殺陣・リハーサル篇)

2013年08月07日 | 映画・ドラマ・コミック













時代劇「蠢動-しゅんどう-」のリハーサルシーン。
この人なにやってるの?体操?
上のすべてのキャプチャ(全画像)において、「抜き打ち抜刀斬り」とは関係のない
大デタラメなことをやっている。
刀を平に空気を掃いてどうするの?。
後ろ足最後まで死んだままで何をしたいの?。
そんなことより、手がけの初動からして出鱈目で、こんなのでは即行で
右小手を切られてしまう。(私ならば右肘を狙い打ちで袈裟に切断する)
第一、敵は地面に寝ているのか?どこ見てるのだ。
等々、まるでデタラメのヒドすぎる所作なのである。
なので「これは一体何をやってるところなの?」なのだ。
演技武術指導の誰か教えてやってよ(苦笑
多分右利きの女の子が左手で野球の硬球をピッチャーの真似して投げたら
こういう感じになるのだろうと思う。

あの時代劇の大御所平幹二朗の倅からしてこれである。
ポール・ニューマンが『ハスラー』撮影前はキュー・スティックを握ったことも
なかったのに、15回も世界王者になったウィリー・モスコーニに指導されたら
スクリーンの中ではまるで本物の伝説の撞球師のようなキューさばきをしていた。
ニューマンは週3日、数か月通いつめてウィリーに撞球を教わったという。
また、彼は変装してハイスクールの撞球室にも出かけて撞球の訓練をした。
オスカー俳優である名優と日本のショボイ映画界の俳優を比較するのは酷
だが、おなじ「俳優」という職業において隔たりはないはずだ。

日本映画の時代劇において、本物の殺陣をできなくなった役者ばかりに
なってから久しいが、やはり本物の剣士の「ような」剣さばきは若山富三郎と杉良太郎
で終わったように思える。
ご両人はご自身が本物の居合術をよく学ばれていた。
そういえば、『幕末純情伝』においては、牧瀬里穂さんが國學院大學居合道部
に週に何度も通って居合道の稽古をして沖田総司役を身近に引き寄せようと
していた。懸命に稽古する姿にプロの役者魂を見た。
実際に映画作品の中では、それなりの本物の剣士らしく刀を扱っていた。
努力は報われる。少なくとも剣士の部分では真剣の居合剣術遣いから見てもサマに
なっていた。

一方『花のあと』で主人公を演じた北川景子は一度居合剣士に習ったきりだ。
BS特番で番組が組まれたので見たが、おハナシにならなすぎだった。
ド下手を
通り越して「役者やめたら?」とさえ思った。本編も観たが、ひどすぎる。努力して
役を身近に引き寄せて演じようというプロ魂の
かけらもないのだからしかたない。
『ハンサムスーツ』のヒロインあたりがちょうど
役柄としてはお似合いだ。

先日、最近撞球で知り合った若いA級の人に訊かれた。「なぜそんなに左で撞いても
右と
まったく同じように撞けるのですか」と。
それは訓練したからだ。左手のみで10時間撞きを数週間やれば自然と身につく。
私は撞球師であるので、必要があるから左手も右手と同じくらいに使えるように
した。これは武蔵が言う「得物は片手で使う=両手どちらでも使えるようにしておく
のが武士の心得」というものと同じことである。左手でなくば撞けない配置において
左手を使えなければ意味が無い。
そういえば、数日前にそうした状況があった。相手は初めて相撞きする人だったが、
ヌルい隠し玉をして「失礼」も言わない。言わないということはセーフティのつもりなの
だろう。実際に右手ではまったく撞けない隠し玉だった。私は当然のように左手の
マッセで手玉をギュインと曲げてポケットに
的玉をねじこんでやった。平然とした顔で。
相手はポカンとしていたが、人をなめていると技術が上手(うわて)の者には二重
三重に、してやられるのである。
ちなみに私は左手で箸も右と同じように使える。
そういえば、ダルビッシュも利き手と逆の手で投球して普通に速球や変化球を
投げられる。勘所に通じて少し訓練するとできるようになるのだ。本気度の問題
だけだと私は思う。
サバゲをしていても、なぜ本物のように左右でスイッチ・ショットをしない人ばかりなのか
不思議に思う。マスター・アイ(利き目)などは瞬時にスイッチすればいいだけだ。
これも要は「本気度」の問題だけだ。(英軍と旧日本軍のみは右利き射撃を厳命
するが、状況如何で左右どちらでも射撃できるようになるのは精鋭部隊や傭兵部隊
では必須なのである)
自称「俺は不器用」と言う友人が包丁の研ぎにおいて左右同様に返して左右の手で
同じように研ぐことを教えたら「俺には無理(笑)」などと言っていたができると思う。
なぜなら、彼はピアノ弾きだからだ。両手が使えないピアノ奏者はいない。やれば
できるはずだ。要はどうやって自分をその「やれる」方向に持って行くかだ。
映画『ハスラー』で反面教師として悪魔のような存在として描かれていたバート・
ゴードンがひとつだけハッスル(ひっかけ)ではなく本当のことを言ったシーンがある。
それは「勝つか負けるかではない。技術はある。問題はお前に勝つ気があるか
どうかだ」という台詞だ。負ける者は負けることを自分で選んだだけのことなの
である。やったのは自分だ。負けたのは自分だ。自分がやったことである。
この『ハスラー』の名シーンを伏線として、25年後を描いた25年後に公開された
『ハスラー 2』では、最後の大会のシーンでエディと対戦したスティーブ・ミザラク
(米国トッププロが自身の役で出演)が負けた際に「俺が負けるなんて」と言う
のに対し、エディ(ポール・ニューマン)が言い放つシーンがある。「ああ。君がした
ことだ」と。こちらは負けてくれなんて頼んではいない。負けるのを為したのは
君である、ということである。この機微が解る人間と解らない人間では、勝負強さ
において雲泥の差がある。危機的局面での一発の爆発力なども、こうしたことを
深層心理において理解しているかどうかに関わってくる。一定程度の上級クラス
になると、技術の差よりもこうした精神的な優位性こそが決め手となってくる。
これを集約すると、日常における訓練段階での「本気度」の問題といえる。

こうした「本気度」というものが、今の俳優にはあまりにも薄すぎると思う。
観客とも勝負しようとしていない。ヌルすぎる。滑っても自分のせいだとは自覚
しない。

例えばキャッチボールができない人間が役者として野球選手の役をやったら
珍妙な
ことになると思う。
それでも本物のプロの役者ならば、必死にその役どころで「見せる」キャラクタの
の技術習得に努力するだろう。松田優作などは典型だった。また舘ひろしも
銃の撃ち方についてはかなり研究していることが演技からうかがえる。意外な
ところで草刈正雄が銃の扱いに精通していてリアルだ。(ガバメントが好きらしい)

料理人の役をやる場合は手元のアップが吹き替えで撮影できるからよいが、
時代劇やアクション物だと困難が伴う。
もっとも、アクションシーン全部をスタントマンに演じてもらい、顔だけCG合成する
ハリウッドスタイルもあるが、日本では役者本人が殺陣を演じるのが大前提だ。
擬似アイドルも口パクの時代なのだから、刀や銃を扱えない役者は全部スタント
に演じてもらって顔のみCG合成で十分だと思う。どのみち日本刀に限っては本物の
技術を伴う演技などできる俳優は皆無なのだから。
なにも本物の武術を学ぶ必要もない。
ニセモノを本物っぽく(本物を知る人間をも唸らせるほどに)演じるのがプロである
のだが、現在はプロがいない。みんな学芸会のようなことをやっている。
それで喜ぶ観客も、昔の人ほど目が肥えてはおらずレベルが低いということだろう。

とにかく邦画がつまらない。
演じる側と作り手につまらんのばかりだからしかたない。
津川雅彦などは「今の邦画なんか面白いのはない」と偉そうな態度で言っていたが、
津川の演技自体がどの役をやっても同じキャラとなる大大根なので世の中で一番
つまらん役者だというのを彼自身が分かっていない。
つまらん(笑

(「つまらん」とは中国地区独特の方言で、「面白くない」という意味ではありません。
「この世に存在する価値さえないほどしょうもない」という意味です)


イリノイ州シカゴ/エイムズ・ビリヤード(1961)

2013年08月05日 | 映画・ドラマ・コミック

















映画『ハスラー』(1961年)には6ヶ所の玉撞き場が出てくる。
それについて、屋内見取り図まで作って徹底的に撞球場を解析したページを
作る予定。かなり時間がかかるので、ゆっくりと。
(それ以前に、依頼されている日本刀関連の原稿を仕上げないとならない)

映画『ワイルドギース』で各人のベレーバッヂを分析してまとめた人間は
少なくともウェブサイト上では世界中で誰一人いなかったので私がそれを
やった。(こちら
今回の『ハスラー』の玉撞き場の分析も今のところどこにも見られない。
ならば、私がやる。
この映画は何百回と観たが、カットにより直前のシーンとの不整合もみられる。
こうした齟齬はアクション物には必ずついてまわる。
しかし、今回はそちらにはポイントを置かず、あくまでも撞球場の作りについて
スポットを当ててみる。
(ブログ日記にアップではなく、私のサーバーに専門のサイトページを作る予定)

『ハスラー』の名勝負のシーンで使われた撞球場は本物のプール・ホールであり、
映画製作当時ニューヨークにあった古いプール・ホールでの室内ロケだったそうだ。
すべてのシーンでミラーを使って光を反射させて「映像の表現」をしているという。
他のビリヤードの場所は5ヶ所出てくるが、私はこれは1ヶ所を除いてすべてスタジオ・
セットではないかと読んでいる。
なぜならば、部屋が真四角ではなく、どれもがカメラに向けて開いた舞台のような
建物の作りになっているからだ。
映画を観ていると、いろいろな情報が映像からくみ取れるのが面白い。
まるで、狙撃兵の試験である「キムのゲーム」(知能テストにも導入されている)を
やっているみたいだ。


辛子明太子

2013年08月05日 | 文学・歴史・文化・科学



九州の人から辛子明太子をいただいた。
博多うち川」の明太子だ。とても上品な味で美味しい。
私が明太子で一番好きなブランドは博多の料亭「稚加榮(ちかえ)」
明太子だが、「うち川」さんの明太子もそれと同じような上品な味に
仕上げている。これはいい。
明太子というと、ただやたら辛くてタラコの味を判らなくしてしまっている
ものが多く見受けられ、またそれらはお土産品として売られている。
しかし、やはり加工生鮮食品は素材の味をどれだけ生かして加工の
味を出すかが勝負ではないかと私は思う。それはまるで本物の江戸前鮨
のように。
そして、実際にそうしたスタンスで作られた辛子明太子は実にうまい。

以前の職場の上司で80年代初期からのバイク仲間だった歳が11上の
福岡出身の人が「昔はメンタイは生では食べなかった」と言っていたのを
思い出した。他の博多出身の人たちも同じことを言っていた。
辛子明太子の原型自体は戦前からあったが、現在の形になったのは戦後
のことである。
驚くことに、私が大学に入った1979年頃は東京ではほとんど辛子明太子
が出回っていなかった。販売ルートの拡販がなされていなかったことと、
当時は冷凍冷蔵技術の未発達、さらに現在のようなトラック主体の物流
機構が国内では確立されていなかったからだ。
福岡の学友が帰省した際の土産として東京に持ってきてくれる辛子明太子
に舌鼓を打った。「こんな美味い物があるのか」と思った。東京の田舎もんは
九州という地に足を踏み入れたことが生まれてこのかた一度もなかったのだ。
日本国内で行ったことがある場所の最南西端が広島だった。北は青森まで
東北各地には行ったことがあったが、西日本には行ったことがほとんどなかった。
大阪にさえ行ったことがなかった。日本国内の各地の方言を生で聴いたのは
大学で各地の出身者が集まる場所においてが初めてだった。大学のキャンパス
で初めて自分の言葉とは異なる言語と「異文化」とに生で触れたのだった。

当時、関西お笑いは東京に入ってきていなかったので、大阪弁でさえメジャー
ではなく、東京人が作ったアニメやドラマの大阪人はステレオタイプとして
描かれていた(『いなかっぺ大将』での西はじめや『あしたのジョー』での
マンモス西などが典型)。東京でも大阪弁が広く知られるようになったのは、
1980年
の「笑ってる場合ですよ」という番組と漫才ブームからだ。それまでは
関西は東京人にとっては「異国」であった。まして九州などは「最果ての地」の
ような感覚があった。
辛子明太子は、東京人にとって、九州を感じさせる名物となった。
食を通して、ディスタンスが無くなるというのは、私はなんだか嬉しくなる。