渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ワタリ

2011年10月25日 | 映画・ドラマ・コミック

私は幼稚園の時に大ファンだった。







ワタリ。
1965年(昭和40年)~1967年(昭和42年)に週間少年マガジンに
連載された。
私はマガジンとサンデーは毎週父が買ってくれて読んでいた。
幼稚園に入る前から漫画で字を覚えたようなもんだ。
特にこの『ワタリ』の大ファンだった。
白土三平先生のこの漫画で、幼稚園児ながら人の世に階級があり、
それから逃れて自由を求める心があることを知った。
そしてそのワタリの象徴としてこの武器の斧が欲しくてしかたなかった。
手裏剣を跳ね返し、刀を切り折るこのワタリ一族の斧がとてもカッコ良く
見えた。
↓このようなマサカリタイプでなく、


このちらのような手斧(ちょうな)タイプでアゴが長いところが
とてもカッコよく思えた。↓


私がワタリタイプの斧を異様に欲しがったのは、私の娘が幼稚園児の時に
『犬夜叉』の鉄砕牙を異様に欲しがったのに似ているのかもしれない。
現実的に本物の手斧タイプの自分の斧を所有するのは大学に入って
からだった。
この手斧タイプのシルエットは今見てもとてもイイと思う。

しかし、時代だ。
現代の漫画は、人の世の歪みや階級社会での人の苦しみや権力者の
圧政に抵抗する人たちの姿を描くことはしない。
戦後~60年代70年代初期の劇画・漫画・アニメは、子ども向けでもとても
シリアスで人間を考えさせるテーマを扱っていた。『巨人の星』にしても
『あしたのジョー』にしても、『タイガーマスク』にしても『カムイ外伝』に
してもだ。
『巨人の星』と『タッチ』ではまるで世界が異なるし、『赤き血のイレブン』と
『キャプテン翼』では世界観が異なる。
今を嘆いても仕方ないが、どんどん個人的な閉塞志向に向かう素地は
やはり社会情勢の歴史と密接な繋がりがあると思える。

『ワタリ』はむさぼるように読んだが、実写版映画はなぜか観に行かなかった。
ポスターを見てイメージが違いすぎていて嫌だという印象だったのを
記憶している。
今、トレーラーを観ると、結構当時としては楽しめた作品だったかも知れ
ないと思う。

 

家内もこれを観て「うひゃひゃひゃひゃ。古いね~、ナレーションの台詞が」と
笑っていた。
1965年当時はこんなもんだ。なんというか、舞台芝居のセリフみたいなんだよね。
でも、実はそういう空気は確実に1971年『仮面ライダー』に引き継がれている。
『仮面ライダー』はそれまでのSFヒーローではなく、等身大の変身ヒーローとして
後の現在まで続く40年来の「パターン」を作った特撮物の金字塔だった。
石ノ森先生の作品では一番『サイボーグ009』が好きだが、石ノ森先生の作品
でも「異形の者」「マイノリティ」にスポットを当て、それが戦うことを通してのみ
己の存在を見出していくという社会派ドラマがテーマの中心幹だった。
これが1960年代のアニメやドラマや小説や漫画作品の主要なテーマであるし、
時代を反映しているひとつの特徴だ。
這うようにして進みながらも立ち上がって更なる障害を乗り越えようとする人間の
不屈の息遣いが1960年代の人間たちの共通の「世代観」だった。
その最後の世代が私の世代だろう。


嵐の中に起つ  トイウコト

2011年10月25日 | 文学・歴史・文化・科学

明治新政府に抗して決起した西郷軍に呼応する筑前福岡藩の反乱士族
の中に私の居合の師匠の曽祖父の名が見えたので興味深く読んだ。

玄洋社史概観

これを読むと、幕末の黒田藩内の佐幕派と勤皇派の勢力争いは
熾烈なものがあったことがうかがい知れる。慶応元年の乙丑(いっちゅう)
の獄では140名の勤皇派が処刑されている。まるで水戸藩や土佐藩
みたいだ。しかし、その後藩論が勤皇に傾くと今度は佐幕派の藩重臣が
軒並み切腹させられている。
幕末には各藩でこのような動静があったようで、映画『たそがれ清兵衛』も
庄内の小藩でも藩内政争で佐幕派と攘夷派が殺し合いをする状況が
描かれていた。
個別各藩でみたらそのような流れだが、明治新政府ができて以降は、
今度は明治新政府の内部で権力争いが一極化されていき、西郷や江藤、
板垣は職を辞して野に下る。
板垣はやがて政党政治に先鞭をつける立志社を起こして民権運動を
作っていくが、旧筑前福岡藩黒田家の家臣たちも民権運動を起こしていく。
士族が作り出したこの流れは全国で起こり、明治中央政府はこれを
無視できなくなり、やがて国会開設を明治30年と約して鎮めざるを
得ないのだが、それよりも前段階の明治初期には政府は徹底的な中央
集権制を画策して各種の専横的政策を断行した。
この明治政府の政策に対して、各地の士族が決起したのは学校の教科書
でも習ったところだ。

明治初頭の国内のこうした動きの特徴としては、一方で言論で民心を獲得
しようと動きながら、一方では武力クーデターで政府転覆を狙っていた点は
紹介した玄洋社史概観でも語られている。
しかし、紹介サイトの筆者はそれを
民意を施政に反映させようとする民権運動に名を連ね、もう一方で武力による
クーデターを意識するという背反した行動の裡には、武によって死ぬことを
使命とする武士の思想が色濃く反映され」
「武士たる意識を引きずる武部らの限界であったともいえよう」
としている。
しかし私はこの指摘は現代の戦後議会制民主主義的観念からのみの指摘であって
こうした指摘こそが限界性があると思う。
世界の歴史を見ても、民衆蜂起と呼応した武装蜂起によって政権奪取が
なされてきたのが実は近代民主主義の世界史だからだ。言論による民意と
武装蜂起は背反しない。
西欧型近代民主主義は暴力によって体制が作られてきた。いわば暴力革命
によってのみ民衆主体の民主主義体制は確立されてきた。これはフランス革命
しかり、アメリカ独立戦争しかり、ロシア社会主義革命しかりである。(ロシア革命は
スターリンの裏切りによってねじ曲げられて民衆主体の社会主義体制ではなくなり、
その後ソ連国家によりコルホーズやソフホーズでロシア本国でも民衆虐殺が行われ、
それだけでなく連邦の衛星国でも多くの民衆が虐殺された。民権を求めようとする
民衆の行動を武力で圧殺するソ連は、ソヴィエト=評議会とは空文句の名前だけの
専制国家であった。こうした専制圧政国家はどのみち民衆の力によりやがて崩壊する)

明治初期の士族の乱は、不平士族の蜂起とはいえ、サイトの筆者が指摘する
ような「民権運動と武装蜂起の結合という限界」でも、「死を使命とした武士の限界」
でもない。世界史と同じように自ら命をかけて血を流して次なる世の中を作ろうと
する暴力革命=のちの民主主義世界の獲得として存在したのである。
議会での話し合いで何かが変わるなどという甘っちょろい現代的な感覚で
動乱の19世紀を語ることはできないのだ。
そして、暴力革命によってしか新体制は築けないという歴史は今も歴史の
定理として存在する。民意を反映した暴力、組織された暴力こそが新しい世の中を
作る。世界の民主主義国家は自ら民衆が血を流し、それを築いてきた。
だが、日本にはその歴史がない。
日本に民主主義が存在した歴史はないのである。

幕末、明治の武士たちは新たな世を作ろうと命を賭して決起した。
明治になっても政府に命がけで抗した。それは政府転覆までも視野に入れて
まさに血みどろの闘いを挑んだ。
明治新政府は圧倒的武力でこれらを個別撃破し、歪んだ「立憲国家」を
捏造して結局はWW2で国を滅ぼすところに導いていく。
戦後は米国の傀儡となって今度は擬似民主主義を捏造した。
だが、国内の右翼や一般庶民も、現代社会で政府にたてついて新時代を
作ろうと起ちあがった人たちを「国賊」や「非国民」呼ばわりし、時には
「過激派」として社会悪のように政府に追従して規定するが、日本の歴史、
特に幕末明治の歴史を知る者からするとちゃんちゃらおかしくてヘソで茶を
沸かしそうだ。民衆蜂起こそが新時代を作るのは人類の歴史の常なのだ。

でもね、幕末明治と違って、お上に尻尾フリフリすることが正義だと勘違いして
いる連中が今の日本には多すぎるから、そういうのが大多数になったとしたら
別に蜂起もいらんのよ。
勝手にポチになってなさい、という感じで。城内平和で予定調和でやってなさい、
という感じで。今の体制でね、政権がどの政党が取ろうと世の中変わらないのよ。
権力構造が変化しないのだから。
反乱行動に決起する人たちもね、「反権力闘争」なんて言ってるうちはムリムリ。
反権力闘争ではなく対権力闘争と位置付けて権力を奪取しないと。
この国はね、官僚と警察が運営してるんだよ。国会や政党ではなく。
それは明治に作られたの。大久保利通は暗殺されれて当然だと思うけど
彼はまさに「国家百年の計」を為したという訳。
たぶんあと百年後もこうだと思うよぉ。官僚大国日本万歳!ってね。
腐った体質だから多少の膿を出しても、本体腐ってるから助からない。
一度、体を真っ白な灰にしないとね。



この国で維新=革命は未だ成就していない。



 

 


たそがれ清兵衛

2011年10月17日 | 映画・ドラマ・コミック



『たそがれ清兵衛』の2枚組DVDがたまたま1000円台で
販売されていたので仕事帰りに買ってきた。
ビデオと違ってDVDの面白さは、ボーナストラックでメイキングや
インタビューが収録されていることだ。
今回購入した2枚組は1枚分まるまる製作秘話が収められており、
貴重な別テイクやオミット(削除)映像なども紹介している。
山田監督が実に緻密に自分のイメージに合うように何度も何度も
リテイクや別テイクを撮ったことがわかる。本編を観たときに感じた
作品の丁寧さというのはそうした製作サイドの執念がもたらした
ものだろう。
2枚組DVDでなくとも、本編だけで十分に傑作だ。
その後も藤沢周平の作品は映画化されたが、藤沢周平の世界を
描ききれているかどうかというと、本作が突き抜けているように
感じる。ただ、興行成績としてはキムタクの『武士の一分』の方が
松竹の収益記録を塗り替えるほどにヒットした。
私は個人的には『たそがれ』の方がずっと好きだ。
映画の出来としても本作の方がよい。
『武士の一分』が興行収益の記録を塗り替えたのは、作品主体ではなく、
出演者がどうかという別な要因だろう。普段時代劇など観ない層を
劇場に呼んだという点では成功だったのかもしれない。


雨あがる ~三原城~

2011年10月15日 | 文学・歴史・文化・科学

雨はあがったようです。


画像中央右の石垣が三原城本丸跡。(本日朝7時半写す)
左の樹木が広島大学附属幼小中。右プールの校庭が三原小(旧東小)。
御城本丸北端石垣の裏がJR三原駅。

が撮影位置。
が現在の石垣残存部。

「城山ヨリ本丸迄三町三拾間」とあります。これにより現在の桜山は江戸
初期には城山と呼ばれていたことが判ります。山頂に中世の山名氏の城が
あったためと思われます。三原城築城の際には後詰の砦と位置づけられました。
1町は109m、1間は6尺≒1.8mです。江戸時代の測量に基づくと、現在の
うちから城まで補正値算入で約350m程となります。


この地図は江戸時代初期の『正保城絵図』からの抜粋です。
正保城絵図とは、正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させた
城下町の地図です。城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの
軍事情報などが精密に描かれているほか、城下の町割・山川の位置・形
が詳細に載されています。
各藩は幕府の命を受けてから数年で絵図を提出し、幕府はこれを早くから
紅葉山文庫に収蔵しました。
幕末の同文庫の蔵書目録『増補御書籍目録』には131鋪の所蔵が記録
されていますが、現在、国立公文書館には63鋪の正保城絵図が所蔵されて
いるとのことです。昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されました。

国立公文書館 デジタルアーカイブ


謎の登録ナンバー

2011年10月14日 | バイク・車

昨日一昨日と重要案件で神戸に出張でした。

街中の原付バイクに不思議なナンバーを発見。


生まれて初めてこういうナンバーを見ました。
こいつあ何だべ?

ところで、原付や80ccの黄色、125ccの桃色のナンバーって、
昔は長方形だったんですよね。私が高校の頃はそうでした。
東京23区と都下の市部や横浜市ではすでに台形になっていま
したが、埼玉や千葉はまだ四角でした。車両(法規上は自転車
を含むすべて)のうち、二輪車で250cc以下は管轄が陸運事務所
でなく市町村なんですよね。税金は市町村に納めます。でも250ccは
250cc以上や車と同じナンバー。市町村ナンバーは125ccクラス
以下の車両につきます。
自動車や125cc以上のバイクのナンバーなども京都が「京」
だった。(あれはかっこよかった)
今では、青梅市などは赤塚不二夫センセのニャロメとイヤミのキャラクタが
描かれたナンバーを交付だそうで、小型バイクにも「ご当地ナンバー」
が出てきました。尾道市などはプレート自体がミョ~な形の物も
あります。

昔の普通自動車のナンバーは管轄陸運局の頭文字だけでしたが、
福岡と福山などはどうしていたのかな。と思ったけど、よく考え
たら、福山ナンバーなどはその時点では存在せず、たぶん
広島の略の「広」だけだったのではないだろうか。
あまり知られていないところでは、かつて「なにわ」ナンバーが登場した
当時、このナンバープレートだけは全国で唯一すこし青がかった白地の
プレートでした。日本国内で他地域と異なる独自仕様を出したのは
「なにわ」が最初だったと思います。

車のナンバーといえば、関東ではナンバーにすごくこだわる傾向があって、
一番人気は「品川」なのですが、「横浜」ナンバーもかなりの人気です。
通称「ハマナン」。
東京のナンバーは「品川」「練馬」「足立」「多摩」「八王子」とあるの
ですが、「品川」だけは別格のような印象があるのは確かで、あれは
何なのでしょう?「品川とそれ以外」みたいな感じ。
要は「山の手地区」の住人が品川ナンバーだからだろうなぁ。江戸では
ない宿場町のナンバーなのにね(^^;)
意外なところでは、新宿区は練馬ナンバーでして、練馬ナンバーの
車で地方に行くと「練馬から来たんだ」なんて言われます(笑)。
これは不思議な感覚を持ちます。「練馬じゃねーよ」みたいな。

新宿の印象は住んでいない人はよく知らないでしょうが、新宿というと
副都心(て今言わないのか?)の高層ビルや歌舞伎町のイメージが
強いと思います。
ですが、新宿区はほとんどが住宅街です。
そして、江戸城のある千代田区(旧麹町区)と隣接していて、江戸と
江戸郊外の文化が今でも共存している地区です。これ、住むとよくわかる。
(江戸は今の山手線の以内と考えれば大体合っている)
新宿区は住宅街の景観は山の手っぽいのに、住人たちの人柄は江戸下町
ぽいの。
これはたぶん、旗本や御家人の屋敷が多かったのに、メインストリート沿いは
町家が密集していたという特殊な地域性が今でも残っているためかも知れ
ません。
たまたまかも知れませんが、私が住んだ早稲田の地域(尾張殿の下屋敷
=現戸山公園のそば)では近所の人たちはとても人柄が良い人たち
ばかりでした。全然人間がひねくれてないの。

私は生まれてから現在まで19ヶ所に居住しましたが、今までで一番印象が
いいのが新宿区でした。家内も大絶賛です。福祉行政も実に良かった。
ひとつを挙げると今ではどこでも普通になってきた未就学児童の医療費無料も
新宿区と千代田区だけだったし(新生児から小学校に入るまでの子どもの
医療費は無料です)。子どもが生まれたときに新宿区からいただいた梅の木は
広島県三原の親の実家の庭に植樹しまして、今では毎年実をたわわに実らせます。
きれいな花も毎年咲いて目を楽しませます。
本当にめちゃくちゃ住みやすいのが新宿でした。都内に住むなら新宿区は
かなりおすすめかな。横浜は4ヶ所に住んだけど、横浜の方がむしろドライな
イメージだったなぁ。ご近所つきあいがかなり希薄というか・・・。私の母などは
横浜(戸塚区)の印象は頗る悪いそうです。
そういえば、戸塚ではあまり良い記憶はないなぁ。一言でいうと「田舎」です。
なにが田舎っていうかというと、農村と新興住宅の確執がすごいの。それを学校
などで地元の教師なども反映させて差別助長教育をしていた。今考えると
「ひで~」というようなことを。例えば、学校で盗難があったのね。で、調べて
いくと出来心起こした子が判明したのだけど、地元の教師たちは「あの子は
地元の庄屋の息子で由緒正しい家の子だから絶対にそんなことはしない」と
言ってむしろ盗難に遭った被害者の生徒たち(新興住宅地住人)を悪者に
したてあげたりしたの。あれはひどかった。被害者の父兄たちも抗議したけど、
学校側がすべて握りつぶし。教職員組合も働きかけたけど自民党教員たちが
恫喝で握りつぶし。地域ボス強権にへつらう自民党土建屋政治の縮図が教育
の場で展開されていました。
それ以外にもその手のことは日常茶飯事でした。校長、教頭はじめ地元出身の
教員たちがそういう感じでしたし、京浜工業地帯でない横浜市の地区は実に
因習めいたとても住みにくい土地でした。新興住宅地の人たちは農村の人たち
による攻撃的な感情にいつもさらされている土地でした。境界地区住民は
感情だけでなく実際に数々の農村部からのイヤガラセに遭っていた。雨しずくが
屋根からはねて畑に落ちるからとドリャ~と怒鳴り込んできたり、刈り込んだ
不要農作物の屑を家にどっさりと投げ込まれたり。
雨はどこにでも降るがな(笑)。
そういう軋轢と感情的歪みが地域全域であって、行政に訴えても知らんぷり、
教育の場でも地域格差や確執を解消すべく努力する「これから」という前向きな
土地ではなく「もう終わってる土地」みたいな印象だった。たぶん明治時代の
日本各地はあんな感じだったのだろうなぁ。
同じ農村-新興住宅地域としては埼玉県の大宮市(現さいたま市)にも住み
ましたが、こちらも因習めいた空気もあったとはいえ、行政や教職員などが
かなり努力して歪みを払拭させる努力をしていて、なかなか活気のある地域
でした。少なくとも教師たちの質は戸塚区と雲泥の差だったなあ。
熱意ある教員ばかりで、大宮には4年住みましたが印象に残る土地でした。
「前に進む」、「問題があるならなんとかしよう」という空気がムンムンしているのが
大宮でした。横浜は戸塚区も鶴見区も港北区も、「現状維持型」という印象で、
現状維持というのは前進力に乏しいですから衰退もしくは悪習が歪んで増長
する道が残るばかりです。
横浜の特徴としては中区だけが突き抜けて先進的で開明的で前進力がありますが、
他は実際に住んでみると、どんどん歪んだまま風化していっている印象がありました。
戸塚あたりでとってつけたように学校や行政が「ハマっ子」意識を植え付けようと
してもかなり無理があるなぁ、という感じです。現実的には行政区は横浜市でも、
戸塚区などの最南部や西部地方は「ヨコハマ」ではないから、まったく。意識も何も
かもが。
そして、私にとっては新宿が一番地域密着型のまさに「生活空間」でした。
東京都では目黒区、中野区、杉並区、板橋区、新宿区に住みましたが、新宿区
だけはまるで異なる印象でした。とにかく住みやすい。行政もしっかりしています。
昔よく知る保坂くん(苦笑)は世田谷の区長になっちゃったけど、世田谷とかは
どうなのかなあ。NEWSで見たけど、放射能検出問題とかちゃんと対処しろよ~。

昨日は生まれて初めて未知のナンバープレートを見ましたが、知らないことって
いろいろあるもんですね。







映画『桜田門外の変』

2011年10月07日 | 映画・ドラマ・コミック



う~む。。。
襲撃シーンはリアルな風だったけど、それ以外の作りは・・・。
冗長に過ぎる感がしないでもない。感情の描きこみが浅すぎる。
淡々と時系列をただ追っただけのような作り。
足元の雪で大きく滑ったか、この作品。


現在の桜田門。
この撮影位置にある交差点はかつて通勤で毎日通っていた。

現在俯瞰図で見る井伊大老暗殺場所。



当時の江戸切絵図ではこのような位置関係


江戸切絵図というのは江戸時代の武家地を記した住宅地図だが、
門から武家の名を書くので、正門の位置と向きがわかる。
彦根藩主井伊家上屋敷の門から桜田御門までは約500mの距離だ。

 


時代劇ブームでもないのに、居合人気がじわじわ?~特に女性に~

2011年10月06日 | 映画・ドラマ・コミック



賛否両論いろいろあれど、私個人はこの人がやっぱりあずみのイメージに
マッチしているように感じる。
原作者絶賛だったよね。「上戸彩を見た瞬間に、あずみだと思った」なんて。

こういうパターンというのはいくつかある。
実は原作者柴田錬三郎先生によると田村正和が一番眠狂四郎の
イメージに合致していたという。


また、子連れ狼の原作者も、「すべての映像作品の中で『その小さき手に』が一番好き」
と公言している。これも主演は田村正和だ。

子連れ狼ファンではこの映画作品を子連れ作品として認めない人も多いが、私は
単純に好きだな、この作品。
出演者の演技もしっかりしていて、安直な映画にはなっていない。
傑作とはいえないかもしれないけれど、結構田村正和の演技が胸に迫った。
心に残る作品だ。田村正和がいい。

田村さん、カッコよすぎだろう、このおっちゃん。昭和18年生まれだよ。
このカットの時は64歳だぜ。



絵になる、とはこういうことか。
「銀幕」のイメージを日常でも崩さない日本でただ一人のプロの銀幕俳優だ。

世の男どもよ。
おっちゃんになっても、カトちゃんペ!みたいな感じでなく、こういう感じで
行きたいよ。

最近、時代劇ブームでもないのに居合人口が増えて来ているという。
今の40歳代~30代後半の世代が男女ともポッコリと抜けているが、最近の20代、
30代前半の居合人口が増えているらしい。
理由不明の不思議な現象ですよ、これ。
そういえば、これ、自動車業界(特にトラックディーラ関係)にもいえてて、40代の
世代がドンガバチョと営業マンがいない。
なぜなのでしょう。
40代の人たちって、今何やってるの?
思い起こすと、サバゲーマーも40代は少ないし、ビリヤードのプレーヤーも少ない。
その世代だけポコンと人口が空いている。これは居合や剣道の人口にもいえる。
丁度何かの空白世代なのかもなぁ。
もちろん、大学の時にも何か命がけの政治活動したりの根性マンもいない世代。
ただ、80年代にはバイク乗ってた人が多いのではないだろうか。
空前のバイクブームの時に高校生~大学生位の世代だから。

ただ、この傾向が何に基づくかは不明だが、いわゆる1987年以降生まれの
「ゆとり世代」(現在24歳より下)がどのような反応を示すかは興味ある。
それにしても、日教組と中曽根自民党が手を組んで変な教育してからに(笑)。
ちょっと注意しただけで会社辞めちゃうような新人君ばかりでお手上げと
人事部の人が言ってたけど、本当みたい。
俺なんか上司に「馬鹿野郎!」と怒鳴られることもあれば、「あんたじゃ話にならない。
上を出せ!」と本社に噛みつくこともある。
生産現場で10代がチンタラと妙なことしてて参るというから「ガツンと注意すればいい
じゃん」と現場の監督者に言ったら「そんなことしたらみんな辞めちゃうよぉ」とのことだ。
なんと~!
仕事でそうなら、プライベートのお友だちごっこなんかだともっとぬるいのだろうな。
まあ、そういうのは40才前後でも多いけどね。50才手前の奴もそういうのいるから
世代論では語れない個人的な資質なのかもしれない。耐性がないというか、少し
注意されたり意見されたら逆切れしたり逆恨みしたりする性根の人間って、意外と多い
から。

でも、この先、ゆとり世代の彼らの時代になったら、政治とか自分たちでできるのかしらん。
実務現場では実質的には今は俺たちの世代の時代なのだけど、3歳の時から兄弟のように
育った親友の幼馴染の野郎なんて、国防省(てのはなかったか?)で調子こき過ぎて
バンバンとマスコミで叩かれて揚句の果てに前政権の時、ポン木から東北に更迭され
ちゃったしな(笑)。マスコミで叩かれるっていう表現も不適切だけど、怪しげなことするから
事務次官もワリ食ったりするんだよ。痛くもない腹をマスコミのみならずお上からも探られ
るし(苦笑)。
まあ、あまり権力の中枢にいても調子こき過ぎないこったい。
今これを読んでいる霞ヶ関にいる血族のあなた(笑)。そう、あなたもですよ、と( ̄ー ̄)





 

 


侍で刀といえば

2011年10月03日 | バイク・車

これだろう。


って、やらんがな(笑)
矢まで持って、やりすぎだろこれ。
あれ?弓は?(^^;

それにしても今見てもいけてるデザイン。
これが80年代初期のバイクとは思えない。
ハンスムートのデザインが光る。
本職のデザイナーがデザインした国産バイクって、これが
初めてではなかったろうか。

 

 


希望を与えるグランプリ ~MOTO GP 日本グランプリ~

2011年10月03日 | バイク・車



世界選手権最高峰MOTO GP第15戦日本GPの決勝レースは2日、ツインリンク
もてぎで行われ、ダニ・ペドロサ(スペイン)が優勝。今季3勝目を飾った。
気温19度。路面温度29度のドライコンディションの中、4番グリッドのペドロサは、
6ラップ目にトップに飛び出すと、安定したラップを刻み、昨年左鎖骨を骨折した
舞台で、第3戦ポルトガルGP、第9戦ドイツGPに続き、今季3勝目を達成。
2番グリッドのホルヘ・ロレンソは、7.299秒差の2位。今季10度目の表彰台を獲得。
ポールポジションのケーシー・ストーナーは トップ走行中の5ラップ目にコースアウト。
9.498秒差の7番手に後退したが、3位まで巻き返して、13戦連続14度目の表彰
台を獲得。
6番グリッドのマルコ・シモンセリと3番グリッドのアンドレア・ドビツィオーソは、ジャンプ
スタートにより、6ラップ目にライドスルーしたが、4位と5位でフィニッシュ。
5番グリッドのベン・スピースは、オープニングラップでコースアウトを喫したが、6位で
チェッカーを受け、3位争い中にコースアウトを喫したニッキー・ヘイデン、コーリン・
エドワーズが続いた。
11番グリッドの青山博一(2009年GP250世界チャンピオン)は、今季8度目のシン
グルフィニッシュとなる9位。ランディ・ド・プニエがトップ10入り。(以上
GP NEWSから)

すごかったのが
伊藤真一選手だ。


今年45歳だよ。1980年代のGPライダーだよ。ロードレースデビューは
1983年だよ(◎。◎)
1985年に菅生選手権TT-F3クラス(2スト250cc、4スト400cc)
のチャンピオン獲得以降、全日本選手権では4度チャンピオンに
なっている。
その後、日本を代表する世界GPライダーとなった。
世界選手権WGP500ccクラスでの最高ランキングは5位(1995)だった。
間違いなく世界のトップライダーだった。
宮城に住む彼は、「やればできるということをぜひとも見てもらいたい」と、
引退していたのにワイルドカード(特別参加枠)ながら今回のMOTO GPに
参戦し、13位でフィニッシュ。なんとGPポイントを取った。(世界戦でポイント
取るのがどれほど困難なことか・・・)
東北と日本のみんなに、「やればできる」と希望を持ってほしかった
から震災以降に急遽現役復帰したという。

今回のMOTO GPは参加者中14名が何らかのタイトル(チャンピオン)を
取った経験を持つという超ウルトラ・ハイレベルのメンバーによるレース
だった。
伊藤真一選手は魅せてくれた。
見ていて、熱くなったよ。

●鈴鹿2&4レース(5月)前の伊藤真一選手のコメント
「昨シーズンで全日本JSB1000からは卒業しましたが、3月の震災で
僕自身も被災者になり、その僕がレースを走ることによって、被災者の
みなさんを少しでも勇気づけることができればと思い、今回の鈴鹿2&4
レースに出場することになりました。ただ、震災後の一ヵ月は本当に
慌ただしくて、とてもトレーニングができる状態ではありませんでした。
正直なところ、被災地をまわって、いろいろと考えさせられることがたくさん
ありました。そしてモータースポーツに目を向けてみると、他のスポーツ
でもそうですが、少し元気がなくなってきている 気がします。
僕が育ったと言うか、僕を育ててくれたモータースポーツを少しでも元
気にしたい。そんな気持ちもあって今回の参戦に踏み切りました。」

 


ドラマ 『塚原卜伝』

2011年10月02日 | 映画・ドラマ・コミック



NHK BS で『塚原卜伝』が始まった。
久しぶりに家族で観たドラマがこれ(笑)
本日は初日なのでワイド版だった。
最後の試合の時にマンガチックになり、娘と妻は「なんじゃ!こりゃー!!」
と同時に叫んでいた(^^;
ま、ドラマだから。。。
卜伝が帯びている刀の鞘が柳生鞘チックだったのもとても気になったが、
ま、ドラマだから。
鍔は、映画『子連れ狼』で若山富三郎先生の拝一刀が使っていた胴太貫の
鍔に似てますね(^^)

父の生前、私は訊いたことがある。
「歴史上の剣士で誰が一番強いか」
父は迷わず「卜伝だろう」と言った。

塚原 卜伝(つかはら ぼくでん、延徳元年(1489年)-元亀2年2月11日
(1571年3月6日)は、日本の戦国時代の剣豪、兵法家。
(いみな)は
高幹(たかもと)。
通称新右衛門あるいは土佐守土佐入道とも。
卜傳朴伝とも。父祖伝来の鹿島古流(鹿島中古流)に加え、天真正伝
香取神道流
を修めて、鹿島新当流を開いた。(wikipediaより)

卜伝は39度の合戦、19度の真剣勝負に臨みながら一度も負傷しなかったと
記録にあり、生涯に斬って捨てた剣士の数は、記録に残っているだけでも
212人となっている。
よく講談や小説などでは宮本武蔵が晩年の卜伝に切りかかって卜伝は
鍋の蓋で受けたなどというのがあるが、宮本武蔵の生存は天正12年
(1584年)-正保2年5月19日(1645年6月13日)とされているので、
これはあり得ない。
武蔵は自書においては60回の勝負に「負けた」とは書かず、「一度も利を
失わず」と記して濁している。実際には武蔵は山伏に半殺しにされたことも
ある。

堺雅人演じる卜伝はやたらイケメンだが、現実の卜伝は「剣豪?」と
思えるような容貌だ。

元ボクサーのトカちゃんに似ている。
原画は「4頭身?」という感じでボーッと立った卜伝が
描かれており、武蔵自画像のように鬼気迫る感じは
受けない。どうもコミカルに見えてしまう。
そう思うこと自体がこちらの隙なのかもしれない。


ドラマは結構面白かった。
家人と二人で「うあああ」となったのが、二代目中村錦之助の声と
台詞まわしが萬屋錦之介(初代中村錦之助)にソックリだったこと。
これには驚いた。ウリ二つで気持ち悪いくらい似ている。叔父と甥と
いう間柄だが、台詞まわし、言葉の切り方までそっくりだ。
画面を見なかったら萬屋先生がしゃべているみたいな感じ。
映画『雨あがる』に出ていた三船敏郎の息子も三船に声や台詞まわし
がソックリだったが、こういうのも芸として観ているほうは楽しめる。
そういえば、萬屋錦之介さんはかなりの特定日本刀マニアで、
『子連れ狼』の拝一刀役に惚れ込んで、なんと同田貫(熊本菊池の
戦国期から幕末まで続く刀工群。頑丈一点張りの実用刀)一派の刀を
買い続け、一時期は同田貫だけで数百口を所有していた。
こうなるともう「同田貫博物館」ができてしまうほどなのだが、実は
同田貫の刀が一気に爆発的に価格上昇したのは、劇画ドラマに
よる人気沸騰もあるが、萬屋先生が一人で国内の同田貫を買占め
まくったからというのもあるのではないだろうか。これは仮説だが、
国内で同田貫の品薄状況の創出に手を貸したことだけは確かだろう。
たった一人の人が特定刀工の刀剣のみを収集するのって・・・。
萬屋先生も好きだなぁ。オタクのはしりみたいなものか。
萬屋先生が亡くなった後、先生の数百の同田貫はどうなったのでしょうか。
しかし、現行価格1本200万として300本持っていたとしたら・・・今の
価格で6億・・・。ひぃ~。豪気だねえ。一つの種類の日本刀にそれほど
行くなんて。ぜんぜん「一刀」じゃないけどね(笑
今から30年ほど前だったか、自宅新年会かの番組で愛刀の同田貫を
抜いて見せていたけど、自宅には全部は置ききれないから保管場所
借りているって言ってたっけ。「これはこないだ買ったの」なんて嬉しそうに
見せていた(^^)
番組観ていて、「好きなんだなぁ」と好感持った。


再放送は土曜日。
NHK BS時代劇 塚原卜伝


今、ネット上で卜伝系剣術の末葉が他流派を馬鹿にしたり揶揄したりして
いるけど、なんだかねぇ。
「人前で技を見せるのは大道芸」とか他者を中傷していながら自分では
「今日はこんな稽古をした」とブログで公開告知している。
頭良くないし。。。(笑)
こういう矛盾を平気の平左でやるから、ネット脳の脳内感染者てのは
助からないんだよ(笑
ネット脳で、更に脳みそ筋肉の武道バカだとしたらなおさら助からないじゃん。
そういう輩がギャースカ言っても、日本国の大勢に影響はないんだけどね。
ぶつぶつ言いながらせいぜい田舎で木剣でも振ってなさい。
というか、中学生か?(文面読むとそんな感じ)
文を読む限り、聡明さはひとつもない。
ま、そういうのは相手にしないこったい。
それこそ、卜伝が伝えた「無手勝流」。

偉そうに分別くさい金科玉条の精神論を並べるのもお馬鹿丸出しだが、
mixiやツイッターで非難プリプリを垂れ流しってのは武芸者などには
人格者はいないという典型的な例かもね。
武芸やスポーツだけをやってて人格が形成されることはまずない。
人格形成は、もっと別な回路によってもたらされる。
ま、俺も人のこと言えないけどな。
疑問を投げかけたり批判はよいが、非難はよくないよな。
批判と非難を混同するのもこれまたよくない。
批判さえも拒否するというのは、自分に対して意見を言う者をすべて
否定する、Yesマンしか認めないということだから。こうなるとこれも
器量が狭い。批判は受け止めて、批判に対する対応は毅然とすれば
よいだけ。
ところが、批判をされると自分が全否定されたとして脊髄反応で
拒否反応示す人間も結構多い。批判と非難が弁別できないから、
自分の考えや行動について意見されただけで「許せない」となる。
ネット上などで見ていると(リアルで見ていても)、自分の気に入る
ことだけを言われないと気に入らない(というかそうされないと心の
平衡バランスを失って錯乱状態になる)という人間って意外と多い。
そういう領域に行っちゃった人の周りは参るぜ~。
こういう人のことを心療医療の専門家M・スコット・ペックは
『平気でうそをつく人たち』(1983)の中で「邪悪な人たち」としていた。
当時はまだ今ほど心の問題が解明されていなかった時代なので
ペックはそう規定したが、私はそうした人々が示す態様は、現代で
いうところの境界例の症例以外の何ものでもないと踏んでいる。

ところで、以前、おいらの日記を読んでる一人が一緒に寿司食いながら
「ブログ見るとあなた相当性格悪いよね」と言っていたけど、俺の日記に
何を求めてか(笑)。
「ありがたい」お話を聞きたいなら、坊主の話でも聴いとけっての。
それ以前に俺が大将に頼んだ握りを横から取って食いながら言うんじゃねーよ(笑
俺は本音でいろいろ書いてるだけだから。日記は独白なんだから文句
あるならモニター閉じろっつーの。こちとら読者に媚売りたくて文章書いて
るんじゃないんだから。
そういや、昔、「このままではいけない。なんとかしないと」と自戒をこめて
自分の所属団体の主催者の行動のことを自分の日記に書いたら「一生懸命に
やってるのに馬鹿にされた」として別の奴で裏でコソコソ動いて俺への
排除意識を組織しようとしたのがいて参ったよ。結局そいつが後に男の
約束守らずに卑劣なことして問題起こすわけだが。


卜伝についてこの作品は読んだことないので(でも15年ほど前読んだかも)
今度読んでみようかと思う。


でも、峰先生の作品だから、絶対に「そこはつるんとしていた」ってのが
出てくるんだよなぁ(^^;
まあ、なんというか、柴田錬三郎先生からの流れではあるのだけど、
そういうの(^^;
五味康祐先生なんて、剣豪小説だけでなく、そっち方面の専門書(というか
ネタ系)まで出しちゃったから「洒落がきつよ」とは思いながら10代の頃
貪り読んだ。
あの「名著(迷著?)」を紹介してくれたのは、たしか風の兄貴(いとこ)
だった(笑)。内容を公開するのも憚られるような本だったけど、書名は
『五味人相教室』。これをトンデモと見る読者は心に余裕がない。
『五味マージャン教室』よりあっち系ネタ特化本と思っておけばよい。
(先生、いったい何人斬ったんねん、という感じ・・・。でも参考にはなりました。
結構当たっていたよ。笑)
吉川英治のような優等生系、剣豪→人格形成論の作品てのはね、
なんというか個人的にはつまらない。嘘過ぎるほど嘘くさくて。人間て
そんなもんやないやろ、と。
峰先生の作品はその対極にいる。中間が津本陽氏かな。
(仏生寺弥助を描いた津本陽『修羅の剣』は傑作だと思います。昔つきあってた
人が「ここ10年くらいで読んだ小説で一番よかった」とのこと。女性が藤沢周平
よりもこちらを推すとは!と思ったが、この小説は確かにかなり良かった。)