渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『カサブランカ』

2003年09月27日 | 映画・ドラマ・コミック

映画『カサブランカ』を独りでじっくりと観た。
ともするとイルザというキャラが沈んでいるようにも思えるイングリット・
バーグマンの演技の持つ透明感は何だろうと、ずっと疑問だった。
DVDの本編付録の解説によって僕の疑問は氷解した。
本作品は脚本が撮影中に何度も書き直しがされたのは有名な話だが、実は
彼女には最後までボガード演じるリックと結ばれるのか、夫であるビクター
(ポール・ヘンリード)について行くのかが知らされてなかったのだそうだ。
何度も彼女は製作者に結末を尋ねたが、撮影中は「あくまで、中立の立場で
演じてくれ」と言われていたという。彼女自身は後年までこの作品が「名
作」とされる理由が理解できなかった、と彼女の娘のローレン・バコールは
語る。
作品を改めて観ると、台詞のひとつひとつが「気障」と喧伝されるようなも
のではなく、とても含みの深い台詞ばかりと気づく。
僕にとっての焦眉は、ボギーの「格好よさ」とかバーグマンの「美しさ」など
ではなく、自己犠牲の生々しい魂=愛のやりとりだった。
それは、1942年という製作時期・世情がこの作品の背景に厳然と存在して、
その中での男と女、人と人の巡り合いと行く末、絶望と希望と行動が描かれ
ているからだ。
ナチスにより国を侵され、人が冒されていく。
そして、力により踏みにじられた人々の中に蓄積したレジスタンスが作品の
中に一本の柱として存在する。そこで、決して口には出さないが、人として
真に求め合うものの共同意識がふつふつと地下水脈のように息づいており、
希望にどう向かってどう身を振るかが登場人物たちには迫られるのだ。
むろん、世界情勢とは無縁な孤島の楽園での寝食色恋物語ではない。
「生きる」ことにも「恋する」ことにも命懸けでなくてはならない時代。
作品が製作された時代が時代なので、舞台設定・背景が実にリアルなのだ
が、それがおどろおどろしく感じないのは、視覚映像を撮らせたら随一だった
カーチス監督の手腕でもあるだろう。

DVDには戦後のアメリカでのTVシリーズの映像もついている。
これはさすがに戦後直後。映画作品とは全く空気が違っていた。
大戦中のレジスタンスの心を登場人物の背景に置いたものではなく、いわゆ
るアメリカ国家主義的作品だ。
こちらは、まるでネイティブアメリカンを襲う騎兵隊に拍手を送る人々が喜
びそうな仕上がりである。


家紋のおはなし

2003年09月01日 | 文学・歴史・文化・科学

家紋。
摩訶不思議なるこの文様。
手元にあるモノノ本によると、人々が群居して生活するとき、自他を識別す
る必要が起こったのが紋章の発生という。
姓氏や苗字は音声で名乗るが、時間的に瞬間的な伝達以外、つまり遠くへ伝
達するには第三の媒体が必要とされ、そのために旗や紋章が考案されたそう
な。
思うに、僕や少し前の先輩たちが学生の時に戴していた被り物の色分けも、
そうした旗指物に限りなく近いのでは、と感じてしまう。
しかし、家紋は「家」の概念を表す。
市井の「家紋帖」には、大抵が、いわゆる「名家」のなるものの紋が載って
いる。
いわゆる江戸期旗本や大名家、公家が「名家」とされる。
面白いのが、苗字だけで現在10万種類を超えているのに、家紋は幕末期でも
6000種くらいにとどまっていることだ。
これとても、西欧のそれに比したら目が回りそうな数なのだが。
着目したいのは、なぜ「家」の象徴であるのに、「家」を便宜上表す「苗字」
の数と比例しないのか、ということだ。

「変え紋」というものがある。
「家」には、ひとつの紋以外に使用する家紋があった。
私事で恐縮だが、僕の家は「丸に抱き茗荷」が現在の表紋だ。
しかし、今は伝えるところの「向い雁」や「花菱」の別紋は使用していない。
「抱き茗荷」については、かつて戦国時代、長宗我部の猛攻により阿波白地
城を追われ、瀬戸内海を渡り、安芸国三原(一部備後)という土地に落ちる
以前、うちが大西という苗字を名乗っていた時分の変え紋「茗荷立ち合い」
の変形が後々に使われたのだろうと思う。

然るに、一家でいくつかの紋所を持っていたとしても、苗字と家紋の数が符
号しないのはどうしたことか。
また、関東と上方以西では習慣が違うが、「女紋」というものも現存する。
関東では、嫁入りした嫁は嫁入り先の家紋をつけるが、西国では女性は嫁い
だ後もずっと母系の紋をつける。
江戸期、女性は正式には嫁いだ先の苗字を名乗らず、旧姓(苗字)のままで
あったのは意外と知られていない事実だが、これと似たような意味での
「夫婦別姓」的現象が家紋の世界で残っているのは一考に価する。

考察の答えをここで出すのはよそう。
結局は個を捨象する「家系」なるつまらんものの象徴であるからだ。
眠狂四郎は、家から捨てられたことに反発して無頼の徒になったのに、なに
ゆえ紋付を着るのだろう。