渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

名作映画『シェーン』(1953)

2023年01月04日 | open



不朽の名作『シェーン』(1953)
を観る。
この映画が公開された時は、この
物語はほんの60数年前の頃の話
だ。
当時としては時代劇ではない。
今の日本ならば、1955年頃の話
で、私が生まれる5年前、それ位
の過去の物語である。
江戸初期を描いた時代劇ではない。
アメリカ人にとって、ほんの少し
前の時代の物語だ。
だが見える。
この作品が描かれた頃には「アメ
リカの良心」があった時代である
事を。
『シェーン』は永遠の名作だ。

全日本ミーハー連合会会長として
は、こうした作品を観る時には、
こうした物を目の前に置いて作品
を観る。これ、定番。
日本の時代劇では真剣日本刀ね(笑


21才だった俺の親父は『シェーン』
を映画館で8回観たってさ(笑
分かるぜ。
俺にとっての『汚れた英雄』(82)
みたいなもんだろうな。『汚れた
英雄』は映画で6回観た。ビデオ
とDVDでは数知れない。
そういう作品は時々ある。
『ハスラー』(61)はおいらはビデ
オとDVDでは観た回数は300回で
は利かない。セリフも覚えている。
『道頓堀川』(82)は200回程か。
『シェーン』は40回ほどである。

映画作品の特徴。
映画は読み捨てのポイのアメリカ
ン・ペーパー・ノベルズではない。
何度でも観られる。
面白いもので、300回観ても新し
い発見がある。
映画は、あらすじが分かったら、
それでサヨナラではない。
これは小説もそうだ。
小説も読むごとに新たな発見が
ある。
文芸作品というのはそれだろう。
これは、日本刀などの芸術作品
においても。
日本刀などは、5時間でも眺めて
いられる。
覚え切れない発見がある。
深い。
芸術というのは、それだ。

『シェーン』に出てくる「悪人」
は誰か。
先住開拓者の地主が「悪人」で
はない。
また、新規入植者たちも「悪人」
ではない。
この作品は深い。
シェーンは、単純な「いいもの」
ではない。人殺しの過去を持つ。
だが、なぜ同じく国民が殺し合い
をするのか。
この作品は、無論単なる「勧善
懲悪物」ではないアメリカの歪み
を描いた作品だ。
だからこそ「まだアメリカに
心があった」頃の作品といえる。
深い。

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