渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

広島の夏

2018年08月12日 | 公開情報



きょう、少し山間部を走ってみようと
思い、KR-1を乗り出してみました。

私のカーティス・ロードは西日本豪雨災害
で通行止めになっていました。




ワインディングに入るこのロードの南第1
ヘアピン手前
で完全通行止め。


オートバイから降りて見てみると、クリッ
ピングポイントのあたりで崩落しています。




立ち上りから奥を覗いてみます。


ここだけならば、片側通行にすれば通行
できる筈ですが、全面通行止めになって
いるということは、この先の峠部分では
各所が土砂崩れ崩落しているということ
なのでしょう。


第2コーナーから先はひどいことになって
いるのかも知れない。災害から1ヶ月。
復旧の目途は立っていないのでしょうね。


クリッピングポイントから下側を見る。


迂回路を通って、三原市内の山間部を視て
みようかと思います。


水分補給のため腰には軍用水筒と塩タブ。
ここで水筒の水を飲んで、塩分も補給。
路面に直座りしようとしましたが、焼け
焦げた鉄板の上のようで熱くて座れませ
んでした。ヘルメットを脱ぐと髪の毛が
燃えそうなので帽子は必須です。



私はキャップを丸めてメーターとカウル
の間にキャップつばを差し込んで固定
するようにして外出しています。
今は被っているので写真なし(笑)。



狭い山道の迂回路を通って、三原市内の
山陽道全線区間の最高地点(三原)に
向かい到着。
ここに来るまで、山間部ではかなり上の
地区でも谷という谷が土砂崩れ土石流の痕跡
があり、三原市の平地部は河川氾濫で水没
でしたが、山間部は土砂崩れと小渓流の
氾濫、河川岸の崩落というトリプルパン
チだったことが分かります。かなりひどい。


ここが高速道路山陽道の全線で一番高い
地点です(三原市内)。




高速の側道から三原市内方面を望む。


どこの山の中よ?とか思うでしょうがこれ
が三原であり、この付近は古代山陽道沿い
です。


駅名不明の謎の駅家(うまや)が
あった場所の近所です。古代にはこのよう
な安全な陸路=山間部の谷沿いを通って
街道が整備されていました。
海岸線などには街道は整備されていなか
ったのですが、瀬戸内海だけは重要な航路
として大和政権成立以前から利用されて
いました。
ただ、「三原」という町ができたのは
16世紀末期の戦国時代終焉のことであり、
室町・南北朝・鎌倉・平安・奈良・明日香・
それ以前の時代も「ミハラ」などという
場所は存在しませんでした。あったのは
海。

日本刀「三原物」の説明で「古刀三原は
鎌倉南北朝の時代に現在の三原の地で」
などという説明がよく日本刀界では為され
ますが大嘘です。現在の三原市街地は海
であり、寒村だけが点在しており、陸路
で到達するには海岸に張り出て屹立する
山間部と小谷(やつ)が入り乱れる厳し
い環境のエリアで、東西北を屏風のような
山に囲まれた地形でした。
唯一井戸崎(現在の三原市糸崎)だけが
海路の保水地、汐待ちの泊として存在して
いました。これは万葉の時代から糸崎で
船を止めた記録があります。
ただし、現在の三原のエリアといえば、
この画像の姿が正しい姿。これが古代
山陽道の名称不詳の謎の駅家の近隣です。
なぜ律令制で定められた地点にある筈の
駅家の正確な場所も駅名も不明のままな
のか。学術界はメスを入れていません。
日本の歴史で最古とされる製鉄遺跡(弥生
時代か)があるのもこの近所です。


ここから1キロほど東に向かい、そこから
北の世羅高原地帯を目指してみようと思い
ます。「世羅」という地名も古代地名ぽい
ですよね。三原城も「御調(みつぎ)郡」
にありましたが、ミツギという名称は租庸
調の制度時代に発祥した名称風に思えます。

高速道路をまたぐ陸橋下をくぐって三原
久井(くい)のインター下から北上する
ようにします。


空が真夏の空ですね。盆が過ぎたら夏も
終わりに向かいます。


なぜか吉田たくろうの曲が頭に浮かぶ夏
の空。古いね~。

「蒼い夏」
いつか亡びる この海が
肌をじりじり こがすので
今夜きっと寝つかれぬでしょう
(作詞:岡本おさみ 作曲:吉田卓郎)

ここから三原久井インターまではドカン
と急激な下り坂です。



世羅高原エリアは三原市久井と県北の三次
(みよし)市との間にある高原地帯で、
観光スポットが結構あります。
なにより、道路が綺麗で気持ちいい。


三原市内からズドンと真北に抜ける峠道は
土砂災害で寸断されて通行止めでしたが、
先ごろ解除されました。それでも所どころ
一方通行の車線規制があり、一車線が土砂
で埋もれたままです。
ここにある県道25号の垣内(かいち)とい
う場所あたりが最古製鉄遺跡のあるところ
です。謎の駅名不詳の駅家もここらあたり。
古代において既に「地図から消された場所」。
何か絶対に政治的ななんかが隠されてますね。



高速ライディングで抜けられる路面状態の
良好な峠を抜けると世羅高原です。
世羅エリアの最初のコンビニで休憩。


ここで、昔KRに乗っていたという四輪車の
人から話し掛けられてしばし雑談。
年齢は私の少し下くらいの方かな。「懐か
しいなぁ」という話で盛り上がりました。
ずっと2ストを何台も乗ってきた人のよう
です。標準語に近かったから、きっと学生
時代とかに外に出ていた人なのかなぁ。

コンビニの休息コーナーで涼みます。外の

暑さ異様。


ん?


んん?


カゲロウの脱皮した抜け殻!
クーラーの利いたコンビニの中で脱皮
したのでしょうか?


カゲロウは英語ではメイフライと呼ばれる
水生昆虫で、五月に多くが羽化してハッチ
と呼ばれる群生飛翔を見せます。
カゲロウの種類により羽化時期は異なるの
ですが、羽化して成虫となってからは摂餌
も排泄もしません。器官をもっていません。
とても綺麗な虫。
そして盛んに飛び回り、数時間後に死んで
いきます。
幼虫は鬼みたいな姿ですがニンフと呼ばれ
ます。幼虫時代は数十回脱皮します。蛹を
作らない不完全変態です。
羽化したものは亜成虫となりダンと呼ばれ
ます。ウルトラセブンのモロボシ・ダンは
ここから命名されました。
ダンとなってからは別な場所で脱皮をして
完全な成虫となります。これをスピナーと
呼びます。
カゲロウはフライフィッシングのメインと
なる毛鉤のモチーフで、渓流においては
マス類が好んでカゲロウを捕食します。

コンビニの中が涼しい(笑)
メインのヘルメットは塗装中なので、今は
これを仮に使っています。



結構気に入ってるだよな。


さて、世羅から三原市街地のお城のとこ
まで帰ります。
帰りは例によって三原市内の道の駅に。
きょうはバイクが多かった。ここ以外の
日陰部分にもずらっとバイクが並んで
いました。初めてZXRでツーリングして
いる人を見たよ(笑)。この画像にはあり
ませんが。


私のKR-1はフロントフォークに油が滲んで
来ているので、そろそろシール類とオイル
交換のメンテ時期なのかも。


帰宅。
チャンバー排気口をこうやってタオルで
塞ぐのは、駐車中に虫などがマフラー内
に入るのを防ぐためです。
2ストマフラーはチャンバー内で圧縮した
排気ガスを再びエンジン内に引き戻して
再度排出するというシステムですので、
虫さんがマフラー内にいたらとんでもない
ことになってしまいます。なので塞ぎます。
タオルを切って詰めるのは、大昔からの
2ストレーシングマシンの定番(笑)。


きょうはあまり寝かせていません。
本気の快適ライディングは三原久井の連続
コーナー区間だけでした。あそこは気持ち
が良い。スーッと寝かせてパイーンと抜け
られます。

家ではクリア塗装後乾燥中のヘルメットと
ネコ太郎が待つ。
こいつ夜引っ付きマンで寝るから、とても
暑い。今の時期、犬は寝る時はクーラーの
冷風の抜け道の廊下が定位置ですが、猫は
夏でも引っ付きまわる(笑)。
暑いんだよ、あんた。

一部クリア後の均しペーパーあててます。

ヘルメットは乾燥したら、コンパウンドで
研磨して鏡面仕上げにします。手作業だと
限界あるんですけどね。電動使ってバフ
がけしないと。でも十分にピッカピカには
なるので私は大抵はバイクヘルメットの
塗装は手仕上げです。


いや、本当に暑い。なんだこの暑さ。



本日のベストショット。
山陽道最高地点にて。
あ。グローブどかせばよかった(笑)。

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