渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

使い手かキューか

2023年02月02日 | open
 
 
青森のベテラン佐藤麻子プロが
昨年ジャパンオープンで優勝した。
試合放送の解説で女子プロが
「とてもキューが切れてますね」
と言っていた。
 
さて、キュー切れが鋭いのは、
キューのおかげか。
あるいは使い手の技量か。
ひとつ考えてみる。
 
結論から言うと、これは、後者
の比重が大きい。
TAD自体はとても切れ味の良い
キューだが、キュー切れを発揮
できる人がTADを選ぶ。
プロでもアマでも、転がし玉を
やる人はTADなどは選ばない。
二輪の2ストレーシングマシン
のような特性のキューだから
だ。
最近のビリヤード層の傾向は
オートマ系が好まれている。
 
キューについては、キュー切れ
を鋭く使いこなす人が切れ味の
鋭いキューを好んで使う。
TADについていえば、キュー切れ
を出せる人がTADを求めるのだ。
TADだからキューが切れるので
はなく、キューが切れる人が
TADを求めて使うのである。
 
キューにより性質の違いは大き
く別れる。
だが、選択肢は広い。
一つ確かな定理がある。
それは、「ハイテクシャフト=高
性能、ノーマルソリッド=時代
遅れの性能が劣るキュー」という
20年ほど前に創作された誤謬概念
に今でも捉われている人間がプロ
にも多い、という事だ。
 
玉入れだけが上手ければ真理を
理解しているとは限らない。
分かってない者は分かっていない。
たとえプロだろうとも。
そうした固定概念で道具を語るの
は不完全どころか、的外れの的外
し、穴前カタカタよりもド外れて
いるのだ。ドソッポに突くように。
 
キューの優劣は一概には語れない。
尤も「キューに見越しがある」
「見越しが無いキュー」とか言っ
ている時点で、物事が根本から
分かっていないのだが。
キューには見越しもパワーも無い。
存在しない。
見越すのは人間だ。
また、棒には出力など存在しない。
パワーなどは存在しないのだ。
反発力というフォースは存する。
 
キュー切れは、使い手の技量が
どうであるかが中心にある。
抜刀術や斬刀術と同じく、使い手
が遣い手であるかどうかが決め手
になる。
そして、優秀な得物を手にした時、
使い手は更なる遣い手へと昇華す
る。
 

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