渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

乗り方と二輪作りの接点

2024年06月20日 | open



誰かがやり始めて好成績を
出すと、それが一つのやり
方のセオリーとなる。
ハングフォームは1960年代
初期から存在したが、膝を
路面にこすりつけるのは世
界チャンピオンのヤーノ・
サーリネンがやり始め、ケ
ニー・ロバーツが常用し始
めて世界中に広まった。
この逆ハングフォームも、
3年連続全日本チャンピオン
の平忠彦選手が常用し、多く
の日本人が模倣した。
平選手は国内のサーキットだ
けでなく世界グランプリでも
この乗り方をした。
コーナーが連続する際に2番
目のコーナーを重視する時
に使う。

ここ10年程での模倣系は、
ブレーキングの時に足を伸ば
して前に突き出す乗り方がレ
ースの世界では流行っている。
これは世界チャンピオンの
イタリアのバレンティーノ・
ロッシが始めた。
バランス取りの為だ。
多くのライダーが真似し始めて、
現在では常識的になった乗り方
だが、ロッシが始めた頃と現在
では多少背景が異なる。
ロッシは思い付きでやっただけ
で、本人は「タイムが速くなる
わけではない」と明言している。
だが、バランス取りには寄与す
る部分もあったようだ。
現在では、それをやらないと
止まれない、曲がれない車両、
というような要素が強くなっ
ている。
それでも、日本製二輪は曲がら
ないオートバイになって来てし
まったのだが。
曲がらないからレイアウトを
どんどん変更させて、もっと
曲がらない転ぶ車にしてしま
った。
結果、世界戦では日本製二輪は
全く勝てなくなり、ヨーロッパ
製オートバイがトップを独占す
る事態になった。
「日本のオートバイ=世界一」
という半世紀に亘る世界地図
は今や完全に書き換えられた。

今の日本のオートバイが世界
最底辺しか走れなくなった理
由=ダメな物しか作れなくな
った理由は明白だ。
マシン開発に人間を中心に据え
なくなったからだ。
すべてコンピュータ解析の数値
のみで車作りをする事にシフト
した時から、日本のオートバイ
は血の通わぬ、人が乗れない、
世界チャンピオンが乗っても
必ず転ぶ二輪になってしまった。
開発ライダーを介在させない
オートバイは誰を乗せるのか、
という事だ。
運転するのはロボットではない。
人が作った物に人が乗る事を
やめた時から、日本製の二輪は
見るも無残な物体になってしま
った。
だが、メーカーは一切反省も
しないし、開発方針をかつて
の人が物を作るところに戻す
つもりもない。
この先、日本製二輪が再び世界
の頂点に君臨する事は、もう無
い。



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