渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ツボ

2021年08月27日 | open


最近、ツボにハマって、友人たちと
これ系の話ばかりしている。
朝から、おはよーござーまーす、
の直後からくっそくだらねーのを
やりとりしながら、腹痛笑いだった
りしてさ。
いやあ、笑いはいいもんです。
大阪の笑いはほんとにいい。

ただ、やすともは、同じネタ多いね
んな。なんでやろ?
そんでも、一番漫才巧いと思うわ。
気づいたのは、ある頃から、「さ」
を使うね、彼女たち。
それこそ1980年代には大阪人が「さ」
を使う事は存在しなかった。
海原千里万里や春やすこが「さぁ」
などとは絶対に言わなかった。
島田紳助もテレビでかつて言ってた。
「『俺』とか使う奴は一人も関西には
おらん時代や。映画の中だけやと思っ
とったもん。東京から京都に転校して
来た奴おってな、そいつが自分の事
オレ言うねん。わーほんまにオレ言
うんや、と思ったもん」と。
関西は「わし」すね。広島も岡山も
「わし」。広島県などは幼稚園児も
「わし」。5才の子が「そっりゃー
わしの瓜ど!おみゃーら東京へ
いね!(帰りやがれ!)」と、福山の
子とか瓜投げつけてたもん、確かに
昔は。
今の40代半ばあたりまでの人たちは
中国地方では今でも「わし」です。
今の若い子は言いません。オレと言
ってます。女の子は昔ながらの「うち」
ね。
友人の息子の高校生の子と遊びに行
った時に「あれ?わしって言わない
の?」と訊いたら、「いやー、さすが
にそれはねーすよ」と東京弁みたいな
言葉で返された。
(へー。そうなんだ)と思った。
私は今60代だが「わし」とは一人称で
自称しない。私の生まれ育った土地の
言葉ではないからだ。これはアイデ
ンティティの問題。住む場所は関係
ない。俺はオレでしかない。
そのオレの複数形の「オレら」が江
弁で訛ると一人称でも使うオイラ
になる。
江戸東京弁は「え」と「い」の発音
上の区別はきっかりとはつけない。
「かい?」は音(おん)では「かえ?」
に聴こえる。
「だよ」は「でぃ」に聴こえる。
それが東京の方言だ。
「ここだよ」と言ってるつもりでも
音では「ここでぃ」に聴こえる。
これは「し」と「ひ」の区別がつかな
いのとは別な現象として。
そして、「あなた」と言っているつも
りでも、音では「あーた」とか「あん
た」に聴こたりもする。
これはよく誤解を生じる。東京人が
「貴方が」と言ってるつもりでも、
神奈川を含めた東京以外の地方の人
には「あんた」と聴こえて「あんた
という言い方はなんだ!」と突然立腹
したりする事もある。
標準語は大切だ。江戸東京弁は標準語
ではないので、日本人ならば、学校
教育で受けた日本語=標準語を話す
必要がある。人と人とのコミュニケー
ションツールとして言語を使用する
つもりなら。
てめえんとこの言葉が全国区だ、通じ
ないのは理解しないほうが悪い、なん
て傲慢は非常に宜しくない。
特にメールでも書き言葉は標準語を
努めて使うのは、礼儀だ。
もうすべて方言でしかメールを書い
て来ない人がいて、「それどういう
意味?」と尋ねたら、「はあ?あり
得ん。なんで通じんのん?馬鹿にし
とるんじゃろ?」てな返信があって
非常に参ったりする事もある。

ところで、広島県は戦前戦後までは
女性も「わし」だったのだが、それ
は今の広島県の50代あたりでも知ら
ないのではなかろうか。
老人の女性が「わしのまんまんじゃ
(私の食事ですよ)」とか言ってたり
した。1975年あたりは。明治生まれ
の広島県の人たちは。
少年だった私は、「おう。なんか時
代劇のおっさんみたいなしゃべり方
すんだな、こっちの人は。ばあさん
もじいさんも若者も園児のガキも」
と思った。

また、東京人が「めっちゃ」を使う事
はちょい前まであり得なかった。
大阪の「さ」と同時期に両者が普及
し始めた。
そのあたり、時代と共に混ざって来て
いる。今は大阪人の「さ」と東京人の
「めっちゃ」が見られる。

この記事についてブログを書く
« 新史料発見! 秀吉の中国攻め | トップ | ひろゆき »