渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ライディングギアと断捨離

2023年12月16日 | open
 


 
数えたら二輪乗車用ブーツは
9足、革ジャンは10着持って
た(笑
いかに何が生活の中心になっ
ているかだよな。
かつて「常に背広」の時代に
はスーツも20着以上あったけ
ど、今は数えたら16着だ。
バカでつか?というのは帽子
で、ベレー含めたら100以上
ある。アホなのか、と。
軍靴は6足程度だが、迷彩服は
20数着ある。
死ぬ時は裸なのになぁ。
かといって分限者でもなけりゃ
富裕層でもないし、何でも欲し
がりの「物欲様」でもない。
しかしながら、「断捨離」など
というのは、思想も言葉も
大嫌
いだ。
あの考え方だと、伝家の刀さえ
捨てかねない。
冗談じゃねえ。
どんなに辛酸を舐めても手放さ
なかったから今家には数百年の
幾星霜を駆け抜けて先祖の江
初期の差料が残ってる。
衣服や靴は使用済みで廃棄も
だが、捨てちゃいけねえもん
のも人の世にはあるのよ。
それは、金銭換算対象や「不用
物」として廃棄する事などはで
ない。
断捨離なんてぇ発想や心根は、
はっきし言ってでえきれぇだ。
あれが美しいものとか思い込ん
でるとこがまたいけ好かねえ。
おいらはやらないし、そんな
視点とは別なところでスッキリ
を選ぶ。
これは個人的なスタイル、スタ
ンス、ポリシーの問題だから、
しのごのいわれる筋合いは無い。
 
地球の歴史上、最後のマル戦の
染め抜きの旗は俺が持ってる。
三島の介錯刀は、うちのMCの
同志の親友が持ってる。
近藤勇さんの遺品の短刀は弔っ
た坊主の寺の東大出の全共闘世
代の子孫の坊主が持ってる。
それは私が縁故から毎年請
われ
て寺に手入れしに行っ
た。
決して廃棄とかする物ではない。
そういう物は世の中にある。
物体はただの物体ではなくなる
のが人の社会だ。
人ゆえそれが可能になる。
偶像崇拝は宗教でも思想でもナ
ンセンスだが、物を物としてし
か見られなくなったら、人が
としての大切な事を捨て去る
になる。
そうなると、人の死を弔う墓標
さえも、ただの石にしか見え
くなる人となる事だろう。
それに立ち小便しても平気なよ
うに。論理的にはそうなる。
それは、人であるのか?
 
そこを突いて江戸期には絵踏み
が行なわれて人が殺された。
そうした人の人としての心を
逆手に利用して。
それをしたのも人だし、虐殺
されたのも人だ。
明治初期には江戸期の階級制度
を無くす試みが戸籍制度により
為された。しかし、それは新た
階級再編としての新族称
設置で
かなかった。
だが、その新制度の階級分けは
不満であるとして、それまで社
会的な扱いが牛馬以下の扱
受けていた集住を強いられ
ていた村20戸を百姓たち平民
2000
が武装して取り囲ん
で追い
立てて老若女を問わ
ず虐殺し
た。
自分たちと同じ平民に彼ら
るのは許し難いとして。岡
山県の現在の津山市での事だ。
広島県では、旧最下層階級の人
二人がうどん屋に入って食事し
ただけでこの上ない生意気だ
殴り殺された。
全国各地で明治初期にそうした
事件が起きている。
どちらも人がやり、人がやら
た。
最下層階級に対してだけでなく、
士族が平民たちにもやった。
弘前城では万人に桜を楽しん
でもらおうと、ある旧藩士が
桜を植えた。
青森林檎を作った後の学者だが、
その子孫は私と高校時代に文学
同人で今は阪大の教授をしてい
る。
その弘前城の桜を花見に来た
平民たちに対して、旧藩士の
士族たちが集団暴行で大量の
負傷者を出した。
理由は「平民どもが城内で花見
など生意気でもってのほか」と
の理由だ。
明治に入ってもそれだ。
否、明治に入って、尚更日本人
の差別感は増幅した。
それは、根底部分で、人が人
としてどうあるべきかという
社会性の未熟さから日本人が
脱却できなかったからだ。
そして、それは21世紀の現代
でも継続している。
ネットでは差別排外主義と日本
人の残虐な攻撃性は常に擬似
「正義」をちらつかせたり
回したりしながらの非道と
して同じ
日本人によって実行
され
ている。
 
断捨離は、対象は物体だ。
だが、果たして本当に物体に対
してのみの行為として存在して
いるのか。
その心根を掘り下げた場合、そ
の行為自体はともかく、発想の
起因は果たして人としてどんな
意味がるのか。
そこには、恐ろしい、人間の
エゴを導き出す悪魔の囁きの
構造的端緒が潜んでいる。
綺麗事で潔白であるかのように
振る舞う偽善的な態度が既に
の真の姿を曝け出している。
ニセモノだ。
 

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