渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

手打ちうどん「おかめ」 ~広島県三原市~

2024年03月13日 | open





このお店、本当においしい。
三原で一番、というか都内の
うどん屋と比較しても都内で
もトップクラスに入るだろう。
おすすめは「おかめうどん」。

実はうどんの全国消費第一位
の都道府県は埼玉県で、香川
県を抜いている。
埼玉のうどんは秋田の稲庭う
どんや名古屋のきしめんのよ
うに平たい麺だ。これがまた
かなり美味しい。

うどんというと讃岐が有名で
本場うどん処のように全国に
広まっているが、実は本場讃
岐のうどんは、讃岐以外の土
地で「讃岐うどん」とされて
いるようなコシは無い。意外
だろうが、それ事実。
そして、店舗ごとにすべて味
が異なる。これは埼玉とは違
うところ。埼玉は概ね似通っ
ている。
讃岐では「どじょう汁」とい
う家庭料理のうどんが最高だ。
これは農繁期の仕事休みに各
家が振舞う讃岐独特の食文化
の家庭料理で、「どぜう」が
入っている。作るのは男。
私も香川県で取引先の社長が
手づから作ってくれたどじょ
う汁を馳走になったが、あれ
ほど美味しいうどんを食べた
事がなかった。
香川県は食良し、人良し、良
いところ。これほんとの話。
ただし、女の子の気は強い(笑

西国から東に目を移すと、江
戸時代の江戸の食といえば
日本蕎麦がよく知られている。
実は江戸期の江戸ではうどん
のほうが最初は人気があった。
これには理由がある。
うどんも最初は丸餅のような
ものだったが打って伸ばして
切った物が生まれて人気爆発
となった。
だが、蕎麦はうどんよりも遅
れていて、やはり丸めた物が
蕎麦だったのが、やがて切り
蕎麦が登場した。
それが、その新規食べ物の切
り蕎麦が誕生してから、世界
一の大都市江戸では段々蕎麦
がうどんを凌駕して行った、
という歴史がある。
ちなみに元禄15年(1702年/
子連れ狼拝一刀が死亡の年
(笑))の赤穂浪士討ち入りの
時にはうどん屋もしくは蕎麦
屋の二階に集結とされたが、
あれは実は部外者の完全創作
で、実際の実記録では四十七
士のほんの数名が蕎麦をすす
っただけだった。
ああした歴史的事件では大嘘
や捏造が多発する。
泉岳寺などは討ち入り浪士の
遺品の刀剣を忌避してうっぱ
らってしまったが、のちにテ
ロルを実行した赤穂浪士が
江戸御府内で「義士」として
大人気で持ち上げられると贋
物を買い集めて義士の遺刀と
した。出鱈目な人間による出
鱈目な所業これあり。所業無
情の響きあり、である。
ほんとに坊主は堕落者の典型
という日本独自の実態を体現
している。仏教坊主で人品が
まともな人間はこの日本には
まずいない。
現代でも災害難民や困窮者た
ちにキリスト教教会が炊き出
しをする事はあっても仏教坊
主たちが炊き出しをした話は
聞いたことがない。そんなも
んだ。第一、仏教坊主が酒を
飲み、肉を食らい、女(もしく
は男)を肉欲によって抱き、
高級車を乗り回しているでは
ないか。巨大新興仏教宗教法
人の会長などに至ってはぶく
ぶくと太りまくって。
私は先祖に手は合わせても、
仏教宗派に関係なく絶対に仏
教坊主には手を合わせない。
お辞儀や礼はしても、深々と
仏教坊主には頭は下げない。
逆だろう。
坊主?推参なり。そこへなお
れ!だ。
坊主こそ人士に対しては深々
と頭を下げよ、だ。
何を偉そうに、このたぁけ、
といったところ。

だが、うどんは実は遠い昔に
坊主が大陸から持ってきたと
いう歴史あり。
その坊主は「食うかい?」と
言ったらしい。
知らんけど。

 

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