渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

キューの木ねじ

2022年09月04日 | open

キャロムキューの木ねじという
のは、こんなのなのよー。
振り子のような余計な振動しない
のよー。
手玉のトビずれ少ないのよー。

1960年代初頭にプールキューの
カスタムビルダーが登場してから
ある年数はランボー&バラブシュカ
スタイルが流行した。
しかし、暫くすると、キャロム・
キューのこの構造を部分的に採用
して金属ジョイント+シャフトの
メスネジ部を木製のままという、
新しいプール・キューが登場した。
そのキューは撞き味のダイレクト
感と手玉突き出し性の高さで有名
なり、多くの愛好者が出た。
台湾においては、そのキューが
神器のように崇められた。
私も正真実物のその作者のイエロー
マイカルタ先角作品で5ラック先取
りを3回撞いた事があるが(A級対戦、
全て私の勝ち)、そのまま譲り受け
て持ち帰りたい程の物だった。
成程これがこの作者の本物か、と。
偽物も多く出回り、またコピーも
多い。そして、死亡後には遺族が
作っている。
それらを全部撞いてみた。
すべて故人本人の作とは全く異なる。
本人作のソリッド感がなく、ドライ
で乾いた枯竹のような掴みどころの
無い物が多く、手玉をギュインと
運んで行くあの感触がある物は皆
無だった。撞かせてくれたプロに
は申し訳ないが、それが正直な感
想だった。

私のTADはTADの中ではイレギュ
ラーな構造で、荒ねじと呼ばれる
だ。
戦前の10代の頃からタイトルを
総なめにしたジョー・バルシスは
戦後もUS OPEN他多くのタイトル
を手にした。
その彼が選んだのがTADだった。




バルシスが世界チャンピオンの
時に使ったTAD。


ジェリー・フランクリンと同じ
荒ねじ構造だ。

この焦茶色のベークライトは2008
何頃まで存在したが、その後メー
カーが製造をやめたので、現在で
はもっと色の薄いタイプしか入手
できなくなった。
製品改変時にリペア業者の中には
「薄い色の新製品も、使っている
うちに旧製品と同じ焦茶色になる」
などと言う者もいたが、そんな馬
鹿な事はあり得ない。

私のTAD、1995年製。
バルシスが亡くなった年に作られ
た。
ジョー・バルシス・モデルの復刻
版のような作りになっているが、
バルシス追悼モデルとして作られ
たかどうかは不明。
シリアル1500番台。1995年10月
の製造になる。
撞球性能は極めて高い。
撞き味は本物のサウスウエストに
よく似ている。


1967年のUSオープン出場者。


ジョー・バルシス。
(1921生、1995年1月没)




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